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ページ番号:0000007272更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

原爆(げんばく)ドームの保存へ

戦後、被爆(ひばく)した原爆ドームについては、保存の考えに賛成する人たちばかりではありませんでした。
 原爆ドームが被爆の悲惨(ひさん)な思い出につながることから、取り壊(こわ)しを望む声もあり、保存と取り壊しの方針が決まらないまま、長い間そのままの状態となっていました。年月とともに原爆ドームの周辺壁には雑草が生い茂(しげ)り、建物も壁(かべ)には亀裂(きれつ)が走るなどの傷みが進行し、小規模な崩壊(ほうかい)、落下が続いて危険な状態となりました。
 保存運動が本格化するきっかけと言われているのは1歳の時に被爆し、15年後白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記でした。「あの痛々しい産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう・・・」と記されたヒロ子さんの日記に心を打たれた人々によって原爆ドーム保存への運動がはじめられました。
 保存を求める声が高まる中、広島市は昭和40年(1965年)7月から原爆ドームの強度調査を行い、昭和41年(1966年)7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行いました。
 これを踏(ふ)まえ、保存工事のための募金(ぼきん)運動を開始、昭和42年(1967年)、第1回保存工事が行われました。

原爆(げんばく)ドームの保存

 原爆ドームは、被爆(ひばく)した当時の姿のままであり続けることが望ましく、価値があります。
 原爆により破壊され、弱い構造の原爆ドームは、保存の工事を行わなければ、現状を長く維持することができません。そのため、保存工事を行うときは原爆ドームの現状をできるだけ変えないように計画が立てられ、工事が行われています。

3度の保存工事

 原爆ドームの保存工事は、昭和42年度(1967年度)に初めて行われ、その後も2度行われています。

  • 第1回保存工事 昭和42年度(1967年度) (昭和42年(1967年)4月~昭和42年(1967年)8月)
  • 第2回保存工事 平成元年度(1989年度) (平成元年(1989年)10月~平成2年(1990年)3月)
  • 第3回保存工事 平成14年度(2002年度) (平成14年(2002年)10月~平成15年(2003年)3月)

 昭和42年(1967年)の第1回保存工事では、原爆ドームに多数のひび割れや空洞(くうどう)ができていたため、接着剤(せっちゃくざい)の注入を行うことで壁(かべ)を固める作業を行いました。その他に、倒(たお)れて不安定な壁をもとの位置に戻(もど)したり、補強の鉄骨を設置して壁を支えたりする作業をしました。
 その後、第1回保存工事から20年が経過し、調査したところ、劣化(れっか)が進んでいることが分かったため、平成元年に2回目の保存工事を行いました。第2回保存工事でも、ひび割れなどに対する補修工事を行いました。また、水が浸透(しんとう)するのを防ぐ液体を壁に塗(ぬ)ったり、オリジナルの鋼材の一部を取りかえたりしました。
 3回目の工事では、主に雨水対策を行いました。壁のてっぺんや窓台、旧倉庫の屋根を金属でおおったり、旧倉庫や地下室への雨水が入るのを防ぐ堰(せき)を設置したりしました。

保存管理のために

 原爆ドームは、原則3年毎に「健全度調査」と呼ばれる劣化を知るための調査を行っています。
 この調査では主に(1)ひびわれの状況(じょうきょう)や鋼材の変形など目で確認する外観調査(2)沈(しず)みの程度を測る沈下量(ちんかりょう)測定(3)傾(かたむ)きの程度を測る鉛直度(えんちょくど)調査(4)壁への水の入りにくさを調査する透水(とうすい)試験を行っています。
 また、原爆ドームの保存方法については、「原爆ドーム保存技術指導委員会」という、さまざまな分野の専門家からなる組織をつくり、この調査の結果などをもとに、どのような手法で原爆ドームを保存すればよいか検討を行っています。

このページに関するお問い合わせ先

市民局 国際平和推進部 平和推進課/都市整備局 緑化推進部 公園整備課(保存工事に関すること)