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ページ番号:0000104517更新日:2020年1月15日更新印刷ページ表示

2019年12月18日記者会見「今年1年の総括と来年に向けた展望について外1件」

動画は下記からご覧ください。

(「広島市動画チャンネル(市長記者会見)」のページへジャンプします)<外部リンク>

市政記者クラブからの代表質問

今年1年の総括と来年に向けた展望について

記者

 幹事社から代表して2問質問いたします。まず、1点目は「今年1年の総括と来年に向けた展望について」です。

 この1年は、市長選があり、サッカースタジアムの建設地が決まりました。広島電鉄の乗り入れなども含めてですが、広島駅南口の再整備計画が具体的に示され、市中心部で進める「楕円形の都心づくり」を具体化する大型開発事業の構想が相次いで示されました。まちづくりが大きく動いたこの1年の総括、また、来年に向けた展望をお聞かせください。

市長

 まず、今年1年を振り返ってということですけれども、4月の(広島)市長選挙で多くの市民の皆さんの御支援で引き続き市長として、この広島市政を担うことになりました。

皆様方からの再度の負託に応えるべく、懸命に取り組む中で本当にあっという間に1年が過ぎたなという思いであります。

そのような中で、5月に平成から令和にということで、新しい時代の幕開けということであります。

いろいろな意味で思いを新たにしながら、これまでの市政の取組をもう一回、自分なりに点検しながら、次なる一歩を踏み出したというふうな1年であったんじゃないかなと思います。

市政の柱で3つ、「活力とにぎわい」、「ワーク・ライフ・バランス」、それから「平和への思いの共有」、この3つの柱は変わっておりません。

そのような中で、まず、最初の「活力とにぎわい」に関してですが、これについては都心部では、更なるにぎわいの創出、活力の創出、こういったことが主要な課題かなという問題意識に至って取り組んだと思います。

そして、広島の新たなシンボルとなります、サッカースタジアムの建設場所が中央公園広場ということに決定いたしました。5月の話であります。

今は施設の内容、それから、にぎわいづくりのための整備方針などを定める基本計画の策定に向けて、県民・市民を始めとする関係者の意見も聴きながら、検討を進めているという状況にあります。そのような認識であります。

それから、広島駅の南口広場の再整備であります。これに関しては、今年の3月に広島市とJR西日本、それから広島電鉄のこの関係三者での合意といいますか、取組が明確になったというふうな認識です。

魅力的な駅前空間の整備方針を立てて公表して、目標は令和7年の春、駅ビルの開業、そしてその同時期に路面電車、駅前大橋ルートを作り上げるということ、それと同時に循環ルートの開業を目指すと、こんな目標に向けてスタートを切ったというふうに思っております。

そして、具体的な作業手順としては11月に入って、駅前大橋ルート、それから駅前広場の都市計画決定が行われました。

さらには、国の方から広島電鉄に対しまして、軌道事業の特許が交付されたという状況になっています。

そして、JR西日本の方で駅ビルを閉鎖して、建替えに着手ということも予定されていまして、これは来年の3月末になると思いますけども、いよいよ建替えに着手ということになります。

広島市の方もそれと連携して来年中にも主要な工事に着手していくということになろうかと思っています。

それともう一つが、「楕円形の都心づくり」という視点での取組でありますけども、これを一層推進していくために、「都市再生緊急整備地域」に指定された広島駅の周辺と紙屋町・八丁堀のこの両地区につきまして、一層の促進を図ること、その際の視点は国際平和文化都市である我が市のいわば国際競争力の強化といったような視点も込めてでありますけれども、「特定都市再生緊急整備地域」の指定を目指すということも同時並行で、今進めております。官民で構成する会議での議論を行っているところであります。

そういう意味では、こういった「楕円形の都心づくり」、来年も広島広域都市圏というものを視野に置きながら、中四国全体の発展を牽引するまちづくりというもの、そして国内外から多くの人をこのまちに惹きつけて活力・にぎわいを創出するという取組をしっかりやっていくのがこれからの目標というふうに位置付けています。

そのような中でもう一つ、「活力とにぎわい」ということに関しては、醸成を図ることが喫緊の課題であるという地域が市内にあります。それは中山間地・島しょ部というところであろうかと思います。

先ほど申し上げたように、都心部については、この活力とにぎわいを更に増していくということですけども、基本的にそれを醸成していくという地域も市内にあると、そしてこの地域についての活力とにぎわいの取組を都心部と同時並行でやるということをしっかり考えていることも申し上げたいと思います。

 例えば、似島地区に関しましては、似島臨海少年自然の家の有効活用に向けたソフト・ハード両面での取組を進めてきておりますけども、これを更に進めるということ。また、戸山・湯来地域、ここではそれぞれの地域資源を生かしながら、この地域全体の回遊性を高めるという連携施策を講ずることで、この地区全体の活力・にぎわいを醸成するという取組、これを一層加速させていくというふうなことを、今考えているところであります。

次に、「ワーク・ライフ・バランス」の取組ですけども、これに関しては圏域内の市町と連携するといった中で、電話による救急医療相談等を行う「救急相談センター広島広域都市圏」というのを今年の1月に開設いたしました。

それに加えて、夜間の対応といたしましては、「千田町夜間急病センター」整形外科・外科部門を整備して、6月から診療を開始するといった取組をしまして、緊急の救急医療体制の整備充実ということに一歩踏み込んだというふうな思いがあります。

それから、幼児教育と保育の一体的な質の向上といったことを狙いまして、「乳幼児教育保育支援センター」というものを4月に設置いたしました。ここでは、豊富な知識とか経験を持っておられる乳幼児教育保育アドバイザーが中心となって各園等の抱えている課題解決に向けて支援すると、あるいは保護者の子育てに対して助言を行うといったようなことも行えるようにいたしました。

そしてこの延長線上、来年は今年取り組んだ成果を踏まえてということでありますけども、保健師が地区を担当して、いろいろな困りごとを個人の希望に沿った対応ができるようにするということを東区で始めてきているんですけど、これを全区展開していくということを今考えております。

 そして、高齢者いきいき活動ポイント事業、これに関しても対象年齢を拡大して、更なる利用促進を図るといったことをやっていきたいと思います。

こういったことを通じて、地域共生社会の実現に向けて着実な取組を進めるということをしたいと思っています。

その他、観光といった要素も入ってくる部分がありますが、広島城に関しまして、特に今年、浅野氏広島城入城400年記念事業というものがありましたので、これを契機として、多くの方々に被爆以前の広島の歴史・文化、こういったことに関心を持ってもらう、そしてそれをよく知ってもらえる場所にするというふうなことを考えております。

そうすることを通じて、観光都市としての回遊性をこの広島城も使いながら高めていく、魅力向上に資するものにしていくということを更に進めたいと思っています。

それと、別の視点で、音楽のあふれるまちづくり、花・緑・音楽こういったもので、そこで、この市内に集う方々に居心地のいいまちにするという視点も込めてでありますけども、音楽のあふれるまちづくりなどもしっかりと進めたいと、まあ、そうすれば国内外から来られる方々が気軽にこの市(広島市)で音楽に接することができるということになろうと思います。その中で、例えば「まちかどピアノ」の設置、こういったこともこれからやっていければというふうに思っているところであります。

最後に、「平和への思いの共有」についてでありますけども、被爆地からの要請に応えて、先月、フランシスコ・ローマ教皇が来広されました。そして、平和記念公園から世界に向けてのスピーチ、メッセージ発信がありまして、「ヒロシマの心」に通ずるものが教皇の思いにもあるんだなということが確認できました。そういう意味では多くの市民を勇気づけることになったんじゃないかなというふうな思いをしています。

私自身はこの教皇のメッセージを追い風にして、そして、本来、市長が負っております責務、広島平和記念都市建設法によりまして、平和記念都市を完成するということについて、不断の活動をしなければならないと、そのような責務を負っている広島市長という立場としては、しっかりと取組を進めるということをやりたいと思います。その際、取組の手法としては引き続き平和首長会議の世界の7,800を超える加盟都市、こういったところと連携を深めながら国という境界線を越えて、都市同士共通する問題意識、そういうものを持ちながら、お互いに助け合いながら、そして核兵器のない世界を目指す、こういった取組をやることを通じて、各国の為政者が、こういった都市の共同体の考え方も受容していくような環境づくりを更に一歩進めるということに力を入れていきたいというふうに思っております。

もう一つ、来年は被爆75周年にあたる、そのような中で東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会もあります。そもそもオリンピックというのは、ギリシャの時代から、戦争というものを停止して平和について考える、その平和を享受するための催しというふうな側面もありますので、この開催ということを契機に、「ヒロシマの心」を世界に向けてアピールする絶好のチャンスじゃないかというふうに思っています。そのような状況にありますので、可能であれば各国選手とか役員など、広島に来ていただくよう働きかける、あるいは東京都内で原爆・平和展を開催するなど、記念事業を来年実施する中で平和発信ということを、しっかりやりたいと思います。その際、これからの時代ということを考えて、若い世代がこういった平和を希求する活動の主役となるようにしていくための工夫をしていく、高齢化が進む被爆者から着実に次代を担う若い方々にその平和のバトンが渡るような取組をするということをしっかりとやっていきたいというふうに思っているところです。以上です。

記者

 最後におっしゃいました、平和の若者たちという、市議会の方にも少し出ていましたが、若者たち主導による平和の集いについては、具体的にお考えになっていることがございましたら、それからまた、なぜそれを思いついてというか、そういったことも少し教えていただければと思います。

市長

 若者というところを主体にというかターゲットにいろいろな平和の取組を考えているというような、もともと被爆者の方々、そのヒロシマの心の原点なのですけれども、それを引き継ぐということをしないと、これからの平和発信というものも大変だなという思いの中で感じていたところですけれども、それに加えて、先月のローマ教皇が広島を訪れられて、平和のための集いが(広島)平和記念公園で開催されたのですけれども、それが日没後の開催ということで8月6日の朝の式典と全然雰囲気が違っていまして、暗くて静寂な中なのですけれども、原爆ドーム、(原爆死没者)慰霊碑というものをしっかりと見据えながら、教皇のメッセージをお聞きするという場面設定がありました。本当にひっそりとした中で厳かな雰囲気でお話が聞けて、私も印象深かったですけれども、多分、参加した方どなたも非常に印象深いものがあったのではないかと思うのです。そういう意味では、こういった厳かな雰囲気で平和のための祈りができるという時間帯も自分なりに確認できたので、できれば、被爆75周年を契機として、こういった取組が、もっともっとできないかなというふうな思いになったと同時に、そういった取組を若い人たちが主体になってやってもらうのはどうかなと、実は思ったわけであります。既に若い方々がいろいろな取組をして、ヒロシマの心を伝えるということをやりたいということを言っておられるのを今までも度々、耳にしてきておりましたし、実際に見もしておりますので、こういった(広島)平和記念公園を使った、夜の静粛な雰囲気の中でのいろいろな取組、それを企画・運営するということをもし、やってもらえたらなと、具体的に自分でどうとは思ってはいないのですが、その時間帯と場の提供ということをやってみたいと思いますので、どんなことができるかということを次の世代の皆さんに考えていただく、そして、民間の立場というか、いろいろな方もおられますから、協力をしていただいて、そしてこの取組が一過性に終わることなく、着実に広がっていくという取組にするというふうにしていただけないかなと思うのです。そういう意味ではアイデア募集なのですけれども、いくらかの今申し上げた要素を加味した取組をしていただくならば、次世代への着実なバトンタッチ、オリンピック開催の年を契機としてバトンタッチができるのではないか、でき始めるのではないかという思いに至っています。

記者

 まだ、もう少し踏み込んだところまでは、これからのお話になるのでしょうか。

市長

 そうですね。提案いただいて行政と若い方々としっかり話をして、どんなものにするかというようなことをやらせていただく中で、対応していくというのはどうかと、話し合いをしながら、こんなふうに展開したいと、これでどうだろうと、行政として、どんな手伝いができるのだろうと、そういうやり取りをしながらやっていただけないかなと思います。

旧陸軍被服支廠の解体方針について

記者

旧陸軍被服支廠の解体方針についてお伺いします。広島市では現在86件の建物が被爆建物台帳に登録され、国内外の人々が被爆の実相に触れる重要な役割を果たしています。そのうちの1つである旧陸軍被服支廠についてですが、広島県は3棟のうち2棟を解体する方針を示しています。この方針について市長の意見をお聞かせください。また、広島市では制度として被爆建物の保存工事に助成をしていらっしゃいますが、本件について何らかの費用負担に応じたり、あるいは市民に呼びかけてそうした資金を集めるといったようなお考えはありますでしょうか。

市長

 まずもって、被爆建物というものを我が市がどういうふうに考えているかということを少し御紹介した上で回答したいと思います。被爆建物は、被爆という歴史的な事実であるとか、原爆被害の凄惨さというものをしっかりと今に伝える、もの言わぬ証人というふうな存在であると思っておりまして、これが失われてしまうと二度と取り戻すことができない、そういった意味での貴重な財産でもあると思っています。

 昭和20年の原爆が投下された直後は市内に多くの被爆建物が当然ありましたけれども、その後、街がだんだん整備され、開発の状況が行き渡っていく中で、原爆ドームというものを除いて、多くのものが復興過程で取り壊されるというか新しい建物に変わるといった状況がありました。そのような中で今言った基本認識、「もの言わぬ証人」という位置付けで被爆建物を考えていこうということにして、平成5年度から、「もの言わぬ証人」、いわゆる被爆建物の保存・継承というものに力を入れるというふうに舵を切ったわけであります。

 この舵を切った施策によって、将来、被爆者がいなくなったとしても、広島のこの被爆地における被爆の実相を伝える原点である被爆建物、これも残っていくということに、ある意味なったわけでありますが、その残し方です。建物についてはそれぞれ所有者が異なりますので、市としてはそのような中で、まず被爆建物の所有者、所有している方に対して、可能な限り保存・継承してくださいという働き掛けをするという方針で取り組んできております。

 こうした中で、この度の旧陸軍被服支廠に関しましては、聞くところによると県において、県民・市民の声を踏まえて結論を出すという方針の下で、今、意見聴取をされているということになっていますので、そういった結論は皆さんの意見を聞いてということになるのではないかと考えていますけれども。実はこの扱いについて、県・市で協議する場も今まで設けておりまして、これまでも担当の課を通しまして県に対して、行政として安全対策とか財源措置という観点も考慮する必要があることは重々理解しているのだけれども、できる限り全棟を保存していただきたいということを我が市としては伝えてきているという状況にあります。その気持ちは今でも変わっておりません。

 そして、そういった中で、後半のほうの質問でありまして、市の協力の仕方ということになろうかと思いますけれども、今申しましたように、本市ではこれまでも被爆建物の所有者に対しまして、その保存・継承を要請するということをやってきていますが、その際、その所有者が民間の方である場合、個人であれ法人であれ、民間ということ。それは個人のお金を使ってやられるということになりましょうから、お願いする以上、一定の費用負担があるほうが理解が進むだろうということで、国からの補助金も活用した費用補助をするという仕組みを作っておりまして、それを使いながらお願いするということをやっておりました。それと、もう一つは、建物の中に市所有の被爆建物ももちろんありますから、これは当然、市が自費でやるんですけども、そのときも国からの補助金と自費、これをうまく利用して、保存・継承するというやり方をやってきたわけであります。

 こうしたやり方をずっとやってきておりますから、県が所有する被爆建物については、この考え方を貫くならば、まずは県において取り組んでいただくということを基本にしながら、市としてできることで協力、何ができるかというような考え方の下で対応していきたいと考えております。ですから県のほうで保存していくと、そのために必要な資金集めを県としてもやるというときに、市としても一緒にそういった協力をするというようなことはあるんじゃないかと思います。

記者

 補足で質問させていただきます。既に市のほうからも、可能であれば全棟保存してほしいという意見を伝えているということだったのですが、その中で、例えば県からの市のほうに対する返答というのは何か返ってきているのでしょうか。

市長

 返答という形は、先ほども言った事務的な協議の場で申し上げて、そしてそういったことを踏まえながら県の方針は最終的に県民・市民の声を踏まえて結論を出すと。こういうお答えをいただいております。我々の意見も咀嚼した上で、自分たちとして県民・市民に意見を聞いて処理方針を決めるという形の御返事をいただいています。

記者

 これまでも広島市としては、市の所有している被爆建物もありますし、あるいは民間を支援すると。いろいろな形で被爆建物の保存に関わってきて、いろいろなノウハウも含めて蓄積があると思うのですが、例えば費用負担というのは当然軽いものではないわけで、その中では、例えば文化財の指定を受けることで、さらに国の支援が受けられたりとか、いろいろな考え方があり得ると思うのですが、例えば県に対して、(旧陸軍)被服支廠を可能ならば全棟保存してほしいと。例えばそこを目指すのであれば、文化財の指定を目指すであるとか、いろいろなこういう方法があり得るとか、そういった具体的な助言のようなことも含んでされているのでしょうか。そこまでは。

市長

 今の保存するにあたっての様々な知識は、市が言わなくても県のほうがいわば組織が上位官庁ですからね。当然国と近いですから、知っておりますのでね。助言してくれとも多分言われないと思います。むしろ我々が県のほうから情報を得ながら、いろいろな対応してきているというのが、これまでの経過です。

記者

 市として費用負担に関しては、前向きに考えるかどうか、そこに関してはいかがでしょうか。

市長

 先ほども申しましたように、それぞれの所有者で手当をしていただいて、民間であれば我々、税金を頂いている、市民税として頂いているお金を、国税という形で納められている国のお金と一緒になって民間を助けるという仕掛けを作っております。ですから県のほうは、市民から頂いた、県民から頂いた税金を使って国のほうから来る税金を加味してやられるんじゃないかなと思いますけどね。

記者

 費用負担に関しては、市としては考えていないということでよろしいですか。

市長

 今のルールですと、それぞれ頂いている税金をどう配り直すかだけですからね。出どころは一緒ですから、と思っていますけど。

記者

 ちょっと補足で。ちょっと話が遡るんですが、市のほうから県のほうに、できれば全棟保存をというふうに求め、意見を伝えていると。そもそも市として全棟保存が望ましいと考える理由というのを改めて御説明いただけますか。

市長

 先ほども申しましたように、「もの言わぬ証人」ということでありまして、今から建物もどんどん少なくなって、民間のほうも、今言われた86あるんですけど、それを残すにあたってもいろいろな要請をしつつ支援をしていく中で、どうしても減るという状況は、なかなか阻止できないですよね。それぞれの所有者の方の御意思ですから。だから、そのようなこと考える中で多くの方が被爆建物として残すほうが「もの言わぬ証人」として、本当に後世役立つんだということを言われておるという事実がありますから、それをやはり尊重していただくほうがいいのではないかという立場で申し上げたということです。

記者

 細かいことを聞くようなのですが、市としては、例えば、その1棟を保存することと、全棟を保存することの違いというのは、どのようにお考えになっていますか。

市長

 それは全部が残されればいろいろな意味で、被爆の実相を伝えるスケールが大きくなりますから、いろいろな意味で「もの言わぬ証人」としての量的な面で、質的はどうか分かりませんが、量的な面で効果があるというふうに思いますし。ただ、そうでなければいけないという基準を持ち合わせているわけではありません。というのは、今までも民間の所有者の方々に対してお願いする中で、なるべく残していただくほうがいいのではないですかと、納得いただいて、それじゃあやるんだけども、多少なりとも費用を負担してもらったほうがいいという方については、我が市の市税収入と国からの補助を足して支援するということをやっていますから。だから、そういった判断を、もし県のほうでしていただくのであれば、県は県民税というか、税金を使ってやるわけですから、やはり国のそういう制度をうまく使ってやられるんだろうと思います。その際に、最終的には議会がありましょうから、予算措置がいるということになりましょうから、議会にお諮りして結論を得るために県のほうでは県民・市民の意見を聞いて、どの範囲で残すかということをある意味では財政負担というようなことも考慮しながら、「もの言わぬ証人」ということについての価値観は十分承知していただいていると思いますけども、もう一方で、財政的な面の配慮も加えて、そしてあえて言えば、多分、今のロケーションですね。すぐそばに住家があるわけですから、そういった方々への影響というようなことも、総合的に考慮して対処されることになるのではないかなと思っています。

記者

 被爆建物の(旧陸軍)被服支廠の価値として、被爆建物の価値を今おっしゃっていただいたと思うんですけども、建築物としても価値があるというか、レンガと鉄筋コンクリートが組み合わされて現存するものとしては、かなり古いものと言われていますけども、それの価値についてはどのようにお考えかということと、あと広島市のピースツーリズムのコースの一つにも市として組み込んでいらっしゃいますけども、それはどういった理由で組み込んでいらっしゃるんでしょうか。

市長

 前者の価値というか、「もの言わぬ証人」ということで申し上げたそれに収れんされるんですけども、原爆ドームを見ていてもそうですけど、ある意味では物理的にいうと、壊れかけたそのままの状況で残すということになるんですね。決して建築物として優れて価値があるというふうな位置付けではなくて、原爆投下されたそのときにあった破壊力の威力を示す建物ということが、まさにもの言わぬ証人だと思うんですね。言われたレンガの構造だからどうこうというわけではなくて、その建物に対する風圧とか破壊力の爪痕が残っていると、そちらのほうが私は被爆建物の値打ちだと思っています。だから、その傷んだ状況を残し続けるというのはなかなか大変なんです。きちっとしたものを残すわけにはいかない、いわば崩れかけた状況で残すということですから、残そうとするといろいろな形で費用負担もかかるっていうのは実際に経験しています。今の原爆ドームを保存するために保存基金をつくるとか、そういった様々な手当てをしておかないと。しかも技術的には、そういった状況で残すという技術をなかなか業界としては持っていなくて、直すたびにいろいろな議論をしながら、どういった形で保存するかと、そういったとても手間のかかるものなんですけども、「もの言わぬ証人」という立場からなるべく残していただくように、所有する方々にお願いするというのが今までの市の立場でありました。したがって、そういうお願いをするときに少しでも所有している方々への費用負担を軽減するということも了解済みでお願いしていますよと。市民からいただく税金を市としてそういった支援に使うということを議会を通じてお諮りし、そして国のほうもそういった対応は確かだということで、市のやることについて国民からもらったお金を使って助けてあげようという、そういう方法を認知してもらっているということですね。そういった意味で予算措置してきているという中で、ですから、それで国、県、市、その所有者の方が「もの言わぬ証人」にしようというふうに認知していただいている、その建物は広島に来た方々に平和を感じていただくためのピースツーリズムという仕立てで多くの方に来ていただいている中で、是非、そういうところを巡って、その所有者が県であれ市であれ個人であれ、そういうものを見ていただくことで被爆の実相を知っていただけるようにしようと考えておりまして、ピースツーリズムの行く先々をうまくルートに組んでいくということをやっているというのが現在の状況だと思っています。

記者

 被服支廠の建物を見て、市長御自身がどんな印象をお持ちですか。

市長

 私自身は、行って見たときは、ドアがグニャッと曲がったままだから、あの厚い鉄板が曲がるっていうのは相当の風圧がね。あの地点ですよ。爆発したのはこっちのほうですからね。あったんだろうっていうようなことを感じる建物かなというふうに思いますよね。その後の利用の仕方とかをいろいろ考える中でも、直後はそこの中で傷ついた方が、いっぱい応急処置を受けたと。そうは言いながら、その後はまた学校の施設としてそういった状況を残しながらも、勉強する場になったというようなことがあるから、その後の展開についても、いわばいろいろな歴史を刻んでいる建物だというふうな思いはしていますけどね。

その他の質問

広島高速5号線について

記者

 (広島高速)5号線のトンネルについてなんですけど、今回、議会は可決しましたけど、いろいろ取材をしていると、契約時に増額の約束があったかどうかっていうことが気になるという声が市民の方からも非常に多く聞かれています。その中で第三者委員会の調査方法が書面によるやり取りにならざるを得なかったというところで、その書面によるやり取りで合意があったかどうかまでが分かるかどうか疑問だという声が、市民から直接面談じゃなくて書面でのやり取りでそこまで本当に分かるのかというのが疑問だという声が結構多く聞かれたのですけど、そこに関して市長はどのようにお考えでしょうか。

市長

 むしろ、質問される方にその点について聞きたいぐらいで、書面面談だと真実が分からなくて、直接面談だと真実が分かるというルールとか原則があるのでしょうか。そこを知りたいです。

記者

 例えば、ちょっと話がずれちゃうかもしれないですけど、普通、裁判は直接話を聞くと。

市長

 最高裁(判所)はどうですか。

記者

 それは、直接、話を聞いた後の判断ですから。今回は直接、話を。

市長

 裁判官は聞いていません。最高裁の裁判官は聞いていません。

記者

 じゃあ、市長は書面で契約時に増額の合意があったかどうかっていうのは、すごいいろいろな深い問題をはらんでいると思うので、そこが書面でのやり取りだけで本当に分かるかどうか、どういうふうに市長はお考えでしょうか。

市長

 そういう質問をされること自身の意味がよく分かりません。物事のやり取りについてお話を聞くときに、直接聞くということもありましょうし、きちんと文書で回答するということもあるのです。議会でも質疑を通じてやり取りするときと、文書回答でやるということも多々あるのですよ。文書回答が真実が聞けなくて直接の議会のやり取りだけで真実が聞けるという法則があるのだったら、今の御質問に直接お答えしたいと思いますけども、そういったものがない中で、どういうために質問されるかということのほうが私は疑問なものでこういう答え方をしております。

記者

 それでは、ちょっと聞き方を変えまして、第三者委員会としては「合意がなかったと解さざるを得ない」というような表現をしていると思うのですけど、これをもって合意がなかったと断定していいというふうにお考えかどうかと、広島市としてここの問題に関しては今後、例えば独自に調査するお考えはあるのかどうか、そこに関してはいかがでしょうか。

市長

 「解さざるを得ない」という書き方をそのまま受け止めるべきだと思います。「解さざるを得ない」というふうに解したわけでありまして、解してないというふうに書いてないということです。だから、解すということに考えるということについて躊躇なく解したということと、いろいろなことを考えたけども総合的に考えてこういうふうに考えざるを得ないというふうになったという、そういう説明をされているわけです。ですけども、そういうふうに受け止めたという事実は変わってないわけでありますから。そういうふうに受け止めないと、その第三者委員会の報告書を読み取れないですよね。そうではないでしょうか。皆さん方も記事を書くときに、「解さざるを得ない」というふうに書いたときに、実はそう解してないのだと思えというふうに言われますか。解したことは、そういうふうに解釈したことは間違いないわけでしょう。だけど、一見明白にそういうふうに解したということと、そうではないのではないかと思いながらもいろいろ調べたら、結果としてこういう状況の中ではこういうふうに考えざるを得なくなったというふうに書いていると、それが事実だと思います。そうですよね。だから、私自身は第三者委員会に関して、弁護士2人と専門の方3人でやっていただいて、そこで自分たちが調べられるいろいろな手段を講じて調べた中で、そこの中で、全く想像するわけにはいかないでしょうから、得られた資料の中でいろいろ考えたらこうなると、だからこうならざるを得ないと思うというふうに言われた事実をそのまま採用すべきではないかと思っているということです。予断を許さずそのまま処理していいのではないかということでやってきましたし、今もその考えは変わっておりません。

記者

 それでは、広島市としては第三者委員会の調査で全てが明らかになっているとお考えで、今後、契約時の増額合意があったかどうかなどについての調査はするお考えはないということでよろしいですか。

市長

 あえて丁寧に答えれば、全てが明らかになっていると思っているとは言っておりません。ある状況設定の中でそう判断せざるを得ないかということについての判断をいただいたと、そういう受止めをしておりまして、その受止めで今回の事案は処理するに足る判断はいただいていると思っております。全てについて、先ほど終息を迎えて解明したというふうには決して言っておりませんからね。これを処理するに必要な判断についての示しがあり、それを利用して処理した。そして、むしろそういった疑心暗鬼があるというのであれば、今後そういったことが起こらないようにしっかりと監督、指導していく中で問題解消を図りたいというふうに思っているところであります。

記者

 市としては、調査はしないということでよろしいですか。

市長

 はい。

平和記念式典中の静ひつ確保のためのデモ活動への規制について

記者

 8月6日のデモの音量の話で、2点聞かせてください。9月議会でも話し合いでの解決を優先させるという考え方を示されていますけども、今12月の下旬になっているという段階で、一方で市長は、条例での規制をする場合は2月議会という目途も示されています。現実的にこの12月下旬になっている段階で話し合いでの解決となると、2月議会で提案する場合でもスケジュール的にちょっともう無理なのではないかと思うのですけども、その点はどのように考えているのかというのと、リミットとして6月議会で提案するという考え方はあるのか、その周知期間ということも含めて。

 もう一点だけ。関連で、先日、被団協が改めて条例化は慎重にというような意見を理事会でまとめられました。今日午後からは原水禁(原水爆禁止広島県協議会)が条例化反対だという意見を持ってこられるそうです。このような動きをどのようにとらえてらっしゃるのかというのも、合わせて教えてください。

市長

 前者のほうのスケジュール感といいますか、時間的な制約ということについては、ある意味では記者の言われた評価が客観的には正しいのではないかというふうには思います。と思われても仕方ないかなと思います。しかしながら、私自身は今回のお願いごとは、おさらいしてみますと例えば今年の式典の当日のアンケートを見ても、7割を超える人が式典全体通して厳粛な環境は必要であるという回答を頂いているという事実もあります。さらに今年の6月の市議会でも、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が厳粛な環境の中で挙行されるよう協力を求める決議案」が全会一致で可決されています。だから、厳粛な環境の中で挙行できるようにという考えを関係者の方にしっかりと受け止めてもらいたいという気持ちはずっと変わっておりません。問題は、それを実現するために関係する方々の、あるいは思いがうまく結実すればいいわけでありまして。それに関しては条例の規制以外の方法で解決できるというのであれば私はそれに越したことはないと思います。いろいろな権利の制約になるという問題もあるのだから条例がないほうがいいと、条例の規制ではなくて。であればそういう規制をしなくても、きちっと守るような対応を考えようではないかと言っていただけないかとずっと思っているわけです。そちらのほうは放っておいて、権利制約になるから条例は駄目で、では厳粛な雰囲気で挙行できるような環境づくりには協力していただけるかというと、「そこは…」となっているわけです。ただ、今希望があるのは情報開示を求めて、どういうふうにしたらいいかを考えたいと言っていただいているところがあるわけですから、それを大事にしながら、でも気持ちとして、本当にちゃんとやっていただけないのだったら、条例を構えて規制するという気持ちは変わっていませんよということを分かっていただきたいのです。それぐらいの気持ちであります。

ですから、条例規制が駄目だというのであれば、静粛な雰囲気、環境をつくるためにどういうことがあるかということを一緒にやろうではないかというぐらい、乗っていただけないかと思うのです。どうでしょうかね。思うのですけどね。

記者

 条例を作る場合、6月提案というのは周知期間という期間が2か月ぐらいになるというところで、可能だと思うのかどうなのかというところ。

市長

 それは、今度はこういった中身の問題よりか、いろいろな市民・国民に広く一定の行為制限をするというふうな、何らかの形で行為規制をするというものが作られるとすれば、それらについて様々な準備もいるだろうから、周知期間は1か月、2か月では好ましくないと。良くないというのは多分、立法技術上の問題だと思います。それも事実としてあるのは承知しております。

記者

 今のお話を総合して考えると、かなり条例提案は難しくなっているように思うのですけれども、いかがでしょうか。

市長

 客観的にはそうでしょう。その状況うんぬんよりか、申し上げましたように、静ひつな環境で式典を挙行するためのより具体的なやり方について、関係者の方としっかりとした話し合いができないかということだと思っております。

※( )は注釈を加えたものです。

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