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昭和55年(1980年)

ページ番号:0000009440 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

平和宣言

生々流転—あの日から35年の歳月が流れた。

あの時、炎熱の地獄と化し、核戦争の悲惨さを身を以て体験した広島は、核兵器の廃絶を訴え、ひたすら人類永遠の平和を求め続けて来た。

しかるに、世界の情勢は、このヒロシマの心を痛ましめてやまない。拡大し続ける世界の軍事費はついに1日10億ドルを超え、また、軍備拡大の波は発展途上国にも及んでいる。

中東や東南アジアでの相つぐ紛争は、大国の動向次第では、全面核戦争に発展する危険をも孕み、多数の難民の問題も深刻な影を投げかけている。

もとより、今日まで核兵器の増大・拡散を憂え、人類を破滅から救おうとする努力は、部分的核実験禁止条約、核不拡散条約、米ソによる戦略兵器制限交渉等にも見ることができる。特に、国連初の軍縮特別総会では、国家の安全は、軍備の拡大よりも軍縮によってこそ保たれるとの合意を見、廃絶を目標とする核兵器の削減が軍縮の最優先課題であるとの決議がなされた。

また、本年は米国上院議員会館で原爆展が開催されるなど、ヒロシマの被爆体験への世界の関心もとみに高まりを見せており、このことが被曝者の増大を阻止し、核兵器を全面否定する国際世論の形成に大きく発展することを期待する。

しかし、現実の世界情勢を思うに、軍備拡大の裏にある国家相互間の根強い不信感を取り除かない限り、決して輝かしい平和の岸に至ることはできない。ヒロシマは今ここに第2回国連軍縮特別総会に先がけて、米ソを始めとする平和首脳会議の開催を提唱する。第1回国連軍縮特別総会において平和に徹し、国際協調を基本とする外交努力を一層強化してゆく旨の決意を表明した日本政府は、その先導的役割を果たすべきである。

今こそわれわれは全人類の連帯を求め、破滅への道を生存への道に転じなければならない。

本日、被爆35周年の記念日を迎えるに当たり、犠牲となられた方々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げ、原爆被爆者援護対策が国家補償の理念に基づいて一日も早く法制化されることを念願しつつ、人類生存への道を邁進することを固く誓うものである。

1980年(昭和55年)8月6日

広島市長 荒木 武