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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和3年1月1日号トップページトピックス 音楽のあふれるまちづくりで広島を元気に

新春対談
広島市長 松井一實×ピアニスト 萩原麻未

音楽のあふれるまちづくりで広島を元気に

 音楽は、元気や勇気を与えてくれたり、気持ちを和ませたり、悲しみに寄り添ったり、被爆後の復興においても人々に希望を与えたといわれています。今回は、広島出身の世界的ピアニスト・萩原麻未さんと松井市長が、昨年を振り返りながら、音楽の持つ力や、音楽とまちづくりについて語り合いました。

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広島市長
松井一實(まついかずみ)

 あけましておめでとうございます。2021年が市民の皆さんにとって良い年でありますよう、お祈り申し上げます。

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広島出身の世界に誇るピアニスト
萩原麻未(はぎわらまみ)

 安佐南区出身。5歳からピアノを始め、平成12年、第27回パルマドーロ国際コンクールにおいて史上最年少の13歳で第1位となる。広島音楽高等学校卒業後、フランスに留学。平成22年、第65回ジュネーヴ国際コンクールピアノ部門において日本人として初めて優勝。平成23年、広島市民賞、ひろしまフェニックス賞特別賞受賞。
 NHK交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団をはじめとする国内外の主要オーケストラと共演。現在は東京を拠点として、国内外でソリスト、室内楽奏者として演奏活動を行う。
 昨年の8月5日、6日の「平和の夕べ」コンサートで、被爆ピアノを題材とした藤倉大(ふじくらだい)作曲のピアノ協奏曲「Akiko'sPiano(アキコズピアノ)」を広島交響楽団とともに世界初演。独奏部分で実際に被爆ピアノを演奏するなど、音楽を通じて広島と関わり続けている。

新型コロナウイルスに翻弄された一年

市長 昨年来、新型コロナウイルス感染症の影響で、さまざまな活動が制限される事態になりました。萩原さんにとっても影響が大きかったのではないですか?

萩原 2月末の東京でのリサイタルを最後に、その後の演奏会がほぼ全てキャンセル・延期になりました。そのような状況を経験した今、改めて何の心配もなく音楽に浸れる環境があるというのは本当にありがたいことだったんだなと実感しています。演奏会のスタッフの方々も、キャンセルの手続きに忙殺され、経済的にも大変な思いをされています。音楽だけでなく、全ての分野においてそうだったことを考えると、本当に辛い一年だったと思います。

市長 多くの方が日常的な活動ができる環境があってこそ、演奏会も成り立つということですよね。

萩原 ありがたいことに、緊急事態宣言解除後は、感染防止対策をとりながら演奏会も開催されるようになりました。これからもどうなるか分からない状況ですが、音楽は、日々生活する上で心の栄養になったり、明日生きる希望になったりするという面もありますから、少しずつでも前向きな方向に向かっていけばいいなと思っています。

市長 私は、新型コロナウイルスという脅威が人々の平穏な日常活動を妨げているという構図を「平和」に置き換えることができると思うんです。例えば戦争などが起こり平和な状況でなくなると、人々は通常の日常生活が送れなくなる。当然演奏会などもできなくなりますよね。平和な状況が保たれてこそ人類に対する脅威が取り除かれるということを、コロナ禍で、身をもって体験されたのではないでしょうか。その経験を基に、演奏会ができるような世の中が本当に大切で、それができる環境をみんなで維持しましょうと、いろいろな形で訴えていただきたいです。その良さをずっと味わえるようにした方がいいねと思ってもらうことが、脅威に対する防波堤になるのではないでしょうか。

故郷広島と平和への思い

市長 萩原さんは安佐南区のご出身で高校卒業まで広島で過ごされて、広島と関わる音楽活動もされています。広島のまちや平和についての思いを聞かせていただけますか。

萩原 私は被爆3世で、母方の祖父母から被爆体験などを聞いて育ちました。平和について考える機会は多かったと思います。広島で生まれ育った1人として、音楽を通して少しでも平和への貢献ができたらと思って活動していますし、私より下の世代の子どもたちには、もし自分の身に起こったことだったらと、被爆体験を自分に置き換えて考えてもらう場がもっと増えたらいいなと思っています。決して風化させてはいけないことですよね。

市長 広島の地で成長する中で、被爆の実相をより身近に感じるという経験がまずあったということですね。私は、被爆の実相というのは、その残酷な「死」と「生きる」ということを対比して、自分の人生をしっかり考える思考を身に付けるということだとも思うんです。その思考に影響を及ぼすきっかけの一つが、音楽ではないでしょうか。生と死といったことを考える上で、感性に訴えて大きな影響を与えることができる――音楽には、それほど強い力があると思うんです。

萩原 数年前から明子さんのピアノ※という被爆ピアノとご縁をいただき、6月末のレストハウス完成式や8月5日、6日の「平和の夕べ」コンサートでも演奏させていただきました。その際に思ったのは、平和について、言葉で伝えることももちろん大切ですが、今もこうして生き残って大切にされている被爆ピアノの音を通して、直接人の心に訴えかけることもできるということです。市長が仰ってくださったように、音楽にできることは多いと思いますし、私自身もそうした活動をこれからもたくさん心掛けていくつもりです。

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市長 被爆を生き残ったピアノを活用して音を皆さんに伝える。そうやって改めて平和について考えてもらうことで、より強いメッセージを多くの人に発信できますよね。生涯、そういった視点を持ちながら演奏家としての活動を続けてもらえたらと願っています。

※河本明子(かわもとあきこ)さんはロサンゼルスで広島出身の両親の元に生まれ、昭和8年、ピアノとともに広島に帰郷。19歳の時、勤労奉仕中に現在の中区八丁堀周辺で被爆し、翌日亡くなった。三滝町の自宅で被爆し爆風で傷付いたピアノは修復され、被爆60周年を記念するコンサートなどで演奏された。昨年7月からリニューアル開館した平和記念公園レストハウスで常設展示されている

もっと気軽に音楽に触れられるまちに

市長 市では「花と緑と音楽の広島づくり」を進めています。プロの音楽家の視点から、音楽とまちづくりはどのような関係にあるとお考えですか。

萩原 シャレオの「紙屋町まちかどピアノ」を取り上げたテレビ番組を拝見しました。音楽を楽しむ場として、音楽ホールやライブハウスなどいろいろありますが、そういう場所に行かなくても、普段皆さんが歩いているところにピアノがあり、誰でも演奏できて、習い始めたばかりの方から勉強されている方までさまざまな方が自由に街中でピアノを弾くことができる環境は、とてもすてきだなと思います。

市長 世界のさまざまな場所でストリートピアノが始まったのは、多くの方々に音楽に接してもらうという方向を目指していく中で、日常生活のちょっとした時間を割いて音楽との接点を持てるようにするのもいいだろうとの思いからですよね。

萩原 はい。それが広島でもというのが本当にうれしくて。たまたまそこに居合わせたり、通りがかったりした方々が耳を傾けている様子を見て、日常のふとした瞬間に音楽が入ってくるというのは、ほんのひと時でも心が安らぐ瞬間だと思いますし、本当に素晴らしいと感じました。

市長 まさに私もそう受け止めています。利便性の高い都市であると同時に、国際平和文化都市ということをみんなが実感できるような、複合的な要素を備えたまちにできたらなという思いがあるんです。もっと気軽に音楽に触れることができて、腕自慢、腕試しの方々が演奏活動をできるようなスペースを街角や公共の施設の中に設けられればと思っています。そんなふうに褒めていただけるならもっと頑張ろうという気になりました(笑)。

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昨年8月6日の「平和の夕べ」コンサート

演奏する人、聴く人、奏でる場所がそろうまち

市長 音楽が市民にとってもっと身近になっていくために、ヒントやアドバイスがありますか?

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萩原 私の個人的な、昔からの夢でもあるんですけど、広島に音楽専用のホールができたらいいなと思っています。今ももちろん、さまざまな施設がありますが、もっと素晴らしい音響でクラシックを聴くことができるホールがあればいいなと感じていたので、海外からオーケストラが来広されたときや広島交響楽団の皆さんが普段演奏する場所として新しいホールができたら素晴らしいと思います。また、響きの良い小ホールもとても貴重なんです。子どもたちの発表会や、若い人たちがリサイタルやコンサートをするときに使えるホールがあるといいですよね。広島出身で、サントリーホール(東京)などの音響設計をされている豊田泰久(とよたやすひさ)さんという素晴らしい方がいらっしゃるので、いつか豊田さんの手で、それが実現したらいいなと願っています。

市長 音楽は、演奏する人、聴く人、そして奏でる場所の3点がそろわないと成り立ちませんからね。ここまで復興して平和の風情を多くの方が感じられるまちになったので、いよいよ音楽を十分に愛(め)でることができる施設があればいいなという思いは一緒です。広響は東京や大阪にも負けないくらいの力が付いてきて、多くの方が認める楽団になりました。課題は、演奏する方々がずっと広島で生活していけることなんですよね。聴くほうに関しては、まず日常で音楽に触れることができるまちにして音楽を聴く人を育てる。そうすることで、演奏活動が持続可能なお金の流れができる。その結果、演奏する方々がこの地域の中で生活できる状況になる。そうなって初めて施設、という順番だと思っています。象徴としてのシンフォニーホールができ、それができたときには素晴らしい演奏家が市内に大勢いて、ごく普通に聴いてみたいなと思う方が大勢いる。そのような、お客様が来なくて閑古鳥が鳴くということが絶対ないような状況が理想です。中央公園の整備もそうした視点で進めていますし、演奏家、聴く人、場所とその上に立つシンフォニーホール、皆さんの協力でその三つの要素が同時並行でしっかりしたものとなるようなまちづくりをしたいと思っていますので、もうしばらく待っていてください。これは自分の思いなんですけどね。

もっともっと音楽のファンを増やしたい

市長 最後に、世界を舞台にご活躍されている萩原さんから広島で音楽活動をしている皆さんへのメッセージや今後の活動についてお話しいただけますか。

萩原 スポーツの分野では本当に多くの根強いファンがいらっしゃって、カープが25年ぶりに優勝した時は、スポーツに詳しくない私もファンの方々が喜ばれる様子にもらい泣きするぐらいうれしかったです。広島にはそうした熱い魂というか情が深い方が多いですよね。広島には素晴らしい音楽家の方々、素晴らしい才能を持った若い世代の子たちがたくさんいらっしゃいます。私自身も高校まで広島で育ってきて、温かいお客様に囲まれて成長できたことは、かけがえのない宝物です。スポーツだけでなく、音楽でも今後もっともっとそうした輪が広がったらいいなと思います。

市長 スポーツは、体を動かすことが健康維持に役立ち、その行為も楽しいことを実感している人が多いから、ファンも多いのだと思います。音楽も、その楽しさと良さが実感できれば、必ずファンは増えます。分かってくれる人を増やす。そのためにも良いものを提供して良さを実感できる、そういうまちにしたいですね。

萩原 草木も生えないといわれる状況から、こんなに復活して緑にあふれ、人々の活気あふれるまちになって、当時の方々がどれだけ努力してここまでにしてくださったかと思うと、本当に胸がいっぱいになります。そうした経験をしている広島のまちというのはとても強いだろうし、広島の人はこのまちをもっと良くしていこうという気持ちが人一倍強いと思うので、私もその中の一人として何か貢献できることがあればいつでもさせていただきたいと思っています。

市長 市では、国際平和文化都市の柱の一つとして、「花と緑と音楽の広島づくり」を掲げています。緑、花を大事にすることは平和なたたずまいを見せる都市には不可欠だと思うんですね。自然を壊し過ぎてしまうとまちが持続しないというのは明らかで、そのことに、広島の諸先輩は気付いていて、復興期に供木運動をやってますよね。周りが緑に囲まれていることで安心感が保てる。いいまちだなあと思えるじゃないですか。目から緑が入る、そこにもう一つ、音楽が耳から入ってくるということが、いとも簡単にできるまちを目指したい。だから花、緑を大切にしようというファンを増やす。音楽についてもそれを愛でる人、音楽のファンになる人をもっともっと増やさないといけない。萩原さんのような優れた方の力によって、もっともっと多くの人が、これが本物のピアノ演奏ですよというのを知り、身近なものとして感じられるようになれば音楽のファンも増えると思います。「花と緑と音楽の広島づくり」、一緒に頑張っていきましょう。

萩原麻未さんのサイン色紙をプレゼント
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◆応募方法:はがきに、住所、氏名、年齢、性別、電話番号、本紙へのご意見・ご感想、来年の新春市長対談に取り上げてほしいテーマ、「サイン色紙希望」と必ず記入の上、1月14日木曜日(必着)までに、市役所広報課(郵便番号730-8586住所不要)へ。ファクス(ファクス504-2067)または市ホームページ「広報紙『ひろしま市民と市政』」からも応募可(応募は1人1通)。抽選3人
※当選者(市内在住)の発表は発送をもって代えさせていただきます(1月下旬発送予定)。個人情報は賞品の発送と読者層の調査に利用します

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