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広報紙「ひろしま市民と市政」

広島市ホームページ令和2年8月1日号トップページ区版中区 > 平和大通りの木に会いに行こう

平和大通りの木に会いに行こう

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写真:並木通り近く(B)のクスノキ

 中区を東西に貫き、広島の復興の象徴でもある平和大通り。都心の緑豊かな空間は、道行く人の心を癒やしてくれます。ここには、被爆した木や、世界各地から贈られた木があります。そうした木々に会いに行きませんか。
◆問い合わせ先:区政調整課(電話504-2543、ファクス541-3835)

供木運動の樹木の一部を紹介します

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 平和大通りの歴史は、第二次世界大戦中に建物を取り壊して防火帯をつくったことに始まります。昭和20(1945)年8月6日に原子爆弾により街が廃墟と化すと、恒久平和に結びつけたまちづくりを望む声があがりました。その後、100m道路は広島平和記念都市建設計画に位置づけられ、整備が進められました。「平和大通り」という名称は、昭和26(1951)年11月に公募で付けられたものです。

復興を支えた供木(きょうぼく)運動

 平和大通りには、昭和32〜33(1957〜1958)年に、市が「供木(きょうぼく)運動」として県内市町村に提供をお願いした木々が多くあります。2年間で多くの寄付を受け、約6千本が平和大通りに植えられました。その後も国内外からさまざまな種類の樹木が贈られました。

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平和大通りの緑化活動(昭和32年、公文書館所蔵)

 被爆により「75年は草木も生えない」と言われた広島の街は、多くの人々の協力により緑豊かな都市へと復興したのです。

人々に愛される場所に

 平和大通りの樹木を愛する人たちが集まる「平和大通り樹(き)の会」は、毎月の樹木観察会のほか、小学校・公民館のイベントでのガイド活動を行っています。会長の小林みどりさんは「歴史を訪ねて平和大通りを歩くと、誰もが平和を望んでいることが感じられます。こんなに素敵な場所が近くにあるなんて、幸せなことですね」と笑顔で話します。

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公民館イベントでのガイドの様子

樹木を守り、受け継ぐ

 広島の被爆樹木を守り続ける人がいます。樹木医の堀口力(ちから)さんは、30年以上にわたり、被爆樹木の調査・保存活動を行っています。

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被爆樹木を見守る堀口さん

 「平和大通りの樹木は、広島の復興のシンボルであり歴史でもあります。被爆した木は、芽吹くことで市民に希望を与えました。そういった樹木を後世に残さなければ!という強い思いから、樹木医の資格を取り活動を始めました。この先も、さまざまな個性を持つ樹木に寄り添い、付き合っていきたいです」と思いを語ります。

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旧国泰寺愛宕池(A)付近の被爆樹木
(左からエノキ、クロガネモチ、センダン)

平和大通り樹の会 小林会長に聞く
私のお薦めスポット

 旧国泰寺愛宕池(A)です。国泰寺は、広島藩主浅野家の菩提(ぼだい)寺*だったんですよ。かつて、愛宕池はお寺の庭にあり、平和大通りの道路部分は海でした。庭には多くの木が生えていたので、その名残で、ここには1945年の被爆に耐え抜いた被爆樹木が集まっているんですね。
*一家が代々帰依して葬式・追善供養などを営む寺

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〔旧国泰寺愛宕池は、市指定史跡です〕

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平和大通り樹の会
小林会長

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