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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和2年7月1日号トップページトピックス装いを新たに 憩いの場オープン

装いを新たに 憩いの場オープン

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 平和記念公園レストハウスが7月1日にリニューアルオープンします。被爆建物としての歴史を受け継ぎながらも、大正屋呉服店だった頃のようなモダンな外観となっています。

7月1日リニューアルオープン

 平和記念公園レストハウスは、平和記念公園内では被爆前の面影を残す唯一の建物です。被爆の実相を伝え、平和への思いを共有する場となるよう保存・活用を図ると同時に、観光客などへのおもてなしを向上させるために、改修工事を行ってきました。被爆75年に当たる今年、いよいよリニューアルオープンします。

当時、広島一モダンだった呉服店 今は戦後復興の歴史を語る

 現在のレストハウスは1929(昭和4)年に建築家・増田清(きよし)氏の設計で大正屋呉服店として建設されたものです。1階に施されたアーチ状の窓や2・3階の縦長の窓が連続して並ぶ外観は、瓦屋根の商家や民家が連なる当時の町並みからするととても斬新でした(写真3)。
 被爆時は燃料会館として利用され、地下室を除いて全焼しましたが、鉄筋コンクリート造りであったため、建物としての原型はとどめていました。
 修繕後は、市東部復興事務所としての役割を果たし、現在はレストハウスとして戦後復興の歴史を語る施設となり、その名称と役割を変えながら、中島地区の歴史を見守っています。

新しくなったレストハウスを紹介

  1階での観光案内や特産品などの販売に加え、2階に休憩・喫茶ホール、3階と地下1階に展示室を設けました!

3階

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1.中島地区の成り立ちと歴史

 広島城築城から昭和初期までの中島地区の成り立ちと歴史を、城下町の絵図や航空写真などを交えながら年表形式で紹介します。

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大正時代末期の中島地区(空撮)


2.被爆前の中島地区のにぎわい

 現在は平和記念公園となっている中島地区が、かつて人々の暮らすにぎわいのある町であったことを伝えるため、被爆前の町並みや人々の営みの写真などを展示します。

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元安橋を渡る人々


3.建物(レストハウス)の歴史

 大正屋呉服店として建設され、燃料会館、市東部復興事務所、レストハウスとその名称と役割を変えながら利用されてきた建物の歴史を伝えるため、建設当時の店内の様子や外観の写真などを展示します。

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1929(昭和4)年に新築した大正屋呉服店(提供:清水建設株式会社)


4.未来への発信・継承

 被爆の実相を継承していくことの大切さを伝えるため、広島の若者による取り組み(当時の町並みなどの写真のカラー化や、町並みをコンピュータグラフィックスで再現)や、アニメーション映画『この世界の片隅に』から中島地区に関する絵や動画などを紹介します。

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正面に見える大正屋呉服店
(映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の一場面)
(c2019こうの史代・双葉社 / 「この世界の片隅に」製作委員会)


地下1階

 被爆時、燃料会館(現在のレストハウス)では37人の職員が出勤していましたが、建物内での生存者は地下にいた野村英三(えいぞう)氏、ただ1人でした。
 地下1階では、野村英三氏が生前に残した手記や被爆当時の様子を描いた絵、被爆直後の燃料会館の写真などを展示します。
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野村英三氏が生前に残した手記

2階

 休憩・喫茶ホールには、19歳で被爆し、この世を去った河本(かわもと)明子さんが愛用していた被爆ピアノ(写真)を展示します。爆心地から2.5qの場所で爆風による被害を受けましたが、2005(平成17)年に修復されました。
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◆問い合わせ先:観光政策部(電話504-2676、ファクス504-2253)

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