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平成2年(1990年)

ページ番号:0000009427 更新日:2019年10月21日更新 印刷ページ表示

平和宣言

あの日、一発の原子爆弾が、一瞬のうちに広島をこの世の地獄に陥れた。

無残にも、尊い人命が数知れず喪われ、辛うじて生き残った者も、放射能の恐怖に苛まれる日が続いている。

この45年の間、ヒロシマは、被爆の苦悩の中から、戦争の過ちを繰り返さないとの決意のもとに、世界恒久平和を願い、核兵器廃絶と戦争の否定を訴えて来た。今や、ヒロシマの悲願は人類の悲願である。

長かった不信と対立の歴史にも、漸く信頼と協調の兆しが見え始めた。

東西対立の象徴であったベルリンの壁が取り払われ、冷戦体制は終焉に向かい、新たな世界平和秩序が模索されており、人類は新しい歴史への一歩を踏み出した。

米ソ両首脳は、本年6月、戦略核兵器の実質的削減に合意するとともに、なお一層の核軍縮を目指す交渉の開始も取り決めた。また、化学兵器廃絶に向けての協定が調印され、通常戦力削減についても早期の達成が約定された。こうした、人類の運命が破滅から生存へと転じる軍縮の流れを、ヒロシマは、高く評価する。核保有国は世界の世論に応え、即刻、核実験の全面禁止に踏み切り、核兵器廃絶への道を急ぐべきであり、各国は全面完全軍縮への更なる努力を行うべきである。

日本政府は、緊張緩和の動向を踏まえ、日本国憲法の平和主義の理念に基づき、軍事費を抑制し、国是とする非核三原則の空洞化を阻止するための法制化を実現させ、率先してアジア・太平洋地域の非核化と軍縮に努めるとともに、世界の平和秩序を構築するため、積極的な外交政策を展開しなければならない。

本年3月、原爆ドーム保存工事が、国の内外から寄せられた多くの浄財と平和への熱い思いに支えられて、完成した。広島平和記念資料館の来館者は、初めて一年間に150万人を突破するに到った。核兵器廃絶を求める世界平和都市連帯推進計画に賛同する都市も50か国、287都市に達した。これらの事実は、強く平和を願う多くの人々の意志を示すものである。

本日は、ここ広島において、女性国際平和シンポジウムを開催し、平和の実現や核兵器廃絶のために、女性が果たすべき役割を討議する。

ヒロシマは、今後とも、原爆被害の実相を世界に知らせるとともに、核軍縮に向けての国際世論を高めるため、国際的な平和研究機関の設立を推進する。

ここに、ヒロシマは訴える。

核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。

米ソを始めとする核保有国は、40数年間にわたって強行した核実験の被害の全貌を明らかにするとともに、速やかに、環境や住民被害への対策を講じることを。

世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。

ヒロシマはまた、飢餓と貧困、人権抑圧と地域紛争、難民、地球環境破壊等のため、苦難に喘ぐ人々にも思いを致し、国際協力により、これらの問題が一日も早く解決されるよう切望してやまない。

本日、被爆45周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に、衷心より哀悼の誠を捧げるものである。ヒロシマは、日本政府が、原子爆弾被爆者実態調査の結果を生かし、国家補償の理念に立った画期的な被爆者援護対策を早急に確立するよう強く求める。また、朝鮮半島や米国等に在住する被爆者の援護が、積極的に推進されるよう心から念願するとともに、平和への決意を新たにするものである。

1990年(平成2年)8月6日

広島市長 荒木 武