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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和4年11月1日号トップページ区版西区 > 井口歴史の散歩道

歩いてみよう西国街道
井口歴史の散歩道

 西区には、かつて大名行列や旅人が行き交った西国街道があり、井口地区にも当時の面影を残す史跡や古い街並みなど、貴重な歴史が多く残っています。
 気候が良くなったこの時期に、散歩がてら歴史を感じてみませんか。
◆問い合わせ先:地域起こし推進課(電話532-0927、ファクス232-9783)

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西国街道とは...

 江戸時代、西日本の幹線道であった京都と下関を結ぶ山陽道のことです。五街道(東海道・中山道・日光道・奥州道・甲州道)に次ぐ重要な街道で、参勤交代や幕府代官、旅人などが往来する道として、多くの交易に利用されていました。人やモノ、情報が行き交うことで、地域ごとにその土地ならではの文化が生まれ育っています。

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●餓鬼(がき)の首地蔵(くびじぞう)(井口四丁目)
 江戸時代、このあたり一面は海でした。ある時、船が暴風雨に遭って船頭が亡くなったため、家族が山に洞穴(ほらあな)を掘り、お地蔵様を祀(まつ)って、供養しました。その場所が「餓鬼の首」といわれていたため、餓鬼の首地蔵と呼ばれ、海の安全を祈願するお地蔵様になりました。
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●小己斐明神(こごいみょうじん)(井口明神二丁目)
 平清盛が厳島神社を建立した際、鈴ヶ峰から木を切り出して木印(こくいん)を押したことから「木印の明神」と呼ばれていました。さらに、子宝の神さまともいわれ、別名「子乞(こごい)明神」とも呼ばれています。また、昭和25(1950)年以降、この辺りは井口漁港として使用され、今でも当時の雁木(がんぎ)(階段に似た構造物)や防潮堤が残っています。
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●大歳神社(おおとしじんじゃ)(井口二丁目)
 大歳神社は、万寿(まんじゅ)元(1024)年創建と伝えられています。活疱明神(かつぽうみょうじん)ともいわれ、疱瘡(ほうそう)(感染症の一つ)に対する守護神としてもあつく信仰されていました。境内には樹齢450年を超える大樹が残っています。また、秋の大祭の前夜には、境内で200年以上舞い継がれてきた伝統芸能「井口神楽」が奉納されています。
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●西国街道跡(さいごくかいどうあと)(井口二丁目)
 江戸時代、平地が少なかった井口は、街道も山間部が多かったといいます。なかでも小己斐山(現在の龍神山(りゅうじんやま))の峠は、難所として知られていました。現在、昔のまま残っている街道はほとんどありませんが、龍神山参道入口(下写真)から約100mは、唯一、ほぼ昔のままの姿で残っています。
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井口を より住みよいまちへ

 私たちは「井口・鈴が峰魅力づくり委員会」です。西国街道の魅力を次世代に伝えるために、20年程前に発足し、マップ作成やガイド、出前講座など幅広く活動しています。
 西国街道は、昔の井口の景色を思い出させてくれる思い入れのある道です。子どもたちが井口の歴史を知りながら育ち、自分の帰る場所と思えるように、この活動を続けています。また、活動を通して日常的な地域のつながりを大切にし、地域のみんなの心安らぐふるさとが井口であるようにと願っています。
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左から 本西文雄さん(87歳)、楠勲二(くんじ)さん(94歳)

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