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広島平和記念都市建設計画
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■広島平和記念都市建設計画(1952(昭和27)年)
 戦災による税源の全面的な喪失、終戦後のインフレのため、広島市の財政は壊滅的な状況にあり、本市の復興はその力だけではどうにもならない状況であったことから、復興の後押しを得るために、関係者のたゆまざる努力が続けられ、原爆投下のまさに4年後の1949(昭和24)年8月6日に広島平和記念都市建設法が公布されました。
 この法律は、広島市を恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として建設することを目的とし、旧軍用地等の国有地の譲与、事業補助の優遇等が盛り込まれました。
 1952(昭和27)年にこの法律の趣旨に沿って、まちづくりの具体的な計画として、広島平和記念都市建設計画が策定されました。
 その大要は次の事項からなります。
1 原爆の爆心地に近い中島地区に12.21ヘクタールの公園を計画し、これを記念施設平和記念公園として位置づける。
2 広島城跡を含む58.74ヘクタール(現在44.1ヘクタール)を中央公園とし、その他市内に多数の公園を配置する。
3 市内を南北に貫く河川美を生かすため、河岸緑地を計画する。周辺山地部には山地部緑地を計画する。
4 市の中央を東西に貫く100メートル道路を軸とし、幹線道路を碁盤形式に配置する。
5 市街地の大部分は、デルタ地帯に位置しているため理想的な下水道計画を樹立する。
 この広島平和記念都市建設法及び広島平和記念都市建設計画に基づいて今日の広島市は築き上げられ、また、これらが今日の広島市の都市計画の根幹をなしています。

広島平和記念都市建設構想試案 広島平和記念都市建設構想試案
1950(昭和25)年4月
市長室で策定し、1950(昭和25)年4月付でまとめられたガリ版刷の構想試案。

格調高く平和都市の理念を説くところから始まって、平和施設や文化施設、都市計画の幅広い内容まで計画の対象とし、事業実施の必要性を強調しています。
広島平和記念都市建設計画 昭和27年(1952年)
広島平和記念都市建設計画
 1952(昭和27)年
 
■現在の都市計画
 1960(昭和35)年頃から、都市へ人口と産業が急激に集中し始め、地価の高騰、住宅難、交通混雑等のいわゆる都市問題が深刻なものになってきました。このため、国はこうした都市問題の解決手段として、1968(昭和43)年に新都市計画法を制定しました。
 その後、社会情勢の変化等に対応して、現在までに幾度か法改正を行っています。
 広島市では、1968(昭和43)年の新法施行に伴い、1971(昭和46)年から1973(昭和48)年にかけて、都市計画区域の指定、市街化区域及び市街化調整区域の決定、用途地域の決定を行い、1996(平成8)年には1992(平成4)年の法改正を受けた新用途地域を決定しました。
 また、広島市では、2009(平成21)年に新たな「広島市基本構想」を策定し、「国際平和文化都市」を都市像として継承するとともに、2020(平成32)年を目標とする「第5次広島市基本計画」を策定しました。
 広島市では、都市像として掲げる「国際平和文化都市」の実現に向け、広島平和記念都市建設法の精神に則り、道路、公園、下水道等の種々の都市施設の整備や市街地再開発事業の推進に積極的に取り組んでいます。

広島市中心部
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広島市都市計画総括図 平成14年現在
広島市都市計画総括図
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