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ページ番号:0000013112更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2017年12月14日記者会見「ノーベル平和賞授賞式への出席等に係るノルウェー出張について(帰国報告)」

動画は下記からご覧ください。

(「広島市動画チャンネル(市長記者会見)」のページへジャンプします)<外部リンク>

市からの発表案件

【ノーベル平和賞授賞式への出席等に係るノルウェー出張について(帰国報告)】

<会見録>

市からの発表案件

ノーベル平和賞授賞式への出席等に係るノルウェー出張について(帰国報告)

市長

 この度、ノーベル平和賞授賞式への出席等を目的としまして、12月8日から12月12日までの5日間の日程で、ノルウェー・オスロ市を訪問しました。

 そこでのポイントについてお話ししますので、詳しくは、配付資料を後ほど御覧いただければと思います。

 授賞式は12月10日、私や田上長崎市長を含めまして、招待された約1,000人が参列し、厳粛に執り行われました。各国から集まったICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の主要メンバーや被爆者、核兵器禁止条約の推進国の政府代表たちが見守る中で、フィン事務局長は、核兵器を世の中に定着したものとして受け入れることは異常として、今まで核戦争が回避できたのは、単に運が良かったからに過ぎないのではないかと指摘しました。その上で、「核兵器は私たちを決して安全にはしない」と核抑止に頼る安全保障を否定し、人類の終わりではなくて、核兵器の終わりを選択するように求めました。そして、これは決して理想主義的な考えではなくて、極めて理性的な選択であるとして、全ての国が核兵器禁止条約に参加すべきだと訴えました。

 また、被爆者として登壇したサーロー節子氏は、広島・長崎の原爆によって、多くの方が非業の死を遂げたのと同じように、核兵器の生産と実験による多くの被害者が出ていることを指摘しまして、核兵器は決して必要悪ではなくて絶対悪だと訴えました。被爆時にがれきの下敷きになりながらも、暗闇の中で光を求めて動き続け、そして、生き残った体験に重ねまして、核兵器廃絶についても、諦めずに、理想という光に向かって動き続け、前進して、核の闇から抜け出そうと、核兵器禁止条約を核兵器の終わりの始まりにしようと力強く呼び掛けました。こういった演説ですので、途中、何度も大きな拍手が沸き起こり、終了後は会場の全員が総立ちになって、受賞者に敬意を表するという場面がありました。

 今回の授賞式は、核兵器のない世界の実現というものが、平和な世界の実現に欠かせないものであるということを世界の人々に訴え、それに向けての協働を呼び掛ける絶好の機会になったのではないかと考えています。

 あと、授賞式の前後に、核兵器禁止条約交渉会議の議長及び同会議を主導した国の外務大臣や大使とお会いして、意見交換の場を持つことができました。誰一人として、今回の受賞後の核兵器廃絶に向けた展開を楽観視するという方はいらっしゃらなくて、問題解決に向けた第一歩を踏み出したが、今後の展望ははっきりしていないという現状を冷静に分析されていました。

 私からは、核保有国と非(核)保有国の為政者が、対立の立場ではなくて、平和な未来の追求という同じ目標に向けて今何を成すべきかを考え、対話することが大事であるということ、平和首長会議としては、そうした為政者のリーダーシップを促すような市民社会の機運醸成を図って、環境づくりをしていきたいという思いを伝えました。その推進力拡大のために、各国内における加盟都市拡大に対する協力を依頼しました。お会いした方々から、国家という枠組みを超えて市民社会が取り組んでいく意義について力強い賛同をいただきまして、今後の取組に支援をいただけると感じました。

 授賞式の前日には、田上市長と共にノーベル平和センターを内覧させてもらいました。そこで被爆の実相を守り・広めるにふさわしい取組・展示になっていることを拝見して非常に感心しました。広島・長崎で原爆の犠牲になられた方々の遺品は、今後一年間ノーベル平和センターで公開されることになっておりますので、ここを訪れる人に対し、核兵器の非人道性を静かに、しかし力強いメッセージ性を持って訴えることになるはずであり、そういう意味で非常に意義深いものと感じました。

 また、歴代のノーベル平和賞受賞者を紹介するコーナーが設けられており、そこでは、「平和」に関連して様々なテーマがあることを再認識できますとともに、核兵器の非人道性に対する認識を広げ、法的に禁止する取組が評価されて受賞したのは、今回のICANが初めてであることも分かりました。

 訪問者がまず過去の事実を正確に捉え、次に平和についてじっくり考え、最後にそれを語り合えるようなスペースづくりになっている展示構成に関しては、被爆の実相を広める取組を考えていく上で非常に参考になるものでした。

 また、授賞式の前日に、田上市長と共に、グリーン・レガシー・ヒロシマの協力のもとで、オスロ大学の植物園で(4種の)被爆樹木の種の贈呈式を行いました。この贈呈式の行われた建物のちょうど前に、大きく育っている三本の木がありましたが、これらの木は、1945年の第二次世界大戦終了を記念して植えられたものであるとの説明を受けました。同植物園が70年以上にわたり平和の思いを伝える木を育ててきていること、また、被爆樹木の種を育てながら平和教育に活かしていこうという構想があるという説明を伺ったことから、今回贈呈した種もノルウェーの地に根付き、平和のシンボルとして大切に育てていただけるものと確信いたしました。今後、多くの人が訪れ、平和への思いが広く、そして長く共有されることを願っています。

 その他、授賞式の直前に訪れたセーブ・ザ・チルドレン平和賞パーティーというものがありまして、これは12歳の子供たちが主体的に企画・運営し、約200人の子供たちが、聴衆として集まった、受賞者を祝う会という仕立てになっておりました。フィン事務局長に子供代表がインタビューするコーナーを設けるなどして、子供たちが主役であることを自覚できるような運営の工夫がなされておりました。本市での今後の被爆の実相を伝えるための平和教育の好事例になるのではないかという思いでした。

 また、授賞式の翌日には、改めてオスロ大学のストールン学長とお会いし、被爆者のメッセージや被爆の実相を学術的に教える「広島・長崎講座」の開講を依頼したところ、学事担当の教授の方も同席いただいた上で、具体的な手続きに至る質問に及んだことから、前向きに検討がいただけるものと感じました。

 これらの取組は、2020年までの平和首長会議行動計画で重点取組に定めたもので、次代の平和活動を担う青少年の育成というものに合致するものであり、平和首長会議として、今後一層強化していくべき取組であると考えています。

 授賞式の直前に朝食を共にしたオスロ市の市長や授賞式当日のトーチライトパレード終了後に会食した、平和首長会議の役員都市であるフロン市(ノルウェー)、ビオグラード・ナ・モル市(クロアチア)、マンチェスター市(英国)の市長や担当幹部との意見交換を行いました。そこでは、平和首長会議加盟都市としての連携についての認識の共有を図ることできました。平和首長会議は、加盟都市が、世界恒久平和に向けて、「核兵器のない世界」というものと同時に、環境問題などの解決に取り組む、「安全で活力のある都市」というもの、この二つの実現に向けて連帯して、市民社会の大きな潮流を作っていくことを確認し合うことができました。

 今回の出張を通して実感したことと言いますと、核兵器廃絶は、やはり一朝一夕に成し遂げられるものではなくて、核軍縮についても進展が期待しにくい現下の状況があるわけですが、ICANの国際的な運動によって、核兵器を明確に違法とする条約が制定されたということは、このノーベル平和賞授賞式という式典の開催を通じて、広く世界に周知されたのではないかと思うわけです。そして、授賞式後にオスロ市の中心部で多くの人々が同じ志を持つ同士として“Yes、I can.”と口々に声をあげながら、パレードする場面を見ることができました。このことで多くの人が核兵器廃絶の取組を進めていくための勇気と活力を得られたのではないかという感じもしています。

 ですが、パレードに集まったのは現実的には世界の全体の人口からすれば、ごく一部の人です。また、今回の授賞式について、全く情報が流されていない国があるとか、地域も多くあることを知り、核兵器廃絶に繋がる問題意識、これはまだまだ共有されていない人々も多くいるのではないかということも同時に感じているところです。

 また、ノーベル平和賞フォーラムというものがあり、そこで25年前に先住民族の人権保護の活動でノーベル平和賞を受賞したメンチュウ博士という方の講演をお聴きすることもあり、そこでは平和に関連する様々なテーマというのがあるわけですが、どれも一つ一つ大切でありながら、いずれも難問を抱えつつ道半ばにあるという思いも同時に抱いたところです。

 核保有国がこぞって欠席するという状況の中で開催された今回の授賞式は、核兵器に対する誤った認識が、その廃絶の必要性を矮小化し、単なる理想主義として軽視されかねない状況にあることを浮き彫りにするという側面はあるのですが、それを乗り越えて、改めて、世界中の市民社会が被爆の実相と核兵器の非人道性を十分に認識して、核保有国の為政者が核抑止という幻想から脱却し、核兵器廃絶の実現に向けて第一歩を踏み出すことの重要性を改めて痛感したところです。

 そのために平和首長会議の加盟都市を増やし、市民社会の連帯を広げていくこと、これによって国家間にある様々なギャップを埋めていく、そして世界が核軍縮・不拡散から更に進んで、核兵器禁止へと着実に事を進め、最後の核兵器廃絶に向けた取組を確実に前進させていくこと、そのための環境づくりをしていこうという思いを一層強くしている現在の状況です。以上です。

記者

 世界が注目する舞台になったわけですが、ここに広島市長、長崎市長、そして被爆者がその場にいたことの意義について、市長は実際に出席されてどのように感じられたでしょうか。

市長

 第三者的というか、外から見た目は自分では分からないのですが、実際にICANの方々が受賞したその場に、広島・長崎から行った20~30人の被爆者の方が来ていまして、サイドイベントとか会合と会合の間に一緒にお話をするという機会が随分ありまして、被爆者の方からすると、今までの自分たちの核廃絶に向けた思いが、ある意味で公式に、しかも世界レベルで認知されたという喜びで溢れていたという思いです。

 だから、物事が完了したというわけではないですが、今までの頑張りが認められて、もう1回、さっき申し上げたように頑張っていこうという気持ちに溢れているという、そういう場面に、被爆を受けた都市の首長として、広島・長崎の両市長が同じ場にいて、その思いを一緒に確認できるという思いを共有できるという場面が多々あったのが、非常に私にとってはありがたかったです。

 国際情勢とか色々、国家間の問題はあるのですが、でも純粋に、こういった核爆弾投下による悲惨な状況を本当になくしてほしいという思いを、改めてこの広島・長崎の市長として、しっかり多くの方に共有してもらうことの素晴らしさというか、本当にこんなに喜んで頑張ろうと思っていただけるのなら、もっと頑張らないといけないなと、そんな思いを抱かせていただける絶好の機会だったかなという思いです。

記者

 日本国の駐ノルウェー大使の田内様とは、何かしら接触があった場面があるのか、何か言葉を交わすような機会があったのか。あったとすれば、唯一の戦争被爆国を代表して、ノルウェーという地にいる方と、先ほどの質問にお答えになった「(被爆者の)思いを共有する」というような実感を持てたかどうか。その点についてお聞かせください。

市長

 授賞式の会場に行く前の控えの間みたいなところがありまして、そこで大使の方からお声掛けしてこられて、元々広島勤務の経験があって、それを退官して、法務省の検事関係ですが、それで大使になったということでした。

 広島の思いに関しては、それ以前にも個人的には知っておられたので、(私から)「被爆者と同じ立場で思いを持ってきました」と言いましたら、ニコニコして「そうですね、広島の市長ですからね」というようなことは言っていただきました。それ以上は、大使の立場としては言えないのかなという(感じがしました)。また、「これが家内ですから」と言って、奥様を紹介されるという局面がありました。大使も今の日本国政府の立場を踏まえながら、前の広島勤務時代にちょっと仲良くしていたものですから、こっちの思いも分かった上で向こうからお声掛けして来られたということでした。深く掘り下げるようなことはしておりません。今まで可能な限り、今ここで述べたようなことをいろいろなところで言っていますので、大使にもそういった話は伝わっているはずです。

記者

 お帰りになったばかりでこれからのことかとは思いますが、このノーベル賞の今回の受賞関連についての動きを原爆資料館の展示に反映させるといったお考えはあるのでしょうか。

市長

 ノーベル平和賞を受けたという事実についての紹介ですね。それは当然やることになると思います。ただ、御存じのようにノーベル平和賞を受けたのはICANですから、ICANが受けた背景とか活躍ぶりとかを事実として記述しながら、それを、この被爆地広島としてどういうふうに受け止めるかとか、そういったことがきちんと伝わるような資料はいるのではないかなと思っています。

記者

 ノルウェーで平和首長会議のメンバーとも会われたり、外務大臣や大使の方にも会われたと思うのですけれども、市長の発言の中で、今後、加盟都市を増やして溝を埋めていくというようなところを探りたいというようなことをおっしゃっていましたけれど、意見交換した中で「こういう方策がある」、「こういうことをやったらどうだろうか」のような、そういう具体的な話などが、もしあれば教えていただけたらと思います。

市長

 個別具体的にどうしようという話は無かったというのが正直なところです。ただ、ここでも述べましたように、今の世界情勢、そしてICANがノーベル平和賞を受賞したという、その事実をある意味で的確に皆さん捉えておられるなということ、それがベースです。その上で核兵器廃絶へ向けての動きを着実なものにしていくための核兵器禁止条約というものができている。これをどういった形で、いわゆる発効させていくかということと同時に、今あるNPT(核拡散防止条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)、こういった現実的な対応だといっている取組も進めなければならない。だから、この条約ができたことで、先ほど申し上げたように、取組が後退するようなことにしないためのいわゆる国ベースの取組というのは、多分、作戦論もありましょうし、今までよりも、より複雑ないろいろな国連等を通じての取引があるのではないかということを思わせる話しぶりだった、というふうに私は思います。

 そういった中で、だからこそ私は、国という立場ではなくて一都市の首長という立場で来ていますので、そういった為政者が物事をいろいろ判断する上で、多分、その為政者は市民の思いを受け止めて、自分たちが統治しているエリアの安全を守る使命がありますから、そういった安全を守る使命を帯びた方が一番注目しなければいけない市民社会の体制について「核兵器のない、核抑止力に頼らないという状況をつくるということに、自分は一生懸命やりたいと思っています。そういう意味では方向は一緒なんだ。」と言うと、そこのところは向こうも大体、皆さん、ニコッとして「頑張ってくれ」と、「そういう取組は大いに賛成だ」と(言ってくれました)。だからある意味では、役割分担をしっかりと認識した上で、都市の取組についての支援をしましょうという雰囲気でありましたし、個別具体的には、それをやるためには加盟都市が今7,500(都市)ですけども、これを2020年には10,000都市ぐらいにしたいのですよと具体的数値を言えば、それは「大いに賛成で、できる限りの支援をしましょう」というようなことを異口同音に言っていただいたということです。

 ですから、この広島・長崎という都市レベルでできることは市民社会の中での核廃絶という思いを、そして核抑止力というものの考え方をとらないような政治にしてくれという思いが多数派になるようにするということが、遠いようですけども一番確実な道だという思いもあるのではないかと思います。だから、それをやり続けるということかなと思っています。

記者

 今回、ICANのノーベル平和賞授賞式に出席されて、核兵器禁止条約を推進していこうという思いをたくさんの方と共有できたと思うのですが、その一方で日本政府は署名も批准もしないと言っていますが、改めてその点をどう思われるのかというのと、市民社会の立場からこの日本政府への働き(掛け)を今後どうしていけばよいと思われますか。

市長

 日本人ですし、ここは日本だから日本政府の対応というのはすごく気になりますが、そこでオスロ市長と話していると、オスロ市とノルウェーという国の対応もずれているという話になりまして、今、ノルウェーという国はNATO(北大西洋条約機構)に加盟しているので、核兵器禁止条約に反対なので賛成できないと言うのです。

 これは間接的な話で恐縮ですが、ノルウェーの今の首相とフィン事務局長の話し合いをした中で、「自分たちは核兵器禁止条約を支持しているが、どうして首相はできないか」と言うと、その首相の方は明確にNATOという軍事勢力を抱えて、それを維持しなくてはいけない立場であるので、あなた方の対応というのは理解できるのだけど、自分たちとしてはそれが選択できないのだという説明を明確にしたのだそうです。

 そして、そういったことを言う首相をどう思うかということでノルウェーのオスロ市民に確認すると今のノルウェーをコントロールしている政権政党はあまり好きではないが、今度のノルウェー首相は皆、好きだと。なぜかということ、なぜこういう態度を取らなくてはいけないのかということを国民に明確に説明するからと。

 だから、現実と理想のはざまの中で、なぜこういう対応しているかということをしっかり言うという首相は国民からの納得度が高いということを教えていただきました。これは同じようなことが日本政府でもあてはまるのではと思います。広島の現実を抱え、そしてこういった思いを持っている国民がいると。そういった中でこういった対応をしなくてはいけないのは、なぜか、そういったところをもう少し市民に分かるようにすると。

 そうした中で現実を着実に理想に向けた状況にしていくというその努力を忘れずやり続けるということをお願いしたいと思っています。だからこれは、今度の122の国が核兵器禁止条約に賛同したという中でそれに賛同しきれなかった国の状況に関しては類似のことがあると思うのでそういったことが、賛同できなかった国の1国1国ではなく市民社会が一緒になってそういった国に属する市民社会の中で、先ほども言っていますが、核抑止力というのは本当に効いて今まで核戦争がなかったのでしょうかと。たまたま使うことがなかったからということであって、もし本当に間違えて使っているとすれば大変なことになり広島の何千倍もの破壊力があり、使った方の国にも安全を守るべき国民の命を危険にさらすことも大いにあり得る話です。そういう意味では核兵器というものは本当に武器でありえるかということをもっともっと、市民社会ベースで分かってもらってその理解の上に為政者が出てくるような環境をつくらなくてはいけないという思いです。時間が掛かりますがその方が正に平和を求める広島の物事の運び方ではないかと思います。

記者

 先ほどの質問に少し関連するのですが、日本政府の今回の授賞式に関しての対応についてなのですが、河野外務大臣が、「両市長と被爆者の方々が出席されたことは、核なき世界を目指した取組が認められた非常に意義深いことだ」と言われたと同時に、今の話の禁止条約に関しては、「日本政府とはアプローチの仕方が違う」と。「ただ、目指す核廃絶というゴールは一緒なのだ」と。現実的な日本を取り巻く北朝鮮などの安全保障上の脅威に対応しながら、地道な核軍縮を目指すという方針を改めて示されたのですが、そのお話に関しては、どのように受け止められましたでしょうか。

市長

 今申し上げた説明ということを少し、河野外務大臣にしていただきたいという気持ちです。だから、アプローチが違うという、「なぜ」、「Why」です。なぜアプローチを違えているのかということを少し言ってもらいたいと思います。実際、核兵器廃絶は日本国の目標でもあります。もちろん、広島の目標です。だから、目標に向けてのルートが違うという言い方で、決して廃絶を拒否することはない、むしろ、やりたいと言ってもらうわけです。

 そして、もう一つは、核兵器を持っている国、持っていない国というのが立場上、今、対立構造にあるという事実を捉えて橋渡しをしようと心得ているのですから、そもそも橋渡しをするというその思いが結実して、今の状況があると。それが、我々から見て、橋渡しはどうですかねという疑問を呈しているわけですから、確実に自分たちとして、こういうふうに橋渡しをしていこうとしているのだと。これこそ核兵器廃絶に向けて、こういう段取りでやるのだからということをもう少ししっかり言ってもらって、それを市民社会が検証するという対話ができればどうでしょう。大分違うと思います。そこだと思います。だから、それを「いやいや、方法論が違うので、あっちがマルでこっちがバツであるとか、あっちがバツでこっちがマル」という議論ではなくて、何とかできないかという思いです。

※( )は注釈を加えたものです。

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ノーベル平和賞授賞式への出席等に係るノルウェー出張について(帰国報告)(643KB)(PDF文書)

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