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ページ番号:0000009490更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

修学旅行事前学習ハンドブック-3 原子爆弾による被害1

(1) 原子爆弾の開発

  • 原子爆弾の原理
    物質を構成している原子の中心にある原子核に中性子をぶつけて人工的に壊すと、大量のエネルギー(高い熱、人体に危険な放射線)が放出されます。原子核が壊れることを「核分裂」といい、この核分裂がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生み出します。このエネルギーを兵器として利用したのが原子爆弾です。
    原爆の開発<外部リンク>はドイツで始められましたが、すぐにアメリカでも行われ、1942年(昭和17年)には、実際に原子爆弾を作るための準備が始められました。これは、「マンハッタン計画<外部リンク>」という暗号名で呼ばれ、多くの費用を使って秘密のうちに進められました。そして、1945年(昭和20年)7月16日、アメリカはニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で、人類史上初めての原子爆弾の爆発実験に成功しました。
  • 広島に投下された原子爆弾
    核分裂を連続して起こさせるためには、一定量(この量を臨界量と言います)以上の核分裂物質が必要です。広島に投下された原爆には、核分裂物質として、核分裂しやすいウラン235が使われました(長崎はプルトニウム239が使われました)。このウラン235を臨界量より少ない2つの塊に分けておき、爆薬を使って塊をぶつけ合わせることにより、一瞬のうちに臨界量以上になるように作られました。
    臨界量以上に達すると、百万分の1秒という極めて短い時間に核分裂が連続して起こり、膨大なエネルギーが一度に放出されました。爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が放出されるとともに、周囲の空気がものすごい力で膨張し、爆風となりました。そのエネルギーはTNT火薬(爆弾に広く使われる爆薬)に換算すると、広島型で約1万6千トン(アメリカの爆撃機B29の約4,000機分)に相当すると考えられます。

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原爆を開発することになった経緯<外部リンク>について、詳しく調べてみよう

  • なぜ原子爆弾を使用したのか<外部リンク>
    1945年(昭和20年)春以降、日本は連日の大規模な空襲により主要都市のほとんどが破壊され、物資の不足もあり、戦況は圧倒的に不利でした。
    アメリカには、戦争を終結させる手段として日本本土上陸作戦のほか、ソ連への対日参戦の要請、天皇制存続の保証、原爆の使用という選択肢がありました。アメリカは、原爆投下で戦争が終われば、戦後、ソ連より優位に立つことができ、また膨大な経費を使った原爆開発を国民に正当化できるとも考えました。
  • なぜ広島に投下したか<外部リンク>
    投下目標は、原爆の効果を正確に測定できるように直径3マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市の中から選ばれ、空襲が禁止されました。最終的な目標都市の広島、小倉、新潟、長崎の中で、広島が第一目標に選ばれたのは、連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたためなどです。原爆は目視で投下することになっていました。8月6日、広島の天気は晴れ。広島の運命は決まりました。

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  • 原爆開発に携った科学者の原爆投下についての考えを調べてみよう
  • 原爆が投下された当時の世界の情勢を調べてみよう