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広島平和記念資料館 学習ハンドブック 復興とさまざまな支援

ページ番号:0000009489 更新日:2023年2月17日更新 印刷ページ表示

●都市の再建

原爆によって「草木も生えない」と言われた広島でしたが、人々は復興に立ち上がりました。その道のりは厳しいものでしたが、1949年(昭和24年)制定の広島平和記念都市建設法に後押しされて街は徐々に整備されました。

この法律により、広島市は恒久平和を象徴する平和記念都市として建設されることになったため、平和記念公園や平和記念資料館、平和大通りなどが整備されました。

右の写真では整地のために地面を掘る人や、掘った土をかつぐ人が写っています。戦争や原爆で仕事を失くした人や、夫を亡くした女性が数多くこの仕事に携わりました。

こうした人々の努力でだんだんときれいな街ができていきました。​

●様々な支援

復興に向けた支援は広島・長崎への原爆投下に心を痛めた海外の人からも寄せられました。アメリカ人のフロイド・シュモーさんは、1949年(昭和24年)から原爆で家を失った人のための家を、仲間たちと共に建て始めました(「広島の家」計画)。

また、アメリカの雑誌の編集責任者だったノーマン・カズンズさんは原爆で親を失った子どもたちへの資金援助の仕組みを作り、支援の輪を広げました(精神養子運動)。