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広島城の歴史

築城から始まった「広島」
 広島城は安土桃山(あづちももやま)時代の武将、毛利輝元(もうりてるもと)が建てた城です。築城(ちくじょう)が始まったのは、天正(てんしょう)17(1589)年、今から約430年も前のことです。城ができる前は「五ケ村(ごかむら)」などと呼ばれていたこの地が「広島」と呼ばれるようになったのは、この頃からといわれています。

毛利氏から福島氏、そして浅野氏へ
 関ケ原の戦いの後に城主となった福島正則(ふくしままさのり)は、城の改修や城下町の整備などを行いました。その後、浅野長晟(あさのながあきら)が城主となり、明治時代初期までの約250年間は浅野氏が城主を務めました。

時代と共に役割が変化
 江戸時代の広島城は今よりもずっと広く、多くの櫓(やぐら)や門、城主が住む御殿(ごてん)や家臣の屋敷などがありました。明治時代に軍隊が城内に置かれ、次々と軍の施設が建てられていく一方で、江戸時代からの建物は火災や取り壊しなどで徐々に失われていき、昭和20(1945)年8月6日の原爆投下によって、石垣以外の建物は全て失われてしまいました。

城の復元は、戦後復興のシンボル

 現在の広島城の天守は戦後、昭和33(1958)年の「広島復興大博覧会」に合わせて外観復元されたものです。博覧会の終了後、広島の歴史を伝える博物館としてスタートし、現在まで60年以上、広島の街を見守っています。

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