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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和6年7月15日号トップページ特集>未来へ、平和の種をまく

特集/未来へ、平和の種をまく

 市は、被爆の実相を後世に伝えるため、被爆体験伝承事業を行っています。講話を聴いて、平和への思いを深めましょう。

 今年で被爆から79年。被爆者が高齢化の一途をたどる中、後世への被爆体験の継承が課題となっています。市は、自らの被爆体験を伝える証言者とともに、被爆体験を聞き取り、その人の言葉で伝える伝承者を養成しています。
 下記の証言者・伝承者はそれぞれ1〜2年程度の養成研修を受講。修了後は平和記念資料館などで修学旅行生や海外からの訪問者などに被爆の実相を伝え、日々、聴講者の心に平和の種をまいています。
 証言者・伝承者の3人に伝承への思いを聞きました。


被爆体験証言者
 自らの被爆体験や平和への思いを伝える。養成研修は約1年間。32人が活動中。
被爆体験伝承者
 証言者の体験や思いを本人に代わって伝える。養成研修は約2年間。226人が活動中。
家族伝承者
 被爆した家族の体験や思いを本人に代わって伝える。養成研修は約2年間。38人が活動中。
 ※人数はいずれも6月1日時点


養成研修

 証言者・伝承者は、例年5月頃に募集しています。研修の内容など詳しくは市ホームページで。
コード
◆問い合わせ先:平和推進課(電話242-7831、ファクス242-7452)


interview(インタビュー)1
核兵器が何をもたらすのか。皆に広めてほしい

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被爆体験証言者 内藤愼吾さん(85)

 6歳の時、爆心地から1.7キロの自宅で被爆。14歳で天涯孤独の身となる。令和4(2022)年4月から証言活動を行っている。

夢の中の両親 「ためらうな」と
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 内藤さんは講話中、A4判に拡大したある生き物の写真を見せます。二つのハサミを大きくかざした赤い弁慶蟹(上写真)。「甲羅の模様が弁慶のいかつい形相のようだといわれていてね。この蟹が私を助けてくれたんです」。原爆投下の瞬間、庭の防空壕の入り口にいた蟹を捕まえようとしゃがんだ内藤さんは、背中からの強烈な爆風により防空壕の中に吹き飛ばされましたが、熱線によるやけどは免れました。聴講者の視線が写真に集まり、蟹を通じて講話に引き込まれていきます。
 証言者になる前、被爆体験を後世へ伝えたい思いと、辛い、思い出したくないという思いのはざまで葛藤の日々を過ごした内藤さん。ある日、夢の中に原爆で亡くなった両親が出てきたと言います。「『何をいつまでためらっとるんだ』。両親からの一喝で、気合が入った。やっぱりやらにゃあいけんなと」。証言者として活動することを決意しました。

いつか、核兵器が無くなるまで伝えて

 当時の悲惨な体験を語るのは、79年経った今でも辛いこと。それでも内藤さんは、できる限り自分の体験を後世へ伝えていきたいと話します。そして、講話を聞いた人には、「戦争、核兵器が何をもたらすのか、平和がいかに尊いか。帰ったら、家族や友達などに伝えてほしい」と語りかけます。そうやって平和への思いが広がり、いつの日か核兵器が無くなる日が来ることを心から願っています。

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平和記念資料館で三重県の中学生に講話


interview 2
祖父の覚悟を胸に、成り代わって伝えていく

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家族伝承者 尾形健斗さん(33)

 家族伝承者1期生として令和5(2023)年4月から活動中。祖父・昭三(しょうぞう)さんの被爆体験を伝えている。市内在住の会社員。

きっかけを探していた
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祖父(左)と尾形さん(令和5年6月撮影)

 尾形さんが祖父の被爆体験に初めて触れたのは、「親族に被爆の話を聞く」という宿題を持ち帰った小学校4年生の時。いつも優しい祖父が険しい表情で話し出したのを目の当たりにし、聞かないほうがいいのではと、以降ずっと触れずにいました。
 大学時代を過ごした関東地方では、ヒロシマへの関心の薄さに驚いたという尾形さん。広島に生まれ育った者として、もっと知って伝えていかなければと強く感じました。しかし、かつての祖父の表情が浮かび、一歩を踏み出すことができずにいました。
 30歳を過ぎた頃、新聞で家族伝承者の募集記事を目にします。「このきっかけを逃したら一生後悔する。祖父の体験を伝えていくのは自分しかいない」。決意を胸に、祖父の元に行きました。黙ったまま10分以上かけ、家族伝承者の研修資料に目を通した祖父の昭三さん。資料を置くと、ゆっくり語り始めました。伝えなければならないという覚悟が生まれたと、後に教えてくれました。
 聞き取った体験を基に原稿を作成。昨年4月、家族伝承者1期生7人のうちの1人として歩み出しました。

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平和記念資料館での講話

身近にいたからこそ記憶や思いを伝えたい

 「祖父は今年で96歳。家族伝承者制度がなかったら、祖父の体験は誰にも伝わらないままでした。自分には祖父の体験を伝えていくという役割と責任があります。今後、被爆者がいなくなってしまったときに、被爆の実相を正確に伝えていくことが大事になる。そのために、戦争や核兵器などについてもっと学んでいきます」


interview 3
日本人として知らないといけない大切なこと

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被爆体験伝承者 佐野環(さの たまき)さん(59)

 令和5(2023)年4月から被爆体験伝承者として活動中。在日韓国人被爆者・故 李鍾根(イジョングン)さんの被爆体験を伝承している。富山県在住。

資料館での衝撃に導かれて

 富山県出身で在住の佐野さん。「約30年前、イギリス人の知人との集まりに参加した際、ヒロシマとナガサキのことについて問われたのですが、私を含め周りの日本人の誰もが何も返せませんでした。彼は『日本は唯一の被爆国だよ。なぜ日本人の君たちがそのことについて語れないの?』と驚きのまなざしを向けていました。そのことがずっと記憶から離れませんでした」と振り返ります。
 その後、平和記念資料館を初めて見学。雷に打たれたような衝撃を受けました。「なぜ日本人としてこんな大切なことを知らなかったんだろう。ヒロシマについて、もっと深く知りたい」。
 9年前思いがけず、夫の転勤に伴い広島へ転居。広島市民となった約4年間、市観光ボランティアガイド協会の研修で猛勉強、観光ガイドとして活動しました。その後、友人の紹介で被爆体験伝承者の募集があることを知り、すぐに応募。3年間の研修を経て、昨年4月に伝承者となりました。

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富山県の中学校での講話

考えるきっかけをつかんで欲しい
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佐野さん(左)と李さん(令和4年5月撮影)

 佐野さんが伝承するのは、李さん(令和4(2022)年7月に93歳で死去)の体験。「人を差別せず、優しくする気持ちを持って欲しい」という李さんの願いも伝えています。
 富山からJRで約6時間かけて来広し、講話にのぞむ佐野さん。「未来を担う子どもたちに『戦争や平和について考えるきっかけ』をつかんでもらいたい。講話を聴いた人から人、そして世界中の人に被爆者の願いが広がってほしい。地道に、こつこつと続けていきます」



市が実施している「伝える」取り組み

被爆者証言ビデオ - 一人一人の思いを聴く -

 被爆体験の継承に活用することを目的に、被爆体験者の証言をビデオに収めています。昭和61年度から始めたこの取り組みは、今年で39年目。総本数は1,300本を超えました。出演者は直接被爆者や入市被爆者で、在韓被爆者やろうあ被爆者の手話による証言ビデオもあります。
 平和記念資料館ホームページで、「被爆者証言ビデオ」を公開しています。
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◆問い合わせ先:同館学芸課(電話241-4004、ファクス542-7941)


被爆体験講話 - 被爆者が直接伝える -

 8月6日火曜日、10日土曜日〜13日火曜日に、夏期臨時講話を開催。被爆者から直接、被爆体験や平和への思いを聴くことができます。場所や時間など詳しくは平和記念資料館ホームページで。
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◆問い合わせ先:同館啓発課(電話242-7828、ファクス247-2464)


被爆体験伝承講話 - 被爆者に成り代わり伝える -
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 平和記念資料館東館地下1階の特別展示室では、毎日4回(日本語3回、英語1回)、伝承者による講話を行っています。同館を訪れた際には、伝承講話を聴いてみませんか。
【時間】日本語 午前10時〜11時、11時半〜午後0時半、午後2時半〜3時半、英語 午後1時〜2時
◆問い合わせ先:同館啓発課(電話、ファクス上記)


被爆体験伝承者などの派遣 - 被爆体験を広める -
 証言者や伝承者を学校などへ派遣します。
◆申し込み方法:市内への派遣は、平和記念資料館ホームページで、希望日の3カ月前までに。希望日が3カ月を切っている場合は、電話で同課へ
コード
◆問い合わせ先:同館啓発課(電話、ファクス上記)




◆問い合わせ先:平和記念資料館啓発課(電話242-7828、ファクス247-2464)

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