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ページ番号:0000012911更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

2011年07月08日記者会見 「第1回被爆体験談選定委員会の開催結果等について外2件」

市政記者クラブからの代表質問

第1回被爆体験談選定委員会の開催結果等について

記者 まず最初に、昨日第1回目の平和宣言の選定委員会が行われました。73件という応募があってですね、いろいろな思いや体験やそのほかにもいろいろ見られたところがあると思うんですけれども、改めて被爆地としての思いであるとか、どんなことを感じておられるのかお聞かせいただけますか。

市長 昨日の議論を経てということですね。

記者 そうですね。

市長 そうですね。昨日の9人の先生方の、というか委員のお話を聞いて、自分が平和宣言を作るに当たっての、過去の平和宣言の傾向というのをお示しして、それから73の意見を、こんなのが出てます、その中でそれぞれ体験談としてですね、先生方が心に響いたものはないですかということで、19ほどかな、出していただいたんですね。選んでいただいた。そのことを中心にずっと話をさせていただいて感じたことは、議論させていただいた委員の方それぞれ、広島の、原爆を受けた広島というものについての思いが、思い入れが深いなということがすごくよく分かりました。

皆それぞれ多少ニュアンスは違いますけれども、自分が一番共鳴したのはですね、やはり原子爆弾というものをこの世から無くさなきゃいかんとか、平和ということを求め続けるということをやるのが、今残されている我々の使命だということをどうも思っておられる。自分の御家族とか同僚とかというのを原爆で失った、その重みというものをすごく、得も言えぬ気持ちで持っておられるということが分かりました。

それをどういうふうにして伝えるか。皆に分かってもらうかということについて、いろんな方法は考えておられるんですけれども、いずれもがとにかくこの世からそういう残虐なものを、武器を無くさなきゃいかんということをすごく考えておられると。御年を召しておられるからですね、言わば自分の人生を本当に完成させるというか、そのためにもという気持ちがどうもあるように思いましてね。中には60になるまで被爆体験を言ったことがないのでその年から始めたと、それまでは黙っていたけれど、と言われる先生がおって、それは自分にもちょっと共通することがあるなというようなことを思いまして、本当に、私自身は市長にしてもらったからこそこういう話が本当に素直にできるようになったかなと思いました。

記者 その中でエネルギー政策を含めたという事で、いろいろ委員ともお話があったと思いますし、その後の報道陣とのやり取りもあったのですが、改めて脱原発とかエネルギー政策に関するスタンスというものの難しさとか、現状をどのように考えておられるかお聞きします。

市長 先ほど申し上げた原子力爆弾については、もう明確にあってはならないというのは基本メッセージで、さてその原子力発電ですかね、放射能を発する可能性があるけれども、平和利用という形でやっていこうじゃないかという今の基本的な合意がある、このエネルギー政策の大きな目玉。だけどそれについては、国民の理解と信頼がなければやれませんということは誰しも認識している。それはエネルギーに関する基本計画の中で明確にうたわれているわけですから。そういった事実をもう一つちゃんと頭に置きながら、どう対じするか、どういうふうに物事を考えるかというのは、私は市長としてすごく重要。いろんな意見を持っておられる市民の代表として、どういう考え方を出すかがポイントだなと思っているわけです。

そんな中で、意見とすれば、原子力発電ですね、原発というものも、やはり原子力の力を利用するものだから、人間はそういうものと共存できないというような事を前から言っている人もいると紹介される委員もおられました。一方で、そうは言っても、例えば、放射線治療とかいうことでですね、そういった放射線を使った治療をするという分野もあるし、そして、原子力発電というものが、今の大きな経済とか、世界の枠組みの中でですね、IAEAなどという国際機関を構えて、しかも安全管理、コントロールをするということを前提に認知していこうという世界もあると。そんな中の日本ということを考える。さらにそんな中の広島をどうするかと考えた時にですね、どこまで言えるのだろうかと。問題は問題として、前提として今まで以上にね、厳しく安全管理をするということをしっかりやって、そのための基準作りをしてですね、国民の信頼を取り戻すというようなことが先ではないかとか、そういった意味での御議論がございまして、いずれにしても、脱原発というようなことは、多くを掲げて、それについて○×ということで単純に済ませるような問題ではないのではないのかというふうなやり取りがあり、私はそれをしっかりと受け止めなきゃならんというふうに思いました。

記者 その議論を受けて、市長自身が現段階で、○×では判断できない、そうした議論を受けて、市長としては現段階でどう思われますか。

市長 現段階では。昨日の今日ですから。次の19日に諮るためにどう整理するかというようなことを今考えています。それまでにもう少し時間をください。そこまでには一定の方向を出しますから。今言った要素をどう織り込んでですね、自分なりに整理するかということが課題であるというのが今の認識です。

記者 体験談の選び方についてなんですけれども、大枠として、例えば数を絞って紹介していくのか、若しくは、部分部分を抜き取ってランダムに配置していくのか。その辺りについてはある程度目途というか、見通しは。

市長 そこもですね、昨日言われた意見なんかも考えてどうしようか迷っているところなんです。一番私自身、自分の作業として良いアドバイスを頂いたなと思うのは、市長さん、あなたの考え方を縦軸にして、ここに出ているいろんな皆さんの意見とか、我々の言ったことを横軸に織り込んで、布を作るみたいなイメージでね、作成するのがいいんじゃないですかと。抽象論としてはああそうだなということで納得しました。

あと、縦軸をどういう展開にするのかということですね。それは、縦軸というのは多分、今までの平和宣言の中で盛り込まれていた要素というのは引き継ぐという意味で漏らさないように記述しなければいかんというのが大きな縦軸。そして、平和宣言をする時点時点で大きく原発、原子力というか、放射線に関わるような話題が出ていたらそれをどう評価して取り込むかということをやっていますから、今回もそういうことをやらなければならん。そこまでが縦軸で整理したんですね。その縦軸の中にどういう文言を盛り込んでいくかという時に、頂いた意見、すなわち皆さんから頂いた思いとか、コメントを評価していただいた方々の言葉に寄り添いながら整理していくというイメージなんですね。その中で昨日もちょっと言いましたけれども、8月6日その日ではなくて、その前の平和な日から、ある日突然ガラッと変わったというようなことを言うということが、すごく皆の原爆に対する思いというものを、あっちゃならんという気持ちを引き立てるのではないかということをちゃんと頭に入れてくださいというコメントがあったし、それから、あの平和宣言をするあの平和公園の場所の意味ですね。知らない人が増えていてね、自分らがここは本当に遺骨の山というか、その上に成り立っている。しかも直前までは多くの人々が住んでいた、その町がこうなっているということを言ったりしたら、ここは靴を履いて歩けないと。素足にならないといけないと言う方々を見たりしてすごく感動したという話もあったから、その辺のところをどういうふうに文章の中から頂くかとかね。

それから、その一人の個人体験みたいな形であの中に取り込むのか、もう少し爆心地を中心とした部分ではなくて、市全体がいろんな形で被害を被ったみたいなことが分かるような、個人と全体みたいなのを織り込むとか。いろいろありましてね。その書き方についても様々工夫の余地がある提言を頂いたんですけれどね。いずれにしても、そうは言ったけど、最終的には市長さん、あなたがまとめるのだから、繰り返すけど、縦軸はしっかり置いて、横軸としてどう織り込むかあなたの力でやってくださいと。そしてまた見せてください。ということになったんですね。そんな状況なので、どういうものにするか正に悩んでいるところです。

記者 今の関連なんですが、そうすると次の会合に出されるたたき台では、被爆体験談、今セレクトしてある被爆体験談の中から市長がいくつかお選びになって、そのたたき台の中に、どういう形かは分かりませんが、織り込むと。

市長 そういうイメージですね。こんなので組み立てて、頂いた意見をやるとこんなになりましたよということで示せんかなと思っていますけれどもね。

記者 だから、委員さんの選定作業というのは基本的にはもう終わっていると。

市長 73のうちから絞り込んでもらってそれぞれコメントを頂きましたから。それを上手く加工してくれという意見で頂いたということですから、それでは、加工したものをもう一遍お示しして、トータルで皆の意見の使い方について、皆さんから御意見を頂いたという流れにしようかと思っていますけれどね。

その時に全体も見せないとある意味では失礼ですから、こういったものはこういう形で使いますというスケルトンみたいに見てもらって、トータルで作成に参加していただきましたということにはしようかと思います。

NPT再検討会議の誘致について

記者 二つ目の質問です。議会中、市長答弁の中で、「迎える平和」の中で、NPT検討会議の誘致を含めた、意思表明というものがありました。具体的には今どういうふうにしていこうと考えておられるのかということをお聞きします。それから、これまでの「出掛ける平和」という表現を市長使われますけれども、アピールを重視してきたやり方とは少し違って、自らこうしたいとかこうやっていきたいというようなイニシアチブというのを求められるようなスタンスだと思うのですが、その辺りではどのように市の役割を発揮していきたいとお考えでしょうか。

市長 何て言いますかね、NPTの再検討会議ですね。これを可能であれば、というか、2015年目掛けてですね、招致活動というか、招致できるかどうかというようなことをやっていきたいと申し上げたのは、根っこは例えると、オリンピックの時に、そういった核廃絶とオリンピックを一緒にしてやっているとか申し上げて、それは別々にきちんとやるということを申し上げた時の、私の整理の行き着いた先なんですけれどもね。オリンピックはオリンピックで整理をしたと。今度は核廃絶に向けての動きというものはそれなりに重要なことですから、きちっと考えるということをやって今到達している整理は、核廃絶とか平和というのを訴えるのは、市民のお一人お一人にそういう思いを持ってもらうというふうな対応と、そしてその人々の集合体であるまちといいますか、市といいますか、そういう集合体に向けても核廃絶と平和ということを認識してもらい、それが重要だということをやっていただくと。さらには、もう一つのまちの集合体である国家といいますかね、国というレベルで、しかもその国の中に核兵器を持っているところと、そうでない国がある中で、その国々に対してどういうふうな対応を市としてしていくべきかとこういうふうに整理したわけであります。

そうすると、そのまちのまちに対する核兵器廃絶とか平和への訴えというのは、前の市長さんが平和市長会議というものをメンバーを爆発的に増やしていただいて、今4,800になっていますから、それはそういったことをやる基盤を作っていただいているというふうに私は評価をして、それは引き継いでいきたいと思っているんですね。

さらに、その上の国のレベルについてどうするかということになった時に、やはりその核兵器を持っている国々も含めて、そういうものを無くしていこうという機運を醸成する、既にあるいろいろなシステムを刺激しながら、あるべき方向に向かってもらうために市として何ができるかという取り組みをしたいということで、首脳などが広島に来て、広島の被爆の悲惨さとかいうものを目の当たりにしてもらえれば、やはり人ですから、理解が深まるのではないかと。そういう意味では「お招きの外交」ということで、見て、広島の現状をとにかく自分で見てみてくださいということをやるというのが「出掛けていく平和」から「お招きの平和」と。こういうふうに言ったわけです。そしてそれらを、言わばヒエラルヒーといいますか、大きなピラミッドで考えると、やはりいつもその力をずっと続けるためには、底辺である個々の方が、本当に原爆の悲惨さを理解していただくということがいると。そうすると市民がそれを共有していて、そういう市民に接する多くの方が広島に来ていただいて、この広島で理解してもらうと。これもやはり招いてここでそういうものを見ていただくと。こういうふうに整理したわけです。だから、個のレベル、まちのレベル、国家のレベル、それぞれの関係者がこの広島に来て、広島の原点を見てもらうということをやる中で、平和への思いを広げていくと。それをやってた方々、正に被爆の体験者とか犠牲者などが実は高齢化してどんどん少なくなっていく。そういう訴えをする方自身が減るということが、基礎の部分をだめにしていくというか、伝える方がいなくなるということについては、私自身は危機感がありますので、今それを伝承しようじゃないかと。伝承するためにはやはり原点に戻って、そういう方々の体験とか声をしっかり残して、次の世代に移す、残すと。そして広島がそれをずっと言い続けられるような市にしていきたいというのが基本イメージになっています。その視点からそれぞれのレベルごとに必要なことをやりたい。それには今何が求められるのかということを整理しながら今進めているというふうに御理解いただきたいと思います。

記者 NPTに関係してなんですけれども、今検討段階という事ですが、NPT再検討会議がニューヨーク以外で開かれるかどうかも含めて、そこから今検討されているところでよろしいですか。

市長 そういうことですね。今言った思いが、それこそ2020年にオリンピックと核廃絶を考えてやったというぐらいのとても大変な話だと思っています。ただこれが単独でね、それなりにやるという希望を持ってやれないかなということです。

記者 では確認なんですが、招致できる、招致制度があってという、そういう所ではまだないと。

市長 いやいや。まだないですね。それが可能かどうかもですね。国連機関ですから、外交という国を交わせないといけないですよね。だから国へのアプローチもあるし、今までいろいろな平和市長会議をやってきている長崎市とも相談してみないといけないと思います。課題はいっぱいあると思います。ですけど、今言った自分なりの整理によると、個々の国に対するアプローチというのもやらないと、全体として平和を実現するための市の動きとして欠けるかなと思ったわけであります。

記者 早々に着手しているというか、2014年にもう準備委員会が始まるということもあるんですが、今年来年にも。

市長 しっかり検証してね、どんなふうにするのがそれに向けての対応としてふさわしいかとかね、研究しますよ。いずれにしても言ったわけですから、それに向けての検討を今からという事です。目算があってやっているというものではないということはご理解いただきたいし、でも目標を掲げずにはいられないという類のものだというふうに私は思っています。

記者 長崎市の方には相談というのはまだ事務方のレベルでは。

市長 事務的には言ってないと思います。マスコミを通じて長崎の田上市長さんも読んでくれているかも分かりませんけどね。正式には言っていません。

記者 例えば他にご相談をされたりとか。今のところ、意見をとか。

市長 まだないですね。あとは国へということになると、外務省なんかにどうアプローチするかということ。今までも、8月6日に、外国の方に来ていただくというようなことで外務省との窓口もありますから、そんな所と手始めに、こんなことをやるんだけれどどうでしょうかとか、あるいは国連に働き掛けるということも必要になりますでしょう。その手順も正直言って自分自身確たるものがあるわけではないので、手探り状態にありますが、やってみたいということであります。

記者 これまで準備委員会でオーストリアで1回だけ開かれているんですけれど、その時はオーストリアが190カ国の加盟地とか、国連の職員を招待するための旅費とか全部持ってたんですけれど、例えば国に、外務省に働き掛けて、OKが出た上で、あと金銭的なものでどうするかという話が出た時には、広島市として出費するような決意もいかがですか。

市長 そこまでよく考えていないですけれど、ただ会議をすると一定の出費は必ずあるのでね。予算なしでできると思っていません。だから2015年という期日が、いずれにしても年内に基本的な財政収支の見通しを、全体像を作ろうと思っていますから、そんな中での余裕があるというか、余裕は作らなければならないでしょうけれど、その中でどのくらいの予算の優先順位をつけて確保するかということと、それを腹に置きながら外務省とか国連とやってですね、我が方が出せるのはこれぐらいですとか、ある意味ではネゴシエーションというか、そういうこともやらなければいけないかも分かりませんね。正に話し合いといいますか、余地があるんじゃないでしょうか。それを含めて夢ですよね。向こうが全然箸にも棒にも掛からないアイデアだと言われるようでは困りますから。

「対話」について

記者 実質的に初めての議会となる6月定例会が先ほど終わりました。公約段階から「対話」ということを非常に重視して掲げられて、職員、議員らとのやり取りというのを現実にいろいろ変えたと思うんですが、まずその第1回目の議会、対話という観点で振り返ってみてどうでしょうか。「対話」という観点というのは、近隣市町村との対話とかですね、協議会の設置、市民との対話「車座談義」とか、いろいろ新しい、いろんなやり方が出てきたりする、こうしたプロセスからですね、今後、どういったものがですね、生まれてくることが期待されているかということを合わせて伺います。

市長 最初の市議会は、本当に全くの初めてでいろんないい勉強になりました。その中で議会のルールですから、答弁する前に議員さん方々から一定の質問がね、こういうのが出るだろうということで、じゃあそれにどう対応するんだっていうことを実は事前に職員と一緒に議論したんですね。そこでまず、職員との対話ということを自分なりにやれたかなと思っております。

その時に答弁の在り方で、職員とそれこそけんけんがくがくやったと自分は思ってますが、その答え振りについてですね、まず、質問の意図をはぐらかさんようにしようじゃないかと、本当に市議会議員の方がこの質問で何を聞きたいかっていうのをまずよく捕まえようじゃないかと、やりましたよ。

それなのに、はなから、こういう質問だとこういうこと聞いとるからって、ざっくり言ってね、いかにこうそれと答えが違うんだったら、関係ないようにすれ違い答弁してね、何て言いますかね、やるようなスタイルでやりましょうっていうことをどうもやるきらいがあったようなので、そうじゃなくて、その質問のポイントは何かっていうのをとにかく双方でチェックしようじゃないかっていうことを職員に、その質問の意図をよく聞いた上で市政として、それにどう答える。その時に、なぜそうなるかっていう、そこの部分をちゃんと答えの中に織り込んでね、やりましょうっていうような議論を私はしたつもりです。そんな中を通じて職員との議論、つまり政策を今回は発表するという、その時にも説明責任といいますかね、なぜこうなるんだっていうことを言うようにしましょうと、答えにもそういうのを可能な限り織り込みましょうというようなことをやらしてもらったと思っています。

完璧ではありませんけども、ある意味では局長さんが答える答弁も一緒に議論しました。自分の答弁のみならず、当たり前ですけどね、と思っています。やりました。そういうことで、相当自分なりの職員との対話があった。そういう資料を使って、議会のルールで市の議員の方から来る質問は私は全体の中で何問かというそのルールに従いながら、先生がここを市長さんに(答えてもらって)いいですねと言われたら、そうやって後(言われた部分については私が答え、その後の部分を)局長に任せるようにしましたけれども。その局長の言葉ですけども、自分の理由付けなりをしっかりお願いしちゃっているもんですから、ある意味では議会の議員との対話でもそこの部分、つまり考え方を聞いて、ある意味ではすれ違いのないように答えるというのを少し見込んでやったつもりでありまして、そういう意味では市議会の中の対話も見ていただく方、市民なんかも見ていますから、少しは分かりやすくなったんじゃないかなというふうに自分は感じています。そういう意味で、対話の成果はちょっとは出たんじゃないかというふうに自分は思っていますけどね。

それから、もう一つの「まち起こし協議会」とか「車座談義」とかこう言ってますけれども、これは前の市政だって市民といろんな形でどういうふうに話をするかっていうのはやっておられるんで、全く新規ということでは私自身ないと思うんですけれども、ただ、自分の着眼点は、行ってそういう場を作って、今やっていること、市がやろうとしていることを説明して、皆さんに、啓蒙啓発活動みたいな形でやるっていう運用ではないというふうにしたいと思っています。

むしろ、そういう場を作って、そこで話をしていただく市民の皆さんの考え方とか想いを引き出したいんですね。そういうことを通じて、自分らのまち、自分らの地域、これをどういうふうにしたいかということを整理してもらう、自分らで考える。それについて市はどこまでできるっていう勝負をしていきたいと思うんですね。

それは、自分、選挙でも言ったけど、市の行政というのはいろんな思想とかなんかを乗り越えて生活密着型ですから、基本はまず、自主自立、共同共助といいますか、自分らのまちは自分らでやるんだということをやって、それはどこまでやるんですかと、そして共同共助というかそれをグループでさらに市に託してやるという整理をみんなでやってもらうような癖っていいますか、癖って言っちゃあおかしいけど、そういう在り様にしていくと、本当に市そのものが自分たちのまちだということになっていくんじゃないでしょうかね。

誰かが言ったことをこれは良い悪いとかどうですかねということで、○×で選択するような議論じゃなくて、自分らの考え方を言って、これがどこまでできますか、やるときに自分らはここまでだけど、市としてやってもらえるんですかと、こういう感じの議論ができるものにしていきたい。

その後はそういう話し合いをするグループをさまざまに取りたいということで、市の境界線を乗り越えて、お隣の市とも経済圏が関係すればやっていきましょうとか、あるいはさらにそういう地域の中で小集団だけれども、非常に熱心にこんなことをやってみたいというようなことがあればそれも車座というかそういう形で聴いてみたいとそういうことなんですね。

だから、行政というか自分たちの生活とかについて皆さんが積極的に考えていいんですよ、考えましょうということを提起する機会にしたいということであります。

記者 今の話の前半の方の市議会との対話のところで伺いたいんですけれども、市長は就任当初ですね、選挙で自民党さん、公明党さんが推薦されて当選されたということで、いろんな場面で議会との癒着とか報道が言うけども、そういうことはないようにしたいんだというような意味のことを言われていたと思うんですけれども、今回の議会を終えてですね、これまでのところ、各会派万遍なく情報共有とか、意見交換というのはできて対話ができたという認識でしょうか。

市長 少なくとも議会のルールにのっとってですね、皆さんと距離感は同じようにさせていただいたと思っています。もちろん、議論の中身でこれは賛成とか反対とか中身はありましたけども、手続き的には、どことだけ仲良くするっていうようなことはやってないはずです。私の意識としてはね。ポイントは以前の市政と市議会との付き合いが違うのはですね、議長さんがね、盛んに議会にこういう案を提示するにしてもね、何するにしても、前広っていうかね、少し早めに持ってきてくれというようなことを言われました。それは守るようにしました。しかもそれで、職員にもですね、その議長さんのちゃんと指示を聞いて、どういう方のところに事前に行ったらいいかね、確認しながらやってくれという指示をしています。だからそういう意味では、いわゆる議会の長である議長さんとやり方について手続きをちゃんと確認しながら、やらしてもらったというのが、今回の議会だったと思っています。

記者 周辺町村の話し合いということについて伺いたいんですが、特例法の頃にいろんな協議会があって、結局何十年という形で積み残した課題、できなかった合併とかもあると思うんですけども、地域のプレゼンスというか、力を発揮するために、あえてただ話し合うだけじゃなくて、そのまちの枠組みそのものを変えるような議論というのは長くあると思うんですけども、その辺りは現状をどのように話し合いができるようなお考えでしょうか。それとも、今後どういうふうに話をする余地はあるのか、ないのか。

市長 そこはもう一つ地方分権というね、流れとの関係で市政をどう位置付けるというのがあったりするしですね、今度は議会の方でも地方分権をどうするかということを議会で議論していただけると思うんですよね。だから、そんな中で、それぞれの隣接する市町も地方分権についての温度差がありますから、いきなり合併とかね、なんかって話には私はならないと思っています。ただ、行政の区画を通じての整理はありますけども、実際問題、市民生活を考えたら、その市の境とか町の境を越えて経済活動を起こしているわけですから、その生活実態に着目して関係者がどういう連携が取れるか、何を一緒にやるのがいいかっていうことを話していけば、自ずと解決していくというか、時間の経過とともに、同時に地方分権の問題も動いてきますからね、機を見て必要があれば、そういうことも投げ掛けるとかいうことをやれればいいと思っています。いずれにしても、恒常的に今言ったようなつながりの中で話し合いができるっていうかね、そういう関係を維持しておけば、いろんな事態の変動に機動的に対応できると思いますね。会話を絶ってしまうとですね、どうしていいか分からなくなりますからね。というふうに思っています。

記者 車座談義のことなんですけれども、今までの市長もですね、タウンミーティングとかいろいろ市民と直接対話をする機会というのは設けてこられて、それに位置付けられるものだと思うんですけれども、どんなイメージで想定していらっしゃいますか。

市長 そこは、前のは、先ほど言いましたように、集められて、市の政策とか何かを相当、前の市長さんは説明をする時間の方を割いておられるように聞いたんです。私はあえて言えば、逆に、皆から聴く時間の方を多くして、自分のしゃべるのは、そういう出てきた皆の意見に対してコメントを、自分がその場で考えたコメントを加えさせてもらうと。そして、その話を実現する必要があればどういうふうにしたらいいかなというようなことをその場でやり取りしていきたいと。

そんなときに、例えば皆さん、先ほど言った自立自助、共同共助じゃないけど、ここら辺は自分らでこうやってもらって、ここの部分を行政とか皆でやるとか、そういう仕分けをしながらね、やるという話ができたらいいかなと。市の責任はこんな所じゃないかなとかいうような話。そんな感じなんですけれどもね、イメージは。

記者 テーマを設けて毎回…。

市長 それは、テーマはね、車座談義したいという方々に、どういうテーマかっていうのを聞くようにしていますから。それを持ってもらって、自分なりに臨むときに、ある程度頭の体操をして臨んで、その場でのやり取りを中心に、正に対話を中心にやっていきたいと。

自分がこんなことを思ってますというのはすぐ聞かれると思うんだけれども、それは後でいいから、あなた方がまず言ってくれっていうようなことをやれんかなと思っているんですけれどもね。

その他の質問

長崎の平和宣言について

記者 平和宣言に関連する質問ですが、昨日、長崎市の方が、原子力から安全性の高い自然エネルギーへの転換を求めるという方向で宣言文を作っていくことになりました。ただ、一方で、「脱原発」という文言自体は含まない見通しということですが、同じ被爆地の市長として、そういう方向に決まった感想や評価とかはありますか。

市長 評価ね。頑張っておられるなと。お互いね、共通の課題に向けて。向こうは委員の方と市長さんが議論をしながら、委員の意見としてまとめるということでなんしょう。だから市長さんも苦労をされているなという気がしますよね。実際の扱いについてね。自分は自分なりに昨日の皆さんの意見を聞いてどうしようかということをもうちょっと整理しますから。でも、結果として、言葉のいろいろな使い方とかは違うとしても、広島と長崎がある程度方向性の似通ったメッセージが出せれば、それはそれなりに効果はある、意味はある宣言文になるかなというふうに思いますし、仮に違ったニュアンスが出たとしても、同じような被爆地であっても、多様性といいますか、それぞれの目標は一緒だとしても、アプローチについていろんなやり方があるということは、それはそれでいいんじゃないかと。どっちになっても一定の評価はできるんじゃないかなと思いますけれどね。

「黒い雨」の指定地域等の見直しなどについて

記者 「黒い雨」についてなんですけれども、昨年の8月6日の式典があった時に、長妻大臣が「黒い雨」の指定地域等の見直しについて検討するとおっしゃって、間もなく1年が経つんですけれども、現在の進捗状況を市長はどのように捉えられていて、また、昨年市の方が新しい区域を発表されたと思うんですけれども、それを認めてくれという声もだいぶ強くなってきていると思うんですが、それに対して国にどう働き掛けていくかということと、もう一点、被爆者援護に関する市長の発言について、「黒い雨」の方々から抗議文が出されてきたと思いますが、直接会ってお話するということですけれども、それについてどういう対応を取られるのかということ。この2点をお願いします。

市長 今言った検討会議に向けての市のいろんな成果の積み上げがありますから、それは行政としてきちんと国に届けて、適切な判断をしてくれと。しかも今までの皆さんの思いがありますから、それは引き続ききちっとやらなければいけないと思っています。そういう意味では国の方に早くきちっとした結論を出してくれということは言い続けなければなというふうに思っています。

それから「黒い雨」の問題についても、今までの在り方について見直して、見直すための検討をしようということで国に言っているわけですから、その国に言ったことをちゃんと受け止めて、今までの外の検知でも実際に被害が出ているという事実があるわけですから、それをきちっと検証して対応してもらうということをやはり今までの市も言っていますから、引き続きやらなければいかんと思っています。

私自身が前言った議論もですね、そういったことをやらんと言ったわけではなくて、あの時の議論は、そういう装置ができて、いろんな方が、被爆の死者に対するいろんな援護措置ができたときに、具体的な基準が決まれば、もらえる方々が出てくるわけですね。そんなときに、そういうのをもらえるようになったときに、気持ちとして、感謝の気持ちというのがあった方が、そういう制度を導入して動かすときにも納得度が高くなるというぐらいの意味であったわけでありまして、やっている今までの流れを否定するために言ったようなことは決してありません。そこのところはよく分かっていただきたいということです。制度の安定度をどういうふうにするかとか、実際に恩恵を受けている方々が、こういうふうに思っているんだと。それにいろんなシステムを知った上で、感謝の気持ちがあると言えば、他の方々だって文句を言う切っ掛けが無くなるでしょう。無くなると言ったらおかしいけれどね。そういうものにしたいと。皆の助け合いの中で生きているんだという気持ちを持ってもらいたいと。持ってもらいたいというとまた強制と言うから、私は持ってもらいたいなと思ったということです。強制はしませんよ。そういうことです。

間もなく就任3カ月を迎えるに当たっての心境と課題について

記者 間もなく、3カ月を迎えますけど、7月1日で体制も一新されてですね、新たなスタートをいよいよ本格的に始めるのかなと思うんですけども、その中での今の心境と、これから早々に手を付けていかなければならない、進めていかなければいけない課題についてお聞きしたいのですが。

市長 7月1日以降ですね、本当の松井丸が進水したというか、船出したというふうに自分は思っています。一番、自分の市政を運用していく上でこれから長くお付き合いしていただく副市長さんを二人、議会の承認を得て替えてもらいましたけども、このお二方の資質というのは、自分なりにいろんなチェックをしてですね、フィーリングも合うし、これなら明るい市政を担えるスタッフだということをいろんな手段を通じて確認したお二人であります。ですから、必ずや明るい市政になると確信しています。

それと自分の局長級の方の異動もそれとの絡みの中でやりましたけども、自分の政策を、あるいは自分の気持ちを的確にくみ取ってやっていただけるようなスタッフに可能な限りするということと、それから行政転換していく上で、国との連携もいるだろうということも考慮した人事配置をしたつもりであります。

これはそういう意味では、議会でも民間の人を入れなかったんじゃないかとか、女性をどうかとか言われたけども、そういったことも全然はなから排除したわけではなくて、いろいろ考えた末の結果であるということでございます。

ですから、自分が自分なりのキャラクターというかこういう性格をきちっと受け止めてもらって、本当に自分をサポートしてもらうにふさわしい人をやったと。つまり自分の行政を実現するのに自分なりに考えて、適材適所の配置ができることを目指してやったのが今回の人事。全面的にはやるということは言っていませんけど、ただ、枢要なポイントをやりましたんで、これであと1年やり、さらに体制がうまくいくようことであれば、そういう方向の中でですね、人事をしっかりやりながら、同時並行に行政を進めるという気持ちでおります。

そんな中で、今から残された問題というのは、個別の問題もろもろあります。空地の処理とかいうこととか、個々に出てくる問題がありますが、何を置いてもそれを本当に実現するためにですね、やっぱり財政基盤なんですね、これをとにかく早急に分析したい。いろんな所にこの財政基盤の在り様が掛かってまいります。そして、その限られた財政ということを頭に置いてやっていく事業についてですね、その財政基盤を頭に入れた上で、事務事業の見直しをやる。選択と集中をやると。これであります。そしてそれらを踏まえた新しい政策を来年度予算を中心にですね、出せるような、出さなきゃいかんと。それがこれからの私の一番重要な使命だと思っています。

旧市民球場跡地などについて

記者 就任当初ですね、空地のこととさっき言われましたが、旧市民球場跡地のことだと思うんですけど。

市長 それだけじゃないですよ。

記者 それだけじゃないんですけども、それも白紙というか見直しを言われましたよね。で、検討委員会を設けると言われていますけれど、現時点でまだ設けられていません。そういう中で菓子博まで1年半という期限が近づいていますけれども、一体いつ頃、その委員会というのを設けられるんですか。

市長 だから、委員会もね、今言った財政規模みたいなのを自分なりにおぼろげに描けてきたら、やろうと思うんですよ。で、空地もですね、自分は球場空地もあるしね、飛行場の空地もあるでしょ。それから言わば広大の空地もあるでしょ。それらもね、個別じゃなくてトータルでやりたいんですよね。だけど、一個一個議論するところはセットしなきゃいかん。それらをどう連携させるかということもね、考えていかなきゃいかん。徐々にそろってきましたからね。西飛行場の空地は県の所有地だけど、広島市にやっていいですよということを知事さんに了解を得ましたから、跡地もです。

その大きな市内の重要な跡地を広島全体どういうものにしていくかというビジョンを描きながら、やってくださいということを明確に言うと。そしてその時にたぶんいずれ必要なお金が掛かってきますけども、さっき言った制約が掛かるのであればね、後は優先順位をどう付けていくかとかね、順番をやって議論してもらわないと困りますよね。なんか同時並行にするけど、いつも単なる夢だけで終わるような議論では成果がありませんからね。そんな中で何を急いでやらなきゃいかんかいうイメージ。

それから機能分化をするのか、それぞれ同じような機能にするのかということも含めて。そこは自分独断ではなくて、もう一遍それぞれ見識を持った方々の意見をちゃんと入れて整理しながら。ただ整理する方針を自分なりに自信を持ってお願いするという、その時間がもうちょっと欲しいんですよね。

記者 そうすると、球場跡地ということを考える委員会とは別に、もっと全体のいろいろな使える土地とかを考えるものを作られるとか。

市長 そういうのもいるんじゃないかと今内々で思っています。その辺についてもうちょっと時間がいるんですね。それを市の中の政策展開ということをやるような議論でやるのか、個別に委員会みたいなのを置くのか。少なくとも球場跡地はもうそこ自身の大きなテーマでやりますけれど。トータルでやるとか。

それでもう一つは、要するに、市の持ってる審議会の機能をもう一遍調整したいと思っているんですよ。個別のじゃなくて、全体のことをやるような。要するに局を横串でやれるような組織がどうもないんですよね。そういうところを作れば、委員会で出たような意見を横串でやって調整してね、やるとか。なんか余地があるような気がするんです。その辺も投げ掛けているんですけれども、もうちょっと整理。それが今同時並行しているという事であります。

記者 球場の解体についてなんですけれども、もう業者決まっているようですが、市長さんの方に直接解体の反対の要望もあったりされたと思うんですが、解体についてはこれまでどおり進めていくという考えでよろしいでしょうか。

市長 そこは議会でね、了承を得ている分で粛々とさせてもらいたいと思うんです。

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