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ページ番号:0000364195更新日:2023年12月28日更新印刷ページ表示

2023年12月19日記者会見「核兵器禁止条約第2回締約国会議への出席について外6件」

動画は下記からご覧ください。

(「広島市公式チャンネル(YouTube)(市長記者会見)」のページへジャンプします<外部リンク>

日時 令和5年(2023年)12月19日(火)午後1時15分~午後2時12分

場所 市役所本庁舎11階第1会議室

 

 

市政記者クラブからの代表質問■

【核兵器禁止条約第2回締約国会議への出席について】

記者

 最初に、核兵器禁止条約についてお伺いします。先日ニューヨークで第2回締約国会議が開かれまして、最終日には核抑止論を否定する政治宣言も採択されました。まずは、この会議の市長の感想についてお聞かせください。また、日本政府は第1回の会議に続いて、今回もオブザーバー参加を見送りましたが、次回は2025年の被爆80年の節目に開催されます。次回会議、市長として日本政府にどのように参加を促していかれるかもお聞かせください。

 

市長

 今回の締約国会議では、私自身は一般討論演説の場で平和首長会議の会長という立場でスピーチを行う機会がありまして、そこではNPT、核(兵器)不拡散条約の第6条に規定されております核軍縮の誠実交渉義務ですかね、これが遵守されていないことなどを指摘した上で、各国がNPTとTPNW、核兵器禁止条約、共に、核兵器のない世界に向けて、両立性、あるいは補完性、こういったものを保ちながら機能していくようにするための取組を進めるということを強く求めたところであります。

 こうした中で、最終日に採択された政治宣言を見てまいりますと、核兵器禁止条約と核(兵器)不拡散条約、NPT、この補完性といったようなものが再確認されるとともに、「核抑止力を正当化しようとする試みは、核拡散の危険性を高めている」として、各国にそうした政策を終わらせて、核兵器禁止条約に関わるよう呼びかける内容といったものが盛り込まれました。このことは、ヒロシマの思いといったものと思いを同じくする国の為政者が、確実に増えてきている証というふうなものとも捉えられます。そうしてみれば、核抑止論からの脱却を促す国際世論を醸成していく上で、意義のあるものだというふうな受け止めをしています。

 こういったことを踏まえて、日本政府に対しましては、核の傘の下にありながらも今回の締約国会議に出席して、同会議での議論の展開を確認した国もあるといったことを伝えた上で、オブザーバー参加を核保有国と非核保有国との橋渡し役を果たす一つの手段として考慮するように、引き続き、国要望などの機会を捉えながら、粘り強く働きかけていきたいと考えています。

 

記者

 (第2回)締約国会議について、市長がおっしゃったように今回、オーストラリアをはじめ、核の傘にある国の参加であったり、それと共に今後、核被害者の支援などで接点を持っていくということが確認されたとても大事な会議だったと思います。次回、被爆80年ということもあり、ここでやはり日本政府が再び、三度出ないとなると、かなり国際社会に逆に強いメッセージになりかねない懸念がかなりあると思いますが、粘り強くとおっしゃっていましたが、今後の働きかけ、具体的にどう強化されていくのか、今現在お考えがありましたらお願いします。

 

市長

 強化っていったって、私の力を高めるというやり方じゃないんですけれども、今回の状況でも今申し上げたように、オブザーバー参加する国が、第1回の締約国会議でもありましたしね。2回目でもこういったことがあり、さらに、締約国会議の取りまとめが、よりしっかりとしたものとして構築できてきておりますね。

 そして、現行の核(兵器)不拡散条約との関係もきちんと整理できて、(核兵器)禁止条約そのものが不完全だとは言われますけれども、これ実際、核保有国が入っていなかったりですね、核保有国が入った上で、どういった形で核兵器を禁止するための手順を作るか、あるいはどういったチェックシステムを作るかを議論しなければいけないわけですね。そういった核保有国を取り込むための条件なるものを、整えていくというプロセスを、この締約国会議、あるいはその検討会チーム、いろいろ立ち上げてやっておられますから。その進捗状況を見ながら、こういったアプローチをしているんですよということを改めて伝え、そして、そういったアプローチに対してオブザーバー参加する、そういった国々の考え方も私なりにまた確認して、そういった考え方でもいけるんじゃないでしょうかということをいろいろ示したいと思うんですね。それが粘り強くだと思うんですね。

 最終的には、日本国政府が今、核の傘に入っているという状況ですから、その核を持っている国、あるいはそのグループですね。そことの関係性をどう構築するかということになっていくわけですけれども。ヒロシマとすれば、被爆国という、世界に類を見ない国の立場ということをしっかりと言い、そして、その目標を共有できる各国首脳じゃないかと、G7で確認できているわけですからね。そういったところに視点があるということを忘れないようにしながら、現下の問題を越えて理想を追求するための方策として、ぜひ考えてもらいたいということを、強く繰り返し、そして、今、条件が整えば、それを付け加えて説明し、粘り強く語りかけると、こんなことだというふうに思いますけどね。

 

【パールハーバー国立記念公園への訪問について】

記者

 核兵器禁止条約のこの締約国会議と関連してなんですけれども、この帰りの際にハワイにも市長は寄られていると思います。平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の(姉妹公園)協定締結後では初めての訪問だったと思いますが、改めて訪問を終えての市長の所感と、協定の具体的な今後の取組についてお伺いします。

 

市長

 このパールハーバー訪問は、姉妹都市(姉妹公園)の協定を締結して、なるべく早く具体化といいますか、それを話し合うということをしたいと思っている中で、アメリカ・ニューヨークに行きましたので、その帰り道に寄るということで、訪問日程を双方で調整して決めたんですけれども。

 ざっとパールハーバーでの動きを申し上げると、ニューヨークを離れて12月1日の日に、パールハーバー国立記念公園を訪問するということをいたしました。その公園の視察については、姉妹協定を締結するときにこちらに足を運ばれた、トム・レザーマン管理監督者、この方を中心に案内をしてもらいまして、そして、またその公園内で協議するという時間を持ちました。

 公園の中では視察ということで、ユタ記念碑とかオクラホマ記念碑、それからアリゾナ記念碑、そしてビジターセンターとこういったところを視察してきました。実はそのビジターセンター、アリゾナ記念碑(※)、2012年のときにも公園訪問した際に間違いなく訪れたところなんですけれども、自分からすると、そのアリゾナ記念碑(※)に行く船があるんですけれどもね、その中でいろいろなお客さんが乗ったりするし、また船で説明なんかがあったりなんかもするんですけれどもね。ビジターセンターでも展示内容、いろいろなことがあるんですけれども、それを見ますと以前から比べると、自分なりに説明を聞いていて相当客観性を持たせた内容に変わってきたなというふうに思いました。

 そして、特にビジターセンター、佐々木禎子さんの紹介をするパネルと、それから日本の子どもたちが折った折り鶴、千羽鶴ですね。千羽鶴を展示するコーナーがあったりいたしましたので、これは私がパールハーバーに行って、その翌年に佐々木さんの甥御さんにあたる、お兄さんの息子さんにあたる方が、ビジターセンターの方に折り鶴を提供するんだという話をされていて、それがまさにこれだなということで確認したんですけれども。

 そういうのを全体含めて、パールハーバーの主張というものを相当客観化しながら、また、こちらと理解をし合おうといいますかね。ヒロシマ側の展示も入れていくという雰囲気が随分出てきたなというのが自分の受け止めであります。

 ですから、そういう意味では素直な感想としては、あのとき和解による平和というようなことをやるのが我々の願いといいますか、みんなでやりましょうみたいな話をしたことが、いくらか成果も出てきているかなというふうな思いとして受け止めたんですね。それを踏まえて、改めてレザーマンさんとの間では、まず、やはり何といっても時代はどんどん変わるんだから、青少年の交流をすること。戦争ということを一切知らない、過去を知らない方々に、どういう形で情報を提供していくかということはとても重要なので、その青少年を中心にした交流をして、その中につまり企画展を開催する。

 それから、象徴的なものとして「ヒロシマは被爆樹木をいろいろな形で皆さんへお贈りしているというようなこともあるので」と言ったら、「自分らの方からするとパールハーバーを攻撃された頃からずっとある樹木があるから、それは証言樹木と言っていいか分からない」ということもありましたので、だったら、そういったものを交換していくという中で、いろいろ理解を深めるということはどうかと。もしくは合意できれば、我々は、まだ来年度予算を組む時間があるのでね。そこからでも予算措置をしたいという話をいたしましたら、相手方もその提案を踏まえてざっと見て自分たちのことも考えたのでしょう。いろいろ提案については短期的、あるいは長期的に方針を仕分けて検討するというようなものがあるので整理するということで。だから、2~3年かけてでも、できるものからやるという方向で、かつ、今後詳細を詰めていくということをやろうじゃないかというお話で、一応締めくくったと、そんな状況であります。

 ですから、そういう意味では双方の理解を深めるということ、こういった方がおられるんですから、そういった方をしっかりとつかまえてというか、そういう方と仲良くするというか理解を深めるという動機付けを持っている方としっかりいろいろなことを実行していくということ、未来志向での取組を確実に進めるということを、本当にやりたいなというふうに思いました。

(※)「アリゾナ記念館」と発言していますが、正しくは「アリゾナ記念碑」の誤りです。

 

【新サッカースタジアムについて】

記者

 2問目にいきます。

 サッカースタジアムについて伺います。今月28日に中央公園でサッカースタジアム完成します。建設決定からこれまでを振り返って、改めて「まちなかスタジアム」完成への市長の所感をお聞かせください。

 

市長

 ずいぶん長い時間かかったのですけど、ざっくり申し上げますとサッカースタジアムの建設、まさに検討段階から県・商工会議所・サンフレッチェ広島、それから県のサッカー協会、こういった方々も交えて多くの関係者といわば連携して取り組んだと、そういったものの成果だというふうに受け止めています。

 そして建設に関わる寄附などにつきましては、とりわけ商工会議所の取組のおかげもあったりして企業からは予想を超える御支援をいただき、個人の方もいろいろな形で御支援をいただくということがありまして、非常にありがたいことであったということであります。それが素直な気持ちであります。

 あとこのサッカースタジアムの位置付けとか、そういったことに関係しますけれども、これは今言ったように多くの方と一緒に取り組んだ施設設置でありまして、広島の新たなシンボルというそういう思いで取り組んでそれが完成という運びになったなと、もうすぐ完成だなと、そんな感想であります。

 そうしますと、造る段階から出来上がったら県全体の持続的な発展につなげるためにどうするかと。あるいは都心全体と。そんな議論をしながらきたものでありますのでスタジアムを核としながら、まずは例えば今年開業いたしました「HIROSHIMA GATE PARK PLAZA」、それから付近にあります広場、隣接するこの付近のエリア、それから今度ちゃんと仕上げていきますけれども広島城三の丸と。こういったところとうまく連携させながら回遊性を確保して都心の活性化を担う、そういった施設にぜひともしていきたいというのが一つ。

 それから、スタジアムの位置関係からすると平和記念公園の北側に位置しています。そしてサッカーなど、いわゆるスポーツ、平和ということをコンセプトに国際交流できるスポーツでありますので、こういったサッカーなどの機会も捉えて平和記念公園とのつながりをうまく使いながら平和の発信といいますか、そういったことができる運用方法をしっかり考えていくと、こんなことじゃないかなと思っています。

 ですから、もうじき完成するこのスタジアム、これを名実ともに「皆さんと一緒につくり上げた広島のサッカースタジアム」として末永く愛されて魅力あるものにする、その運用をこれから一緒になってやっていきたいなというふうに思っています。

 

記者

 いよいよ完成ということで、若干過去の経緯にさかのぼって質問をさせていただきます。サンフレッチェが2012年に初優勝して先ほど市長もおっしゃったような検討協議会っていうものができて、その後、最終報告を受けました。その後、県と広島市と商工会議所が検討して、みなと公園が優位という方向性を打ち出したのですけど、当時サンフレッチェ広島の久保会長がやはり市民球場跡地がいいということで独自案を発表して、みなと公園なら使わないという表明をした、こういう場面もありましたが、この状況のときの当時の市長の思いをぜひ聞かせていただきたいなと思います。

 

市長

 今申し上げたようにいろいろな御議論があったというのが今の私の政治の立場なのですね。実際市長になってすぐにやりたかったのは旧市民球場跡地、市民球場がなくなってちょうど3年目の市長かな、だからせっかく空いたところがありそれをどう活用するかということを前の市長さんのときに十分議論できてなかったと。そして市議会などでもいろいろな議論が起こってうまく動いてないということを聞いていて、そこをどういうものにするかということをきちっと議論しようと。

 そして中央公園全体のあり方を皆で議論するためにということで跡地活用も含めていろいろな議論を始めた中で、だんだん使い方について球場跡地の使い方がいろいろな多面的なものにしていくというようなアイデアが出て流れ始めると、その隙をつくがごとくで、そこにサッカースタジアムをつくらなきゃいけないという意見がいろいろなところから聞こえてまいりまして、そのまとめをする前ぐらいには今度は署名活動とかっていうのが。こちらのやっているいろいろな検討作業を中断するかのごとくの動きがどんどん出てくるというふうなことがあったのです。ですから、個人の方がどうこう言ったという以前のところでいろいろな思いを持った方々がおられて、その議論を整理するのがとても大変だったというふうな印象。

 その中で最終的に久保さん辺りがちゃんとメンバー構成してちゃんと表で言おうじゃないですかということをやると、そのまとめとしてそういう発表をされたとそんなふうに思います。もっと根が深い、いろいろな方がいろいろなとこでいろいろな意見を言い合い、そしてマスコミもいろいろな立場で言われていましたよ。そんなことであります。

 

記者

 重ねてなんですけど、そういう市長の思いも十分分かるんですけど…。

 

市長

 思いというか事実を申し上げているんですよ。

 

記者

 分かりました。私はぜひ当時の市長の思いを可能ならお聞きしたいんですけど、というのがやっぱりサッカースタジアムを語るにおいては、先ほど申し上げたサンフレッチェ(広島)と県・市・商工会議所のこの溝があったところをどう埋めるかというのが非常に山場だったと思いますので、当時いろいろ私たちも取材しましたけど、かなり市長は久保さんに対してもかなり不信感というかお怒りのところもあったというふうに聞いていますけれども、そんなことないですか。

 

市長

 ですから個人的にそんな今言われた方を立ててやっていたんじゃなくて、いろいろな意見がある中でいわば代表としての立場で言われていたという思いなんですよ。であれば久保さん以外に言われている方、もっとちゃんと言えばいいじゃないかというような思いでした。

 ただ私はサッカースタジアムをつくらないっていうんじゃなくて、きちっとした跡地の議論をさせてくださいと、そしてその中でどう扱うかといった。じゃあサッカースタジアムをつくらないのかと、そしたらそれをワーッと書くわけですね。そうじゃなくて、つくるということはつくるんだけれども球場跡地に決め打ちしないでくださいと、そこをどう使うかは議論しているんだから、これをつくれということ以外議論しないみたいな議論はしないでくださいということを申し上げていたかと思います。それがなかなか通じなくて、この記者会見の場でも何回も同じ方が聞くんですよ。何でつくらんのんだと、どう思うんだとかって言うから、そういう議論はしないでくださいと返答しています。では、いつ議論するんですかと。そんな中で久保さんが出てきたりすると、その意見をどう思うかと聞かれるから、それは決め打ちしないでほしいと申し上げたというふうに受け止めてくださいということです。

 

記者

 分かりました。

 

市長

 決してケンカしているわけではありません。

 

記者

 分かりました。市長の中では10年にわたって非常に長いんですけど、協議が。市長の中ではもうサッカースタジアムは絶対つくろうというふうに内心で思ったタイミングというと、どの辺りになるんでしょうか。

 

市長

 それは皆さんが合意して、そして2か所まで絞り込んだ。私は場所を議論する、中央公園のあり方についての議論は、ですから1回、中間報告みたいなのをまとめてやめたんですよね、そちらをやりたかったんですけど。サッカースタジアムの場所を決めないといかんと言われるから、じゃあそちらの方の議論に移って、場所を議論するのにどうするかと言われるから、じゃあ市内を広くまず見てくれと。そしたら、いやいや都心部じゃないとつまらないんだと、要するに日本でも初めての都心のサッカースタジアム、そういう象徴で、あそこが空いているんだからいいと、こういう話ですが、そこに行く前のちゃんと議論をさせてくださいということを申し上げている。

 だけど、こちらで球場全体のいろいろな空き地も考えながらやろうという議論を、結局、停止せざるを得なくなって、じゃあこのための議論というので今のメンバーに特化して議論していただくということをやり始め、そして、市内で7~8か所、場所をまず決めて、いろいろ議論をしながら絞り込むということをやって。途中で、実は今決まった市営住宅の南側、私は途中で、そこも中に入れて議論してくださいねと、広くとお願いして、そしたら事の経過は、そこの部分はほとんど議論しないで、みんな、あれは無理だということで、実はパスしたというのが途中であったんです。あっと思って、そして、しばらくすると、旧市民球場跡地と(広島)みなと公園という2つになったんです。

 それで、それならば球場跡地は使い方をもっと残したかったので、なるべく、みなと公園の方でやってほしいなということで、そういうふうな動きをいたしました。これは結果として、うまくいかなかったわけです。それなものですから、じゃあもう一遍悪いけれども、議論を少し前に戻して、もう少し場所を広めて議論してくださいということをお願いしたんです。それをやるんだったら、今の場所のところは市営住宅に住んでおられる方々の問題があるから、それへの対処をせにゃいかんということになりましたので、じゃあということで、職員、担当者を張りつけて、住民の方と一生懸命やりました。そしたら、そちらの方が今度は反対の議論をするとかって、どんどんどんどん主務が流れるわけです。議論をしているんだから、問題点を吸収すべくやっているんだと。そのときに、どうするんですかと聞かれるから、うまく整えていけばやりますよと。つくる気はあるけれども、どうするかということですよと。

 ですからそういう意味では、終始一貫、つくらなきゃいけないし、つくるためにどうするかという思いでやっていたからですね、どこで決定的につくると思ったかみたいな質問も、非常に私としてはなかなか答えづらい。やるべき議論をずっとしていたというのは間違いないということを申し上げたいです。

 

記者

 最後に事実関係を短く、1点お願いします。1回目のサンフレッチェの優勝のときは、過去の記者会見録を見ると、市長は自宅のテレビで観戦していらっしゃったというやりとりを見たんですけれども、それは現地に行かずにテレビで見ていたというのは何か事情があったんですか。

 

市長

 特段の理由はないです。

 

記者

 テレビで見ていらっしゃったんですよね。

 

市長

 それは知っていますかというようなことですからね。多分、そういう取材だったと思いますけれどもね。

 

記者

 現地に行ってもよかったかなって。

 

市長

 それはファンであれば行きませんかというふうなことを、そういう雰囲気で聞かれるから、それは行ければ行った方がいいですねと。でも、テレビで見たりはしていますよというやりとりだったと思います。

 

【旧陸軍被服支廠の保存・活用について】

記者

 旧陸軍被服支廠について伺います。広島県所有の3棟のうち1棟を市に無償譲渡する案が協議されています。1号棟は「平和学習等の活用」、残りは「地域住民の活用」や「宿泊・観光拠点としての活用」が想定されています。市長は先日の議会で前向きに検討するという考えを示されましたが、何号棟の譲渡を希望されるかなど、現時点でのお考えはありますでしょうか。

 

市長

 この度の、まず県が公表した活用イメージなるものの理解なんですけれども、重要文化財に指定するかどうかということに係って、県と文化庁が協議をされたと。そんな中で文化庁の方から活用方針の整理を求められたというふうなお話になりまして、それで国と県と市で構成する「旧陸軍被服支廠の保存・継承にかかる研究会」、これずっと転がしましたからね。その場で議論された中で、3棟のうち、じゃあ1号棟を「平和学習等に活用」するというイメージが描かれて、こういうふうなものだという発表があったと思うんです。

 だから、国・県・市のやっている研究会の中でのお話は、まず、しっかりしていこうという立場でやっていますから、そこは畢竟なんです。

 そして、さらに無償譲渡に関しましても、現時点では県の方から、そういった状況の中で1棟は我が市に出してもいいよと、こういう話がありました。ですから、国・県・市でつくっている3者で構成する研究会ですから、ここでの議論をしっかりした上で、それをちゃんと受け止めて、具体的な対策を決めていきたいと思っていますので、今、我が市としてこういうふうに思っているということは正直言って持っていません。この協議の中で、我が市の役割をどういうふうに認識していただけるか、それを踏まえて、しっかりとした対応をしたいと、こんな思いでいます。

 

【職員研修資料での教育勅語引用について】

記者

 教育勅語の引用について伺います。広島市の新規採用職員研修で、市長が研修資料に教育勅語の一部を引用していたことが先日、明らかになりました。教育勅語を研修で取り上げた経緯と理由について、改めて市長のお考えをお聞かせください。また、教育勅語は現行憲法の理念に反するとの指摘もありますが、市長は教育勅語をどう評価されるのか。また、来年度以降の研修でも取り扱われるのか、重ねて見解をお聞かせください。

 

市長

 教育勅語、教育に関する勅語の件ですけれども、これ実は、私が、マスコミの皆さんの若手の方を集めて懇談会を開いて、その場で、ここ10年ぐらいで使っている資料で、こんな研修をしていますよって皆さんに資料をお示しした、その中の一部なんですけれども、そのときに、こんなふうな使い方をしていますよということでご紹介してるんですけれども。

 そういう意味では、この資料そのものは、市長になって、翌年の平成24年度の新規採用職員研修から使っていまして、その中で自分の座右の銘「温故知新」であるという考え方を示したりする一例みたいなことでやっていますし、あえていえば、その当時この資料を使ったのは、教育勅語に関して、市長になったりして、あれが正しいものだと、きちんとした思想を展開しないと日本の国の教育とか、人心が荒れるというふうなことを主張される方がおり、いやいや、ああいうものを否定されて、旧憲法下の違法なものなんだと、だから絶対やっちゃいかんと、そういう両方の御意見を受けたりしていたものですから、自分としてそれをちゃんと認識して対応せにゃいかん。とりわけ、一市民ではなくて、市長といった公の立場に立った上で、そういったいろいろな意見がある中で、自分の立ち位置をどのように決めたらいいかなというふうな、そんな気持ちでおったので、この資料は使えるというふうなことで入れたんですけれども。全部じゃないけれども、象徴的な部分を自分で選んでみて、ここを使うと。象徴的な説明ができるなと思ってやった一例なんです。

 そして、その使い方はいろいろなことを言われるというゆえんは、先輩がつくったもので。戦前の日本の中でつくられたものであるということ、そして、それについて、いろいろな意見があろうけれども、きちんといいものはいいとして受け止める、そうでないものはダメとして処理するという、まず視点を持った上で、自分としては物事を整理するという判断を中心に据えて。これが、どこかが悪かったから全部悪いとか、どこかがいいから全部いいというふうな判断をしないで、今ある事実そのものを受け止めた上で、その評価について多面的に考えるということをやっておかないと、いろいろな御意見があったときに対応できなくなる。そういうふうなことを実例としてそこで挙げました。

 したがって、教育勅語に関しての説明のところは、ざっくり挙げて、これは今の憲法下では否定されている、国会で排除が決議されたというものはまず言います。そして、この文章をよく見てくださいと言って、その文章のところを見せて、下の方で漢文調で書いてあるから、逆に分からないから英文の方でいくと、むしろ読みやすいものになっていますよというふうなことを言いまして、そこで書いてある部分は、実は民主主義的な発想の言葉が並んでいるのですよと。自分が思うに、それは当時、江戸期から明治期に移る中で日本の近海でアヘン戦争が起こるとかで、ヨーロッパに中国がどんどん侵略されていると。それに負けないような国家にするためには、民主主義みたいなことをちゃんと自分らの、国民の中でしておかないと西洋に負けるという部分があって、多分それをしっかりぱくっと入れるんだろうと。だけど、問題はそういった民主主義の使い手を、いわば今の憲法下では象徴とされる天皇が全部、朕ということで取りしきって、それを全部自分が使い切るようなやり方をしたから、結局戦前の日本になって戦争国家へ突入したと、そういう働きをしたということで、今この教育勅語なるものは否定されていると、こういう代物なのだと。だから、こういった性格のものであるということをよく知って、全部否定ではなくて、その当時民主主義を本当にしようとした日本国もあったと、その評価をする。しかし、その取り込み方をうまくできないで戦前の戦争国家に入ってしまった。そして、戦争で負けて全面否定されたと、こういう経過があるということを知っておくべきではないかと。そういう意味でその書かれている中身について、そういう民主主義を取り込もうとした、努力をしたという評価する部分はあるんだよと。結果として使い方はすごくまずくて、結局、日本国を敗戦に導く。そして、戦後の新しい憲法下で全面否定されると、こんな代物ですと、こういう説明をしています。これが全てなのですよ。

 だから、そういう意味でいろいろな事象を公務員として物事を考えるときに、いろいろな御意見があるときに、誰々が丸と言っているから、そうですねじゃなくて、よく自分でなるべく確認してみて、どうかなということを吟味しながらやると。それも温故知新の重要な考えですみたいなことを皆さんに言いたくて使っていると、そんなものです。

 

記者

 先ほど市長のお話ししたことを聞きまして、市長としては、国会で排除、失効を決議されたということも踏まえた上で、この中身を見ると民主主義の考え方を…。

 

市長

 導入しようとした、努力した跡があるというふうに評価しました。

 

記者

 というふうに御理解されているということを聞いたのですけれども、ただ、先日の市議会でも話が出ましたように、中身は一般的な徳目が書いてあるとしても、戦前の軍国主義下の文章を使うのは国際平和文化都市として適切ではないんではないかというような市民の意見もある中で、それはどのように今、市長は受け止めていらっしゃいますでしょうか。

 

市長

 それは議会でも答弁しているはずですけれども、その材料を使ったからといって、今みたいなコメントを加えられるのは非常に私とすれば心外ですよね。今申し上げたような使い方をしているわけですから。でしょ。どういう説明をするかが問題のはずでありまして、それを材料を提供したことそのものが、自分たちはこう使ったんじゃないかと考えていますとか、こうじゃないでしょうかと言われるから、そういう使い方はしていませんと申し上げているつもりですけどね。

 皆さんだっていろいろな教材を使うのに、例えば刑事犯罪を犯したような犯罪事象を使ってお勉強したら、それは刑法違反なんだから使っちゃいかんとかならないでしょ。これは、こういうことでファクトファインディングをして、これをどう咀嚼すべきかというお勉強をすることそのものを否定されるべきではないとこでしょうか。

 

記者

 この平成24年のときに最初に教育勅語を使おうと思われたときは、これは市長御自身の発案なんですか。それとも、どなたかから言われたのでしょうか。

 

市長

 私自身の発案ですよ。何で人に言われなきゃいかんのです。

 

記者

 まあ、今年まで研修で使ってくる中で、研修に関わる方々からこの教育勅語の使用はどうなんだろうといった意見が出されたことは、これまでありましたか。

 

市長

 ありません。

 

記者

 教育勅語について再評価すべきとは考えていないというお話、コメントを頂きましたが、あと、いいところも、部分もあったんだという話ですが、当然それだと悪い部分もあったということになりますが、教育勅語全体の評価や悪い部分っていうところについては、どのようにお考えでしょうか。

 

市長

 悪いとこっていうか、今評価したつもりですけどね。説明聞いていませんでした。もう一度同じことを言わせるんですか。

 

記者

 だから、先ほどの御説明の中にありましたように、そこをもう一度少し具体的に伺います。

 

市長

 どういうふうに具体的に言えばいい。具体的に説明しているじゃないですか。私の説明、聞いていただいたんでしょうか。

 

記者

 聞いておりましたが。

 

市長

 どこの部分が分からないんでしょうか。

 

記者

 なので、悪い部分っていうのをもう少し。

 

市長

 悪いとかいいとかは言わないようにすると申し上げたじゃないですか、一律に。だから、説明を聞いてないように思うから申し上げているわけですよ。

 教育勅語がありましたですねと。そして、その部分について全部じゃないけど一部引いていますけれども、教育勅語のポイントの部分を自分として引いたと思いますよと。で、書かれているその漢文調の部分を引いて、それは今ですと読みにくいから英文で並べて英字を読んでいただくと、そこの文言については民主主義的な要素が並べられた文言が入っていますねという説明をすると。それがなぜ入ったかというと、当時、明治期に至る江戸期からの国際社会の状況を見ると、先進国は民主主義を一生懸命に広めてここまで国力を増強しているから、日本も追いつかなきゃいけないと思って、そういうコンセプトを書き込んだと。ただ、書き込んだそのコンセプトの使い方が、朕という当時の天皇陛下が全部取りしきるような道具扱いにするという構成にしたことによって、結局その使い方を誤ったというか、そういう状況が続いて日本が軍事国家になり、対戦して、そして、第2次世界大戦で敗戦を受けて、こういった使い方をするようなものはやめようということで、国会で排除決議されたと、そういうものですよということを言った上で、ここに書かれている中身の部分については、民主主義を取り込もうとしているといったような内容だから、そういう評価はできるんじゃないかと、そういう説明にしていると。

 だから、物事を一律に、良い、悪いとかっていうことをやらないでファクトファインディングして分析する目を持とうという資料として使っている。これをわざわざテキストに上げたのは、私が市長になった当時すぐにでも教育勅語については、これを大事にしなきゃいかんとか、これは違憲だとか、そういったような形でいろいろな意見を言う方がおったりしたから、自分の立ち位置をしっかり確認するために、ファクトファインディングをしたから、これは職員に伝えておこうと思ってやっていると、こういう説明をしたつもりですけど。これ以上でも以下でもありません。

 

記者

 あとは、英文にすると民主主義の理念、盛り込まれていることがよく分かるという話がありましたが、民主主義の理念、盛り込まれている言葉、部分っていうのは、具体的にはどこを指しているんでしょうか。

 

市長

 英文持ってきてくださいよ。今持っていませんよ。何でそういう聞き方をするんでしょうね。

 

記者

 幹事社から代表質問で、教育勅語について来年度以降の研修でも取り扱われるのかという質問があった。

 

市長

 私は今申し上げたような使い方をする。つまり、職員がこうした歴史的な事実を知っておくことが大切だと思いますからね。他の事象だっていろいろあると思うんですよね。戦前はオーケーしていたけど戦後はオーケーではないというようなものはあったりして、そういうものを巡って国民様々な意見があったりして、職員が、どうするんだと聞かれたときに、それはいろいろな評価があったとしても、まず、なるべく自分でファクトファインディングというか事実を確認するということを、どんな見解があるか、意見があるかをよくわきまえた上で対処するということを可能なかぎりやってもらいたいと思いますよ。そういう意味で例示として使えればと思います。

 

【今年の総括と来年の抱負について】

記者

 最後の代表質問になります。今日で今年最後の定例記者会見となりましたが、4期目の任期初年を振り返りまして、どのような一年だったかと総括されますでしょうか。また、来年の抱負や展望もあわせて教えてください。

 

市長

 今年は、5月に新型コロナウイルス感染症が5類に移行して以降ですね、コロナを乗り越えて市民生活あるいは経済活動、様々な面で着実に平常を取り戻してきたなというふうに思うことができた1年だったと思います。

 その間は、広島においては、東広島・安芸バイパスこの全線開通があり、旧市民球場跡地、先ほど議論がありましたけども、ようやく「ひろしまゲートパーク(プラザ)」という形でのオープンになりました。

 さらには、広島の新たなシンボルとなるサッカースタジアムの建設といったようなことが進んでおりまして、人の移動、交流を促すためのインフラ、にぎわいの拠点、こういったものの整備が進んだというふうな受け止めです。

 また、ソフトの面では、地域のコミュニティの活性化、このために広島型の地域運営組織として「ひろしまLMO(エルモ)」これを発足させたといいますか、これが起動しましたことから、各地域で多様な主体が連携した地域課題の解決への取組といったことが一定程度進みます。こんなことが起こりましたので、市民主体のまちづくりが展開できるようにするための環境がいよいよ整ってきたなというふうな思いであります。

 そうした中で、大きな出来事といえば、やっぱり5月に開催されたG7広島サミットであります。本市はこれまで多くの方々に広島に来てもらって、「ヒロシマの心」なるものを共有してもらうために「迎える平和」という言い方で取組をしてきましたけれども、世界の主要な国々の首脳がこの広島に結集して、核兵器のない世界の実現を目指すというメッセージを世界に向けて発信されたことで、こうした取組の一里塚になったなというふうに思っています。

 また、広島の豊かな自然とか街並み、食文化など様々な魅力、これは世界に向けて発信されましたので、いわゆる広島が単なる被爆地ということではなくて、その後、復興してすばらしい都市になっているということを併せて発信できたということかと思いまして、事実、その後のインバウンドの大幅な増加があると。こういった成果につながっていると思っています。

 こうしたことから、2023年については、「広島を世界に誇れるまち」へというスローガンで取組を、まちづくりを進めてきましたけれども、これを大きく前進させることになった年ではないかなというふうに思っています。

 そして来年は2月に新サッカースタジアムの供用が開始されます。それとともに、広島駅周辺、この駅の南口の広場再整備、それから路面電車の駅前を走るルートの新設工事等が着実に進むというか、これを進めるということ。

 さらには、被爆80周年となります令和7年に向けて、できれば大阪・関西万博に来られるお客様方、この来客も含めて多くの方が広島に来られる。新しく生まれ変わった広島を見たいなと思えるような、ある意味で陸の玄関をつくるといいますか、そういう令和7年に向けてのいろいろな諸準備をする年にできたらなというふうに思います。

 また、広島がけん引役を担っております、広島広域都市圏。ここにおきましては、地域、交通事業者、関係自治体が一体となって、競争から協調へと舵を切り換えて、ヒト・モノが活発に循環し続けるための新たな公共交通体系の構築を進めたいと思っています。

 さらに、G7広島サミットで平和を希求する心が世界に広がったという、そういう局面がありますので、その機を捉えて、8月に開催することになります第2回の「ひろしま国際平和文化祭」、「ひろフェス」といいますけれども、これをはじめとして音楽・アート・スポーツ等々、平和を実感できる様々な機会を提供することで、市民お一人お一人が日常生活の中で平和について考えて、あるいは行動するというこの平和文化、これを本市にしっかりと根づくようにしていきたいと思います。加えて、地域課題の解決に向けた市民の皆さんの自発的な取組を支援するといったことを通じて、コミュニティの活性化にも力を入れていきたいと思います。

 このように来年は、本市のより一層の飛躍、これを確実なものとするために、市民の皆さんや事業者の方々、さらには、広島広域都市圏内の市町と一緒になって魅力のあるまちづくりといったことを加速していきたいとそういうふうに考えております。以上です。

 

その他の質問■

【パールハーバー国立記念公園との姉妹協定について】

記者

 パールハーバー国立(記念)公園との公園協定の件なんですけれども、市民の方たちの中には公園協定に異論をお持ちの方もいて、その中の一つの意見として、「平和(記念)公園のように自由に出入りできる、一般人が憩いの場として活用する公園と、軍事施設が含まれないとはいうものの軍事施設の中に囲まれていて、ビジターセンター以外の場所はボディーチェックを受けて行くような場所にある、あまりにも公園としての性質が違うのではないか。それなのに、公園協定を結ぶのはやっぱりおかしい、違和感があるんじゃないか」っていう意見と、もう一つ、私自身が感じたことなんですけれども、お互い犠牲者が出たことは共通しているし、式典などでも犠牲者の追悼をされたり、合奏をして悼む気持ちは変わらないと思ったんですが、今年のパールハーバーの記念式典を見ていてとても強く感じたのが、向こうは銃のパフォーマンスをしたり軍の飛行機が飛ぶパフォーマンスがあって、アキリーノ司令官という方は、教訓は「Remember Pearl Harbor」だと。「常にアメリカは警戒を解いてはならない。戦うために、戦いに勝つための準備をしなくちゃいけない。」というふうに結ばれたわけですね。犠牲があったからこそ、二度と戦争を起こしてはいけない、原子爆弾を使わせてはいけないっていう広島の(平和記念)公園の持っている方向性とか、市長も先ほどからおっしゃっている、未来に対する志向性と、この戦ってこういう目に遭ったんだから負けちゃいけない、勝たなきゃいけないっていう、このパールハーバー(国立記念公園)の持っている志向性が犠牲があったということは同じでも、向かっていく方向が真逆じゃないかと思って、やっぱり私自身も違和感を感じたんですけれども、この点についてはどういうふうにお考えでしょうか。

 

市長

 今、言われている言葉使いも気になるんですけれども、言われた方とパールハーバーは人ですか。物ですよね。パールハーバーがしゃべっているわけじゃないでしょ。パールハーバーで開戦記念というか、12月8(現地7)日(※)に真珠湾攻撃を受けて、そのことを記念した式典を開いて、そして、そこで今の軍人、アメリカの軍人ですよ。その方々が言っている言葉がパールハーバーの公園が言っていることと同じような印象を持たれているように聞こえるんです。パールハーバーという人間はおりませんもんね。でしょ。

 私は、その開戦と終戦に関わるような両地を捉えて、そこでお互い仲良くしていきましょうという方々は現におるという、その方々と一生懸命に対話しているつもりなんです。別に軍人とやりましょうと握手したわけではないんです。そういったことを今なおね、戦うぞという方々をいわゆる国家ですから、国家の代理人として言っているわけです。そういう方々の考え方を協調的に和解と平和に導くために、アメリカの地で市民社会のレベルでヒロシマの心を理解していただいている方々と一緒になって、考え方を変えていくというための手続きとして、姉妹協定を結んでいるつもりなんです。

 どこからそういうアクセス、今言われたようなことになったときに、そういうことを聞かない方々に対して、こちらで抗議して言うことを聞けという電報を打てばいいんでしょうか。それを変えていくために、アメリカの市民の方々の中で理解を深めた方と一緒になって、あなたの国の方々の考え方も変えていこうじゃないですかと、そして若い世代、両方が同じようにヒロシマの心を持ってもらうために、こういったことを契機に交流していきましょうと申し上げているんです。そういう気持ちを変える、世論を変えていくということをやりましょうと申し上げているんです。そこを分かっていただきたいんですけど。

(※)「20日」と発言していますが、正しくは「8(現地7)日」の誤りです。

 

記者

 じゃあ、市長は、これから、やがて未来にパールハーバーの式典でも戦争をやめましょうというような…。

 

市長

 軍人ですから、すぐにいくかどうか分かりませんけれども、少なくとも、いいですか。自分たちの国を守るということは、軍人の性格ですから、むしろ自分たち軍人であるけれども、戦わずして、戦争しないようにするための外交努力を積み重ねる、そのために、最小限軍事ありますよぐらいのものにしていくという、そういうものになっていけばいいと思います。自分が率先して戦って相手をやっつけるという軍備じゃなくて、何かあったときの守りだというぐらいのものにしていただくということは言えるんじゃないかと思うんですけれど、どうでしょう。大体、自分の一族、子供たちを軍人にして、みんなどんどん死んでくれという国民はいないと思うんです。行くけれども、死なないでくれと、平和になってくれというのが普通だと思うんです、どうでしょうか。だから、そういった素直な気持ちを持っているような状況を市民社会の中につくっていくという努力を今からでもやろうと、それを平和文化を市民社会に根付かせて、その市民、両方の国の市民がそれぞれの国のそういう戦わなきゃいかんとか、言っている主張を和らげるというか、変えていくということを一緒にやりましょうと、そのための手段として、公園というレベルで協定して、行き来をする動機付けをしましょうということをやっているということを分かっていただきたいんです。以上です。

 

※(  )は注釈を加えたものです。

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