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ハナミズキ寄贈の呼びかけ本文

ページ番号:0000007325 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

※寄贈の呼びかけは平成13年(2001年)12月で終了しています。ご注意下さい。

ハナミズキの種または苗木を寄贈してください。
広島市からのお願い

米国市民への呼びかけポスター

米国の友人の皆様

 今、私たちは20世紀から21世紀への転換点を迎えています。二度の世界大戦を引き起こし、核兵器を生み出した20世紀は、後世から「戦争の世紀」と呼ばれるかもしれません。そしてまた、「科学技術の世紀」と呼ばれるはずです。

 しかしながら私たち広島市民は、新しい21世紀を「平和の世紀」にしたいと願っています。世界中のすべての人々が、この小さな地球で手と手を取り合い、戦争や核兵器の脅威、様々な形の暴力、飢餓や貧困、人権抑圧、環境破壊などから解き放たれ、真の平和を楽しむ時代にしたいのです。

 そのためのキーワードは「和解」だと思います。かつて戦争をした国と国との「和解」、憎しみあった人々の間の「和解」、異なった価値観や宗教を持つ人々の「和解」、あるいは、人間と自然との「和解」、自然と科学技術の「和解」等、様々な「和解」が実現され、21世紀こそ希望に満ち新たな方向が示される時代になって欲しいと願っています。

 新たな21世紀実現の第一歩として広島市は、「ハナミズキ2001事業」を興しました。20世紀最後の年である2000年から、日米間で講和条約が結ばれてからちょうど50年目にあたる2001年の間に、多くの米国市民からハナミズキの種または苗木を広島の市民に贈って頂き広島の河畔に美しいハナミズキ並木を創ろうという事業です。

 何故ハナミズキなのでしょうか。それには特別の理由があります。1912年から1917年にかけて、日米両国間の友好を祈り、より緊密な関係を創りたいという願いの下、両国間で樹木の交換が行われました。約3000本のサクラの苗木が、日本から米国へ送られました。皆さんが今日まで大事に育て世話をしてくださり、毎年春、ポトマック川の河畔に花開くサクラの樹は、当時交換された木々の一部なのです。

 米国側からは、ハナミズキが東京に贈られました。しかし、当時日本に送られたハナミズキの内、現在所在が確認されているものは、東京大学理学部付属小石川植物園で生息しているもの等数本であり、この事実を私たち広島市民は大変残念に思っています。

 1945年、原爆によって破壊された広島には75年間、草木も生えないだろうと予言する専門家もいました。しかし、翌年の春、芽吹いた木々が広島の市民に再び生きる希望を与えてくれました。樹木は広島にとって生命そのもののシンボルでもあるのです。

 そこで私たちの提案になります。私たち広島市民は、米国の友人の皆様にハナミズキを贈って下さいとお願いしたいのです。皆様のハナミズキの種や苗木を私たち広島市民は広島にある6本の川の一つ、京橋川の河畔に植え、アメリカ並木として大きく育てたいのです。

 善意は常に双方向であるべきだと考えます。お送り頂いた皆様に私たちのお礼の気持ちと友情のしるしとして、私たち広島からは広島市の木であるクスノキ、成長すれば100フィート以上の高さになる木として知られているクスノキの種子をお送りいたします。

 最後に私たちの思いを、故マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の言葉を借りて表現致します。

 「私たちには夢があります。2001本の若いハナミズキが広島の河畔で成育するという夢が。私たちには夢があります。これから何世紀にもわたり広島の子供たちが大切な友人たちの善意に思いをはせるという夢が。私たちには夢があります。いつの日か、クスノキが米国の空高くそびえたつ夢が。私たちには夢があります。いつの日か、ハナミズキやクスノキに国籍や人種に関係なく世界中の人々が集結するという夢が。私たちには夢があります。まさしくその時、私たちが平和を希求するレースにゴールするという夢が。」

平和を希求する広島市民の名において、まずはお願いまで。

広島市長 秋葉 忠利

※寄贈の呼びかけは平成13年(2001年)12月で終了しています。ご注意下さい。