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ページ番号:0000012912更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2011年08月02日記者会見「平成23年(2011年)の平和宣言について」

市からの発表案件

平成23年(2011年)の平和宣言について

市長 おはようございます。今年の8月6日の平和記念式典で訴えます平和宣言について説明をさせていただきます。

お手元に資料を配付していると思いますのでご覧いただきたいと思います。

まず、1の宣言作成の基本姿勢についてでありますけれども、私は、平和宣言を作成するに当たりまして、歴代の市長の平和宣言の引き継ぐべきところ、これを引き継ぎ、変革すべきところは、変革するというふうに考えまして、まずは、歴代の市長さんの平和宣言を私なりに分析をいたしました。

その結果として、歴代の市長さんの平和宣言には、まずおおむね、平和への誓い、それから被爆の実相、さらには核兵器廃絶に向けた訴え、被爆者援護施策の充実の訴え、原爆犠牲者への哀悼の意、こんな五つの要素が大体入っているということがありました。それともう一つは、時代背景を踏まえた要素が入っていると。こんな構成になっていたかと思います。

今年の平和宣言につきましても、この五つの要素は引き継ぐというか、引き続いて盛り込んでいくということをし、この時代背景を踏まえた要素といたしまして、3月11日に発生いたしました東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故に関する事項を盛り込むというふうなことにいたしました。

そういたしまして、被爆者の高齢化が進んで、その体験を語れる方が少なくなっているという中で、正にヒロシマの原点であります、被爆体験とか平和への思いというものを、次世代に、そして世界の人々に共有してもらうということが重要であるというふうに判断いたしまして、国内外で注目されるこの平和宣言に、被爆者自身の体験とか平和への思いというものを少しでも盛り込むと。そしてそれを伝えるということにいたしたわけであります。

そのための具体的作業としまして、公募によりまして73点ほど被爆者からの体験談を頂きました。その被爆者体験談を選定してもらうという委員会を作り上げまして、そこでの議論をいただきまして、結果2点の被爆者体験談を盛り込むことにしました。

いろいろいい体験談があったわけですけれども、平和宣言という限られた文書の中に盛り込む上で、2点に絞り込むということになりました。

これまでの平和宣言が、例えば、核兵器廃絶を訴えるための、いわゆる論理展開といいますか、そういったことをしっかりとするものになっているような書きぶりが多くあったわけですけれども、そういうものは間違いなく格調高いというような評価を受けると思いますし、皆様との理解の促進にはなるという面もあるんですけれども、一部では難解だというようなこともあろうかと思います。

今年の平和宣言につきましては、私自身は、やさしい言葉を使って理解してもらうということに終始したと。それを通じて広く市民に共感してもらえるし、そういうことを通じて世界の人々にも共感してもらえるんじゃないかなと思ったわけであります。ですから、改めて、原爆の投下時間なんかもちゃんと書いて、再確認してもらい、それを伝えてもらうという気持ちも込めたつもりであります。

次に、2の宣言に盛り込まれた主要な内容についてでございます。

最初に、被爆者自身の「被爆体験や平和への思い」の共有という、ここの部分でありますけれども、寄せられた体験談の二つを盛り込んだわけですけれども、一つの方は、当時13歳の男性のものであり、もう一つは当時16歳の女性のものというふうになっています。そして、前者の男性の方につきましては、8月5日の、言わば市内でのですね、情景がありました。そこの部分を頂きました。後者の方につきましては、8月6日の、正に被爆された、そしてその方の被爆後の動きといいますか惨状をつづられたもの。この二つを取り込んだわけであります。

そして、次世代に伝えていく決意ということを展開する中で、正に被爆者という方々が今、平均年齢77歳を超えておられる。そんな中でも今もって力を振り絞りながら核兵器廃絶とか世界の恒久平和というものを求め続けておられる。そういう状況があることに言及いたしまして、今、私たちが、その全ての被爆者からその体験とか平和への思いを正にしっかりと学ぶと。学んだ上で、次世代に、そしてそれを世界にという展開が必要ということを自分の決意として述べているところであります。

次に、(2)の核兵器廃絶に向けた訴えでありますが、これは、世界の都市が2020年までに核兵器廃絶を目指すというふうにやっておりまして、平和市長会議の輪ということで、これを追求し続けるという決意を述べております。

次に、各国において、とりわけ臨界前核実験などを繰り返しております米国を含めまして、核保有国に対して、この核廃絶に向けた取組を強力に進めてくれ、ということを訴えております。

さらには、核不拡散体制、こういったものを議論する国際会議が現にありまして、その会議なるものをこの広島で開催するということがあれば意義があるのではないかということを示し、その開催を目指すということを表明いたしております。

次に、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故、これについて言及しております。

まず震災が、66年前の広島の姿をほうふつとさせるというものであり、とても心を痛めるということを吐露しております。また、亡くなられた方の冥福を祈るということも当然の行為として記述しております。広島は、この被災地の復興を願って、被災者を応援しているということも言及するというふうにしています。

また、原発事故によりまして、原子力発電に対する国民の信頼、これは私自身は失われたということを指摘したいと思っております。そしてそういった中で、「核と人類は共存できない」という思いがあり、その思いから、脱原発を主張する人々がおられる。あるいは、原子力の管理の一層の厳格化ということをやっていく中で、再生可能エネルギーの活用を訴えるという人々もおられる。この人々、こういう傾向があるということについて言及いたしまして、その上でそういったことを踏まえて、日本政府に対して、国民の理解と信頼が得られるように、早急にエネルギー政策を見直す。そして、具体的な対応策を講じるべきだというふうに訴えているところであります。

次に、被爆者援護施策充実の訴えであります。

被爆者の高齢化が進んでいることを指摘いたしまして、「黒い雨降雨地域」の早期拡大と、そして国の内外を問わずおられる被爆者、こういった方々へのきめ細かく、温かい援護施策の充実ということも訴えております。

最後に、原爆犠牲者への哀悼の意と平和への誓いでありますが、これは原爆犠牲者へのみたまに哀悼の誠をささげるということとともに、核兵器というものがこの地球上で二度と使用されることのないという思いを新たにすることで、核兵器廃絶と世界の恒久平和、これを実現するようなことを誓うということをやっております。

以上が大体宣言に盛り込んだ内容というふうになっております。

宣言文の全文は別紙のとおりでありまして、扱いは8月6日の平和宣言開始後の解禁となっていますので、どうかよろしくお願いいたします。

なお、参考資料といたしまして、被爆体験談選定委員会の開催結果と、それから被爆体験談を書かれた方2名のコメントも頂いたりしておりますので、後ほどご覧いただければということです。以上であります。

記者 平和宣言に時代背景という事で(福島)第一原発事故について書かれているわけですけれど、平和宣言というのはあくまでやはり原爆犠牲者への哀悼の意を示しつつ、核兵器廃絶を訴えるというのが趣旨である一方で、今年については(福島)第一原発事故の影響が今も続いている中で、そうした中で現在の首相が「脱原発」ということを打ち出されて、そうした中で被爆地として、やはり「脱原発」ということを後押しするような市として打ち出すという選択肢もあったのではないかなと思います。

というのがやはりいろいろな首長さん、菅さんを中心として、いろいろ打ち出されている方々がいらっしゃいます。そうした中で、ある程度これを見ますと、第三者的に「そういう声もある」という表現にとどめているわけですけれども、そこら辺をどういった思いでこのようにされたのかということを改めてもう一度お聞きしたいと思います。

市長 原子力発電は、今は国のエネルギー政策の大きな柱というふうに位置付けられていると思います。そういう意味では、国が、正に我が国政府がどういった方向でどういうことをやっていくかは、国の責任で対処すべき課題だと受け止めておりまして、それに対して、市民を代表してのコメントということを相当重視したつもりであります。

実際に体験談を選ぶ検討委員会の中でも、委員の方々から出た意見の傾向を分類すると、この宣言で申し上げたとおりなんです。そういう場でも意見が割れているというのを自分は実体験したわけであります。そうであれば、この宣言文に協力していただいた方々のそういった意見も踏まえながら、市民全体として現段階で理解していただける考え方はどうかとなれば、間違いなく今の事故の模様が、エネルギー政策についての国民の信頼とかそういったものを崩しているから、それを立て直すということが大きな課題。それをやるためにどういう方法があるかという中で、一つ、「脱原発」というふうなスローガンを掲げて対策を考えようという方々と、いやいやむしろ管理を今まで以上にすごく厳しくして、そうした中で、むしろ再生エネルギーといいますか、そういったものをしっかり広げていく中で考えていくというニュアンスの違いといいますか、あるということが分かりましたので、それが分かるように、それを伝えることが今自分にとってはベストではないかなと判断したというものであります。

記者 追加で伺いたいのですけれど、首相出席の予定ですけれども、恐らく世界が注目する中で、日本のトップとして「脱原発」ということを明確に打ち出すのではないかというふうに、当日にならないと分からないですけれど、そういうふうに見られていまして、平和式典というところで「脱原発」と、今おっしゃった国の責任でそういうことを打ち出すことになると見られているということについてはどういうふうにお感じになりますか。

市長 それは正に国の責任でエネルギー政策を見直し、具体的な方法を早く示してくださいと申し上げている立場からすれば、総理がその場で今申し上げているような対応をしていただけるということは、ある意味ではありがたいことではないかと思います。

記者 若い世代への継承というのも書かれているんですけれども、今回8月6日を正確に答えられない小学生が3人に1人というショッキングなデータがあります。この中で広島市長としてどんな危機感を抱いているのか改めてお聞かせください。

市長 危機感というのが正しいか分かりませんけれども、広島市を挙げて、8月6日のこの日を捉えて毎年原爆があってはならない、そして世界の恒久平和を願うために市民を挙げてやっているということ、ある意味では多分ぼんやりとは知っているんでしょうけれども、その原点なるものを十分に伝えられていないという、そこのところはこれから本当に被爆をされた方々がどんどん少なくなっていく中で、心配な要素であるということは間違いないと思います。ですからいろいろなことを知っていただく原点ですから、8月6日の午前8時15分、この時に物事が起こったんだという事実はしっかり、少なくとも押さえていただいて、むしろ私はその時点においてどんなことが起こったかの方が本当は重要だと思うんです。皆さんの問題意識は、そういう日時を知らないということは、きっとそこで何が起こったかを知らないはずだということになっているということで、私自身もその可能性はあると思うんですけれども、本当はこの8月6日の8時15分というその時間よりか、どんなことが起こったかをしっかりと皆が知ると。そしてそれを伝えるということが重要でありまして、もう少し伝えるべき中身は濃いのではないかなと思っているんですけれど。

記者 今回初めて平和宣言を起草されたわけなんですけれども、起草する中で市長ご自身、変化というか考え方のあり方について何か変わったことがあればお聞かせください。

市長 自分自身は今までも、どこかで言ったと思うのですが、あまり被爆の体験とか家族の中でそういう話をしていないということで、多くを語ることはなかったと思いますし、自分が実際頂いたものを文章化して整理するということもやったことはないわけでありますから、改めて市長になりまして、こういうことをしっかり考えてみるということはある意味ではいいことだなというか、必要なことだなというふうに痛感したわけです。

自分もそれなりに歳を取っていますから、もっと若い間であればここまで考え込まなかったかなということもちょっと考えたりいたしまして、本当に自分を含めて、自分の子、あるいは孫、次世代の人たちが本当に平和に暮らせるような世の中というのを自分たちが一生懸命作るということが何よりも大事だなと。平和な世界というのは、今ここで体験談を頂いているような世界と真逆の世界じゃないといかんなということを痛感はしました。そういう意味でこういうことを知るということで、本当に自分たち自身は平和への思いをしっかりするということができるんじゃないかなというふうに思いました。

記者 起草の関係で関連する質問ですが、「脱原発」という市としての直接の言及というのはなかったんですけれども、エネルギー政策を求めるという点で、長崎の平和宣言と一定の協調路線が見られるような、同じ被爆地として、協調路線が見られることも見受けできるのですが、起草する点で何か長崎と連絡を取ったり、若しくは結果として同じ方向性を目指せたということで何か感想などはありますでしょうか。

市長 平和宣言で個別に田上市長さんとやるというようなことはやってはいません。ただ、長崎市を市長になって初めて訪れた時に、いろいろお話しして、考え方の根っこの所は共通しているなというようなことを感じさせていただくようなお話をしましたしね。その後も合間合間で、お互い携帯電話を知っていますので、どんなんやっていますかというような話で感想的なことは言ったりして、ある意味では連携取れる関係になっていると私は信じていますけれども。個々具体的にどういうふうにするということはやっておりませんが、結果として今言われたように方向性は似たものになったのではないかなというふうに思っています。

記者 それはやはり両被爆地がそろうということでよりメッセージ性が強くなるという。

市長 私自身は皆さんにそう受け取ってもらえるとありがたいなということですね。つまり世界で二つしかない被爆地の市長として、考え方、基本的な考え方が共有できているということは多くの方にある意味では強いメッセージになるのではないかと思いますけれど。

記者 平和宣言の中で、核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指すという点についてなんですけれども、これは具体的に「NPT再検討会議」と、固有名詞で述べなかったことについては何かあるのでしょうか。

市長 NPTを頭に置いているのは事実でありますけれども、私自身、この文章全体を、最初に言ったように、分かりやすいものにしようということを考えていく中で、NPTを当然含めて、その会議の狙いが何であるかということを言った方がいいだろうと。単に英語で「NPT」と書くよりかは、その会議の趣旨というものが分かって、そういった類の会議をこの広島で開こうとしているのだということを、言わば内容を全面的に書いた方がいいという判断でこういうふうにいたしました。

記者 そうすると、この会議は2015年のNPT再検討会議を指すということでよろしいのでしょうか。

市長 はい。気持ちはそういうことになっています。

記者 関連して、そういうことを世界に向けてというか、平和宣言の中で発信されるわけですけれども、国際会議を開くためには政府の協力なども不可欠なのではないかと思うのですが、その席には菅直人首相も出席するということで、その場でとか、来られた際にそういうことについて要請したりお願いされたりということはないのでしょうか。

市長 そうですね。少なくともこの起草過程の作業をしながら、先週は国の方に来年度の予算制度要求をするために上京していまして、その中で外務省の方にも伺いまして、担当者に行ってもらいまして、NPTの開催について外務省の方にもお願いをしてまいりました。そしていろいろな開催上の課題とか問題点を教えていただいたので、今後ともその辺をしっかり詰めていこうというような話はさせていただいていますし、長崎の市長さん辺りにもそういう動きをしていますよというのはお伝えしています。ですから、今度総理がみえた時にそういう話のチャンスがあれば、そういう動きをしているし、総理にもご協力をということは言えれば言おうと思うのですがね。

記者 今NPT再検討会議を念頭に置かれているということですけれども、そのNPTの見方というのが、核保有国の核兵器保有を認めるということを前提に成り立っているということと、平和利用を推進するという前提で成り立っているということに関しては、被爆者をはじめ多くの方から異論もあるかと思うのですが、そこでその平和宣言の中にNPTをあえて入れられた理由と、長崎の方は核兵器禁止条約でありますとか、非核三原則の法制化を求めるということを平和宣言に盛り込まれるという趣旨ですが、それと一定の違いが出たことについてはどのようにお考えでしょうか。

市長 私自身は、世界の恒久平和をという大きな枠組みの中で、現在、言わば機能している会議ということでNPTがあるだろうというふうに思っていますけれども、そのNPTの会議の、先ほど申し上げたいわゆる本旨を申し上げた、これは核兵器を広げないという点は、核兵器を廃絶する上での重要な一歩ということで、これ自身は評価できると思うんですね。

いろいろな方々は、問題があるのは、拡散させないだけで、それを、温存を前提にやってるじゃないかということも確かにあろうかと思いますが、私自身は、このNPTの会議に日本がメンバーに加わっている。つまり被爆国である日本が入る、入れてもらっているということは、この会議も究極は、核廃絶をこの世から核をなくすということを目指していると。それがあって現実的な対応の中で拡散させないという組織であるというふうに認識したいと思っているのです。ですから、そういった会議のこれ以上核を増やさないという側面に着目してやっていくということを申し上げたいと思います。

長崎は長崎で、そういった取り組みをする中で、言わばその足場を固めていくという意味で、日本国政府として、まずいろいろな対応をしてくれと、すべきだというご主張ではないかと思うので、そういう意味ではそれぞれの考えなりがいろいろ相まって、世界全体の恒久平和につながるというふうになっていると思うのですね。ですから、そういう意味では私は長崎と広島は連携をしっかりしていく必要があるという認識に立っていますけれども。

記者 平和利用を認めるということを前提にした枠組みであるということについてはどうお考えですか。

市長 そこのところは、現在ある組織として、平和利用までも否定しろということは言えるような会議の構成にはなっていないということですから、そういう意味では平和利用の枠組みということも是認しながら、少なくともそれ以上に重要である核兵器の廃絶を目指す、現在生きている国際的な会議を上手く利用するといったらおかしいけれど、それを中心に核廃絶、恒久平和を目指すということが言わば私として現実的な対応かなというふうに思っているところです。

記者 核兵器禁止条約の交渉開始並びに実現を求める行為というのが、核廃絶を目指して頑張っている市民社会の中でも今は訴えの柱となっていて、広島市としてもこれまでは核兵器禁止条約の実現を提起してきたと思うんです。そこで、今回は平和宣言には具体的に盛り込むかどうかという議論というか、いろいろお考えになった上で外したのか、それとも他に入れなかったことについて理由があるのか教えてください。

市長 2020年の核兵器廃絶に向けての平和市長会議の動きはするということはもう言っていますから、平和市長会議のメンバー拡大という考え方は核兵器廃絶をベースにしたということを前提にしています。そんな話も体験談を選択する検討委員会の皆さんにご紹介する中で、私はそういうことをやっていく上でも被爆者の原点である実相をきっちりここに盛り込みたい、こういうご説明をしてやったわけでありまして、この体験を語る中で、しかも平和市長会議というようなものを記述する中でそういった方向性は十分に含まれていると判断いたしました。

記者 そうすると、平和宣言を聞いたり読んだりする方もそれはもう分かってくれるだろうと。

市長 平和市長会議も今や4900という相当数の都市に至っていますから、その方々に対するメッセージの中に必ず入れておりますし、十分浸透しているのではないかと思いますけれども。

記者 核廃絶に向けた訴えの中で、臨界前核実験を繰り返すアメリカも含めて取組を強力に進めるということが盛り込まれました。2009年、2010年はオバマ大統領の演説があったりして、非常に機運が盛り上がり参列国も順調に増えたということがあったのですが、臨界前核実験を非公表の中で行ったり、少し雲行きが変わってきているし、より強いイニシアチブで、アメリカ以外でどのように核廃絶への音頭を取っていくのかということが、いろいろな枠組みも含めて問われていると思うのですが、その辺りについて、どのように平和市長会議若しくは広島の市長として取り組んでいきたいかについて伺いたいのですが。

市長 世界に向けての核兵器廃絶、あるいは恒久平和を願うということをやり続けるというこのヒロシマの心は頑として動かないものがあるのですけれども、それをやる上で、どういったシステムといいますか、現在あるいろいろなものを利用していくか、活用していくかということで、ある意味では歴代の市長さん方の考えの違いが正に出たというふうに評価していただいていいのではないかと思います。直前の市長さんのやり方は、先ほどもちょっと言いましたけれども、平和を求めていく上で理論的にどう構築して、そしてどういう展開をしていくかという発想の下で考えていかれる中で、多分、核保有国の中でも、現パワーポリティクスといいますか、政治世界の中で一番強力な立場である国を捉えて、そこでの発信力を利用することで一段、核兵器廃絶が進むのではないかということを多いに強調されたのではないかと思います。

ただ、それは一方で、一番しっかりした核兵器を持っている国でもあるということで、ある意味では現実的な側面と逆に言えば、理想と現実のかい離を一番明確に示す国でもあったと思うわけです。私自身はそういったことも頭に置きながら、市民として、広島市民として今一番求められるのは、そういった対応をするための一番の原動力である被爆者の方々が正に高齢化されて、だんだん基本的な情報を伝える、そこの部分が弱ってきていると、むしろそこにしっかりと焦点を当てて、生の言葉を多くの人が共有するということ。その基礎をもういっぺんやり直さないと、言わばどういうふうにやっていくかという理論的な部分以上に根っこの所が大変な状況になっているというふうに思ったわけであります。

だからそこの部分を強調するということをやらせていただきたい。そしてそんな中で世界の中の枠組みを利用するということになれば、今までの市長さんのやられてきていた平和市長会議をしっかり展開していくし、そして今ある核軍縮のためのこういった会議、世界で行われている会議をこの地で開くことで、為政者の初志にこのヒロシマの思いをしっかり抱いていただくというふうなことが、私とすれば現段階における堅実な手法ではないかなと判断したとご理解いただきたいと思います。

記者 この平和宣言、先ほどこういった思いが込められていると伺ったのですが、平和宣言というタイトルがあります。もしサブタイトルを付けるとすれば、どんな言葉を付けられますか。

市長 サブタイトル。そういう意味では宣言ではないから「ヒロシマの思い」ですかね。思いというか、実相、体験なんですけれども、体験を通じた思いを何よりも分かっていただきたいということなんですよね。

記者 昨年の平和宣言では、日本政府に対して「核の傘」からの離脱、アメリカの「核の傘」からの離脱ということを内容として盛り込みました。広島の核兵器廃絶を求める声が世界に届かない理由として、そもそもその被爆国という日本が、アメリカの「核の傘」の下にあることが、他の核保有国に対する説得力を欠いているという見解もある中で、今回の宣言にはそういうような主張が盛り込まれませんでしたけれども、市長ご自身はこの点についてどういうふうにお感じでしょうか。

市長 「核の傘」の下で核兵器廃絶を訴えるのは、言わばいいとこ取りといいますか、ずるいんじゃないかということを言われる方がいるというのは承知しています。それは確かに、理屈の上ではそういうことになろうかと思いますが、現実問題として、その「核の傘」の下に入る、入らないというのは、言わば今起こっている政治世界あるいは経済世界の中での言わば勢力争いの現実なんですね。ですから、自分自身は核が無くなれば「核の傘」という問題もなくなるのではないかと。

だから、核兵器廃絶、世界の恒久平和というのは、最終の目的地を目指して、それに向けていきましょうというメッセージを出すヒロシマの思いでありますから、今の現実の対応の所で、どういうふうな対処をしましょうということを強く言う筋合いのものではないんじゃないかと思っているんです。先ほど申し上げましたような、NPTも含めて、核不拡散の条約というようなものも、実際は核があるということを前提にした不拡散でありますから、もしそんなことを言うのであれば、核不拡散を言うことも言ったらいかんということになりますから、そこは皆さんご理解いただいていると思うんですよ。

つまり、あることを前提にしながらなくしましょうと。そしてそれをコントロールするという会議も認知してその中でなくしていきましょうという、言わば理想を、理想の世界をこのヒロシマがずっと求め続けると、その原点を温めるということこそ重要であって、現状における論理的な矛盾について、現段階で強く主張しなければ広島が核廃絶を訴えてはいけないということにはならないと私は思っております。

記者 任期を前提にすると、今後2年目、3年目、4年目と宣言を作っていくことになると思うんですけれど、まだ1回目ができたばかりですが、先を見据えた、何か今回の第1回目、初めての起草のポイントみたいなものはあるのでしょうか。

市長 これは被爆体験談を選定する委員会のメンバーの中でご意見も頂いたりして自分なりに整理しつつあることですけれど、被爆直前の5日の日と6日の日で皆さんに実相を分かっていただくというやり方。それから個々の体験者の方々の自分の身の回りで起こったことを述べることで分かっていただくやり方。それからもう少し、被爆当時の市全体の在り様とかをもう少し分かっていただくという中で実相を伝えるというやり方。

それから本当に悲惨な中で、むしろ立ち上がっていくといいますか、皆が本当に努力しながらやっていく。そしてその中でも後遺症に悩んでいる方々もおったという、そういったいろんな実相があったということも事実でありまして、その中で限られた実相を使って今回はこういう形でやりましたから、まだまだ語るべき分野はたくさんあると思うんですね。それらをもう少し自分の任期の間には取り上げて、重ねて被爆の実相を伝えるということができればなというふうに思っています。

記者 以前松井市長は「平和宣言は乗り物である」と。いわゆる被爆者の生の声を伝える、次世代に伝える乗り物なんだというようなことを言われたと思うのですが、今のお話を聞いていると、来年も再来年も、ある意味被爆者の方の体験談とか平和への思いなどを寄せてもらうようなことを今は考えていらっしゃると。

市長 今のところそういう気持ちであります。その平和宣言以外にも、最近いろんな形で被爆の実相を伝えたいということで資料とかくださる方もおられますので、私は本当にここで、自分の任期の間にしっかり整理をしていきたいと思うんですね。いろいろな形で伝えられるような措置を何とか講じたいと。それと同時に同時並行で、平和宣言もそのための象徴的なものとして位置付けていければなと思っています。

記者 体験談についてなんですけれども、8月5日の日に男性がお一人と、6日の日に女性がお一人と、それぞれ2点を選ばれているんですけれども、2点のどの部分に一番共感なされたというか、選んだ理由をお聞かせください。

市長 そうですね。私自身は良かったなという事で採用させていただいたんですけれども。他の73点でいろいろあったんですけれども、文章として正確な記述だったり、結構きれいに書いていただいているということがあったんですね。後から見て、何といいますか、何とか報告みたいにちゃんと時系列を追って、こういうふうな動きがありましたとか、正確な間違いない記述というのが結構あったりして。自分なりに出版したりしたこともあるのでしょうか、それを写したみたいなものも結構あったりしたんです。そういう中で、やや文章として、募集した、このために書いていただいたんじゃないかと。そういう意味では言葉として必ずしも整理されているんじゃなくて、何といいますか、語りたいなという様な感じの書きぶりであったのがこの二つだったかなというふうに思うんですけれども。そんな所から選んだというのが正直なところなんですけれど。

記者 今回初めての平和宣言の作成だったんですけれども、いろいろな難しい作業もあったかと思うんですが、達成感といいますか、市長として初めて手掛けられた達成感はいかがでしょうか。

市長 平和宣言を私は書かなきゃいけないと言われて、どうしますかとぼちぼち聞かれ始めた時に、確か今までの市長さんは自分で書かれたということだったんですけれども、一番最初に思ったのは、前の方々ほど、先ほど申し上げたように、平和とか核廃絶についてしっかり頭の中をトレーニングしてきた人間ではないものですから、40年近くやらなくて急にやり始めた中で、確かに言われることを受け止めることはできるけれども、自分のものとして発信するということは多分なかなか難しいのではないかということが直感的に働いたりして、だけどやるべきは思いを伝えることだということで、皆さんから意見をいただきたいということをぱっと言ったわけですね。

そしてその中で、それをやるとうまくいかないんじゃないかとか、いろいろなご意見もあったりして、それってどうなんですかねっていうのもあって、私自身もやったことないわけですからある意味では不安感を駆られながら、でも言ったことはやらなきゃいかんということで工夫しながらやらしていただく。そういう中で、10人の委員の方々、いろいろな立場の方に来ていただいたけれども、議論させていただく中で、すごく充実感というか安心感があったんですね。それぞれお立場は違うんですけれど、私に言わせれば思いは一つなんですよね。本当に核兵器のない世界というものを考えなければならない。その動機は被爆体験であるし、それを大事にしなければいかんと。

あと、やり方としてそういうことをやっていく上で、今の皆さんの気持ちを酌んで、しっかり強めにというか、いろいろなシステムを考えて先導的にやるというような意見と、そういうことはあるけれど、それをやる上でももう一回きちんと足元を固めてやれと。そういういろんな意味で、私に対してすごくいいアドバイスを10人それぞれにしていただきました。従って私はこの作業をさせていただいて、すごくヒロシマの心というものに逆に勉強をさせていただいたなと感謝していますし、良かったなと思っています。だから、こういうやり方を今後ももし続けられれば、自分も自信を持って、先ほど申し上げた実相を伝えるための次のプロセスというか、良いものをもっとできるんではないかなというふうに思っていますけれどもね。

記者 関連というか別の話ですが、式典で、まだアメリカの回答がないということで、昨年初参加されて、長崎にもどうかということで注目を集めているんですが、市として現在把握している状況は、アメリカの出欠はどうなっていますか。

課長 アメリカからはまだ未回答でございます。

※( )は注釈

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