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ページ番号:0000009445更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

昭和50年(1975年)

平和宣言

昭和20年8月6日、広島市民の頭上で、突然、原子爆弾が炸裂した。

爆弾は灼熱の閃光を放射し、爆発音が地鳴りのごとく轟きわたった。その一瞬、広島市は、すでに地面に叩きつぶされていた。

死者、負傷者が続出し、黒煙もうもうたるなかで、この世ならぬ凄惨な生き地獄が出現したのであった。

倒壊した建物の下から、或は襲い来る火焔の中から、助けを求めつつ、生きながらに死んでいった人々、路傍に打ち重なって、そのまま息絶えた人々、川にはまた、浮き沈みつつ流される人々、文字通り狂乱の巷から一歩でも安全を求めて逃げまどう血だるまの襤褸の列、「水、水」と息絶え絶えに水を求める声……。今もなお脳裡にあって、30年を経た今日、惻々として胸を突き、痛恨の情を禁じ得ない。

更に被爆以来、今日まで一日として放射能障害の苦痛と不安から脱し切れず、生活に喘ぐ人々が多数あり、その非道性を広島は身をもって証言する。

この被爆体験を原点として、われわれ広島市民は、人類の平和を希求し、一貫してヒロシマを再び繰り返すなと叫び続けて来た。

しかるに、現状は、核兵器の恐怖が、地球上のすべての国、すべての国民の上にも黒々とおおいかぶさっているのである。

核保有国は、ヒロシマの抗議を無視して、核実験を続行し、さらに強力な開発を進めており、それに追随して核武装を指向する国もあって、核拡散化は激しくなるばかりである。

今や世界が、無秩序な核戦略時代という人類の滅亡を招く重大危機に突入しつつあることは、広島市民として、絶対に黙視できないところである。

人間一人一人が、一つの地球に住む運命共同体の一員であるという自覚を持って、断乎、核兵器の廃絶に起ち向かわねばならぬときである。

この恐るべき事態に直面して、広島市は同じ被爆都市長崎市と相たずさえ、真の世界平和を樹立する決意を新たにし、我々の平和理念が、全人類の共鳴を得るよう切望する。

本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うにあたり、人間性を否定する核兵器廃絶の急務たることを、声を大にして、全世界の人々に訴えるものである。

1975年(昭和50年)8月6日

広島市長 荒木 武