しろうニャと巡る! 広島城探検
市内に住んどっても広島城のことみんなどんくらい知っとるんじゃろうか
広島城の見どころを案内するけぇね!
広島城に住む謎のネコしろうニャ
(広島城キャラクター)
Let's go(レッツゴー)!
市内に住む小学校2年生
広島城は初めて
1 二(に)の丸(まる)復元建物(ふくげんたてもの)
二の丸にある建物は、平成元(1989)年から6年にかけて復元されたものです。ほとんど国産の木材を使用し、伝統的な工法で復元されました。橋を渡ってすぐの門が表御門(おもてごもん)、その隣が平櫓(ひらやぐら)、細長い建物の多聞櫓(たもんやぐら)、二階建ての太鼓櫓(たいこやぐら)があります。実際に建物の中に入って、江戸時代の雰囲気を感じてみましょう。
二の丸ズ(広島城キャラクター)
表御門は門の上が櫓になっている「櫓門(やぐらもん)」という形式。櫓の窓からは外の様子がよく見え、城を攻めてきた敵を攻撃しやすくなっています。
△や□の穴をのぞいてみよう
二の丸の建物や塀にある△や□の穴は、「狭間(さま)」といいます。ここから、鉄砲や弓矢を使って外の敵を攻撃します。穴の外側よりも内側の方が大きくなっており、より攻撃がしやすい構造となっています。
どんなふうに見えるかな?
2 中御門跡(なかごもんあと)
二の丸から本丸へ続く中御門があった場所です。中御門も二の丸の表御門と同じ櫓門でしたが、より防御力を高めるため、扉に鉄板を打ち付けた「鉄御門(くろがねごもん)」となっていました。
ここの石垣、カキやフジツボの殻が付いてるよ!
広島城ができた頃は海がもっと近かったけぇ、周りの島や海辺から運んだ石を石垣にしとったんよ!今の平和大通りの辺りから南はもう海じゃったんと
3 途切れる石垣
二代目城主の福島正則が取り壊した石垣の跡と考えられている場所です。
当時は、城の修復や改修には幕府の許可が必要でしたが、正則は、洪水の被害を受けた箇所を無断で修復しました。幕府から無断修復を許す代わりに城内の石垣の一部を取り壊すことなどを命じられた正則は、それに従いました。
しかし、ここは幕府に指示された石垣とは別の場所だったことなどから、結局、正則は広島を去ることになりました。
自分の城でも許可が必要だったの!?
ほうよ。昔は厳しかったんよ
4 旧天守(きゅうてんしゅ)の礎石(そせき)
礎石とは、建物の柱の土台となる石のこと。今の天守を鉄筋コンクリートで復元するために掘り出され、この場所へ移されました。
ここにある礎石は全部でいくつじゃろ?
数えてみようっと!いち、に、さん…
5 東小天守跡(ひがしこてんしゅあと) 6 南小天守跡(みなみこてんしゅあと)
広島城の天守には、小天守(こてんしゅ)と呼ばれる小さな天守が2つ付いていました。小天守はそれぞれ3階建てで、大天守とは櫓でつながっていました。このような形で大天守と2つの小天守があったのは広島城だけで、小天守を含めると、豊臣秀吉が建てた大坂城にも負けない大きな城でした。
7 天守(てんしゅ)(大天守)
広島城の天守は、5階建てで、石垣の高さは12.4m、建物の高さは26.6mあります。安土桃山時代に築かれて、20世紀まで残っていた城の中では、石垣を含めた天守の高さが最も高いものでした。
広島城下模型(天守展示物)
壮大な姿だったんだ〜
しろうニャは天守をかぶっとるんよ
広島城の未来
現在の広島城の天守は昭和33年に鉄筋コンクリートで建てられたものです。60年以上が経過しており、いずれ取り壊さなくてはならない時期が来ます。広島城などの国の史跡の中で建物を復元する場合には、歴史に忠実に行うことが基本とされています。市では、図面や写真、関係資料の収集など、忠実に復元するための調査検討を始めています。
これからの広島城も楽しみじゃね
広島城の散策
城内の公園は立ち入り自由。天守のみ観覧料が必要です。
※新型コロナウイルス感染症の影響などで臨時休館する場合があります
◆問い合わせ先:広島城(電話221-7512、ファクス221-7519)
◆天守観覧料:大人370円、シニア180円、高校生相当年齢180円(土曜日は無料(祝日・春・夏・冬休み期間を除く))、中学生以下無料
◆天守と二の丸復元建物の開館時間:時季により異なるため、ホームページをご確認ください
◆休館日:12月29日〜31日
広島城について詳しくは
ホームページで