西国街道ってなんだろう?
広島の発展に役立った重要な道
西国街道(さいごくかいどう) とは、昔の街道の名前です。
600年〜800年ごろ、国は、九州とそのころの首都(奈良や京都)を結ぶための道を作りました。江戸時代(1603〜1868)になると、この中の大阪と下関を結ぶ部分が西国街道と呼ばれるようになりました。西国街道を通って、いろいろな身分の人が日本全国を行き来していたのです
との様と家来の大行列が歩いた西国街道
このころ参勤交代(さんきんこうたい)といって、各地のお城に住んでいるとの様(大名)は、家来のおさむらいさんを引き連れて、定期的に江戸まで行かなければいけませんでした。長い長い行列を作って、西国街道を歩いて行ったそうです。

歴史あるまち 安芸区
西国街道ぞいのいくつかの町には、人々が休んだり、馬を取り替えたり、荷物の受け渡しをしたりする場所 = 宿駅(しゅくえき)が整備され、とてもにぎわいました。海田市にはその宿駅が置かれていたため、安芸区や海田町には今でも昔の町並みが残っています。
船越の上のほうから、海田、川ぞいを通りながら中野、瀬野、大山峠へとつながる道が西国街道です。あちこちに歴史ある建物があるので、おでかけしてみてくださいね。
