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ページ番号:0000012943更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2012年8月1日記者会見「平成24年(2012年)の平和宣言について」

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市からの発表案件

平成24年(2012年)の平和宣言について

市長 今年の8月6日の平和記念式典で訴える平和宣言について、説明させていただきます。お手元の資料を御覧下さい。

まず、1の宣言作成の基本姿勢があります。これを見ていただきます。基本的なことは全部書いてあると思いますけれど、被爆者の方、こういった方々が高齢となっています。被爆体験を直接語れる人が少なくなっている中で、その体験や平和への思いを次世代に、そして今の世界の人々に伝え共有していただくことがとても重要であると判断しております。

そういったことから、昨年と同様に、今年も被爆体験談を盛り込むことにし、その体験談をどういうふうに選ぶかということ、そういう観点から「被爆体験談選定委員会」を昨年と同じように構成しまして、そこでの議論を踏まえ、それを前提に私が起草する方法にしました。これによって、平和宣言を作成しました。

今年の被爆体験談は、被爆した方々にも改めて参加意識を持っていただこうという視点に立ちましたので、新たに書き起こしていただくということを条件に公募しました。そういったことから、わざわざ書くという手間をかけていただいたということもあったんでしょう、応募いただいたのは28点でした。

その中から、今年のテーマとしたのは「原爆により失われた広島の市民生活」。ある意味では個人の生活を離れて市民全体の雰囲気といいますか、そういったものが分かるようにという気持ちを込めてこういうテーマを設定しまして、それに沿うものとして3点を選定してそれを盛り込むことにしました。

被爆体験談以外の要素、これも昨年と同様に今年の平和宣言にも引き継いでおり、「平和への誓い」、「被爆の実相」、「核兵器廃絶に向けた訴え」、「被爆者援護施策充実の訴え」、「原爆犠牲者への哀悼の意」という5つの要素を引き続き盛り込んでいます。

それと、時代背景を踏まえて、一定の期日があるといいますか、考え方を表明するということで、昨年に引き続き東日本大震災や国のエネルギー政策の見直しに関する事項についても言及し、本市が新たに始めた被爆体験伝承者の養成事業、平和市長会議の取組、さらにはNPDI、実際広島で開催するという方向が決まりましたので、この点についての言及をするといった構成になっています。

全体の出来上がりは昨年と同様に、平和宣言というものが分かりやすいと、普通の、普段の言葉で読めるということに重きを置きました。市民がこれを読んで共感いただけるように、分かりやすくできるだけやさしい言葉ということに注意しながら作成しました。必ずしも文面を見なくても、聞いていても分かりやすいという工夫をしました。

さらには、小学生とか中学生への調査で、原爆投下の日時が正確に答えられる人が必ずしも多くないということもありますので、改めて具体的な年月日をきちっと示すということをしてみました。そういう意味では、若い世代への継承も意識しながら書きました。

次に、宣言に盛り込んだ主な内容の説明をします。

最初に、⑴の盛り込んだ被爆体験談ですけれど、今年の体験談のテーマは、先ほど言いましたように、「原爆により失われた広島の市民生活」ということにしていまして、これは「被爆体験談選定委員会」での議論を踏まえた方向性でして、これを使いました。そして、3つの被爆体験談を盛り込みました。

1つ目が当時20歳の女性の方、2つ目が当時13歳の少年の方、3つ目が当時16歳の少女の方、こんな構成ですけれど、一番初めの20歳の女性に関しては、原爆によって廃墟と化した広島の街を見られた、当人の目から見た街の様子、非常に悲しさが伝わってくるものだと思っています。

2つ目、当時13歳の少年、これは、その当時この少年が関与した作業を通じてのものです。遺体の収容作業を体験し、そこで、本当に、人の命が無残に奪われたことを前提にしながらの作業ということが分かるようなものです。

3つ目、当時16歳の少女、この方は、家族7人のうち残ったのは自分だけ。自分以外の6人を全て亡くしたという体験を通じて、大切な人間関係がすべて奪われてしまった、こういう方です。

次のページを見ていただくと、宣言に盛り込んだ、要素ということで⑵以下に書いてありますけれど、被爆体験を伝承することの重要性ということを入れています。

具体的には、被爆者が、後障害や偏見に苦しみながらも自らの体験を語っていく。そして、核兵器の非人道性を訴えるということに触れながら、その願いを世界にぜひ伝えていきたい思いを述べました。その上で、国内外の多くの人と核兵器廃絶の思いを共有するために、本市が、被爆体験伝承者の養成事業を開始したんですよという流れになっています。

次に、⑶の核兵器廃絶に向けた訴えに関しては、何よりも、核保有国の為政者、これを中心に、この方々に対して、平和について考えるために広島に来てくださいと訴えます。

続けて、今年設立30周年を迎えた平和市長会議の総会が来年8月に広島で開催されます。再来年には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」外相会合がこの広島で開催されるということで、実際、この地で開かれる会議についての言及をして、そこから核兵器廃絶の願いが広島から世界に広がるということを言っています。

そして、日本政府に対しては、ヒロシマ・ナガサキと思いを共有してください、そして核兵器廃絶のリーダーシップを発揮するよう訴えます。

次に、⑷の東日本大震災と国のエネルギー政策に関しての言及ですけれど、まず、被災者の姿を見たときに、67年前に被爆を経験したヒロシマと全く一緒だと。そうなると、私たちの心、気持ちは被災者と共にあるということをまず伝えたいということで記述しています。

また、日本政府がエネルギー政策に関する国民的議論を進めていることにも言及しまして、政府に対して、何よりも市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立するよう訴えます。

次に、⑸の被爆者援護施策充実の訴えです。

国内外の被爆者に対する支援施策の充実をまず訴え、さらには「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を訴えます。

最後に、⑹の原爆犠牲者への哀悼の意と平和への誓いです。

原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げるとともに、広島を拠点に被爆者の体験と願いを世界に伝えることを表明し、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を誓います。

以上が宣言に盛り込んだ主な内容です。

宣言文の全文は、別紙のとおりです。8月6日平和宣言開始後解禁となっていますので、よろしくお願いいたします。参考資料として、被爆体験談選定委員会の開催結果と被爆体験談を書かれた方3名からいただいておりますコメントも付けておりますので、参照してください。以上です。

記者 東日本大震災で国のエネルギー政策に言及する部分についてお伺いします。市長は市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策という表現を使われていますが、これが具体的に原発をめぐる政策についてどういう立場を示すものなのか教えていただけますか。

市長 立場?ここに書いてある通りなんですけれど。市民の生活をまずしっかり考える。生活、暮らし、安全を守る。エネルギー政策を考える上でいろんな要素があると思うんですけれど、私はこの市民の暮らしと安全ということをしっかりと重要なエレメント(要素)として考えてくださいと言っているつもりです。

記者 今、首相官邸前を中心として、全国的に脱原発の市民型のデモが広がっていて、そういう声が高まっています。一方で、依然として原発のエネルギーが必要だという声もありますし、市長はこの脱原発の社会を目指すべきというお考えなのか、それともやはり依然として必要だと考えられるのか、そこの具体的な考えを教えてください。

市長 市長としての判断ですか。いろんな要素を自分なりに考慮して宣言文に書ききっていると思うんですけれども、足りないでしょうかね・・・。

繰り返して申しますと、この宣言文の、この部分を再度強調して今の答えに変えたいんですけれど、「あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、『核と人類は共存できない』という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められて」いる。これは評価しています。

記述することで自分なりに気持ちを表していると受け止めてください。そしてそれを受けて、「日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。」こう申し上げています。これに尽きるんですけれど。いろんな要素を込めてここに言っているつもりです。

記者 今の質問に関連してなんですけれども、昨年はエネルギー政策の見直しという言葉を使われましたけれど、今年は確立という言葉を使っている・・。

市長 そうですね、私自身はここにあるように、国民的な議論の方向性は一定の方向性を出して、多分従前のものと違った方向性になっている、みなさんそう受け止めているんじゃないかと思います。あとはその方向性が、もっともっとというのとね、あるいはこれくらいでいいじゃないかというぐらいで、見直しの方向性は一応前回お願いした分の中で、一定の方向が出てきたと。ですから、さらにしっかりした様々な意見を反映した議論、これをやってくださいと言ってるつもりです。

記者 それはつまり、昨年よりもご自身としては、国に対して踏み込んだことを求められているという・・・。

市長 気持ちはそうです。実際事態が動きましたから。見直していただきたいという事を言い、見直しの方向が出て、その方向性は自分なりに一定の評価はできるんじゃないかということで、客観的記述にしておりますけれども、国民的な議論が進められていると。議論をしていただくということは、私はいいことだと思うんです。もっともっとやっていただきたいと。そのときに、政府においては、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策と、それを早く確立してくださいと。早くということを申し上げたつもりです。

記者 関連してなんですが、この場合暮らしと安全のなかの暮らしというのは、エネルギーの安全、安定的な供給ということも含めて、意味されているのでしょうか。

市長 そういうことも含まれます。暮らしというのは様々な要素がありますから。

まず市民生活を営むために、自分たちは日々の生活をやるために収入を得て、その収入の中から必要なエネルギーの購入代金を出さないといけない。電力料金に跳ね返ると言われているわけであります。まず、暮らしもきちっとしないといけない。

そして、暮らしというものはいろんな形でいま充実してきていて、今の生活水準っていうものをやっぱりちゃんと維持しながらやらなきゃいけないという意見が多ければそれを前提に、あるいは皆で生活のあり方、環境とかを考えて、暮らしというものについて一定なコンセンサスが得られて、もう少し生活について、工夫があるというのであれば、それを前提として、その暮らしとさらに安全という、これを守るためのあり方ということを、必ず考慮した上でエネルギー政策を考えてくださいと。市民本位のエネルギー政策をというくらいに受け止めていただいていいと思います。そういう面もしっかり考えてくれって言うつもりです。

記者 議論が進んでることをいいとするお考えはよくわかるんですが、市長ご自身の原発の是非についてストレートな表現を敢えて入れられていない理由があれば教えてください。

市長 個人的には前もお話しました、いろんな意見はあるんですけど、市長という立場でいろんな意味での影響というか、影響をですね、いい意味での影響にとどめておきたいという気持ちがあって、こういう言い方にしているということを理解していただきたいんですけれども。

記者 具体的な年月日を敢えて示されたということなんですけれど、市長ご自身は、小中学生でですね、8月6日の原爆を投下された日が言える子どもが減ってきているということについてはどうお考えですか。

市長 その数字が減ってる事自体を取り上げて問題視する、とは思っていないんですね。むしろ、そういった日時が十分皆さんに覚えていただいてないというのは、その日その時間を中心とした様々な出来事などについての情報伝達、そして思いの共有がまだまだ十分じゃないんじゃないかと思いました。

ですから、テスト勉強みたいに、何年何月何時を覚えるという問題意識ではなくて、その日その時点を中心とした様々な出来事について、もっともっと理解を深めていただくということをやると。

しかもそれが最初申し上げましたように、その平和宣言を多くの人に分かりやすく、読んでも聞いても分かるようなもので表現する中で、当時起こったことを実感していただいて、二度とあっちゃならんということを思っていただく、こちらが本望だと思います。

そして、その問題がいつだったんだろうと思った時に、あ、確か何回もみんな言っていたな。1945年8月6日8時15分だったなというくらいのですね、記憶というか、そういうものになるようにしたいと思っています。

記者 今回平和宣言の中に「黒い雨」の範囲拡大について言及されているわけですけれど、どういう意味が、平和宣言の中に盛り込む意味があるのか教えてください。

市長 ここに書いてある文書は、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断という非常に短い話がありますけれど、その前から読んでいただくと流れが分かると思うんですけれど、「そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策」というものを、やはりやるということが、被爆を経験した広島の思いを共有するというときに、とても大事なことだと思っています。

そんな中で、この「黒い雨降雨地域」の問題というのは、本当に苦しんでいる方もおられ、その方についてはですね、やはり温かい支援を充実するという方向性、軌を一にするものですから、その対応について、現時点で過去の証拠があるかどうかっていうのも、67年も前ですからね、いまさら証拠っていうようなことを言ったってなかなか議論できるようなもんでもない。それを越えた判断をしてもらいたい。そういう意味で政治判断と書いたということです。

その他の質問

トルーマン大統領の孫との面会について

記者 今年の平和記念式典にはトルーマン大統領の孫という人物が参列しますが、市長は会談のご予定は決めておられますでしょうか。また会われた際にですね、どんなお話を伝える考えかお聞かせください。

市長 会う予定にはなっています。何日だっけ。

国際平和推進部長 4日に。

市長 4日に会うようにしています。どういう話をするかはここで決めるような話じゃありませんし、トルーマン(大統領)のお孫さんの話をまず聞いて、その場で今までの市長としての自分の思いをお話し、どういうお話があるかは分かりませんけども、自分と共感でき、あるいは広島市のいわば使命っていうか自分自身が思っているあり方、今後の方向性について共感できることがあれば、いろんな意味で連携するというか、協力するというのはお話しする気持ちにはなってます。

和解による平和について

記者 市長、ハワイのホノルル市を訪問された際に、和解による平和というスピーチをされていますが、今回の対談もその延長線と位置づけられているのでしょうか。

市長 おっしゃるように、自分自身の今の気持ちは、まさに言われた和解と平和ということがとても重要だと思っています。

原爆投下から67年という年月が経っておりまして、戦争当事者がいわば、おじいさん、おばあさんの世代であったという中で、いろんなその思いがある。

直接の加害者、被害者の関係であれば、なかなか、きちっとした平和についての語らいができない状況があったというのは間違いないと思いますけれども、それが子になり孫の代になって、本当に広島が核兵器廃絶と恒久平和を願う都市であるとするならば、そういったいろんな思いを乗り越えるという意味で、そういう意味で和解というふうに言ってますけれど、乗り越えて真に平和や核兵器廃絶を語る状況が出来てきてるならば、双方が歩み寄ってですね、きちっとお話をするということがとても重要だと思います。

実際にアリゾナ記念館でしゃべった時もですね、日米の長い歴史を考えたら江戸時代の末期、1800年代後半くらいから、外交、貿易をしましょうという形で日本にいろんな過程で来て、その時に日本とすれば、いろんな外国とどういうお付き合いをするかというのを恐る恐るやりながら、しかし明治という時代に入って、日本がしっかりした国になっていくためには、いろんな意味で貿易、外交を展開して、そして直近の戦争、1945年に終えたこの戦争は、長い歴史に比べたら4年間の争いですよね。そして大量な犠牲者を出している。そこに至った経緯等もいろいろ言われます。

しかし、その事実をそのまま、また67年経ってきていろんな形での交流をしてるということになれば、どちらの時間を重視して、どういう人間関係を重視しながら恒久平和を願うか。

となれば、私は自ずとうまくいった時の状況を個々人がしっかり心にとめて、過去のいろんな問題を乗り越えるという意味で、決して無視するわけではありません、和解というのは(過去のいろんな問題を)しっかり理解した上でそれを乗り越えてやるということを言わなければいけないのが、まさに広島だと思ってますから。

それに同調していただける、共感していただける方と大いにいろんなことについて話をして、一緒にいろんな対応ができるようにしていきたいと思います。

記者 市長も決して無視するわけではないという文言で、たぶん原爆投下が市民を無差別に殺傷するようなものであったということを念頭に置かれていると思うんですが、和解ということの重要性のところでですね、おそらく原爆に遭われた市民の方、それからそのご遺族の方、関係者の方々が複雑な思いもあると思います。そこら辺は市長の中ではどういうふうに整理して和解という言葉を使おうと思ってますか。

市長 先ほど申し上げたように、本当に時間という軸を、67年という重い時間があります。これが被爆直後の5年10年後でこんなことが言えるかといったら、とてもそういう状況じゃないと思います。

そして、被爆後何もない、いわば荒れ野原となったこの広島の地で、一生懸命生きようと努力し、身内に多くの犠牲者を出した市民がその段階でいろんな意味で許しをと言ったら、それどころじゃないと、大変なんだと、むしろこういうことを引き起こした直接の当事者をもっともっと責めたい、恨みであるとかいう気持ちももちろんありましょう。その原因究明とかをむしろやるべきだという気持ちも当然だと思います。

しかし、そういうことを言いながら実際、被爆した方々を中心にこの市民の努力といわば国内外からのいろんな形の支援をするという、そういうものが一体となって今の広島ができているというこの事実もまた見逃してはならないんであって、こういった多くの方々の支援をいただくということはやはり平和というものが大事、核兵器が無くならなくちゃいかんということを共感していただける方が多くいると。そういうところを見ると。そういう方々も間違いなく原爆を投下した米国の中にも市民層でそういう方々があるんじゃないかと、そう考えないと成り立ちませんよね。

実際平和市長会議の構成都市が、今や5300を超えるぐらいに増えていってますから。そちらのほうにもっともっと目を移していっていいんじゃないかと。

で、当事者の方々、この世に存在しておられない、その思いを引き継ぐ人間が少し子の世代だとまだまだある。孫の世代になるともう少し冷静に考えられるというふうに時代が移っているのであれば、本当に平和を求めるための対応ということをもう少ししっかり考えていいという、それが和解による平和というか、和解と平和ということじゃないかと思うんですね。

もともとは人類全体が協調してうまくやりましょうということ掲げてるわけですからね、それに向かって一歩を踏み出すための努力をやっていっていいんじゃないかなと思ってるということです。

各国来賓の参列について

記者 式典なんですが、核兵器の保有国からは回答は来ていますでしょうか。イギリス以外で。

市長 今のところイギリスだけですか、保有国は。イギリスだけです。

平成24年(2012年)の平和宣言について

記者 もうひとつ、もう一回平和宣言に戻って恐縮なんですが、先ほど、一度引用されてご自身の読み上げられたところに、核と人類は共存できないという去年も使われていた同じ言葉を引用されているじゃないですか。ここをあえて取り上げられてたのは。

市長 これは、この選定委員会、今回碓井先生が亡くなられたので9人でやりましたけど、そのメンバーの中で、こういった思いがあるということをきちっと認知するということが重要ですよというようなご意見をいただきましたので、それじゃということで入れたつもりです。

記者 平和宣言の話に戻りますけど、構造や中身は去年の平和宣言と似てるなという印象なんですけど、67年目の式典での平和宣言の特徴というか、一番力を入れた部分というのは・・・。

市長 私自身は、選定委員会の皆さんにも平和宣言のあり方についてのお話をして、そうかということで了解をいただいたというか、賛同いただいたんですけども、市長の任期が4年ということですからね、平和宣言を4回にわたってすると、こういうふうになってますから、4回の平和宣言を通じて一体のものとして、皆さんに核兵器廃絶と恒久平和への願いを強く持っていただくということにしたいと、このように思いました。

そして、1度目が、最初に書いたのは結果を見ると、被爆直後の自分自身の身の回りのことを中心に情景を思い浮かべていただくというふうなことを中心にした宣言文となりました。

そして2回目はある意味では自分の周りの状況がより強く感じていただけるようなものを中心に選んだというふうにしてるつもりです。ですからあと2回は、そういった個人の目線、そして少し広げて周りの状況を知っていただきながら、改めてその時の自分の気持ちとか判断、先ほど申し上げたように直後の話ですから本当にとにかく大変だという気持ちもありましょうし、原爆を落とした当事者といいますか相手国に対するいろんな思いもありましょうし、それからいろいろお聞きすると共に被害を受けながら、被災しながら、自分だけ逃げて本当に同僚を助けられなかった、そのあたりいろんな形で十分な自分の気持ちが伝えられないまま今に引きずってるという、そういう原因になった状況もあるということもお聞きしてますから、その状況におけるいろんな気持ちを中心にもう少し皆さんにお伝えするというのをやり、最後それらを全部総合してじゃあどう考えるのかというのを4回目に仕上げるというような気持ち、そのときに皆さんの意見も聞きながらやるという、この4回を通じて1つの平和宣言として仕上げたいと思ってます。

ですから単年度ごとの思いっていうか、4回を通してこういうふうにしたいっていう中の1つだと受け止めてもらいたいと思います。

記者 先ほどエネルギー政策に踏み込まれない理由として、市長という立場ではいろいろな意味での影響があって、いい影響にとどめておきたいというようにおっしゃったんですけど、もう少し具体的にどのような懸念があって、いい影響っていうのがどういうことを指して、踏み込むことでの懸念というのはどういったものがあるのか教えてください。

市長 いい影響というか、私自身は今一生懸命一定の方向性を出して、どういう選択肢がいいかということについて、真摯な議論をしっかりやっていただきたいという、そこだけをお願いしたいという気持ちがありましてね。

そして、その中で3択あって、その内、前も聞かれたんですけど、どれがいいと思いますかということを聞かれたときに、私自身が市長の立場でお答えするっていうのはこの局面では差し控えた方がいいなと、もっと皆さんのいろんな意見を直接責任当局である国が咀嚼(そしゃく)してやっていただくということにしていく。

私の判断がいろんな方の考えに影響を与えない方が、自分はいいというふうに思っている、というぐらいの意味です。

方向性としては、十分いいものと認識しているわけですから、さらにその3択のどれかということはもっともっと先ほど申し上げたここでいう市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策がどうかということまで言ってるわけですから、その範囲の中でそういうふうに議論していただければいいんじゃないかと。それ以上私がこれがいいっていうようなことを言わない方が本当にしっかりした議論ができるんじゃないかと、そういう意味でいい影響と申し上げたつもりです。

※ ( )は注釈を加えたものです。

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