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2015年02月09日記者会見「平成27年第1回市議会定例会提出案件について外1件」
動画は下記からご覧ください。
(「広島市動画チャンネル(市長記者会見)」のページへジャンプします)<外部リンク>
市からの発表案件
平成27年第1回市議会定例会提出案件について
市長 本日、平成27年第1回市議会定例会の招集告示を行いました。開会は2月16日月曜日です。今回の定例会には、全会計で総額1兆1,820億円余りの新年度当初予算案を提出します。詳細な内容については、先日、財政当局からの説明があったと思いますので、私の方からは、予算編成の考え方などについての説明をさせていただきたいと思います。
まず、平成27年度当初予算編成の基本的な考え方についてです。お手元に用意しております資料1の「平成27年度広島市当初予算の概要」の1ページをご覧ください。
平成27年度当初予算は、4月に市長選挙が実施されることから、義務的経費や継続事業に係る経費を中心とした骨格予算として編成しております。したがって、新規事業については、ここに掲げております、
- 被爆70周年記念事業として取り組む事業
- 平成26年8月20日の豪雨災害からの復興等に必要な事業
- 国の制度改正に伴い実施する事業や県と連携して取り組む事業
- 事務・事業の見直しとして民間老人福祉施設等職員給与改善費補助を廃止することにしたことに合わせ、介護・障害福祉分野の喫緊の課題に対応するための事業
に限って計上しております。
それでは、11ページをご覧ください。ただ今申し上げた当初予算に計上している新規事業を一覧表として整理しております。
最初に、1の被爆70周年記念事業として取り組む新規事業です。
「被爆70周年の取組」は後ほど説明いたしますが、被爆70周年記念事業については、昨年2月に公表いたしましたものをベースに、その後市民の皆様などからいただいたご意見を参考にしながら検討を深めまして、21の新規事業を含む50の事業を取りまとめました。
これらの事業の実施に必要な経費については、年度当初から準備などに取り組む必要がある関係上、すべて当初予算に計上しています。
次に、2の平成26年8月20日の豪雨災害からの復興等に必要な新規事業です。
豪雨災害で被災された皆様の生活再建と被災地域の早期復興については、全市を挙げて取り組む必要があります。そのため、被災地域の将来を見据えた安全・安心なまちづくりを着実に推進するということをしっかりと頭に置いて、実施方針で示す「復興まちづくりビジョン」を本年度内に策定することとしていますので、このビジョンの内容を踏まえてのものです。災害発生から5年間を「集中復興期間」と位置付け、都市計画道路や雨水管きょ(うすいかんきょ)等の基盤施設の緊急整備などに取り組むことにしております。これを着実かつ迅速に進めるために必要な事業費を計上するということにしています。
次に、国の制度改正に伴って実施する新規事業、県と連携して取り組む新規事業です。
まず、国の制度改正に伴い実施する新規事業についてですが、これは25番の「在宅医療・介護連携推進事業」については、介護保険法の改正により、今年4月からの実施が義務付けられているものです。26番の「生活困窮者自立支援制度の実施」については生活困窮者自立支援法の、27番及び33番については子ども子育て支援法の平成27年4月からの施行に伴うものです。34番の教育委員会人事・給与・庶務事務システムの構築については、第4次地方分権一括法による市町村立学校職員給与負担法等の改正が行われたことに伴うものです。
次に、県と連携して取り組む新規事業についてです。28番の「県・市工業技術センターの連携の推進」については、共同セミナーの開催や共通ポータルサイトの構築を行うとともに、31番の「市森林公園・県緑化センター連携推進事業」については、両施設の統一愛称を定めることにしています。35番の「少年サポートセンターひろしまの設置・運営」については、教育委員会職員と県警職員が常駐する「少年サポートセンターひろしま」を設置し、少年相談や非行少年の立ち直り支援等を行うということにしています。
次に、4の介護・障害福祉分野の喫緊の課題に対応するための新規事業です。平成27年度の介護報酬等改定において、本市に関係することからいきますと、一部の都市を対象として、人件費の上乗せ割合が6%等から一律10%に引き上げられました。これを踏まえ、事務・事業見直しの一環として民間老人福祉施設等職員給与改善費補助を廃止します。
同時に、これに合わせて、これらの事業に充てていた財源を活用して、介護・障害福祉分野において本市が取り組むべき喫緊の課題に対応します。36番の「広島市介護マイスター養成支援事業」から41番の「介護フェアの開催」までの各事業については、介護・障害福祉分野における質の高い人材の育成・定着を図るための取組を支援する事業です。42番の「在宅生活継続支援事業」については、在宅における介護の限界点を高めるため、特別養護老人ホームが介護技術等のノウハウを地域に普及させるために行う取組を支援する事業です。43番の「グループホーム重度障害者受入促進補助」ですけども、重度障害者の受入れを積極的に行うグループホーム運営事業者に対する支援をする事業です。
以上が新年度予算における主な新規事業の概要です。
資料の1ページに戻っていただきたいと思います。平成27年度当初予算については、ただいま説明したように限られた新規事業にとどめ、骨格予算として編成しましたが、(一般会計の予算規模は)額とすれば、平成26年度当初予算より212億円、率にして3.6%の増という結果になっております。
その主な要因ですが、
- 広島駅南口B・Cブロック市街地再開発、広島駅自由通路整備等の広島駅周辺地区のまちづくりが本格化すること
- 市民の安全・安心を確保するための学校校舎の耐震化・空調設備整備及び消防救急デジタル無線の整備がピークを迎えること
- 平成26年8月20日の豪雨災害に関わる復旧・復興関連経費を計上したこと
- 義務的経費である公債費及び人件費が増加していること
などによるものと考えています。
次に、組織・職員数について説明します。お配りしている資料の「平成27年度組織及び職員配置の見直しについて」をご覧いただきたいと思います。
まず、組織については、市全体の組織を挙げた危機管理体制の構築を図るために、市長事務部局に危機管理担当局長を配置します。その下に、消防局の危機管理部門を移管することにしました。そしてそこでは、危機管理課、災害予防課、災害対策課の3課からなる危機管理室を設置します。また、復興まちづくりビジョンに掲げる各種の取組を迅速かつ強力に推進するために、復興工事事務所を設置することにしています。その関係で、段原(だんばら)再開発事業が収束するということになりますので、段原再開発部を廃止するなどの見直しを同時に行うことにしています。
次に、職員数については、番号制度導入に向けた取組やその推進、介護保険法改正に伴う地域包括ケアシステムの構築等への対応、災害復旧事業の推進などのために、職員の増員をする一方で、事務・事業の見直しや民間委託化などによる減員を行うことでその適正管理を進めるということにしています。
最後に、被爆70周年の取組について説明します。
お配りしている資料の最後「被爆70周年の取組」をご覧いただければと思います。
被爆70周年の取組については、昨年2月に、趣旨や基本方針、記念事業などについて公表しております。その後に、市民の皆様などからいただいたご意見を参考に検討を深め、事業の追加等を行い、この度、最終取りまとめを行いました。
本市では、被爆70周年を、被爆都市ヒロシマの役割を再確認し、決意を新たに「平和への思いの共有」を体現する年にしたいと考えております。それとともに、これまでのまちづくりの成果を踏まえて、まちづくりの新たな一歩を踏み出す年と位置付け、広島の将来に向けた取組を行う、その取組を「先導事業」と位置付けています。
取組内容としては、これまで被爆から10年ごとの節目に実施してきております「記念事業」に加え、「まちづくり先導事業」として、これは被爆100周年を見据えて目指すべきまちの姿の実現に資する新しい事業等に取り組みたいというものです。
「記念事業」については、「平和都市としての求心力の向上」を目的にしまして、被爆70周年を記念する50の事業を四つのテーマに沿って実施したいと考えております。
「まちづくり先導事業」については、被爆70周年を契機に、被爆100周年を見据えて、目指すべき「まち」を考えながら、その実現に資する事業に取り組んでいくという方向性を示すものになっております。
以上が予算編成等に関しての私のコメントです。よろしくお願いします。
新年度予算案について
記者 骨格予算に関して、難しい質問かもしれませんが、今回の予算の特徴を踏まえて、命名するとすれば、市長は「何予算」だと命名されますか。
市長 「骨格予算」以上でも以下でもないですね。「真性骨格予算」ということだと思います。
記者 その心は?
市長 私の任期の最終年度ですので、最初にも説明しましたけども、必然的にやらなければいけない事業、それに必要な予算というものを組み上げていますから、人の体に例えれば、フレームワーク(枠組み)、基本的なスケルトン(骨組み)と言いますか、骨格でありまして、それに筋肉とか肉を付ければ、政策判断を加味したものになるでしょうから、それは次のステージで、市民の選択を経て、市民のまた新たな意見を踏まえてやる要素を十分残す、そういった予算にしておく必要があると考えています。
制度的にも、そういったものになっているはずですので、自分なりに考えて、これが骨格だと言えるものにして出したつもりです。そういう意味で、骨格以上でもないし以下でもない、「真性骨格予算」ということではないかなと思います。
広島駅周辺の再開発について
待機児童対策について
記者 予算の関連で二つ伺います。(広島)駅前の再開発について、市長は一期目でかなり力を入れて進めてこられたと思うんですが、骨格予算ながら58億円増という形で、改めて(広島)駅周辺に対する思いを伺えればと思います。
もう一つが、子育ての関係、待機児童の対策で、保育園の新設や増改築で新年度予算でも300人弱くらいの定員増になっていますが、この4月で待機児童ゼロを目指していらっしゃると思いますが、この増員の狙いを、あくまでこの4月は(待機児童)ゼロでいけるという考えで変わりはないと思いますが、そこを踏まえて、この二つについてお伺いできますか。
市長 (広島)駅前の一連の対応については、この事業が本格的に動き始めたのが今年度ということです。それによって、確かにわが市の基本的な構造、長い懸案課題が動き始めたなということを了知していただいたというのが今年度の取組ですが、それを、ごく素直に事業展開していくと、事業が本格化することに伴う事業規模の増というのは当然あると思います。
それらが織り込まれて、結果として58億円の増となっていますが、これは、私自身考えますに、一連のこういった(広島)駅前の開発という取組は、元々この街、市として相当前から持っていたビジョンであって、それについてようやく着手したというのが今年度ですので、これ自身が次の(統一地方)選挙の中で色々なご議論があるとしても、それ自身の方向性が変わるというような性格のものではなく、むしろ着実にそれを実行していくことが求められる課題だと思いますので、その線に乗って、一定の予算増が起こるということは、まさに骨を作っていくということですから、当然の結果ではないかなと思いますし、その骨組みをしっかり作るということをまず堅実にやった上で、その上に乗っかって、肉とか筋肉みたいなものは、そういったハードを作り上げる中で、ソフト面で、より市民に有効活用していただけるような、様々な仕組みを市域全体で考えていくという課題が次のステージではないかなと思います。そういう意味で、それをしっかり進めていくということが重要な課題だと思っています。
子育て、待機児童ゼロの取組ですが、これは、ご家庭で子どもを育てる際に、仕事と家事の両立をしっかりと支えるという、個人ベースでの重要な課題解決に向けての欠かせない事業であるとともに、個人の負担軽減という側面もありますが、もっと大きな視点で考えますと、こういったことをしっかりやることで、就労も含めて、社会参加をしていこうと思っておられる方が、就労を含め社会参加をすることで、街全体の活力、これは、社会参加を通じて就労し、そしてそれが生産活動、あるいは多くの方が必要とするサービス提供をできるようにしていきますから、そういった街が実際に現れるということは、そういう地域に多くの若い方々が住んでみたい、そういうところで自分もまちづくりに参加したいという様々なポジティブ(積極的)な効果を引き出すという意味で、とても重要な政策だと思っています。ですからこれをまず確実にやって、少なくとも年度当初に、仕事に就こうとされる方が子育てと両立できるように、こういったお子様を預かれるような状況を、(来年度)当初の段階から作るということは重要です。
ですからそれを、来年度当初からやるように今やってきていますから、その成果を期待いたしますが、私自身は、こういう希望を持っている方は、たくさんおられると思います。今現れているのは、氷山の一角ではないかと思います。もしそれができるならば、もっともっと自分も家庭生活と仕事を両立したいと、(両立)できればと思っている方は間違いなくおられます。
ですから、来年度当初、待機児童ゼロということがもし実現できれば、さらに、こんなことができるなら自分も、と思われる方が必ず出てくると思いますので、そうすれば、待機児童ゼロという状況を、そういった需要を喚起してもなお十分満たせるようにしていく方向が重要であって、改めて、そのための仕掛けを来年度から用意しておくという構えでいます。
ですから、この対応はここ数年続くと思います。1年で終わらないと思います。上手くいけばいっただけ、自分たちもそういった恩典を享受したい、そして社会参加したいと思われる方が確実に増えるのではないかと思いますので、逐年、必要な予算を付けていくことが当分は要るのではないかと思います。
記者 今の市長のご発言で、4月の(待機児童)ゼロが、「もし実現できるなら」というご発言が…。
市長 いや、まず、実現できますから、それで、待機児童ゼロを実現できる広島だから、自分たちも預けてみたいと思われる方の潜在的な需要が顕在化するようになると思います。ですから、年度中途でも、あるいはまた次の年度に向けてしっかり対応することを念頭に置いて予算措置したと思っています。
被爆70周年の取組について
記者 70(周)年事業に関してなんですが、50事業の中でイベントが多く見られると思うんですけど、70(周)年だからこそ、こういったイベントの総花的なところがちょっと目立つと思うので、そういったところを、一つご意見を伺わせていただいてもよろしいでしょうか。
市長 イベントに関して申せば、私自身が多くの方と話をする中で、70年という節目の年に当たることに関して、様々な思いを持っておられる方、様々なお立場で持っておられるということが分かりました。いずれにしても、究極目的は、広島の平和への思いと言いますか、本当に平和であることのありがたさを感じ、それを多くの方に受け止めてもらい、さらにそれが持続するようにという願いを持って、記念事業をやりたいと思われている方ばかりであると思います。
それは、生活分野のいろんな分野に渡るのです。例えば自分がやっている仕事の関係で、自分たちと同世代の方にこの気持ちを共有してもらいたい。それを共有してもらう時に、自分と同じような趣味の世界で生きている方にぜひ伝えたいという形でいけば、音楽、スポーツ、同世代という形で、その方々の参加を呼び込むための仕掛けでとなっていきます。
それ以外に例えばそうではなくて、むしろ次世代とか、あるいは自分たちの知らない世界、もっともっと地球上の多くの方に知ってもらいたいとか、それに関連する施設・機関を利用してやりたいというご要望もあります。
言われたように、多岐にわたる事業が網羅されていますので、とりあえず4分類しましたが、これは分類しただけでして、これが別に4分類に入らなければいけないというものでもなく、ある事業を系統化してみただけです。
かつ、これは何らかの形で、今まで出たものについて市が関与して、市としても一緒にやってみましょうということで取り上げた50ですので、この70年の節目の年に、私自身は市が関与しなくても、市民の方々が自主的に、自分たちのグループの中で、様々な行事をされている、しようとされている方もたくさんいると予知しています。
ですから、実態はひょっとすれば、100,100以上の様々な事業がこの年に、この市、あるいはこの市を越えていろんなところで開催されるという性格じゃないかと思うんです。
あくまで今回とりあげた50というのは、そのサンプルと言いますか、例示だというように受け止めていただきたいと思うんです。
だから、いろんな形でこの70年という年を迎えて、いろんな視点で平和について、核兵器廃絶についていろんな考えの中の重要なエレメンツ、要素として考えていただくという機会にしてもらえればなと思っています。
記者 来年は駅周辺のまちづくりが本格化したり、災害から1年経ったり、被爆70周年であったり、いろいろな大きな節目であると思うんですが、改めて松井市長が来年度どのような認識として捉えられているかというのを伺わせてください。
市長 本当にざっくりとしたというか、思いなんですが、ここにおられる皆さんが仮にタイムカプセルに乗って、70年前のこの広島の地に立っておられて、自分の知り合いとか身内に、直後にいろんな原爆被害を受けた方もおられるという中で、自分はちゃんと何とか健全にいるという人間だと考えてみてください。
そうした時に、生きている人間として、これからのまちをどうしようなかという思いと同時に、自分の生活をどうしようかという両方が多分混在となって自分の頭の中を駆け巡っていたんじゃないんでしょうか。それがちょうど70年前なんです。そして、その同時に70年、75年はこんな大変な状況が続いて、なかなか広島って良くならない、それくらいの絶望的な状況の中で、でも生きていかなくてはいけないと思った方々、そしてそれを何とか支援してあげようという周りの方々がいて、多分まちが動き始めて今になった、そういう記念すべき年だと思うんです。
だから、市とすれば市民サービスに関するいろんな行政分野で様々な点を確認して、役割、どのようなことをやったんだろうということをまた新たな思いで見直して、市民本位でやれることをやってみようじゃないかと。いろんな役割分担はしていますが、市の組織の中でも、組織横断的に自分の役割はこれだからこれでいいというのではなくて、どうだろうなと、新しい視点で物事を考えて、何かやれるんじゃないかということを考えてもらう、そういう契機にしたいですね。
そしてそれを市民のサイドでも、自分たちだってまちづくりに参加して、こんなイベントを通じてこんな思いを伝えたいという方がそこら中に溢れた状況が来年度起これば、被災直後のいずれも惨憺(さんたん)たる状況の中での、ポジティブな希望の側面を今ごっそりここで再現するという年になるんじゃないかと思います。
だから、ハードにしてもソフトにしても、いろんな皆さん方の活動にしても、そういういい面をしっかりスポットライトを浴びせて、皆で確認し合いながら、次の100年に向けてこのまちを良くしたいという思いを皆が共有できる年にできたらと思いますし、それを多くの方に見てもらう。それは多分、今生きている若い世代がそういう年があったということを経験すれば、自分たちもそういうことをやりたくなるんじゃないでしょうか。
自分たちの親とか先輩が、実際そういうことをやっている時間・空間があったんだということを見れば、それが良ければ、いい印象を受ければ、次の世代もまたがんばろうということを味わえる、そんな空間・時間になるんじゃないかと思います。
危機管理組織について
記者 来年度から危機管理体制が変わりますが、この変更によって市民の方にどういった安心感といいますか、どういったことを安心していただきたいかというのがあれば教えてください。
市長 これについては発災直後からいろんなご意見をいただきながら、自分とすればいただいた問題点をしっかり受け止めるという期間が数ヵ月ありました。直後から災害対応に対する組織体制が、私の対応も含めて、十分でなかったのではないかという様々なご指摘を受けた中で、もちろん反省ということも当然やりますけど、むしろ、その時に言いましたように、戒めとして今後そういうことが問題とされることが二度と起こらないようにするためにどうするかということを考えたいと申し上げて、それをまさに実践する中の一つというように捉えていただきたいんです。
ですから、この組織に関しては、様々な機能と言いますか、もちろんその今までも持っていた機能ですけども、その機能が総合発揮できなかったというような問題提起というようにも受け止めました。
その機能を発揮するためには、一過性のものではなくて、常日頃の活動のなかで、組織として意識し、そして市民とのやり取りのなかで、日頃の対応の中で危機管理をする、いざというときに備えると。そういった一連の対応ができるようなシステムをどうするかということを一所懸命考えました。
そのシステムを維持する側、行政の側としてもそれを日々感じながらやっていく。単に言葉で終わることなく、それがこういう対応をして確実に継続できるようにということを考えてみたのがこれです。
そしてもう一つは、そうした組織の在り方、我が市の行政体という位置付けを当然前提としながら、他の市町の中で上手くやっているところ、あるいは国ベースで今度の問題を踏まえていろんな改良点を加えるということも吸収いたしまして、考えてみた組織です。
ですから、ご指摘を様々受けて、それを自分なりに消化して、それに答えるための組織体として、今度こういった形で処理しましたよ、ということをお見せしました。
ですから、これを作ったということで終わるのではなくて、これからスタートですね。今まで指摘されたことを皆で、行政職員、市民皆さんでこういった問題に対応するための新しい取組をスタートさせてくださいというメッセージだというように受けていただきたいですし、それをしっかりと推進する組織として市役所はがんばりますという気持ちでやりたいと思っていますので、その点をしっかりと皆さんにお知らせしていただければと思っています。
比治山公園『平和の丘』構想について
記者 被爆70周年の取組の中にあります、「比治山公園『平和の丘』構想」について伺わせてください。平和記念公園が原爆の爆心地にあるのに対しまして、比治山は戦前からの陸軍墓地などがあり、また違った意味で平和について考えられる場所だと思いますが、その再整備に取り組まれる狙いについてお聞かせください。
また、この比治山の再整備は放影研(放射線影響研究所)の移転問題も密接な関連があると思いますので、その点もお聞かせください。
市長 この比治山の在り方については、私自身が市長職として4年間務めさせていただいた中でのいろんな思いを凝縮した一つの現段階での卒業論文のようなものだと思っているわけです。
ですから、この具体化についての予算を付けると、骨から肉とか筋肉になってしまいますので、予算化はしておりません。ですが、自分はここまで考えたんですよということを見ていただくというくらいの位置付けになっているということなんですが、被爆の実相というものを守り・伝え・広めるということを申し上げてきました。その守り・伝え・広めるということを様々な形でできることはやってきたんですが、そういったものを一望する市内の被爆建物とか被爆樹木がこういうところにあって、この辺にあるんですよというのを、例えば自分の目で見れるような場所がどこかあるかなと思ったときに、市議会でも言われたんですが、球場跡地なんかに、タワーを建てて、そこから市内が見れるような高いものを造ってはどうかというご意見があったりしたんです。だけど、あそこにタワーを建てることがすぐにできるだろうかと。ダメとは言いませんが、どこまで実現可能性があるだろうかと考えたときに、今の広島のまちが平和大通りを横軸に、原爆ドームを縦軸にしながら、十字の都市構造を考えて、一番東の端にある比治山という元々高い場所があるんです。
そして、私が市長になる以前に、その比治山という山を使ってまちづくりを考えた構想があるということを知りましたので、これを眠らせるのはもったいないと。今休止しているわけです、案について。これをもう一回目覚めさせて、皆でもう一回どうしましょうということを議論してもいいのではないかと。そのための起爆剤として、すでに一部そういった施設を取り込んでいる山をもう一回考えてみてもらえませんかという気持ちでやったのが一つです。
そしてその中に、放影研という施設の課題もありました。今もこれは凍結されていますが、市内の平地に予定地を構えて、都市計画ではそこに移転できるよという準備を構えているんですが、一向に動いていません。それは放影研という施設の性格上、アメリカ政府と日本国政府がその扱いについて了解点に達しないと動かせないという要素もあるというなかなか難しい背景がありますし、それ以前にもっと書物を読むと、浜井市長の時代(在任期間1947-1955,1959-1967)に、その放影研の前身であるABCCなんですが、その設置場所については、市そのものはもっと別の場所にしてもらえないかということを政府にお願いしながら、結果としてあそこにできたという結果も見ました。
そういった思いがあった広島ですから、もう一回そういった思いを皆で考え直してみないかというつもりなんです。それは先ほど申し上げました70周年というこの年に被爆直後の立場にあった人間と置き換えて考えてみませんかというのと実は根っこは一緒なんですけども、そのときに広島というまちをどのように考えようと思ったかなということなんです。
それで一つのアイデアとして、今から見ると、あの山に被爆して避難した方はいっぱいいるんです。私の知人の中でもいるし。そういった思いがある山をこれも再生するということも一つのアイデアですから、皆さんの意見を聞いて、皆で考えていく。これから100年に向けてのまちづくりの一環として、アメリカ、日本国政府も含めて考えていただくためのきっかけにしたいという意味なんです。
ワシントンでの原爆展について
記者 継続事業の一つで、来年度ワシントンD.C.での原爆展が予定されていらっしゃいますが、被爆70周年の年に、ワシントンD.C.で行うことの意味について市長の考えをお聞かせください。
市長 ワシントンD.C.はアメリカでは首都ですから、日本の東京みたいなものですから、そこで行われるということは、よりアメリカの為政者の方が集う、比較的政治問題が生々しく取り扱われるエリアの中で、原爆を投下したという事実を明示する、そしてそれの被害について被爆の実相をダイレクトに見ていただけるような機会を設けるということは、それ自身、意味のあることだと私は思うんです。
政治的な原爆の取り上げ方からすると、アメリカの中での評価、いわゆる戦争を終結に向けたという評価とか、被害にあった個々人の方の感情といったものを越えた、政治レベルでの取り上げというのが行われがちだと思うんですけど、そこに、そうじゃないんだよと、良い悪いは別として、そういう側面はあるとしても、むしろこれからは、そういった兵器を使ったことの人類に対する影響が決して良いわけはないんで、それをもっともっとダイレクトに見て、それで為政者としての考え方を改めるような機会として利用してもらえないかなと思うんです。
それは、迎える平和、広島に来て、ということをずっとやってきて、それを引き続きやり続けるべきだと思っている私からすれば、その延長線上にあって、方向性としては良いと思うんです。それをしっかりとした、被爆者の思いを発信できるような展示方法に工夫をしてもらえればと思っています。
財政状況について
安佐市民病院の建替えについて
記者 二点お伺いします。まず一つは全体の財政状況についてですが、市長就任以降、事務見直しに取り組まれて経費削減に取り組まれる一方、駅前の開発であるとか、大型事業も相次ぎました。次期改選以降は例えばアストラムラインの事業化の判断であるとか、球場跡地の活用策とかサッカースタジアムとか、また大規模事務の判断が控えていると思うんですが、現時点での財政状況については、それだけのことをやっているだけの体力があるかも含めて、どう認識しておられますか。
もう一つは、今回、安佐市民病院の建替え関連の議案は提出を見送られておりますが、現時点ではどういうお考えでいらっしゃるか教えてください。
市長 財政状況は、今申し上げたように色々な思いがある中で、それを現実のものとしていくために財政は欠かせない手段だと思っています。この手段をしっかりしたものにすることなく、夢は語れません。ただ私自身は、夢・ビジョンというものの在り方は、あるとき一定の時間帯に全部何でもかんでもとなれば財政はパンクします。ですけども、出来上がった夢というものをどういうふうに、あるいは出来上がるべき夢・ビジョンをどういう段取り、手順でつくっていくかということを皆さんとしっかり議論し話をする中でやり繰りはできると思うんです。やり繰りをするということが別の意味で財政だと思うんです。
今の財政の全体概要を自分なりに見て参りますと、「れば」「たら」というのはちょっとおこがましいんですけども、8月20日の発災なかりせば、あるいは予定を超えた財政のやりくりがなかりせば、それなりに長期スパンで考えた目標にそんなに外れることなく、まあまあうまくやれてるんじゃないかと思うんです。
ですから、この財政規模、今後国の方で税体系が変わったりして地方の税源に少し余裕が出てきたりする、それに応じて地方交付税が逆に圧縮されることもあったりするかも分かりませんが、いずれにしてもこの一般会計にしてのだいたいの予算規模6,000億(円)前後が一気に半分とか倍になるということはないと思います。ですから、その前後の中で、かつ、この財源配分について義務的経費と投資的経費の傾向を見ると、そんなに枠組みが変わるわけはないですから、その投資的な枠組みを見て、それと国から引っ張って来れる仕掛けですね。色々なテーマ設定で国も財源配分をしますので、まちのつくりに関してうまいテーマと整合性を取って、国の予算も利用しながらやれば、相当程度の事業規模は確保できるんじゃないかと思っています。
あとは時間軸ですね。それを一時に全部しようとすると大変ですから、それをやるための時間軸、どれを優先していくかということをやっていけば相当程度このまちは良くなる可能性を秘めていると私は思っています。
あと安佐市民(病院)の方は、これは何度も申し上げていますけども、「移転という方向でどうだろうか」と議会にお諮りしたところ、結果は「もっと住民の意見を良く聞け」「賛否合い半ばしているんだからもう一回下からの意向の汲み上げをしっかりやってみるべきだ」というご判断を議会から頂いたという基本認識です。ですから、それを愚直にやっていくということに今は尽きると思うんです。
ただ、新たな要素は、そういった判断が下りた後に8月20日の発災を受けて、ちょうどこの安佐市民病院を問題とする安佐北地域も豪雨災害に見舞われました。そこで住民の方々が災害を受け止めて、その受け止めを加味してもう一度、安佐市民病院も含めたまちづくりを考えて頂いていると私は認識しています。
昨年にまちづくりについて地域の方がご要望を出されて、さらに災害を踏まえて、今年は1月になって議論の進化した形でのご意見を直接関係する可部の7学区の方々が皆さん一致して考え方を出されました。そこまで一致しているわけです。そのコンセンサスが徐々にできるような状況になっていると思っていますので、そういった考え方の整理をもう少し待つということ、更には災害に強いまちづくりをやり、本当に病院だけではなくて地域全体のまちづくりを考えたときには、当該病院がある直近の区域のみならず、安佐北全域を考えて、そういった方々の意向も踏まえた上でどういう調整がいるかということ、実施段階における円滑な事業推進を図るための事前調整もあっていいんじゃないかと思いますので、そういった方々の意見調整を良く踏まえて次のステップを踏みたいということで、安佐市民病院の扱いについては今しばらく時間をかけて地元での議論の成熟を待ちたいと思っているということです。
記者 ということは、議案提出は4月の改選以降の議会へという…。
市長 少なくとも私は今の段階で出していませんので、来年度のしかるべき時期に処理方針を決めて出すのがいいんじゃないかと思います。それは次の市長の立場での判断、骨を越えた肉付けの処理に当たるんじゃないかと思っています。
その他の質問
かき船「かなわ」の移転について
記者 かき船のことで、イコモス(日本イコモス国内委員会)が強い懸念を表明されましたが、その受け止めと、「今後市民の十分な議論と再考を」ということですが、どうされる予定かということだけお聞かせください。
市長 イコモスの件に関しては、自分なりの整理というのを少し言わせていただくと、今回こういう具体的な処理、国からの河川敷の占有許可が下りるというところまで来ておりますけども、そこに至るまで十分な手続きを関係者のご意向も踏まえながらやってきているものだという基本認識でおりました。それを踏まえて文化庁の方とも相談してきております。結論的に言うと、文化庁の方も、自分たちでそう理解しているんだと、その理解の説明を尽くすということをやっては、という助言を頂いているというのが私の直近の認識です。
元々は、今あるかき船も既にバッファゾーン内にあります。バッファゾーンの外から持ち込むとかいうものではなくてバッファゾーン内にあって、それが川の上流にということ。近づくというその行為についてどうなんだろうという問題提起だと受け止めています。バッファゾーン内にある移動だからこそ、慎重にということで、少なくとも関係法令に適合するということをやらなければいけません。そのときには関係法令でいう内容と手続き面での要請も満たすということでそれを踏まえながら、そして慰霊碑の管理者であるとか、被爆者の団体等への説明も、我が行政サイドとしてはやってきていたという認識であったのは間違いありません。
そして、十分説明を受けていないと言われる方々の属する組織に対しても実は相談していたという基本認識でおりますので、そういった点も含めて十分説明をしていきたいと思うわけです。
そして、個別の問題で申し上げると、あそこにかき船を接岸するということで、慰霊の地で食を食む(はむ)ということが亡くなった方々に対する思いを十分理解できないんじゃないか、してないんじゃないかと言われる面があるんですが、これは反論になるか分かりませんけども、既に元安橋の東詰めのところにレストランがあります。(今回のかき船の移転地は)レストランに割と近くなるはずなんです。そこのレストランは河岸緑地に平成20年に設置された施設で、(原爆ドームの)世界遺産登録は平成8年ですよね。このときに今のような問題が生じたという認識は持っておりません。そんなことも一連の判断の中で頭に置きながらやってきておりました。
さらに問題は、実際にかき船をやっている業者の方にはバッファゾーンにあってより近くに行くんだから、場のことを十分に考えて、今まで以上に平和に対する思いを実現するような対応もお願いするということを行政として注文してきておりまして、業者の方もそういったことをやる考えを持っていますということを言われております。ですからこういったことも含めて、おそれがある、ご心配されている関係者の皆様に一連の経過をしっかり説明し、今後の対応をしっかりすることが可能ですのでどうでしょうかということで説明できたらと思っています。
いずれにしても、実務的にきちっと説明をさせていただくということ、日程調整できたところからしっかり説明していくということで対応できたらと思っています。以上です。
※ ( )は注釈を加えたものです。
関連情報
ダウンロード
- 配布資料 平成27年度組織及び職員配置の見直しについて(473KB)(PDF文書)
- 配布資料 被爆70周年の取組1(960KB)(PDF文書)
- 配布資料 被爆70周年の取組2(517KB)(PDF文書)
- 配布資料 被爆70周年の取組3(559KB)(PDF文書)
- 配布資料 まちづくり先導事業(475KB)(PDF文書)