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ページ番号:0000009630更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

平和記念施設保存・整備方針 第3 平和記念施設の現状と課題

目次

平和記念施設保存・整備方針 第3 平和記念施設の現状と課題

1.原爆ドーム
2.平和記念公園とその周辺
3.平和記念資料館
4.平和記念公園周辺の民有地を含む空間
5.市民や企業との協働

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1.原爆ドーム

(1)現状と取組み

1.保存に至る経緯

原爆ドームについては、戦後、記念物等として残すという考え方と、危険建造物であり、被爆の悲惨な思い出につながる等の理由で取り壊すという二つの考え方があった。しかし、市街地が復興し、被爆した建物が次第に姿を消していく中、保存を求める声が高まり、昭和41年(1966年)7月広島市議会が原爆ドームの保存を決議し、広島市は保存工事費を募金で賄うことを決定した。これを踏まえ、昭和42年(1967年)第1回目の保存工事が実施されることとなった。

2.これまでの保存工事

「もともと弱いレンガ建築のうえ、原爆で焼け落ちてからすでに17年目。その間、風雨にさらされっ放しなので、非常に危険な状態に陥っている。かなりの地震でもあれば、一挙に崩壊するだろう1」とされた原爆ドームは、昭和42年(1967年)に第1回目の保存工事が実施された。
以降、平成元年(1989年)から平成2年(1990年)にかけて第2回目の保存工事、平成11年(1999年)には「史跡原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)保存整備計画」を策定し、平成13年(2001年)から保存技術を選択するための技術試験・調査を開始するとともに、平成14年(2002年)から平成15年(2003年)にかけて第3回の保存工事を行った。
この間、平成13年(2001年)の芸予地震にも耐え、被爆後60年を経過した今日までその姿を残し得たことは、これまでの保存工事の効果として評価すべきである。

3.原爆ドーム健全度調査

原爆ドームの現況を把握するために、健全度調査〔外観調査(ひびわれ・モルタルの浮き、剥離・石灰溶出・鉄筋露出、腐食・鋼材変形の状況等)、沈下量測定、鉛直度調査、透水試験〕を、平成4年度(1992年度)から概ね3年に1回実施している〔平成14年度(2002年度)までに4回実施〕。この結果に基づき、必要に応じて保存工事等を実施することとしている。過去4回の健全度調査の結果によれば、原爆ドームは、全体的に安定していると判断される。

4.「史跡原爆ドーム保存整備計画」に基づく保存の取組み

現在、史跡としての保存の基本的方向と文化財としての保存方針を具体化した技術指針である「史跡原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)保存整備計画」に基づき、現状維持を基本方針とした保存に取り組んでいる。将来の保存措置に際し、最適な技術の選択が可能となるよう、「史跡原爆ドーム保存技術指導委員会2」及び三つの専門部会(保存科学部会、保存工学部会、保存記録調査部会)を設置し、平成13年(2001年)から概ね平成22年(2010年)までの10年以内の期間で、オリジナル記録調査、保存材料試験、保存工法試験、構造解析など専門調査・試験を実施することとしている。

史跡原爆ドーム保存技術指導委員会
保存科学部会
保存工学部会
保存記録調査部会


分析・検討
指導・助言

【技術試験・調査】

  • 保存材料試験
  • 保存工法試験
  • 構造躯体調査
  • 地下構造調査
  • オリジナル記録保存調査
  • 構造解析調査
  • 保存環境調査
5.原爆ドームの耐用年限

原爆ドームの耐用年限については、類例がなく、また未確定要素もあることから、いわゆる定量化して明確にするのは可能でない状況にある。
一般に、煉瓦建造物の歴史的遺産においては、地震災害などの場合は別にして、その性質上、劣化は長い時間をかけて緩慢に進行するものである。ゆえに、数百年を超える歴史を経過してもその姿を今日に伝えることができている。
このような遺産の持つ価値を確実に後世に継承するために、安定化(保存修理)や固定化(構造補強)などといった保存の手が加えられることがある。
保存作業は、保存するためではあっても、継承すべき価値の一部をどうしても破壊する側面があるため、一般に保存作業を行う場合、価値の破壊を招かないように努め、破壊を避けられない場合も、それを最小限にするよう努力する。また、できる限り作業間の周期の長期化を図り、それを達成できる材料・工法等を慎重に選択して実施する。作業後は、継続的にメンテナンスを行うことは言うまでもない。
このようにして、遺産は相当長期にわたって保存継承されているものであり、原爆ドームの耐用年限についても、地震災害などの場合は別にして、相当長期間あるものと言える。

6.原爆ドームの世界遺産化

平成4年(1992年)9月、日本の世界遺産条約加盟を契機として、原爆ドームを世界遺産に登録しようという声があがってきた。これを受け、広島市議会が「原爆ドームを世界遺産リストに登録することを求める意見書」を採択し、広島市も国へ要望書を提出したが、当初、国は「原爆ドームは国内法(文化財保護法)の保護を受けていないので世界遺産に推薦する要件を備えていない。また、文化財に指定するには歴史が浅すぎる」という見解を示していた。
こうした中、平成5年(1993年)6月、市民団体からなる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が結成され、原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願のための全国的な署名運動が展開された。そして、この請願は、平成6年(1994年)参議院、衆議院でそれぞれ採択された(署名は最終的に165万3,996名)。
地域をあげての運動の結果、国は平成7年(1995年)、史跡の指定基準を改正するとともに、原爆ドームを史跡に指定し、世界遺産として登録するよう世界遺産委員会に推薦した。その後、国際記念物遺跡会議などの審査を経て、平成8年(1996年)12月、ユネスコの世界遺産一覧表に登録された。

1:近藤泰夫京大名誉教授、補強工事の必要性を指摘(昭和36年(1961年)8月31日中国新聞)
2:史跡原爆ドーム保存整備計画に基づく専門調査・試験の実施にあたり設置された専門委員会

(2)課題

原爆ドームは、「人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人」であるとともに、「核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボル」3である。今後も、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現・維持を目指し、原爆ドームを永く保存して、その存在を世界に示し続けなければならない。

また、原爆ドームの保存にあたっては、世界遺産登録の意義を踏まえ、国家的・世界的なレベルでの共通認識のもと、その保存に取り組まなければならない。

(1)保存理念

戦後から原爆ドームの保存をめぐって様々な議論がされてきた。昭和41年(1966年)には広島市議会がその保存を決議し、平成8年(1996年)には世界遺産に登録されたことから、原爆ドームの保存管理のために必要な措置をとってきた。
しかしながら、被爆後60年が経過した今日、超長期的な視点から、原爆ドームの役割や後世に残すべき保存理念を再認識しておく必要がある。

(2)保存工事のあり方
  • ア.保存工事の与える原形への影響
    過去に原爆ドームの現状を維持するための保存工事を行っているが、その結果、原爆ドーム本来の原形が変化し、その訴える力が薄まりつつあるとの声がある。
    特に今後、これまでと同様の保存工事が繰り返された場合、保存のために手を加えることにより、オリジナルな姿とはかけ離れた外観を呈することが懸念されている。
  • イ.地震及び酸性雨等の影響
    第1回・第2回の保存工事において、原爆ドームの崩落、落下を防ぎ、可能な限り当時の形状を保存するとともに、見学者の安全を確保するため、西面北廊2階から3階の壁の建て起こし、亀裂からのエポキシ樹脂の注入、亀裂に対する金物の補強、建物内部への補強鉄骨の付置などの補強を行った。
    しかしながら、新たな芸予地震の発生が予想される中、通常の建築物とは異なり、破壊された建物で耐震度の明らかでない原爆ドームについては、耐震性の確保が課題となっている。
    また、酸性雨や大気汚染などによる構造体やオリジナル材への影響が懸念されている。
  • ウ.世界遺産(文化財)としての保存の課題
    原爆ドームは、人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、世界の歴史において普遍的な価値を有していることが、国際的に認められた世界遺産であり、この原爆ドームの持つ価値を損なうことなく、将来の世代に残していくことは、国際社会に対する責務である。世界遺産(文化財)の保存の立場から、保存のあり方を検討しているが、次のような課題がある。
    • (ア)原爆ドームは通常の文化財建造物とは異なり、破壊された建物を破壊された時点の状態に限定して全体を保存することが最も文化財としての価値を示すことになるが、どのような保存技術が最善であるかは明確になっていない。
    • (イ)世界遺産など文化財の保存における基本スタンスは、その置かれた環境も含めて、文化財の最も価値ある状態で保存することにあり、その現状をドラスティックに変化させることは困難である。しかしながら、耐震性の確保や劣化対策のための措置と原形保存との調整が大きな課題となっている。

※保存工事が原爆ドームに与える影響積極的保存工事 最小限の保存措置

3:世界遺産説明板(平成8年(1996年)12月7日)

(3)周辺整備のあり方

昭和42年(1967年)の第1回保存工事以降、柵の設置、張芝など原爆ドームの周辺整備が行われ、昭和57年(1982年)に柵の再整備と柵周辺の植栽が整備され現状のようになっている。
しかしながら、公園緑地としてのこれらの整備は、結果として被爆により焦土と化したヒロシマの街にとり残された、産業奨励館の残骸である原爆ドームの姿を思い起こさせる力を弱めてしまっている側面がある。このため、昭和20年(1945年)の8月6日を、よりリアルに想起させる手法や見せ方について検討する必要がある。
また、被爆後、原爆ドームに接して根付き、ドーム本体に影響を与える恐れのある樹木への措置について検討する必要がある。

(4)現物保存以外の取組み

将来の保存工事に対応するため、過去の調査・測量の結果、工事の内容、関連文献など原爆ドームの管理に必要な情報を集約・整理するとともに、原爆ドームそのものが持つ、訴える力を補うため、「広島県物産陳列館としての建設」「被爆の状況」「保存運動」「保存工事」「世界遺産化」など原爆ドームの意義や歴史を体系的に理解することができる原爆ドームに関する資料館機能の整備について検討する必要がある。
また、人類全体の遺産である原爆ドームの保存の意義を踏まえ、保存事業を効果的に進めていくため、募金運動の活用について検討するとともに、保存技術の検討・保存工事の実施に当たっては、国においても積極的な取組みがなされるよう、働きかけを行う必要がある。

2.平和記念公園とその周辺

(1)現状と取組み

1.平和記念公園の整備の経緯

平和記念公園については、被爆後のごく早い時期から、“原爆死没者を慰霊”し、“世界恒久平和を祈念”する公園と記念施設を整備しようとする構想が数多く提案されている。
当初、平和記念公園は、昭和21年(1946年)に策定された広島市の復興計画原案において、中島公園としてその整備が計画されたが、昭和24年(1949年)に平和記念都市建設法が制定され、同法に基づく平和記念施設事業としてその整備がなされた。昭和25年(1950年)に着工、昭和27年(1952年)に原爆死没者慰霊碑4が整備され、被爆10周年に当たる昭和30年(1955年)までに平和記念資料館、平和記念館(現在は平和記念資料館東館)などが完成し、これと並行して現在の平和記念公園の礎となる付属施設、植樹も整備された。
平和記念公園の設計案は、故丹下健三氏(当時、東大助教授)ほか3名の共同作品で、原爆ドーム・アーチの塔・陳列館(現在は平和記念資料館)を一直線上に配置し、百メートル道路(平和大通り)に立てば、陳列館のピロティとアーチの塔を透かして原爆ドームを望めるよう工夫されている。現在の公園施設の基本的な配置においては、アーチの塔が原爆死没者慰霊碑に替わったことを除き、この設計案が踏襲されている。

広島市が行った平和記念公園設計懸賞募集で一等になった丹下健三グループ案(中央上がアーチ)

広島市が行った平和記念公園設計懸賞募集で一等になった丹下健三グループ案

その後、平和記念公園は、昭和44年度(1969年度)に策定された「広島平和記念公園基本整備計画」に基づき慰霊碑周辺の整備や広場、園路、緑地帯などが整備されるとともに、昭和63年度(1988年度)に策定された「平和記念公園再整備基本計画」に基づきその再整備が行われている。

「平和記念公園再整備基本計画」(昭和63年度(1988年度)策定)における公園の整備方針

  1. 国際平和都市の原点となる「聖地」にふさわしい整備を行う。
  2. 平和文化都市の象徴である「観光地」としての機能の充実を図る。
  3. 市民に愛される「都市公園」としての機能の充実を図る。

4:正式名称は、「広島平和都市記念碑」。

2.平和記念公園の使用許可の取扱い

基本的に公園は、憩いや散策など一般の利用以外の目的で使用する場合、許可が必要である。
平和記念公園の使用許可については、(1)公園に平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑をはじめ、慰霊碑や記念碑が数多く存在し、市民にとって非常に関心の高い公園であること、(2)昭和42年(1967年)、当時の山田市長が「平和記念公園を中心とする聖域地区を設定し、施設管理に一段の工夫を加え、原爆死没者の霊を慰め、世界平和祈願の一助とする。」と所信表明で述べたことから、他の公園に比べ厳しい取扱いとしている。

  • ア.芝生広場の使用許可の取扱い
    平和記念公園内の使用について、関心が高い場所として、原爆死没者慰霊碑の南側に位置する芝生広場がある。その使用については、以下の観点から8月6日の平和記念式典以外は許可していない。
    • (ア)芝生広場は、平成7年(1995年)の全面張替以降、芝生の養生及び公園の厳粛な雰囲気の保持のため、自由な立入りを認めないこととしている。
    • (イ)芝生広場への立入りを認めると、同広場以外の区域では飲食を制限していないため、同様に芝生広場での飲食を認めざるを得なくなるなど、聖域としての雰囲気が保持できなくなる。
  • イ.芝生広場以外の使用許可の取扱い
    芝生広場以外の使用については、次の行事以外は許可していない。
    • (ア)慣例的に使用を許可している行事
      フラワーフェスティバル、全国都道府県対抗男子駅伝競走大会
    • (イ)7月から9月の間に行われる慰霊行事
      公園内に設置された原爆供養塔及び慰霊碑等で行われる慰霊行事
    • (ウ)本市が主催あるいは共催する、本市の都市像である「国際平和文化都市」を世界に訴える国際的事業
      ローマ法王平和の集い(昭和56年(1981年))
      カーター前米大統領平和の集い(昭和59年(1984年))
      オーガスト・イン・ヒロシマ(平成11年(1999年))
3.平和大通りの整備の経緯

戦後の広島市の復興における街路計画において、平和大通りは、「市街を東西に貫く幅100mの防災道路を兼ねた美観的な緑地帯」としてその整備が計画された。計画当初には、「百メートルも幅のある道をつくって、一体市はどうするつもりだろうか」「もったいない話だ」などの意見が根強くあった。
昭和24年(1949年)に制定された広島平和記念都市建設法により、平和記念公園の南側に、市の中心部を東西に貫き、中央に車道、両側に緑地帯と歩道のある幅員100mの道路が建設された。昭和26年(1951年)には、市民公募により「平和大通り」と名づけられた。
平和記念公園への入口となる、元安川と本川に架かる「平和大橋」「西平和大橋」の二つの橋(昭和27年(1952年)竣工)の高欄は、故丹下健三氏の推薦により当時の浜井広島市長がアメリカの彫刻家イサム・ノグチにデザインを依頼したもので、イサム・ノグチは自伝(1987年出版)において、『平和大橋は「つくる」、西平和大橋は「ゆく」を表現したもの』と記している。
平和記念公園に接する平和大通りは、公園と一体となった整備を行い、平和大橋、西平和大橋とともに、公園のアプローチとしての役割を担っている。

4.「平和大通りリニューアル事業」における位置付け

平和大通り及び平和記念公園は、ヒロシマにとって大変重要なシンボル空間の一つであり、市民はもとより、広島を訪れる世界中の人々が憩い、交流できる場となるよう、これから50年の都市づくり、まちづくりを見据えた、魅力ある空間整備を行うため、「平和大通りリニューアル事業」を推進することとしている。
平成14年(2002年)に取りまとめたリニューアル事業の基本方針では、平和記念公園及び周辺地区の整備の方向として「基本的な機能は現状を維持しながら、公園利用者のための利便性向上、平和の発信機能の強化を図っていく」とされており、緊急に取り組むべき項目として、「平和記念公園のゲート性に配慮した整備」「国内外の人々が交流できる賑わいの空間づくり」などが示されている。
また、平和記念公園の東西に架かる平和大橋、西平和大橋は、幅員が狭く、老朽化しており、今後、イサム・ノグチのデザインによる高欄の芸術的価値や歴史的価値を踏まえ、ヒロシマのシンボルとしての価値が高まるような橋の整備を行うこととしている。

5.「ひろしま都心ビジョン」における位置付け

魅力ある都心づくりのための、都心部の将来イメージの実現に向けた主導的な取組みを提示した「ひろしま都心ビジョン」を平成17年(2005年)2月に策定した。この都心ビジョンの重点地区の一つである原爆ドーム・平和記念公園及びその周辺、平和大通り沿道地区においては、平和文化の発信5など国際平和文化都市の象徴となる都市空間の形成、公共空間の有効活用などによる賑わいと回遊性の創出などに取り組むこととしている。

6.「水の都ひろしま」推進計画における位置付け

水辺等における新たな都市の楽しみ方の創出、都市観光の主要な舞台づくり及び「水の都ひろしま」にふさわしい個性と魅力ある風景づくりを目指し、「水の都ひろしま」構想を平成15年(2003年)1月に策定した。また、この構想の実現に向けた取組みを計画的かつ効率的に進めるための「水の都ひろしま」推進計画を平成15年(2003年)10月に策定した。この計画では、平和記念公園周辺地区において、もてなしの水辺づくりの実現に向け、元安川オープンカフェ等の拡充、市民・商店街によるイベント等の実施、「水辺のステージ」における様々な利活用などの社会実験を行うこととしている。

5:平和を求める心を表現する音楽、文学、美術、演劇、映画などにおいて新たな芸術文化や生活文化を創出すること

(2)課題

(1)平和記念公園とその周辺の整備、利便性・安全性の確保

平和記念公園の整備については、その方針として「聖地」、「観光地」及び「都市公園」としての機能の充実が図られてきたが、今後は「聖域」、「原爆犠牲者の慰霊・鎮魂の場」であるだけでなく、各平和記念施設やその周辺区域を含め、「被爆の惨禍を学び、平和を考える場」、また、「人々が集い、憩う場」などの多様な機能を有する場としていく必要がある。
そのためには、聖地に相応しいたたずまいの確保、被爆当時の状況を追体験できる空間の確保、音楽など芸術を通じた平和文化発信の場としての整備など平和記念公園が果たすべき役割、機能を踏まえた整備の方向性について検討する必要がある。
平和記念公園に接する平和大通りは、公園に至るアプローチとして、公園との一体的な整備やゲート性に配慮し、公園への進入を演出する工夫を行うとともに、平和学習等のための環境を整える方策や来訪者を安全、快適に平和記念公園まで誘導する方策について検討する必要がある。
また、これまで、平和大橋、西平和大橋及び緑大橋の三つの橋の整備については、民間資金を活用したPFI手法により一括架け替えすることについて検討を行ってきたが、現段階では、同手法の導入は極めて難しい状況にある。
このため、平和大通りリニューアル事業の基本方針との整合に配慮しつつ、当面の取組みとして、歩行者の安全性、快適性を確保するための方策について検討する必要がある。

現在、広島駅を起点に、駅前通り~城南通り~京橋川左岸~平和大通りを経て平和記念公園に至るルートを「平和の道」と名づけ、「文化の道」、「歴史の散歩道」などとともに市内中心部の散策コースに位置付けている。
来広者が広島の玄関口である広島駅や広島空港などに降り立ったとき、被爆地ヒロシマ・平和都市ヒロシマを感じることができるよう、広島駅や主要な交通結節点等において、来広者にヒロシマを意識してもらうとともに、そこから「平和の道」などを活用し、平和記念公園まで足を運んでもらう方策を検討する必要がある。

駐車場、日よけ・雨宿り施設、レストハウスなどの施設・設備を整備、改善するとともに、公園内道路の通行の抑制や夜間照明の増設など、平和記念公園への来訪者に対する利便性・安全性の確保に配慮した整備等を検討していく必要がある。

(2)平和記念公園とその周辺の利活用

平和記念公園の利活用については、平和活動やコンサートなどのイベントに積極的に開放すべきとする考え方と慰霊・鎮魂の場、聖地であることから開放すべきでないとする相反する考え方がある。
平和記念公園の使用許可については、これまで平和記念公園を「聖域」として捉え、限定的な取扱いを行ってきたが、今後、平和記念公園が果たすべき役割を踏まえるとともに、市民の意見を聞きながら、開放を含めた新たな取扱いについて検討する必要がある。

(3)平和記念公園とその周辺の役割と機能

平和記念公園の整備・利活用に当たっては、各平和記念施設の果たすべき役割や持つべき機能について検討を行う必要がある。
また、平和記念公園に接する平和大通りや周辺の河川・河岸緑地についても、平和記念公園と一体的な整備・利活用を行い、平和記念公園の役割・機能の一部を担う必要がある。

3.平和記念資料館

(1)現状と取組み

広島平和記念都市建設法に基づき、昭和30年(1955年)の5月に「平和記念館」、8月に「平和記念資料館」が平和記念公園内に整備された。現在の平和記念資料館は、平成6年(1994年)の平和記念館の建て替えに伴い、資料館と一体化し、両施設を合わせて平和記念資料館として位置づけ、その拡充を図っている。

この施設は、原子爆弾による被害の実相をあらゆる国々の人々に伝え、ヒロシマの願いである核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するために設置され、原子爆弾による被災及び平和に関する資料の収集、保管、展示及び供用、原子爆弾による被災に関する調査研究、平和学習、被爆体験の継承等平和を考える場の提供などの事業を行っている。

建物の設計者である故丹下健三氏は、平和記念資料館の役割の一つとして、「平和は祈ることによって与えられるものではない。平和は建設されるものである。この施設は平和をつくりだす工場でありたいと思う」と述べている。

参考:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の整備
平成14年(2002年)8月、平和記念公園内に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が整備された。平和記念資料館が原爆死没者の遺品や被災写真等で原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えているのに対し、追悼平和祈念館では、原爆死没者や遺族等の手記、体験記等を収集し、利用に供することにより、主として被爆した人々の「こころとことば」によって原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えている。

(2)課題

(1)建物の老朽化及び展示の更新等

平和記念資料館(本館)は竣工から50年が経過し、老朽化が著しいことから、建物の意義や評価を踏まえて、何らかの整備を行う必要がある。また、戦後生まれの世代が人口の7割以上を占め、被爆者の高齢化が一層進む中で、被爆体験をより分かりやすく継承していくため、展示の構成・動線、展示手法等について、具体的な改善方策を立てる必要がある。併せて、展示を見終わった人の様々な感情に応える仕組みの提供について検討する必要がある。

(2)被爆体験証言活動などの充実

被爆体験証言者の高齢化に伴う体験証言活動への支援や、ホームページ等による平和情報の発信機能の充実、平和に関する博物館・研究機関等との連携・交流、ミュージアムショップの充実など来館者サービスあり方などについて方策を立てる必要がある。

(3)入館者の減少への対応

平和記念資料館の開館以来の入館者の推移を見ると、平成3年度(1991年度)をピークに、減少が始まり、平成16年(2004年)には約107万人となり、ピーク時の約67%まで減少している。
「過去の歴史を記憶できない者は、過ちを繰り返すよう運命付けられている」というアメリカの哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉がある。また、ローマ法王は、昭和56年(1981年)の平和記念公園における平和アピールの中で「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」と述べている。
被爆の記憶が忘れ去られるとき、核兵器の惨禍が人類を再び襲うことが強く危惧される。原子爆弾による被害の実相をより広く伝え、世界恒久平和を実現するため、平和記念資料館においては、修学旅行等の入館者を増やすための取組みに加え、親から子へ、子から孫へといった世代を超えたリピーターの増加につながる取組みを進める必要がある。

(4)平和学習・平和教育の取組みの強化

被爆体験の風化や若い世代を中心とした平和意識の低下・希薄化が強く懸念され、また、被爆地ヒロシマを訪れる修学旅行生等が減少している。
本市における平和学習の取組みを強化し、平和学習・平和教育の体制整備を図るとともに、国における平和教育を推進するための取組みの強化を働きかける必要がある。

4.平和記念公園周辺の民有地を含む空間

(1)現状と取組み

1.原爆ドームの周囲に良好な環境を確保するためのバッファーゾーンの設置

平和記念公園及びその周辺の区域には、世界遺産である原爆ドームの周囲に良好な環境を確保するためのバッファーゾーン(緩衝地帯)が設けられている。市では、この区域について「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」を定め、建築物の配置、壁面の材料・色彩、屋外広告物の設置等についての事前協議制度を設けることにより、国際平和文化都市の象徴にふさわしい景観の形成に努めている。

これまでの景観誘導の取組み事例〔デオデオ立体駐車場・ハイアップホテル〕

ホテル名や駐車場マーク「P」が目立たなくなった

2.「広島市の魅力ある風景づくり基本計画」における位置付け

広島ならではの個性と魅力ある風景を創造していくための行動指針として、「広島市の魅力ある風景づくり基本計画」を平成16年(2004年)3月に策定した。
今後、基本計画の内容を具体的に展開していくため、平成16年(2004年)12月に施行された「景観法」との整合を図りながら、条例化などの仕組みづくりについての検討を行った上で、順次、具体化を図ることとしている。
原爆ドーム及び平和記念公園周辺は、この基本計画において「重点的風景づくり地区」と位置付けられており、現行の協議対象地区を拡大した上で、新たな取組みとして、景観法に基づく景観計画を策定し、景観誘導に取り組むこととしている。

(2)課題

これまでの取組みに対しては一定の評価がなされているが、一方、平和記念公園や世界遺産である原爆ドームに相応しい景観整備に関し、公園から見た原爆ドームの背景となるビルへの違和感が指摘されていることから、国際平和文化都市の象徴である平和記念公園の周辺に相応しい景観形成に一層努める必要がある。

資料館北側からの景観(平和記念公園から見た原爆ドームの背景)

資料館北側からの景観(平和記念公園から見た原爆ドームの背景)

5.市民や企業との協働

ヒロシマを発信するイベントは、市民参加・市民主導で、また、経済界や文化団体などの協力を得ながら進めていく必要があり、被爆地ヒロシマの市民や企業は、自らの役割の一つとして反核や被爆体験の継承に参加していく必要があるとする考え方がある。
平和記念施設の保存・整備、活用に当たっては、市民、企業等の参画を得ながら進める方策について検討する必要がある。

このページに関するお問い合わせ先

市民局 国際平和推進部 平和推進課 被爆体験継承担当
電話:082-242-7831/Fax:082-242-7452
メールアドレス:peace@city.hiroshima.lg.jp