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記念事業(4 復興したまちの魅力の再発見と更なる発展)
44 「広島通り御祭礼神輿行事(ひろしま とおり ごさいれい みこし ぎょうじ)」の復活・継承 |
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目的 |
「通り御祭礼」は、広島東照宮の祭礼における神輿行列として、徳川家康の50年忌にあたる寛文6年(1666年)に始まり、以来50年ごとに行われていたもので、当初、広島藩側で行う官祭としての性格が色濃かったが、次第に町民が行列に参加するようになりイベント化が進むなど、広島城下における都市祭礼としての性格を備えるようになった。 |
内容 |
神輿行列の復元・復活に際し、実施母体となる経済人、学識経験者及び地域住民等が参画する「通り御祭礼実行委員会」に対し、広島固有の伝統文化の継承を図る観点から指導・助言を行う。 |
備考 |
実施時期 平成27年10月10日(土) |
担当局・課 |
市民局文化スポーツ部文化振興課文化財担当 |
45 70年目の広島の旅の実施 |
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目的 |
原爆の惨禍を経験してそれを乗り越えた平和都市「広島」でしか体感できない観光メニューを開発するとともに、「70年目の広島の旅」として取りまとめてプロモーション活動を行うことにより、平和都市としての求心力の向上を図り、広島の魅力を発信する。 |
内容 |
1 「70年目の広島の旅」のプロモーション、広島巡りの旅の実施 2 折り鶴とうろう流しの実施 3 ひろしまドリミネーション・被爆70周年区画の展開 |
備考 |
・ 広島巡りの旅の実施 |
担当局・課 |
経済観光局観光政策部観光企画担当 |
46 復興の都市計画についての企画展の開催 |
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目的 |
被爆から70年が経過し、市民の間で復興の記憶が薄れつつある一方で、東日本大震災を契機として、都市の復興が注目を集めており、広島の復興の過程を次世代に劣化させることなく継承していくことの必要性が、以前にも増して高まっている。 |
内容 |
広島の復興において広島平和記念都市建設法と都市計画が果たした役割を紹介する企画展(パネル展示等)を開催する。 |
備考 |
開催時期 平成27年7月31日(金)~8月10日(月) 午前9時30分~午後8時 |
担当局・課 |
都市整備局都市計画課 |
47 広島の誇りある景観まちづくりプロジェクトの実施 |
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目的 |
被爆による廃墟からの復興の過程で整備された平和記念公園や平和大通り、河岸緑地などは、広島固有の景観を形成するものとして、大きな役割を果たしている。また、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、平和記念資料館は平和記念公園の設計理念の柱として、南北一直線上に配置されており、この軸線を見通す景観は、本市の都市づくりの基軸の一つとして特に重要である。こうした都市資源を再認識し、後世に確実に継承していくとともに、将来に向けた「広島らしさ」を感じるまちづくりにつなげる。 |
内容 |
1 都市軸の銘板等設置 2 広島の景観をとらえた写真集の作成等 |
備考 |
1 都市軸の銘板等設置 平成29年度 銘板・説明板の設置 2 広島の景観をとらえた写真集の作成等 |
担当局・課 |
都市整備局都市計画課都市デザイン担当 |
48 全国花のまちづくり広島大会の開催 |
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目的 |
花と緑あふれる美しいまちの実現は、地域に誇りと愛着を持つ市民・企業の自主的活動とそれを支える行政の取組が組み合わさって可能となる。 ※1 全国的な花のまちづくりの普及を目的として、毎年、春の都市緑化推進運動期間(4月1日~6月30日)中の |
内容 |
本市が事務局となり、地域団体の代表者等及び(公財)日本花の会からなる実行委員会を組織し、大会の企画、準備、運営に当たる。 ※2 花のまちづくりを国民的な市民運動として普及、定着させるために、全国各地で取り組まれている花や緑による |
備考 |
平成26年度 実行委員会の設立、大会プログラム等の企画、PR活動等 |
担当局・課 |
都市整備局緑化推進部緑政課花と緑の施策担当 |
49 平和を象徴する緑の保存・継承事業の実施 |
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目的 |
先人のたゆまぬ努力と国内外の多くの人たちの協力により原爆の被災から緑豊かな都市へと復興してきた本市の歴史をアピールし、被爆100周年に向けてさらに平和を象徴する緑の保存・継承を進めていくもので、広島の復興した姿と平和への思いを未来に伝える空間づくりに寄与する。 |
内容 |
1 友好の木 -ハナミズキ・イニシアチブ 2 供木運動等寄付樹木の保存・継承 |
備考 |
1 友好の木 -ハナミズキ・イニシアチブ |
担当局・課 |
都市整備局緑化推進部緑政課花と緑の施策担当 |
50 猿猴橋復元事業の実施 |
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目的 |
被爆橋の一つである猿猴橋には、大正15年に現在のコンクリート橋に架け替えられた際、電飾や鋳物の透かし彫りなど豪華な装飾が施されていたが、昭和18年、戦時下の金属資源不足のため発せられた金属類回収令により、これらの装飾品が全て供出された。また、昭和20年の原子爆弾投下では、欄干の一部が破損する被害を受けたものの、構造的な被害はわずかにとどまり、被災者の避難や救援活動に使われ、多くの命をつなぐ役割を担った。 |
内容 |
猿猴橋の諸元 復元内容 |
備考 |
平成26年度 設計 |
担当局・課 |
道路交通局道路部道路課、街路課 |