本通 hondori

時代と共に繁栄した古くて新しい商店通り

江戸時代から 中国地方随一の繁華街だった本通
老舗を守る人たち、時代とともに変わるまちなみ

買い物と言えば本通・・・広島人なら口を揃えてそう言うほど、人々が集い、行き交う道筋です。
その歴史は古く、江戸時代から現在の道筋そのままに、城下町広島を支える商業地域として発展しました。 明治、大正、昭和初期と時代が移り、老舗に加え百貨店や洋品店が立ち並んだ通りには、本通のシンボルとなったすずらんの形のかわいらしい明かりが灯されるようになりました。平田屋町、播磨屋町、革屋町とまたがる本通界隈では、夜遅くまで開く店々の前を子どもたちが笑い声を響かせて駆け回っていました。
被爆後、そこで商い暮らす人たちが手を携え徐々に元の賑やかなまちなみを取り戻すと、アーケードを建設。翌年には雪で倒壊してしまうという残念な出来事もありました。
現在の本通の賑わい再興に尽力してこられた語り手・奥本さんが、戦前から昭和50年頃の本通について語ってくれます。

本通商店街 旧奥本洋品店向かい・本通多山ビルにて撮影(令和4年9月撮影)

わが街ヒストリア~吉島地区編(広島市中区)

わが街人

安田 茂さん

奥本 (おくもと ) (ひろし ) さん

昭和5年生まれ 92歳
播磨屋町(現中区本通)で金物屋を営む両親の元で生まれ育つ。原爆により15歳で家族を失い広島を離れるが、その後元の場所で洋品店を始める。本通商店街の振興組合員として、アーケードの導入など本通の発展に取り組み続け、平成13年まで洋品店を営んだ。

聞き手

稲見 沙南さん(小4)

渡部 (わたなべ ) 大輔 (だいすけ ) さん
本通商店街振興組合 青年部 株式会社べっぴん店

青崎 実仁さん(小4)

藤田 (ふじた ) 真三 (しんぞう ) さん
本通商店街振興組合 青年部 セブン-イレブン 広島本通西店オーナー
株式会社モアーモモ

※出演者の年齢は撮影時のものです。

ミニヒストリア 本通

mini historia hondori

シラウオ漁

元安川・相生橋たもとでシラウオ漁

昭和10年頃の元安川は、子どもたちが水に入って川魚やエビを採って遊ぶほどきれいな川でした。春になると、漁師たちが相生橋・平和記念公園側近くの雁木から大きな網を沈め、シラウオ漁を行っていたそうです。隣で奥本さんら子どもたちもシラウオを採り、お家に持って帰っていたのだとか。また、戦前の元安川ではボート遊びが人気で、たくさんの貸しボートがあったそうです。

本通の配膳車

ランチを届けた本通の配膳車

昭和15年頃には、本通のお店で働く人たちの昼食を作るための調理場が大手町に開設。病院で使われているような配膳車が、本通のお店を一軒一軒回って昼食を配っていたそうです。移動式社員食堂のようなシステムがあったんですね。

木レンガ

本通の足元を彩った木レンガ

大正から昭和初期にかけて全国の舗装でよく使われていた木(塊)レンガ。奥本さんによれば、昭和15,6年の本通にも敷き詰められていました。砂地とは違って歩きやすいものの砂ぼこりが舞い上がるため、時々専用の油を撒いていたそうです。

奥本さん一家

本通を見守り続けた奥本さん

戦前から本通で金物店を営んでいた奥本さん一家。写真の左奥に、「奥本金物店」の姿を見ることができます。原爆で両親を失った奥本さんは、その後金物店を再興するつもりでしたが、時流の変化を感じ昭和38年に「紳士洋品店おくもと」を開店。平成13年まで営業しました。