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2017年10月04日記者会見「オバマ財団サミットへの職員派遣について外3件」
動画は下記からご覧ください。
(「広島市動画チャンネル(市長記者会見)」のページへジャンプします)<外部リンク>
市からの発表案件
【オバマ財団サミットへの職員派遣について】
市政記者クラブからの代表質問
- 【米国での原爆展の開催について】
- 【ローマ法王の広島訪問について】
- 【衆議院解散について】
<会見録>
市からの発表案件
オバマ財団サミットへの職員派遣について
市長
それでは、オバマ財団サミットへの職員派遣についてということで、お手元の資料を御覧ください。この度、米国シカゴ市で開催されますオバマ財団サミットへ広島平和文化センターの職員1名を平和首長会議として派遣することになりました。
このサミットは、若者のリーダーや市民が地域社会をより良い方向に変革していけるように支援する目的で設立されましたオバマ財団が主催するものでして、10月31日、そして11月1日、この2日間、開催される予定です。そして、この催しには、オバマ夫妻が参加される予定と聞いています。米国を始め、世界の若い市民リーダーが一堂に会して、21世紀の活動的な市民は、どうあるべきかといったことについての意見交換を行い、そして共通課題に対する解決策を考えることなどによりまして、国を越えた若いリーダーの人的なネットワークを構築するということを目的にしていると聞いています。
この派遣に至る経緯としましては、昨年の12月に私からオバマ前大統領宛に(広島)平和文化センターとオバマ財団との連携に配意していただきたい旨の書簡を届けまして、今年(平成29年)の3月には、米国に出張した同センターの小溝理事長がオバマ財団関係者と面会しまして、その際に、今後の連携について協議を続けていくということを確認しました。その後、「青少年『平和と交流』支援事業」などの平和首長会議で実施している取組等について情報交換をしてきている中で、このサミットの参加への案内がありまして、両財団の連携を深める契機になるのではないかということを考えまして、今回、職員を派遣することにしたものです。
両財団は、共に、次の時代を担う青少年の育成を重要な取組と位置付けていまして、このことは、本市としても世界恒久平和の実現に向けての推進体制作りとして大きな意味を持つのではないかという認識を持っています。このため、両財団の今後の連携に向けて、引き続いて意見交換を行いながら、将来、共同で行える取組についても協議していければと考えています。
以上が、今回の職員派遣の概要です。
記者
これは平和安全保障についてというテーマではなくて、もう少し広い意味での意見交換なのかというところと、これで広島から派遣される方が、このサミットの中で、どのような活動をされるのかという二点をお願いします。
市長
テーマとすれば、いろいろな意味で平和構築ということを頭に置きながら、次の世代がどういった取組をやっていくのだろうかということでして、いわば、現下の様々な政治問題等について、直接のやり取りをするというものではないという思いです。そういうものを排除するわけではありませんが、次世代に向けて、どういった展開をするかということだと思います。
そして、派遣する職員がどういった役割を演じるかということに関しましては、まず、1名がこの2日間ある会合に参加して、どんなやり取りがあるかということを、まず、よく勉強するということでして、今、特段のミッションを持って、どういう展開をするということまでは至っていません。むしろ、こういった人のやり取りを通じて、次世代についての取組をどういうふうにしてやるかということについて、共通の目標を持っているということを向こうでも確認していただいて、更なる協力関係を築くための第一歩だというぐらいの意味付けかなと思います。
市政記者クラブからの代表質問
米国での原爆展の開催について
記者
先月、平和記念資料館の館長がアメリカを訪れ、ロスアラモス歴史博物館やアリゾナ記念館等での原爆展開催について協議していますが、こういった場所で開催することの意義をどのようにお考えでしょうか。
市長
まず、アリゾナ記念館の方は、我が市の姉妹都市ホノルル市にありまして、実は私自身も記念館の設立50周年という節目の年、今から5年前になるのですが、その時に訪問しておりまして、アリゾナ記念館の中で献花をし、スピーチもさせていただくという機会がありました。
その時のスピーチの骨組みといいますか、主張したかったことは、スピーチの中で言ったのですが、第二次世界大戦、特に日米の戦争が始まった地域であるパールハーバーのその地において、戦争の終結というものを決定的にした、広島市の市民の代表という立場で、戦争の犠牲者となった方々、多くの方々に対する御冥福をお祈りするということをやると同時に、そこに留まることなく、過去の憎しみの連鎖というものを断ち切って、未来志向でお互いに考えると。そういう意味では、「和解ということが重要ではないでしょうか」と。そして、「一緒に平和な世界の実現を目指すということは大切ですね」ということを、言わせていただいたのです。その気持ちは今も変わっておりませんし、そういったことを言う意味のある場所だったと思っています。そして、アリゾナ記念館がそういう所であれば、もう一つはまた、ロスアラモスにある歴史博物館というのは、投下する原爆を開発した市でありまして、そして、そういう意味では、いろいろな意味合いを込めて、第二次世界大戦の象徴的な場所ということになるわけです。
ですから、そういった所で、原爆投下に至る準備あるいは、そういったことのきっかけが起こった所、そして結末を招いた地、そこの関係者が一堂に介しながら、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開くことを通じて、まず事実を確認した上で、過去の憎しみの連鎖を絶つ。改めて言いますけれど、未来志向、和解の考え方をやるということ、それが、開催箇所が多くなればなるほど、米国内でそういった考え方が受容されているというふうに受け止めていいのではないかなと思います。そして、その受け止められたということを、こういう形、報道機関で取り上げていただいて、いろいろな形で国内外にしっかり発信していただくということができれば、この発信の機会を通じて被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という、その願いも合わせて、広げていただくということ、それを通じて最終的に、国際的な世論、核兵器廃絶向けた国際的世論の醸成ということの一助になるのではないかと期待しているということです。そういう意味があると、意義があるのではないかと思っています。
ローマ法王の広島訪問について
記者
先月(9月)20日、ローマ法王庁のフェルナンド・フィローニ枢機卿が広島市を訪問されました。ローマ法王の来広について、「訪れる日が早く来ることを望む」と「広島の皆が待っていることを法王に直接伝えたい」と前向きな意向を示されました。法王の広島訪問実現に向けて市としてどのように取り組むお考えかお聞かせください。
市長
ローマ法王の存在といいますか、皆さん御承知かと思いますが、実はローマ法王は1981年に1回広島の地を訪れている事実があります。状況を少し説明しますと、その前年の1980年9月にイラン・イラク戦争が始まりました。11月にはレーガン米国大統領が選出されるといったような状況が1980年にありました。
そういった世界情勢の中でその翌年の1981年、ローマ法王がこの地(広島)を訪れ、その時にローマ法王は、自らの希望で我が市に「エールを送りたい」という気持ちで我が市を訪れたというふうに言っておられます。それをよく見て、今の状況をどうかと思うわけです。
核兵器禁止条約が採択され、発効が待たれるという状況がある中で、直近の状況を見てみますと、正に核抑止力というものに依拠して、威嚇の応酬が繰り返されていると。本当に大丈夫だろうかというふうなことを思う市民が多い、そういう状況にあります。
ですから、こうした中で改めて広島の心を大切にするというその必要性、重要性を世界的に影響力があるローマ法王に改めて発信してもらえるようであれば、現下の非常に厳しい国際情勢を乗り越えて、世界恒久平和の実現というものを希求する世界の多くの人々がいますので、そういった方の絆を強化するということにならないかと思います。そういう意義を込めてローマ法王に来ていただけないかと思っています。
そうした中で、今年1月にバチカン市国からポール・ギャラガー外務長官が、そして3月には、フランチェスコ・モンテリーズィ枢機卿が本市を訪問されました。その機会を捉えて、今言ったようなことがありますので、「ローマ法王に来ていただいて、どうでしょうか」ということを言っていましたところ、この度、「早く来ることを望む」と、「自分で直接伝える」と述べられました。その発言を今までのいろいろなお願いが少し浸透したという受止めとして、喜ばしいと同時に、もう一歩お願いを強めようと思っており、今度はローマ法王に直接、広島においでいただけないかということをお願いできないかということで、今ローマ法王庁と相談してはどうかと、手続きを取ろうと思っています。私から直接お願いできないかと思っています。そんな状況です。
記者
市長がおっしゃったローマ法王に直接訴えるというのは、市長がバチカンを訪問され、拝謁してお話しをするということですか。
市長
できればそういう機会を作ってもらえないかということで、事務的にお願いしようと思っています。
記者
同じ質問ですが、そういう機会は、私も手続きの内容をよく知らないのですが、どのような手続きを踏んで、いつ頃お会いできればよいかとお考えでしょうか。
市長
できれば、年内早いうちにと思いますが、向こうの日程もあり、こちらも担当者がいますので、事務的に向こうの外交窓口を通じて、法王庁の方に「いつが空いていますか」、「いつ会えますか」と話をします。私自身も年内のことを考えて、12月は議会がありますので、次の議会までの間に行ける時間帯があるかどうかということを頭に置きながら当たりたいと思っています。
記者
これは直接、お願いをしてよいというと、言い方がおかしいと思いますが、お願いすべきタイミングなのではないかと。
市長
そう受け止めたのは、先ほど申し上げたとおり、今年1月に外務長官が見えられました。3月には枢機卿が見えられ、それから、(フィローニ枢機卿が)9月にまた来られて。私とすれば、踏み込んだ話をしていただいたのではないかと思います。年内に3度も続けて来ていただいているので、こちらの方も本人が是非来てくださいと言えば、向こうも一定の準備をしていただいているのではないかと密かに期待しながら、日程調整してもらえないか言ってみようと思っています。
記者
以前に知事の方もお会いしていると思いますが、今回は市長が行かれるという。
市長
広島(市)として重ねてお願いすると。自分自身もいろいろ、受止めもあり、今申し上げたように意義ある広島訪問にしていただければということを、しっかりお伝えし、こういった国際情勢の中で、「ヒロシマの心」というものを多くの人に知らしめる支援といいますか、協力していただけないかということを言ってみたいと思います。
記者
追加ですが、1981年に法王が来られた時も同じように、当時の市長がバチカンを訪れて広島に来ることを要請したという流れはあるのでしょうか。
市長
調べる限りないです。先ほど申し上げたとおり、向こうの方から自ら行きたいと言ってきたというのが一点ありまして、前の事情を調べると1980年のイラン・イラク戦争があり、11月にはレーガン大統領が選ばれ、そんな中でその翌年に見えて、広島にエールを送りたいということを言われて、見えられたということです。人が違うかもしれませんが、ローマ法王庁自体が広島に対する一定の評価を持っておられるのだろうと、そこを今回、しっかりもう一度言っていただくということが重要ではないかと思います。
衆議院解散について
記者
先月28日に衆議院が解散しましたが、解散に当たって大義がないのではないか、また、北朝鮮情勢が緊迫する中、選挙を行うタイミングではないのではないかという意見もありますが、市長の受止めをお聞かせください。
市長
この件に関しての現時点での私の判断、受止めですが、もう既に衆議院は解散されました。そして、そういう意見があるから衆議院解散が無効という議論がありますが、事実解散されました。そして、投票に向けての選挙活動が動き始めています。ですから、この時点で、解散するということについて、どう思うかということは、様々評価もあろうかと思います。選挙となれば、そのような解散に至るいろいろな経緯についての評価もさることながら、今後の国政の在り方についての民意がどうなるかと、民意を問うべき大変重要な局面に来ていますので、これから選挙投票日までは、今言ったような評価ももちろん含めながら、むしろ重点を置くべきは、今後の国政の在り方について立候補する方々がどのような考えを持っているか、政党はどう思っているかということに重きを置いて、民意を問うべき重要な局面が来ているのではないかという認識です。
記者
市長は前回の市長選で自由民主党、公明党、民主党など推薦をもらって、再選を果たされたわけですが、今回衆議院選挙で、どこか特定の政党を応援したり、個人を応援したりということは考えていらっしゃいますか。
市長
応援は、今までの経過もありますので、自分の選挙を応援していただいた方を中心に、応援いただいた中で自分の市政についての評価をしていただいているわけですから、それを引き続き持っていただければ、市政を国政の場でいろいろ反映するためにも役立つだろうということで、応援いただいた方については、選挙の時のやり方で「為書き」がありますが、あれをお返しすることで支援するといいますか、そういう気持ちを表すことはしています。
記者
市長は平和宣言でも、核兵器禁止条約への参加を日本政府に求めたという経緯がありますが、今回の選挙で政府に求めることなどがあれば教えてください。核兵器禁止条約を巡ってといいますか、被爆地として政府に求めたいものを。
市長
政府に新しく我が国の国政についての在り方をどう考えるかといったときに、是非いろいろな意味でお願いしたいという項目は、内政、外交たくさんありますので、その中で、平和というのは、いろいろな意味で国政を決めていく上でベースですから、広島の思いである、この世から核抑止力を使ったいろいろなやり取りをやる、それ自体をなくすためにも核兵器を廃絶するという目標をしっかり持つという、そういう国家であり続けるということはベースとしてお願いしたいという気持ちは変わりません。ですから、そういったことを追求していただく、あるいは、それができるような国家体制にしてもらいたいということは変わりありません。だから、それはどなたに対しても申し上げますし、その上で、むしろそれをベースにしながら、もう一つ現実問題としてしっかりやっていかなければいけないのは、まちづくりであります。「地方創生」といいますか、地方がしっかりした元気を出せるようなものにするための取組を様々やってますから、地域振興がより可能になるような仕掛け、税制であれ、国のいろいろな許認可、規制といったものも、地方がしっかり取り組めるようなものにするという政策目標を掲げていただくことは、有り難いなと思っています。そういった方、そういうことをやっていただける議員、政党、それは応援できればと思っています。
記者
核兵器禁止条約についても、引き続き同じような。
市長
これは変わりません。核兵器禁止条約は先ほど申し上げましたが、出来上がったといいますか、その採択された条約が実効性を保つためには、核兵器を持った国がここに入らないと意味がないのです。ですから、今出来上がっている、採択された条約を作るまでに、ホワイト議長などを通じて思いの丈を言った中で、特に「オープンエンドな条約にしておいてください」ということを申し上げたのです。つまり、核兵器を持っている国がまだ入っていないけれども、閉め出さない、どこかの段階で入ろうと思えば入れるような条約にしておいていただかないと、「この条約を作ったから、自分たちは核兵器禁止という考え方をする方と決定的に対立したのだ」という言われ方をされないようなものしていただきたいということを言った中で、今出来上がっていると思います。ですから、まず、核兵器を持っている国が入るようにすること、それと同時に、核兵器を持っている国の傘の下にある国々も一緒になって入るという状況を全体として作り上げていただいて、当然、核兵器の傘の下にある国として日本も入っていますから、トータルでこの核兵器禁止条約というものを咀嚼して、「核兵器のない世界」に向けた動きを一層強めていただくことは、終始一貫して申し上げたいと思います。
記者
あと一点お伺いしたいのですが、先日、東京都の小池(百合子)知事と大阪府の松井(一郎)知事と愛知県の大村(秀章)知事が、国内総生産で半分に匹敵する都府県で日本を牽引するという発言で、「三都物語」という構想を発表されましたが、これについて市長はどういうふうな受止めといいますか、感想をお持ちになったかお伺いできますか。
市長
今、国政を見ていくときに、中央集権的な行政展開、その行政の前提となる政治展開、これには限界があるのではないかということを多くの方が感じているのではないかと思うのです。その中で、むしろこれからは「地方創生」という言葉に象徴されるように、地方が頑張るという仕掛けを作っていく。もちろんそれが大前提で、そしてそれが、やる意欲のある自治体がないと、いかに言ってもできないからということになります。そうすると、そういった状況の中で、今言った流れをきちんと認識した上で、そういう方向性をしっかり持ちたいということで、三都の首長さんがそういう方向を出されるということ自身は、ある意味で方向性としては間違ってないのではないかと思うわけです。そういう中では、私としてどう考えるかということになりますが、県という自治体は、自分の認識ですと、国というシステムの中で基礎自治体、複数の基礎自治体を取りまとめる、いわゆる広域的な立場です。ですから、一定のエリアの中で様々な行政を直接展開するという部門はなく、基礎自治体がやる仕事を調整する、そして全体としてリードしていくという役割を持っているのが今の県行政なのです。ですから、問題はそういった県レベルでのそういう方向性を、その県内にある各自治体の首長さん方がしっかりと認識して、県と市町が一体となって取り組むという状況設定をされない限り、県が言ったからといって物事が進む状況にはないのではないかという思いがあるのですが。ただ三都が一緒になるということは、それぞれの3都市の支えになる基礎自治体との関係をしっかり構築するということをやらずして、うまくいかないと思っていますから、よく見ていただいて、その表明された各都道府県レベルの基礎自治体とそこはどういう関係になるかを見ていただくと実効性が問われる、実効が上がるのかどうかという評価になっています。その点、私自身は、政令指定都市ということで県と同格の権限を一部いただきながら、しかし広島県との連携というものを重視してやってきているつもりでありますので、「三都物語」という枠組みを作らなくても、今の中四国のこういった地域活性化ということをやるための一応準備はしてきているつもりです。県との連携、あるいは県境を越えた近隣の市町との連携体制を作り上げてきているつもりですので、スローガンを出すこともなく、実務面での「地方創生」の取組はやってきているという自負というか、そういう思いはあります。
その他の質問
被爆者の佐伯敏子さんが亡くなられたことについて
記者
被爆者の佐伯敏子さんが、(10月)3日未明に亡くなられたという報道がありましたが、まず、それを市長が御存じかということと、御存じであれば、佐伯さんは長年、原爆供養塔の草むしりや、近辺の清掃活動なども携わられてきた方ですが、何かその件に関してコメントがあれば、市長のお言葉を頂きたいと思います。
市長
亡くなられたというのは、今、ちょっと聞きました。すみません。報告というか情報は入手していませんでした。
さりながら、そういったことがあるのでしたら、被爆体験をしながら自ら思いを日々の活動の中で具現していただいている方、していただいた方を、大切にしなくてはいけないと思います。御冥福をお祈りするとともに、今までそういった行いについて、やっていただいたことについて、感謝申し上げたいと思います。事実はもう一度担当の方から聞いて確認します。
記者
ありがとうございます。それに関連して、被爆者の方が年々年老いていかれて、亡くなられる中、全般的な話で、被爆者御存命のうちにと、市長は常々おっしゃられていますが、改めて、被爆者全体のことに対して、お言葉を頂ければと思います。
市長
1年1年、人間は年を取る、こういう事実は変えられません。実際、原爆投下から72年経つとその当時おられた方々の平均年齢を見ると、80~81(歳)という形で高齢化されていますから、限りある寿命ということを考えれば、その当時の自らが体験した悲惨な状況、それを踏まえて、自分のみならず人類全体の問題として、命を大切にすること、それを貫くための一つの有力な手段というか、有るべき姿として核兵器のない世界を、是非、創ってもらいたいという気持ちを発信し続けられている方々ですから、その思いが実現する世界を、少しでも早く創りたい。そうすることが、その方々の思いを昇華するだけではなく全世界にとって必ず、間違いなく恒久平和につながる対応だということは誰が考えても当たり前というか、間違ってないわけですから、それをやりたいという気持ちは変わりません。ただ問題は、皆さんもお分かりのように、そういった希望がある、多くの理性の発露としていることは望ましいということを分かっていても、現実の経済社会の仕掛けを見ると、世界全体としてそこに至ってないこの状況をいかに打破するか、それを乗り越えるかということは、常に我々、あるいは、もしかしたら、次の世代に問われる大きな課題ですから、この思いを絶やすことなく様々な形で、まずは伝承して、必ずや「核(兵器)のない恒久平和を目指す」というこの取組を人類全体の課題として絶やすことのないようにすることを、今しっかりさせていただくということで、思いが半ばで大変だと思われている方への、報いといいますか、お答えにするということを、今までもやってきているつもりだと思いますが、それ以上にしっかりやっていくということは求められている局面ではないかと思います。
バスの均一運賃エリア新設について
記者
市内のバスの話なのですが、広島電鉄さんや、広島交通さんや、広島バスさん、路面電車の値上げという、一つ、発端になってはいるのですが、市内中心部のバスの値段を180円の均一区間を設けるという話でして。これは市としては、市の(地域)公共交通網の形成計画を作って、その後、それを元にして各業者がこういう均一区間というものを考えてきているという、そういう経緯だと思いますが。今後、その(地域公共交通)再編実施計画も市として作っていく中で、今の180円均一区間という設定ですとか、今後の地域の公共交通網の在り方について、市長としてひと言コメントを頂きたいと思います。
市長
今回のバス路線の運賃設定ですが、これは根源というか、もう少しベーシックなまちの方向性を申し上げますと、広域都市圏を設定して、この中でヒト・モノ・カネの循環ということをやることで、その地域の活性化をするという、その言葉に全て含まれているのです。循環ということをやるためには、人の移動ということもいりましょう。いるためには、移動するための道路施設とか、橋とか、ハード面での整備がいる。整備するだけではなくて、既存の整備されたものをいかに有効活用していくかという、次のソフト面がいると。そうした中で移動手段の大きなツールとして、自分で車を運転するということ以外に、公共交通というものもありましょうと。
そうすると、今までの公共交通の体系というのは、それぞれ民間の複数の業者が競い合いながらサービス提供して、そしてその中で最低限のルールを作りながら、競争等で赤字が出るところを補填しながら、引き続き、業者競争させるという体系がずっとあるわけですが、これをこのエリアの中でもう少し組み変えることはできないでしょうかと。つまり、高度成長でいくわけではないですから、利用者も減るかも分からない。そうすると、業者間の競争ということを前提に公共交通システムを維持するということそのものに限界があるのであれば、もう少しトータルな人口減の中で公共交通が生き残るために何がいるか。と同時に、利用者にとって、次なる姿がいいものでなければ長続きしない。
この2面から考えたときに、距離で料金を出すよりかは一定のエリア、ゾーン設定して、その中であれば自由に乗り降りする。そしてその中で、いろんな業者が競争するのではなくて、調整して、全体需要をうまく見ながら、バスの配置や運営形態を調整する。そして、その分の余剰の資力があれば、公共交通が薄くなるエリアに展開して、そちらをカバーすると。そしてその中で、足らざる部分を行政が支援するという、大きな組み変えがあった方がいいのではないかという議論をし、それを学者や利用者代表、バス業者などで議論していただきながら、「バス活性化基本計画」というものを作り上げました。そして、それを踏まえて、個別にバス路線も形成する計画に入りましょうという中で、できるところからということで、市内のデルタ部を中心に提案していただき、そして、距離で格差もあったのを一定程度にしていただく。こんなところまできたと思います。
ですから、今回の取組というのは、この広いエリアの中で循環型の経済を作るという目標に向けて、それを一つ具現化していただくための第一歩が始まったという受止めです。これからもっと広げて、このエリア内部ではどんな(公共)交通機関を使っても同じ料金だと。そのゾーンを越えると値段が違うとか、例えば、何回乗り降りしても一定の時間内であれば、同じ料金で行けるとか。これはヨーロッパの、けっこう優れものの都市ではそういうことができていますので、バス・電車関係なく、公共交通を利用する時に共通料金でいくと。そういったところを目指しながら、考えていただいているはずなので、それを率先して今回やっていただき、複数の業者もだんだんのってきていますので、流れができ始めたのではないかと思います。
記者
今回、エリアが、宇品が入っていないとか、舟入、江波が入っていないとか、そういうゾーンの地域については、これぐらいの範囲ということで、市と業者の方で調整があったものと思われるのですが、その辺りについては、市長はどう考えられますか。
市長
私自身は、今言ったマクロの方向での動きで、全体としては良しなのです。個別の取組は、考えるに、そういうゾーン設定したときに既存の許認可を受けたバス路線との関係で、直ちに振り替えるわけにはいかないので、そちらの収益構造に過度な影響を与えない範囲で、しかし、このゾーン設定のいき方を生かすための調整をするということで、今言われたような取り残し部分がまだあるのではないかと思いますが、いずれ次のステップ、全体計画を立てる中で、解消できる課題、解消しないといけない課題があるように思います。
※( )は注釈を加えたものです。