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2014年08月01日記者会見「平成26年の平和宣言について」
動画は下記からご覧ください。
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市からの発表案件
平成26年の平和宣言について
市長 今年の8月6日の平和記念式典で訴える平和宣言ついて、説明をさせていただきます。お手元の資料をご覧ください。
まず、1の「宣言の作成の基本姿勢」についてですが、昨年と同様に今年も被爆体験談を盛り込み、「被爆体験に関する懇談会」での意見を踏まえて、私が起草いたしました。
被爆体験談は、今年のテーマを「被爆者として次の世代(若い人)に伝えたいこと、望むこと」と設定して公募しました。応募いただいた61点の中から3点を盛り込みました。
また、懇談会の議論の中で示された体験談1点も盛り込みまして、公募による被爆体験談を補いました。体験談は、懇談会の意見を踏まえまして、一つ目が学徒動員の建物疎開の作業で被爆した中学生の体験、二つ目が原爆孤児の過酷な暮らし、三つ目が被爆者の若い人へのメッセージという構成で選定いたしました。
体験談以外の要素は、まず、これまでと同様に、「核兵器廃絶に向けた訴え」、「被爆者援護施策充実の訴え」、「平和への誓い」、「原爆犠牲者への哀悼の意」の要素を盛り込みました。
今年の平和宣言は、これまでのように時代背景を踏まえた様々な具体的な事象を一つ一つ言及するのではなくて、全体を通して、市民や世界の為政者、とりわけ核保有国の為政者、日本政府等が、核兵器廃絶や世界恒久平和の実現に向けて取り組み、外交・安全保障政策を立案・実行する際に、心に刻むべき、軸に置くべき基本的考え方を示すことにいたしました。
また、これまでと同様に、平和宣言を広く市民に共感してもらうため、出来るだけ理解しやすい表現に努めるとともに、具体的な犠牲者の数を示すなど、若い世代への継承も意識して起草をいたしました。
次に、2の「宣言に盛り込んだ主な内容」について説明いたします。
最初に(1)の「盛り込んだ被爆体験談」についてです。
一つ目は、当時12歳の中学生が、同級生のほとんどが即死し、自分だけが生き残った申し訳なさを語ったものであります。
二つ目は、当時15歳の中学生が、水を求める瀕死の下級生に「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められて、水を飲ませなかったことを悔やむ内容です。
三つ目は、当時6歳の国民学校1年生が、若い世代に将来同じ体験をしてほしくないと被爆体験を語り始めた思いや若い世代へのメッセージを語ったものであります。
次のページをご覧ください。また、別に、「被爆体験に関する懇談会」の議論の中で出た原爆孤児の戦後の過酷な暮らしを記した体験談を盛り込んでおります。(2)の「核兵器廃絶に向けた訴え」です。まず、原爆は、子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪って、人生を大きく歪めた「絶対悪」であるということを訴えています。
そして、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者に対しては、被爆地訪問を求めて、「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることをやめて、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに取り組むように求めております。
さらに、日本政府に対しても、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、NPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、NPT体制を強化する役割を果たすよう求めております。
次に、(3)の「核兵器のない平和な世界に向けた基本的考え方」であります。
まず、核兵器廃絶には、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなくて、人と人との繋がりを大切にし、未来志向の対話ができる世界を築かなければならないと訴えます。
また、世界中の人々に対しまして、被爆者の体験やその後の人生を、自分のこととして考え、核兵器のない平和な世界を築くために被爆者と共に、つまり被爆者に共感して、そして考えて、行動するように訴えます。
さらに、日本政府に対しては、憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があって、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続けるように求めています。
続いて、(4)の「被爆者援護施策充実の訴え」です。
被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々への支援策の充実や「黒い雨降雨地域」の拡大を求めています。
最後に、(5)の「平和への誓いと原爆犠牲者への哀悼」となります。
宣言に盛り込んだ主な内容は、以上のとおりです。なお、参考資料として、被爆体験に関する懇談会の開催結果と被爆体験談を書かれた方(3名)のコメント等を付けておりますので、後ほどご覧ください。以上です。
記者 今回市長が2011年4月に就任されてから、任期の最後の平和宣言となるんですが、改めて最も心を込めたという部分がどこかというのを端的に教えてください。
市長 自分自身、平和宣言は任期4年間を通じて、ひとつのストーリー性を持たせて、全体として読んでいただいたときに、核兵器廃絶、恒久平和実現の願いというものが分かるようにというようにやってきたつもりです。
最初の(平成)23年のときには、被爆前の広島と被爆直後の惨状の対比をして(その違いが)分かるように、次の年には原爆で失われた広島市民の生活の状況を分かるようにし、そして25年には、心身の傷とか、差別、偏見というようなものに苦しみながらも広島の復興を支えてきた被爆者といった姿があったということにしたわけです。
そしていよいよ、それらを踏まえて最後ということでありますので、被爆者として次の世代、特に若い人に伝えたいこと、望むことはどうですかということで、募集して、それをいただきながら仕上げたわけです。ですから、最後それらを通す考え方を今回の宣言の中で書き込んだというものにしているんです。書き込んだポイントは、自分とすれば大きく整理すると5つの点に集約できるかと思います。
一つ目が、改めて原爆というものの基本認識を書いています。すなわち原爆というのは、温かい家族の愛情を子どもたちから奪い取るようなものですよと。そして、未来の夢を奪うとか、人生を大きく歪めてしまうというような結果を招くという意味では、改めて「絶対悪」であるということを、まず第一にお伝えしたつもりであります。
そして、そういった「絶対悪」を前にしたときに、我々としてどう考えなければいけないかという基本的な考えですが、憎しみの連鎖を生み出すような武力ではなくて、人と人との繋がりを大切にして、未来志向でやりとりできる、対話ができる世界を築くということを基本にすると。「絶対悪」に対して今申し上げたような考え方で臨むということ。これは考え方の基本ですね。
そして三つ目、それを踏まえて我々として、一個人としてどう対応するか。それは被爆者の体験とか、その後の人生を、もし自分だったらどうなんだろうというように考える。そうすると核兵器がなく戦争もない平和な世界を築こうという、そういう気持ちになると思います。
被爆者と思いを一にする、同じく共感する、そしてこの共感したことをみんなにも伝えようじゃないかと。そして考えようじゃないか。そして自分たちに出来る行動をしようじゃないかと。そんな我々の対応をすること、その大切さを強調したつもりであります。
そして四つ目、これは主に為政者へのお願いになるんですが、とりわけ核保有国の為政者、被爆地を訪れて被爆の実相を自らの目で確かめて、信頼と対話に基づく安全保障というもの、そういった仕組みづくりが重要であるということを受け止めて、そういった取り組みをしてもらいたいと思っています。
それから、最後は日本政府への訴えでありますけども、今の日本国憲法の平和主義のもとで69年間戦争をしてこなかったという事実をまずしっかりと重く受け止めてもらいたいと。その上で今後も平和国家の道を歩み続けるということ、そして各国の政府と一緒になって新しい安全保障体制を構築するということに貢献してもらいたい。そんな整理をしたつもりであります。
今言った、最終的な自分の気持ちを入れ込んで書いたことかなと思います。
記者 今回、任期の最後だからこそといったところでいうと、強調するとすれば、若い世代に伝えたいといったところが、大きなところなんでしょうか。
市長 そうですね。今申し上げたような「絶対悪」であることを踏まえて、未来志向で考えていく。もちろん我々を含め、今いるすべての方に、認識なり考え方を持っていただきたいんですが、これから日本、あるいは世界を支える人達に、そういった思いを共有していただきたいというのが強いと思います。
今申し上げた未来志向というのは、もちろん生まれてきた方々すべてですが、とりわけ未来を背負う可能性の高い方々に、そういった考え方でしっかり個々の対応に当たっていただきたいと。被爆者との思いを一にして、共感して、自分たちのそういうことを主に広めていく。考えて何をすべきかという行動をやってもらいたいということじゃないですかね。
記者 先ほど言われたように、任期最後ということもあると思うんですが、来年被爆70年ということもありますが、そういった点を意識されたところはあるんでしょうか。
市長 被爆70年というのは、平和宣言とは別のところで整理をしていまして、70年あるいは75年草木も生えないと言われたような当時の状況から比べると、これほどきちんとしたまちになっているということでありますが、広島はそういったまちとして復興しているというこの現実を見たときに、ここに至る経過、私が今申し上げたようなことは、今までの方も、とりわけ広島のまちをこのように良いものにするということに力を注いでいただいた方々と共通の認識だと思うんです。私はそう信じています。
それは敢えて私がここで5つくらいに整理させていただいたんですが、ここでのこういう整理を踏まえて、来年被爆70周年を迎えるにあたって、来年の取り組みをしていくうえでの確認といいますか、どんなことをするか。それが被爆70周年という年を迎えての広島の思いを新たにするという、そのためのベースであるし、もうひとつは先ほど言った、これから我々を支えていく、あるいは皆を支えていく若い方々が、広島のまちづくりをどのように考えていくかということも、考えていただくためのベースになると思うんです。
来年以降しっかりしたまちづくりについても、平和の構築についても、しっかりした対応をしていただくためのベースとなる考え方を改めて提示したという位置付けかと思います。
記者 前回の(被爆体験に関する)懇談会の後でもお話しいただいたんですが、改めてやはり議論としては、集団的自衛権の行使っていうのは結構社会で大きく取り上げられているので、今回触れられなかったというか、個別に言及はされなかったということについて、改めて市長としてなぜ触れなかったのかということをご説明いただければと思います。
市長 この最終的な宣言の中に、そういった言葉を入れなかった事実経過で申し上げますと、7月14日に最後の被爆体験に関する懇談会を開きまして、そこで2通りの案をお示しして議論をいたしました。
様々な個別事情を具体的に書き込んで、核兵器廃絶を願うというような展開をしたものと、それを書かずにもっと基本コンセプトと言いますか、少し高い次元でそれらを、そのような考え方を提示した、いわゆる基本的考え方を書き込んだもので議論したんですが、その際の懇談会全体での皆さんの反応は、核兵器は絶対悪であるという前提のもと、人と人との繋がりを大切にしながら未来志向で対話という訴えですね。
先ほど申し上げた、私の考えている基本的な考えを丁寧に記述するほうがいいだろうというようになったわけであります。
それで、そうすると集団的自衛権という個々の問題、文言が入っていないということをどう自分なりに整理したかということですが、この集団的自衛権という用語そのものは、日本国憲法の解釈の中の1パーツ(部品)なんです。
ですから、そういったものも含めて、日本国憲法の崇高な平和主義これをしっかり受け止める、これまでの歩みをしっかり受け止めるということの中で十分言及できているだろうと。むしろ高い次元で、考え方を打ち出した方がいい、そして憲法の崇高な平和主義ということをきちっと謳うことが、集団的自衛権だけではなくて、様々な事象に対しての立ち位置を明確にすると。一個一個問題が起こったためにそれに反応するのではなくて、それらを包括してこの平和宣言、私自身がどういう考え方に立っている人間かと、あるいはこの宣言がどういう性格のものかということをしっかり言って、先ほど言った結論とかそういうのを示す最後の締めにしたほうがいいだろうと思いました。
懇談会の皆さんの意見とともに、自分も包括的な考え方をきちっと示すということで、これから起こるであろういろんな議論に対する基本的な姿勢を示すことをしたつもりであります。
記者 包括的な高い次元でいくとおっしゃいましたが、一般的な憲法の平和主義に言及することでお気持ちとしては、集団的自衛権の行使を含めた、本当に充分言及しているだろうというご認識ですか。
市長 判断は示したと思っています。
記者 例年、これまで個別な事案に触れながらきたと思うんですが、今年なぜそこを変えたのかというところを少し重複しているかもしれませんが、もう一度お願いします。
市長 自分なりに任期の最後ということですし、もう一つは自分なりに読み上げて分かりやすく聞いていただくということを考えながら、字数も1800字ということも頭におきながら、これはテクニカルなことで恐縮なんですが、そうすると個々の事業を書き連ねていくと、一個一個全部書いて、これとこれとこれとこうです、こうなってますということになってしまいがちですから、むしろそういったことを頭に入れて、最初に戻りますが、哲学というか自分の基本的な立ち位置、物事について考える際の基本をお示しするということをここで最後のまとめの宣言としてやるほうがいいだろうということです。それに尽きるんですが。
記者 骨子で見る限り、エネルギー政策についての言及が無いんですが、今回の平和宣言では触れないということですか。
市長 エネルギー政策そのものは、以前も申し上げましたが、国が行う総合的な判断の中で政策決定していくべき課題だという認識で区分けしました。
そして、今もし平和宣言で関係するとすると、とりわけ原発などで問題となっている放射線被害から生ずることへの問題だと受け止めましたので、この宣言の中では見ていただいて分かりますけれども、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けているすべての人々にちゃんと手当をするようにと言いますか、いうことで核兵器廃絶・世界恒久平和という、核兵器・放射能被害ということに関連する部分についての問題提起はしたつもりであります。
エネルギー政策そのものは別途議論するとしても、放射線の影響ということに関しての配慮ということについては、言及しておいたつもりなんですが。
記者 過去3回2011年以降の宣言では、エネルギー政策に触れてきていると思うんですが、4回目でなぜ触れないのか、違和感があるんですが。
市長 4回目でというか、今まで申し上げていますけど、触れたのはエネルギー政策は国策としてやる課題ですよという説明をしきっているわけですから、そこでまた同じ説明をしなくても、1回目から4回目まで(の平和宣言を)通して読んでいただければ分かるようにしたという整理であります。
記者 市長は昨年と一昨年の宣言では、国に対して「国民の暮らしと安全を基本にしたエネルギー政策の構築をしてほしい」ということをおっしゃてたと思うんですが、今年の4月に国はエネルギー基本政策を出して、原発については、政府の基準に適合すれば再稼働すると、但し原発の依存度は下げていくと定めたんですが、それをもってそれは確立されたから、今回はもうそれは敢えて言う必要はないということではないんですか。
市長 平和宣言を1回目から4回目までトータルで見ていただくということでありますので、繰り返し強調しなければいけないものかどうかという視点はまずもちろん入れています。
その上で今言われたように、エネルギー政策については、国が一定の方向を出しておりますが、一方で依存度を低減するという言いぶりもしています。
そして、安全性を確保されれば再稼働というような言い方もしています。ここで強調すべきは、放射線の影響で苦しみ続けているすべての人々という中で、放射能被害ということについては、重ねて注意喚起すると言いますか、それをやることで十分立ち位置を示せるんじゃないかなと整理したということです。
記者 昨年の会見で、絶対悪の核兵器とエネルギー政策で現に役立っている部分もある原子力発電というのは区別して考えてきたという話をしてこられて、一方で最後に放射線の被害という点は共通しているということを考えると、原発の稼働の是非それを原発を稼働していたために事故が起きているわけですから、そこについての言及がやはり要点として、昨年と違う局面として取り上げるべきじゃないかなと思えるんですが、そこはどうなんでしょうか。
市長 「取りあげるべきじゃないか」というご意見としては承りますが、私の考えを申し上げましたように、依存度を減らすという考え方を提示するとともに、安全性を確保できるのであれば再開するという考え方を示しているわけでありまして、一定の方向は出ているわけです。
そうするとそれを踏まえながらも、実際に放射線の影響で苦しみ続けているというこのことをまずしっかりと対応するということをやれば、自ずとその基本的考え方の中で進むべき方向は出てくるんじゃないかという気持ちを込めて記述をしていると受け取ってください。
原子力発電所が本当に100%事故が起こらないというものであるならば、放射能被害は起きないんです。しかし、多くの方は地震国の日本、しっかりした安全措置を施すと言っても想定外ということがあるんだから、それによって放射能被害は有り得るんだという議論がまだ出ているわけです。
その中で、国策として依存度を減らすという方向性と安全性確保ということを追及すると言ってる政府でありますから、そこに対して放射能の影響、これが出てる方々に対する万全の対策をしっかりやるということを踏まえた上で、しっかりエネルギー政策を考えてくださいよということを今まで言った考え方の上に重ねて申し述べたというように理解していただきたいと思います。
記者 内容というよりは、平和宣言という全体についてなんですが、長崎の平和宣言と比べて、主張というかそういったものが、長崎は政治的なことも結構細かく書かれていると思うんですが、それに比べて広島のは主張が弱いというようなことを言われている意見もあるんですけど、そういうものに対して、広島の平和宣言について、長崎と比べたものに対しての意見についてはどのように感じていらっしゃいますか。
市長 私自身の平和宣言のスタイルは、確かに長崎とは違うじゃないかと言われればそのとおりだと私も思います。
長崎のような宣言のスタイルもあって然るべきだと思っています。だけど自分の原爆なり恒久平和に対する基本的な認識は、特定の方が何か理屈なり考え方をわきまえて物事に対応するということでこの世の中から原爆が無くなるというようなものではないと思うんです。
お一人お一人いろんな価値観を持った一人一人の国民、市民、その方々の基本的な考え方をしっかり打ち立てるといいますか、先ほど申し上げたように、5つの点を申し上げましたけれど、絶対悪であるということをしっかり認識して、自分たちの身にひっつけて考えるということをお一人お一人がやっていくということこそ、ひょっとして遠いかもわかりませんけども、この世の中の価値観を変えていく絶対必要条件だと思うんです。
為政者に対してもいろんな注文を付けますけど、実はその為政者を選ぶのは、国民なり市民一人一人が、今の民主主義の世の中ではその人たちが選んでいくんですよね。選ぶときにも、様々な行動の中には、為政者を選ぶという行為もあるんです。その時に、自分たちの思いを共有した方々をしっかりと地球上の至る所で選んでいけば、どうでしょう、変わるんではないでしょうかということも言っています。むしろそういったところを自分は強調したいんです。
そして、それはなかなか広がらない中では、今いる為政者にも早く価値観なり頭を切り替えていただくために広島に来て、実感してくださいと申し上げるし、それをすそ野を広く、持続的なものにするために先ほど申し上げた特に若い方々が自分たちの地域なり国なりを作っていく方々の価値観としてそういうものを持っていただく。
それがうんと広く、多くの方がそう思うという事をしないと、特定の方の意識だけで物事が変わるということではないと思うんです。変えることについて一生懸命研究されて、それをどのようにアピールするかということも重要であります。だから、長崎のやり方も重要ですけども、もっともっと日頃の生活の中で、どのような思考方法をとるかという事をやること、それを訴えるということも欠かせないという認識でありまして、私はそちら、今申し上げたほうを強調したいということであります。
記者 一点確認なんですが、核兵器廃絶に向けた訴えの部分で、今回絶対悪ということを大変強く主張された中で、核兵器は相互の脅しで国を守ることはやめましょうと伝えてくださいました。その後にその日本政府に対して新しい安全保障体制の構築ということを求めていらっしゃるんですが、それはその日本についても核の傘に依存するんじゃなくて、そこから外れなさいということを指していらっしゃると理解してもいいんでしょうか。
市長 日本国政府に対してのものの申し方は、被爆都市広島を抱えているというか、これがある国ですから、唯一の被爆国という立ち位置は変わりません。
そうすると、その被爆都市広島・長崎を含む被爆国日本は、私としては、核を持っている国と持っていない国の価値観の相違に基づくいろんな問題がありますね、それの橋渡し役をしてもらいたいと思っているんです。
今核保有国はざっくり言えば、核の抑止力というものを手放せない。そうしないと国際秩序が保てないというロジック(論理)に立っていると思います。一方、核を持っていない国は、いやいや核を持つ国があるから、そういったことになるので、早くなくす。むしろ自分たちが自らそういったものを放棄する、あるいは非人道性ということにしっかり着目して、違法だと、だからそういうものをすべからく早急にこの世から無くするということを自分たちで決意するほうがいいとこういう論議になります。
現実の世界の中で、そうは言いながら核を持っている国があるわけですから、実際我が国は核兵器を持たないで、先ほど言われた、現実の問題として国民の安全保障という観点から、指摘されるような核の傘に入りながらも、核のない世界を目指すという立場でありますが、やはりその核の傘に依存しなくても済むような世界を目指して調整役をやってほしいと思うわけです。
ですから、その抑止力という考え方に強度依存するんではなくて、信頼醸成ですね、お互いが国境を越えて一市民同士が理解し合ってやれるような環境づくり、そちらの方にしっかりと軸足を置きながら、先ほど言った価値観の対立の中で、あるべき方向を目指す、そういう役割を積極的にやってもらいたいという気持ちを込めています。
記者 日本政府にとっても安全保障政策の大きな転換になると思いますが、被爆地の市長としての気持ちは、そちらに向いてほしいと。
市長 はい。
記者 個別な中身になるんですが、平和宣言の中には、被爆地での原爆孤児のくだりなんかも盛り込まれていて、その中でもおそらく戦後の混乱の中で、なかなか国も、警察なども、子どもたちを守れなかったというところから、おそらく任侠の世界の話も出てくると思うんですが、結構踏み込んだ具体的な言葉を使っていますが、そのあたり市長はどういう思いで盛り込まれたんでしょうか。
今の言葉で言うと、ちょっと反社会的勢力みたいな言葉があるんですけれども。平和宣言でなかなかそういう言葉を盛り込むのは結構思い切っているなという印象はありますが。
市長 これは、懇談会の中の議論で、この方の話を引用しようということで、引っ張ったんですが、その場での皆さんの議論をお聞きしながらこの部分を入れることにしたんですが、懇談会の中の議論で印象的だったのは、ここで書いている言葉遣いは、今の方から見ると、相当違法性の高い集団に認識されるかも分からないけどもという前置きがありまして、被爆直後、敗戦直後は国の警察権力と言いますか、そういった統治システムそのものも崩壊しているというか、機能していなかったというのが実情だと体験で言われるんです。
そして、そんな中で違法性の高い集団とされているグループなんだけども、実は当時はむしろ弱い方々を助けるという働きをする要素を持った集団であったことも事実なんだと、闇市など無秩序な活動をしてたりすると、その場を警察権力が及ばない中で、ある意味でルール化を図るという働きをしていたというのが、実は広島の被爆直後の実情だったんだということも言われたんです。
ですから、言葉がうまくぴったりするものがなくて、任侠とかにするかとかいろいろ悩んだんですが、ただ原点に沿って、一応記述したんです。
その原爆投下後の広島の状況が、いかに無秩序なものになっていたか。そして、その無秩序さが、今で言う違法性を帯びるという方々の中での、一定の人の命を救うためにということで、機能した部分もあったりしたということも言っといていいんじゃないかという事なんです。
ですから、今の言葉で見ないで、自分たち自身がその時点に戻ったときにどんな状況になるかということを想定してもらいたくて、敢えて書いたということなんです。
記者 ご自身結構踏み込んだと思われませんか。
市長 踏み込んだというか、そのように事実書かれたものがありましたので、そういった状況が終戦直後にあったということですね、それをどう捉えるか、そういう状況こそ、不幸な状況かも分かりません。
そういったことにならないようにするということをしっかり皆で受け止めてもらいたいという気持ちです。
記者 そのようにならないようにすることを感じてほしいということが真意だという意味ですか。
市長 もちろんそうです。
記者 今までの平和宣言で、政府に対していろんなことを求めていらっしゃいましたけれども、こういったものが政府に影響をどの程度反映されていたかというように思われますか。政府とか世界に対して、メッセージを送られていますが。
市長 私自身がやっている平和宣言が、今この時点でどれくらい影響を及ぼしているかについては、自分自身も計測する装置を持っていないから、正直言って分かりません。
しかし、自分が市長の立場でこういったことを言わせていただいて、そして、私の主眼は、お一人お一人の立ち位置、核兵器に対しての物事の考え方についてこうあるべきではないでしょうか、「絶対悪」ということをベースに、皆さんで考えてくださいということを訴え続けてきているつもりでありまして、そんな中で、とりわけ一定の成果というか、皆さん方の取材等の成果として表れてきたのは、為政者の方、海外の為政者の方が来られて、この広島の地で平和記念資料館を見て、ショックと言いますか、この悲惨な状況を受け止めて、やはりこんなことがあってはならないということを為政者レベルで、口々に、異口同音にと言いますか、同じようなことを言われているということも出てきております。
これは、そのように自分の言っていることが、個の立場で理解していただいているのではないかというような受け止めはしています。
そして、それに対してプラス為政者がそういうことを言うということで、その個の立場、個々人がそういった思いを強くして、そういった為政者をもっともっとこの世の中に送り出すようにしようじゃないかという、そこまで物事が運ばないかなと思うんです。
これはもっともっと息長くやっていかなきゃいけないと思います。一過性ではないと思っています。
記者 それは、日本の政府も含めて。
市長 言い続けるし、もし何かあれば次のステージとしてそのためにどんなことをするかということを訴えていくという次のステージがいるかなと思いますけども。
記者 先ほど被爆70年についての質問がありましたが、今回の宣言のみならず、平和宣言自体として、これから被爆者が高齢化されていく中で、どのような平和宣言に被爆70年に向けてなってほしいと思われますか。
市長 来年以降の話は、自分が市長を続けているかどうかによりますので、これはちょっと微妙なんですが、少なくともこの4年間を通じてやった平和宣言は、今申し上げたように本当に個々人の立場で基本に立つべき考え方を自分なりに一生懸命まとめたつもりです。
もし仮に、次の段階でまた平和宣言をということになれば、違った切り口で、それを踏まえてどういった対応というか、やっていくかという視点を交えたものにして、さらに具体的な対応なりが分かるように、自分がどう考えているんだということが訴えられるようなものにできたらなと思いますけど。
記者 宣言の最後の方にある、各国政府とともに新たな安全保障体制の構築に貢献してほしいという文言と、その後にNPT体制の強化という役割を果たしてほしいということと二つありますが、その前半のほうの、新たな安全保障体制の構築というのは、現在のNPT体制に代わるようなものをイメージしていらっしゃるのか、それとも、もうちょっと漠然とした国家間の体制のことを指していらっしゃるのか、それともNPT体制に代わるようなもっと実体性のある、実効的な仕組みづくりを求めているということを意識されているのでしょうか。
市長 ここで申し上げたのは、NPT体制を否定するものではありません。これは現状の中で、NPT体制そのものが有効に機能するようにということをもちろん考えています。
その仕上がり感ですね。NPT体制はある意味で手段として、不拡散・軍縮という方法論だと思うんです。それの究極の姿は何かと、こういうイメージでありまして、グローバリゼーション(世界規模での広がり)ということが言われる中で、これは地球規模での主に経済競争ということを原理にした考え方が一般化してると思うんです。
そんな中で起こりがちなのは、競争相手ですから、相手は同胞、自分たちと仲が良い相手だという意識が薄れます。そしてそれが未発達なところですと、知りえない相手との競争だから、疑心暗鬼になって対立して、争っていくとこういうことになるんです。
そしてその知り得ない状況というのは、多くの場合が不信感に繋がるんですが、それは国籍が違うとか、人種が違う、宗教が違うとかいろんな違いを捉えて不信感が、あるいはそれがさらに発展していくということ。
そうすると、その相互不信の中で自分たちを守ろうとするときに、ついつい相手を脅す抑止力となると。その抑止力の究極な暴力装置が「絶対悪」である核という展開ですので、それは哲学で言うと根底的に改めるということをやりたいというのが今の新たな安全保障体制です。
つまり、相互信頼です。相互不信じゃなくて相互信頼、置き換えると。グローバル化という経済競争があるとしても、逆に双方で対話という情報をやりとりして、不信感を無くす、価値観の違う相手であっても価値観を可能な限り共有して、共同体の意識を持っていただくような枠組みを目指してほしいというくらいです。
そして、それを目指すときには、為政者レベルで、都市間、個人間の個々の交流を深めて、国家を構成する個人同士の仲良し関係を作って、信頼醸成装置を作り上げると、そんなくらいの意味なんです。それを言っているつもりであります。
ケネディ大使が式典に出席することの受け止めについて
記者 アメリカのケネディ大使が式典に出席するという報道がありましたが、オバマ大統領に近いと言われているケネディさんが来ることの市長の受けとめと、スケジュールの問題もあると思うんですが、どうせ来るんだったら、どんなことを要望してみたい、例えば被爆者との対話とか、市長ご自身が面会するとか、そこで何を訴えたいかとか、そういう思いみたいなものを教えてください。
市長 ケネディ大使が来られるというのは、報道の方で出ていますが、報道を受けまして、在大阪、神戸のアメリカ合衆国の総領事の方に改めて確認いたしましたが、我が方は元々来てくださいということでお願いしていますが、現時点で依然として回答はいただいておりません。
ですから、我々としての回答は無しという状況であることはまず言っておきたいと思います。
もし来られれば、来ていただければ、元々ケネディ大使の経歴からして、今までのいろんな発言とか、私も昨年直接会っていますが、その時の対応からして、平和記念資料館も見ていただきたいし、被爆者の方の声を直接聞いていただき、そしてその受け止めをしっかりとオバマ大統領に伝えていただく。そして核兵器のない世界を目指すということを強力に訴えていただくということをやっていただきたいと思います。
それに繋がるようないろんな対応を自分なりに考えたいと思っています。