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ページ番号:0000007271更新日:2019年10月21日更新印刷ページ表示

原爆(げんばく)ドームと呼ばれるまで

(1)広島県物産陳列館(ひろしまけんぶっさんちんれつかん)の建設

 原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)広島県物産陳列館として完成しました。建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形(だえんけい)のドームが載(の)せられていました。
 物産陳列館は、県内の物産の展示や即売(そくばい)、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
 その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。

(2)被爆(ひばく)

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機(ばくげきき)により人類史上初の原子爆弾(げんしばくだん)が投下され、広島市街地の中心部の上空約600メートルで爆発(ばくはつ)し、一瞬(いっしゅん)のうちに広島市街地の建物が倒壊(とうかい)し、多くの人々の生命がうばわれました。
 産業奨励館は爆心地(ばくしんち)から約160メートルの至近距離(しきんきょり)で被爆し、爆風(ばくふう)と熱線を浴びて大破し、天井(てんじょう)から火を吹(ふ)いて全焼しました。当時この建物の中にいた内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶(ひろしませんぱく)木材株式会社などの職員は全員即死(ぜんいんそくし)しました。戦後、旧産業奨励館の残骸(ざんがい)は、頂上の円盤(えんばん)鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

建物の崩壊(ほうかい)について

 広島県産業奨励館の2階と3階のほとんどの壁(かべ)は被爆により崩(くず)れ落ちました。外側の低い壁は、建物を囲む塀(へい)のようにも見えますが以前は3階まで続く建物の壁でした。

建物の崩壊の画像
(広島市公文書館所蔵)

原爆ドームは爆心地にとても近いのに、どうして崩れずに残ったのですか(FAQID02156)

原爆が爆発した地点について

原爆が爆発した地点はどこになるのですか(FAQID02154)

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