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昭和43年(1968年)

ページ番号:0000009459 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

平和宣言

本日、われわれはここにまた原爆記念日を迎えた。

23年前のこの日、広島は一瞬にして焦土と化し、無数の命は奪い去られた。しかも、そのとき、人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命を脅かしつづけ言い知れぬ不安をかもし出している。

原水爆は、それが単に強力なせん滅破壊の兵器というだけでなく、その放射能の拡散は、地球上、ついに人間の生存を許さなくすることは明らかである。けれども、世界の人々の多くは、まだそのことの恐怖にめざめていない。

核軍縮は国際政治の日程にのぼっているが、それは必ずしも核兵器の全面廃止を約束するものではなく、かえって勢力均衡の上に世界を置くおそるべき危険性をはらんでいる。

核兵器を戦争抑止力とみることは、核力競争をあおる以外のなにものでもなく、むしろ、この競争の極まるところに人類の破滅は結びついている。

こうした現実の中にあって、絶えず顧みなければならないのは広島の体験である。原爆被災当時、われわれの直感した人類自滅の不安をわれわれはここに改めて呼びもどし、その初心に立ちかえって広島の声を広く世界の声とすることこそ、市民に課せられた任務であり、同時に世紀の危機を自覚する者の使命である。

あらゆる兵器はすべて人間の所産であり、あらゆる戦争はすべて人間の所業である。このいまわしい兵器と戦争を人間みずからの手によって克服することは断じて不可能ではない。

いまこそ、世界の国々は、格段の決意をもって、戦争のための努力を転じ、これを人類共栄の理想に向かって傾注すべきである。世界は常に一つであり、人類はすべて同胞である。正義と世界新秩序の支配する社会の建設こそ、人間の栄誉を担うわれわれの真に取り組むべき課題でなければならない。われわれ広島市民は、あの日以来、原水爆の絶対禁止と戦争の完全放棄をめざし、これを世界に訴えつづけて来たが、本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、重ねてこのことを強調してやまない。

1968年(昭和43年)8月6日

広島市長 山田 節男