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広島平和記念都市建設法の関連施設

■関連施設マップ

マップの使い方  広島平和記念都市建設法に間連する施設を●で示しています。
 ●の横の施設名をクリックすれば、各施設の解説へリンクします。

 ■関連施設の解説


    ここでは、広島平和記念都市建設法に間連する以下の施設について紹介しています。
  • 法第1条の「恒久の平和を記念すべき施設」として整備された平和記念公園
  • 法第3条に基づき、「国及び地方公共団体の関係諸機関」から広島市に援助が行われた事例
  • 法第4条に基づき、国の普通財産が広島市に譲与された事例
  • 法第6条に基づき、住民や経済界などから広島市に援助が行われた事例
※、《地図》をクリックすると、詳しい地図で場所を確認できます。
また、各施設の写真をクリックすると拡大します。
法第1条の関連施設   「恒久の平和を記念すべき施設」
■平和記念公園
《地図》
戦災後の中島地区
戦災後の中島地区
   1946(昭和21)年

現在の中島地区
現在の中島地区
(平和記念公園)
 元安川と本川にはさまれた中島地区は、被爆前は本市最大の繁華街でした。
 この地は、1946(昭和21)年の復興都市計画において中島公園として計画されましたが、1952(昭和27)年策定の広島平和記念都市建設計画の中で「平和記念公園」と名称を変え、原爆ドームがある地を含む12.21ヘクタールの記念施設として都市計画決定されました。
 
法第3条の関連施設   「国及び地方公共団体の関係諸機関」から広島市に援助が行われた事例
■平和大通り
《地図》
供木運動
供木運動
 1957(昭和32)年

現在の平和大通りの植栽
現在の平和大通りの植栽
 「広島の地を永遠の緑でおおわれた平和郷に」という広島市の呼びかけによって、1957、1958(昭和32、33)年の2ヵ年で県内各地の市町村から約6,000本の木が寄せられました。この運動を「供木運動」と言います。
建設工事中の平和大通り
建設工事中の平和大通り
現在の平和大通り
現在の平和大通り
 平和大通りは代表幅員が100メートルのため、「百メートル道路」と呼ばれて市民に親しまれています。
 幅員100メートルの道路は全国の戦災都市で24本計画されましたが、実現したのは名古屋市の2本と広島市の1本だけでした。
■平和大橋
《地図》
平和大橋 昭和27年
平和大橋
   1952(昭和27)年
現在の平和大橋
現在の平和大橋
 平和大橋は、対日援助見返資金により、特別に国の直轄事業でつくられました。
 この橋の欄干は、世界的な日系彫刻家イサム・ノグチ氏によってデザインされました。この欄干は、広島再建の理念を意味する「つくる」を表しているといわれています。
■西平和大橋
《地図》
西平和大橋 昭和27年
西平和大橋
   1952(昭和27)年
現在の西平和大橋
現在の西平和大橋
 西平和大橋は、対日援助見返資金により、特別に国の直轄事業でつくられました。この橋の欄干は、世界的な日系彫刻家イサム・ノグチ氏によってデザインされました。
 この欄干は、その形が船の竜骨(船体を支える船底の材の形)に似ており、出離の理念を意味する「いく」をあらわしています広島再建の理念を意味する「つくる」を表しているといわれています。
■旧日本銀行
広島支店
《地図》

※頼山陽居室の左隣です。
現在の旧日本銀行広島支店
現在の旧日本銀行広島支店
 2000(平成12)年5月に、日本銀行は「この建物が将来国の重要文化財に指定された場合に、本法の適用により、土地及び建物を広島市に譲与する。また、それまでの間、広島市指定重要文化財に指定された場合には、同じく本法の適用により、広島市に無償貸与する」という方針を決定しました。
 同年7月に広島市指定重要文化財の指定を受けたことに伴い、同支店の土地・建物について、日本銀行から広島市に無償貸与されました。
 
法第4条の関連施設 国の財産が広島市に譲与された事例
■広島市民病院
《地図》
広島市民病院
広島市民病院
 旧軍用地であった当該土地は、1959(昭和34)年に国から広島市に譲与されました。
■基町高等学校
《地図》
基町高校
基町高等学校
 旧軍用地であった当該土地は、1967(昭和42)年に国から広島市に譲与されました。なお、本校校舎は、現JR京都駅と同じ原広司氏により設計され、2000(平成12)年に建替えられました。
■広島ビッグウェーブと牛田浄水場
《地図》
広島ビッグウェーブと牛田浄水場
広島ビッグウェーブと
牛田浄水場
 旧軍用地であった当該土地は、1952(昭和27)年から1956(昭和31)年にかけて、国から広島市に譲与されました。
 
法第6条の関連施設   住民や経済界からの広島市への援助事例
■原爆ドーム
《地図》
第1回保存工事中の原爆ドーム
第1回保存工事中の
原爆ドーム
 1967(昭和42)年

現在の原爆ドーム
現在の原爆ドーム
 1967(昭和42)年及び1990(平成2)年に、市民からの寄付金により原爆ドームの保存工事が行われました。寄附金の余剰金は「原爆ドーム保存事業基金」に積み立てられ、2002(平成14)年の保存工事に使用されたほか、保存調査の経費としても使われています。
■旧広島市民球場
《地図》
広島市民球場 昭和33年
旧広島市民球場
 1958(昭和33)年

 法第1条の目的に則した平和記念都市にふさわしいスポーツの殿堂として、地元財界から1956(昭和31)年度から1958(昭和33)年度に寄付を受けて建設されました。

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