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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和4年1月1日号トップページトピックス新春対談

新春対談
広島愛で歩む 新たなステージへ

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▲背景はサッカースタジアムのイメージパース。上から左回りに、スタンドからフィールドを見た内観図/上空から見下ろした鳥瞰図(ちょうかんず)/南側から見た外観図

 令和6(2024)年の開業を目指し、いよいよ今年から工事が始まるサッカースタジアム。市長新春対談は、サンフレッチェ広島在籍時代、3度のJ1リーグ制覇をけん引した佐藤寿人氏を招き、広島への思いやスタジアムへの期待などについて語り合いました。

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広島市長
松井一實(まついかずみ)(68)

あけましておめでとうございます。2022年が市民の皆さんにとって良い年でありますよう、お祈り申し上げます。

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元サンフレッチェ広島
佐藤寿人(さとうひさと)(39)

 埼玉県春日部市出身。
 2005年から2016年までの12年間、サンフレッチェ広島に在籍。この間、エースストライカーとして3度のJ1優勝(2012、2013、2015年)に貢献。2012年にJリーグMVPと得点王を獲得したほか、ベストイレブンを2度、フェアプレー個人賞を3度受賞。日本代表としても活躍。2012年度には、広島市民賞を受賞。
 他チームへ移籍後も、広島が大好きな気持ち(広島愛)が変わることはなく、被災地でのボランティア活動などさまざまな形で今も広島と深い絆で結ばれている。
 2020年12月、21年間の現役生活に幕。J1・J2通算220得点は歴代最多(J1通算161得点は歴代2位)。
 現在は千葉を拠点に、解説者や指導者として活躍。昨年JリーグOB会の2代目会長に就任。

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引退・そして昨年を振り返って

市長 寿人さんはサンフレッチェで長く活躍されましたが、2017年に広島を離れ、2020年には現役を引退されました。お疲れさまでした。

佐藤 ファンの人からもう一度広島に戻ってほしいと声を掛けていただく中で、そこに応えられなかったというのは申し訳なさと悔しさがあります。ただ、広島という特別な思い入れのあるまちで12年間選手をやれたことは本当に幸せでした。今はトップチームの監督を目指して、S級ライセンス取得に向けた準備をしているところです。

市長 楽しみですね、ぜひともがんばっていただきたいです。ところで、昨年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されましたね。何か特別な思いがありましたか。

佐藤 コロナ禍で無観客でしたが、何より開催されたことをアスリートとして非常にうれしく思いました。広島にゆかりのある選手も出場していましたね。さまざまな国の選手が大舞台で活躍する姿を見ると自然に感動が湧いてきます。スポーツが与える力というのは、改めて大きいものだなと感じました。

市長 地元にご縁のある選手がいい成績を収めると、地元、盛り上がりますよね。野球は金メダルを取ったし、サッカー男子も4強入りしました。パラリンピックはね、実はうちの職員がボッチャに出たんですよ。両大会で世界の選手たちが精いっぱいプレーする姿を見ていると、郷土愛を超えて人類愛も感じました。コロナ禍での大会でしたが多くの人の思い出になり、印象深い年になったんじゃないかなと思っています。

広島愛と共助の精神

市長 12年間サンフレッチェに在籍された中で、何か広島のまちに特別な印象や思い出はありますか。

佐藤 サンフレッチェに移籍する前に広島に抱いていた印象は、川がたくさんあって、山から海まで自然に恵まれているなということ。移籍して過ごす中で、改めて本当にいいまちだなと感じました。釣りとか息抜きできる場所も多いし、お好み焼きはもちろん、コイワシの刺し身など、おいしいものもたくさんある印象ですね。

市長 寿人さんの広島愛を感じますね。ちなみに私は、お好み焼きをフライパンで作るんですよ。サンフレッチェでの思い出はどうですか。

佐藤 特に印象に残っているのは2007年のJ2降格です。一番苦しい時にサポートしてもらって、本当に広島の人って温かいなと感じました。その時のサポートがあったからこそ、選手も踏みとどまり、その後の優勝につながったと思っています。

市長 翌年にはJ2で優勝してJ1復帰を果たし、その後はJ1で3度の優勝、平和大通りのパレードもすごく盛り上がって、サッカースタジアム建設の機運が高まりましたね。広島愛というか、同じ地域で同じものを愛(め)でるパワーはすごいなと。私自身もスポーツの力を改めて実感しました。

佐藤 僕は2012年に一日安佐南区長もさせていただいて。その時、地元の人の広島愛というか、広島のまちはいろんな人の手によって支えられているんだなと実感しました。自分も微力ながらいつか支える側に回れたらいいなと。そういう思いがボランティアをするきっかけにもなりました。

市長 西日本豪雨災害の際、広島で土砂撤去やチャリティーサッカースクールをしていただきましたね。人間は、決して一人で人間としての活動を完成することはできないんじゃないかと思っています。みんな、助けられてここにいる。だから、自分に余力があるときは、人のために何かをする。そういう助け合いの気持ちがあった方が、みんなが幸せな人生を送れるんじゃないでしょうか。

佐藤 僕自身、自分の力だけでなく、本当にいろんな人の支えがあったから長く選手としてプレーできたと思っています。引退した今だからこそ、困っている人がいれば手を差し伸べてあげられるような状態でいたいと感じます。

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初優勝報告会(2012年12月16日)

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優勝パレード(同日)

平和への思い

市長 広島を離れた後も、寿人さんはSNSで平和への思いを発信されていますね。

佐藤 8月6日は、広島を離れても忘れてはならない日と思っています。被爆地広島だからこそ、世界に向けて平和を訴え、発信していく大きなパワーがあるのではないでしょうか。アスリートの立場でいえば、スポーツは平和な世の中がない限り成り立たないものなので、平和の発信はしっかりやっていきたいです。子どもたちなどに平和を伝えたり、広めたりと、何かをやっていきたいというのは常に感じています。

市長 「平和」という言葉はいろんな意味合いがあって、「国が平和」「心が平和」といった使い方をするんですが、中心は常に「人」なんです。「平和」とは「生きざま」に直結している思いで、あえて言えば「人がおおらかに、伸び伸び生きていける状態であってほしい」と思うことだと感じています。そうした考えでみんながいろんなことを、楽しくやるのが「平和文化」だと思っています。スポーツは、その平和文化の一つで、勝利のためにルールを守りながら正々堂々戦う競技です。それをみんなが見て「ああ素晴らしいな」と思うんですよね。寿人さんはその精神をしっかりお持ちなのだから、いろんな行動をやり続けていただければ、自然と平和のためになっていくんじゃないでしょうか。

サッカースタジアムと中央公園

市長 昨年3月、皆さんが熱望していたサッカースタジアム建設の動きが具体化しました。

佐藤 優勝してから建設に向けた機運が高まっていきましたが、もしかしたらできないんじゃないかっていう思いも当時は正直ありましたね。

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市長 場所の選定が問題でしたからね。私個人としては、中心部となると中央公園広場か旧市民球場跡地しかないと思っていました。ただ旧市民球場跡地は、近くには平和の象徴である原爆ドームがあって、その景観を守るために、市民球場は移転したと思っていましたから、そこにサッカースタジアムを造るのはどうなんだろうと。当初、中央公園広場は候補でしたが、早い段階で外れてしまいました。近くに市営住宅があって、お住まいの人々の迷惑になる恐れがあるからだと。検討過程で、南区の広島みなと公園になったんですが、今度は、風は吹くし中心部から離れることなどから難しいという話になりました。そこで私は、課題はあるかもしれないが元々念頭にあった中央公園広場で何とか進めてくれないかと言って、再検討することになったんです。どこにスタジアムを造るにしても、さまざまな立場からの声があります。改めてきちっと疑問や要望を聞き、まちづくりをさらに進めていく、みんなが喜ぶことをみんなで共有できるようにするという方針でやりたいんだ、というのを貫いたんです。いいところ取りして、住んでいる人や困っている人には知らんぷりというのでは、共助とか平和につながらないじゃないですか。スタジアムが出来上がったら、近隣の人たちが市内外から来る人と一緒になって楽しめる場所になったらと願っています。

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佐藤 初めて耳にする話ばかりですね。協力くださったたくさんの人々に、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。近隣の人にもスタジアムがあって良かったと、憩いの場と感じてもらえるよう、自分たちも地域の人に向き合っていきたいなと思います。昨年5月に建設予定地を拝見しましたが、本当に素晴らしい場所で、世界でもまれな「街なかスタジアム」になると期待しています。このイメージパースを見ても、臨場感があって、もう楽しみしかないですし、自分も何かの形で、ピッチに立つ機会があればなと思います。

市長 夢が広がりますね。完成したピッチでいつか寿人さんの姿を見ることができるかもしれませんね。

佐藤 旧市民球場跡地を含む中央公園全体は、これからどうなっていくんですか。

市長 花と緑と音楽があふれるような場所にしたいですね。音楽をいっぱい流してもらって、周囲には桜並木があるとかね。そこを通って平和記念公園に行けるような、平和の回遊ルートとして人が集まる、にぎわいのある場所にしたいです。時間はかかりますが、しっかり議論して、調整できるところは意見をどんどん取り入れて、魅力あるまちづくりを進めていきます。もっともっと変わりますよ。

佐藤 すごく楽しみです。

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旧市民球場跡地に、2023年に開業予定のイベント広場(屋根空間のイメージ図)

広島は、第二の故郷以上の場所

市長 寿人さんには多くの市民が広島に戻ってきてほしいと願っているはずです。どのように考えておられますか。

佐藤 広島は僕にとって第二の故郷、いえ、それ以上の場所です。家族も広島が好きで、お好み焼きをヘラで食べるようになった子どもたちも戻りたいと言ってくれているので、今年中には広島に帰ってこようと思っています。選手の育成やその環境づくりもやっていきたいですし、将来は監督になりたいという目標もあります。

市長 ありがとうございます。広島の心を理解されている寿人さんには、帰ってきて広島のまちづくりを一緒にやっていただけると期待しています。

佐藤 僕にとっては、やっと広島人に戻れるという思いなので、また住民の一人として、市のために尽力していきたいです。よろしくお願いします。

これからの広島市、これからの佐藤寿人

市長 市にはさまざまな人々がいますが、最初に申し上げたように、全員が伸び伸びと気持ちよく過ごせる…、つまり「平和なまち」だと思っていただけるための工夫をし、市民の皆さんには、まち全体を自分のすみかと思っていただけるようにしたいですね。そういったとき、まちには利便性も静寂な空間も必要だし、にぎわいも必要になります。いろんな要素をうまく取り込んで、広島市という枠組みだけじゃなく、広島広域都市圏(※)といっているんですけど、近隣市町も含めて共存すると、みんながより幸せな生活を送れるんだなというふうに、そう感じていただける市というものを目指していきたいです。広島と仲のいい地域を増やしていきたいですね。近隣市町の皆さんには、広島市という地域があるから自分たちも充実した生活を送れているなと思っていただけるような、そんなまちにしていきたい。理想ではありますが、それくらいの野望を持ってやっています。それが本当にできたら、「世界に誇れるまち」になるのではないかと思っています。

佐藤 広島を離れて5年という月日がたちますが、離れても広島の人たちが声を掛けてくれるし、温かく見守ってくれているのを感じます。広島で暮らしていた12年間はもちろん、離れてからの5年も広島の人に支えてもらいました。広島に戻ってきて、広島を愛する仲間として、もっと広島というまちがにぎわうよう、もちろんスポーツ、サッカーで喜べる機会が増えるよう、自分自身もいろんなことに取り組んでいきたいので、同じ広島市民としていいまちにしていけるよう頑張っていきましょう。

※広島広域都市圏 広島市の都心部からおおむね60キロの圏内にある、東は三原市エリアから西は山口県柳井市エリアまでの25市町で構成される圏域

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サッカースタジアム内観図(イメージ図)

サッカースタジアム等整備事業の基本設計についてはこちら

旧市民球場跡地を含む中央公園の今後の活用についてはこちら

佐藤寿人さんのサイン色紙をプレゼント

◆応募方法:はがきに、住所、氏名、年代(20代など)、電話番号、本対談へのご意見・ご感想、新春市長対談に取り上げてほしいテーマ、サイン色紙希望と必ず記入の上、1月14日金曜日(必着)までに、市役所広報課(郵便番号730-8586 住所不要)へ。ファクス(504-2067)または市ホームページからも応募可(応募は1人1通)。抽選3人
※当選者(市内在住)の発表は発送をもって代えさせていただきます(1月下旬発送予定)。個人情報は賞品の発送と読者層の調査に利用します

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