似島は、戦争のたびに、戦争と深い関わりを持ち続けてきました。今回は、似島に現在でも数多く残っている戦争と関係のある遺構や碑の一部を紹介します。これらを巡って歴史を学び、平和について考えてみませんか。
◆問い合わせ先:区政調整課(電話250-8933、ファクス252-7179)
似島には、明治以降に、陸軍の検疫所が設けられました。検疫所とは、戦地から帰還した兵士が伝染病を持ち込まないようにするために、検疫と消毒を行う施設です。帰還した兵士は第二次世界大戦時には、第二検疫所前に設けられた上陸用の未消毒桟橋(さんばし)(上写真)から上陸し、検疫所で消毒した後、既消毒桟橋から宇品港へと戻りました。
1945年8月6日に広島に原爆が投下された際には、似島の検疫所は臨時野戦病院となりました。被爆者を上陸させるために、前述の桟橋が使用され、桟橋は被爆者で溢れました。医療品の備蓄約5千人分に対し、20日間で約1万人の被爆者が運び込まれ、壮絶な野戦病院となりました。
似島の検疫所
1895年(日清戦争時) 陸軍第一検疫所開所(現・似島学園)
1905年(日露戦争時) 陸軍第二検疫所開所(現・少年自然の家)
1940年(第二次世界大戦時) 陸軍馬匹検疫所開所(現・似島小・中学校)
1945年 臨時野戦病院開設
横穴防空壕〈第二検疫所〉
のり面に7つの防空壕跡が残っています。
現在はふたがされて中を見ることはできませんが、内部は全てつながっており、万が一入口が塞がれても、他の防空壕から出ることができるようになっています。
原爆投下時、似島では、遺体を浜で火葬するなどしていましたが、火葬が間に合わない遺体の安置所として防空壕が使用されました。
馬匹(ばひつ)焼却炉〈馬匹検疫所〉(現・似島臨海少年自然の家)
馬匹検疫所とは、戦地から帰還した馬の検疫を行う施設です。
原爆投下後、遺体の火葬が間に合わず、馬を火葬する馬匹焼却炉で火葬しました。それでも増え続ける遺体は、馬匹検疫所の敷地内に穴を掘り、埋葬しました。
1990年、焼却炉3基と遺骨が発掘されました。そのうちの1基が少年自然の家に移設されています。
慰霊碑〈馬匹検疫所〉(現・似島中学校)
1971年、似島中学校グラウンドから推定517体の遺骨と推定100体の骨灰、その他の遺品が発掘されました。
その後の1972年11月、亡くなられた人々を弔うために碑が建立されました。
詳しくは似島臨海少年自然の家ホームページをご覧ください。