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ページ番号:0000009423更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

平成6年(1994年)

平和宣言

強い日差しが照りつける夏の朝、一発の原子爆弾は、一瞬にしてこの街を壊滅させ、多くの人びとの命を奪い去った。いま、この慰霊碑の前に立って「核兵器なき世界」の到来を犠牲者の御霊に報告できないことを誠に無念に思う。

あの日からほぼ半世紀、世界はもとより日本も大きな転換期に入り、時代は対立から協調へと動き始めた。しかし、核兵器はまだ地球上に存在する。ヒロシマは、ナガサキとともに世界の核保有国の指導者に訴える。即刻、すべての核兵器の廃棄を宣言すべきだ、と。核兵器の開発と保有は人類に対する罪であることの意味を世界の指導者は理解すべきである。原爆ドームを世界遺産に加える運動も、人類に警告を発し続ける世界の史跡として永久に残そう、と願うからに外ならない。

無差別・大量殺りく兵器であるうえ多量の放射線を放出する原子爆弾は、明らかに国際法違反の兵器である。被爆者は身をもってそのことを知っている。昨今、核兵器使用の違法性が国際司法の場で審理されようとしているが、国際社会はヒロシマ・ナガサキの実態を見つめ、核兵器の非人道性を十分に認識して欲しい。

さきの第2回国連軍縮広島会議でも主張した通り、核兵器廃絶の道筋を明確にせず、保有国と非保有国の関係を不安定にする核拡散防止条約の無期限延長に私たちは反対する。日本政府は被爆国としての責務を果たすために、非核三原則を国際社会に拡大し、北東アジアに非核地域を設定するなど、自らの核兵器反対を実証する具体策を世界に示すべきである。

10月の第12回アジア競技大会に参加するある国は、原子爆弾の惨禍を乗り越えて大会開催を実現した今日の広島を、平和への大いなる希望の象徴である、と表現した。私たちは、この言葉を誇りと自信をもって受け止めたい。無論、アジア諸国との戦争や植民地支配の歴史を常に心に刻むべきであることは言うまでもない。

原発事故や核廃棄物の投棄は国境を越えて地球を汚染する。放射性物質、とりわけプルトニウム管理の透明性を国際的に確保すること、そして、原子力技術の「民主・自主・公開」の原則順守を強く求める。

50年近い歳月を生き抜いてきた被爆者は未来への思いを込めて被爆者援護法の実現を何よりも待ち望んでいる。今こそ内外の被爆者に対し、国家補償の精神に基づく画期的な方策が講じられねばならない。

人類は戦争の恐怖に脅えることなく、飢えと貧困に苦しむことなく、また、差別と偏見に身をさらすことのない社会の実現を目指して歴史を切り開いてきた。私たちは原爆や戦争を通して、若い世代に理想の世界像を語り継いでいきたい。

本日、ここに被爆49周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、市民の力を結集して平和を構築していく決意を表明する。

1994年(平成6年)8月6日

広島市長 平岡 敬