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原爆ドームの保存へ

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戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。
 当時、原爆ドームについては、記念物として残すという考え方と、危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありました。
 散発的に出ていたこの存廃論議は、市街地が復興し、被爆建物が次第に姿を消していく中で、次第に本格化し、原爆投下をどう考えるか、被爆体験や肉親などの惨事をどう伝えるか、核兵器をめぐる世界の情勢をどう考えるか等の議論と重なりをみせていきました。
 原爆ドームは、昭和28年(1953年)、広島県から広島市に譲与され、ほぼ被爆後の原形のまま保存されていましたが、年月とともに、周辺には雑草が生い茂り、建物も壁には亀裂が走るなどの傷みが進行し、小規模な崩壊・落下が続いて危険な状態となりました。そのため、昭和37年(1962年)以降は周囲に金網がはられて内側への立ち入りが禁止されました。
 保存を求める声が高まる中で、広島市は昭和40年(1965年)7月から広島大学工学部建築学教室に依頼して原爆ドームの強度調査を行いました。翌昭和41年(1966年)7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行い、これを踏まえ、広島市は保存工事のための募金運動を開始、国の内外から6,619万7,816円の寄附金等の浄財が寄せられました。そして、昭和42年(1967年)、第1回保存工事が行われました。

原爆ドーム保存を要望する決議

 

 広島市は昨年、100万円の調査費をかけ、原爆ドームの保存方法について調査を完了した。
 その結果、補強によって保存に耐えるとの報告をうけている。
 核戦争阻止、原水爆の完全禁止の要求とともに、ドームを保存することは被爆者、全市民、全国の平和をねがう人々が切望しているところである。
 ドームを完全に保存し、後世に残すことは、原爆でなくなられた20数万の霊にたいしても、また世界の平和をねがう人々にたいしても、われわれが果たさねばならぬ義務の一つである。
 よって、このドームの保存について万全の措置をとるよう決議する。

昭和41年7月11日

広島市議会

 

このページに関するお問い合わせ先

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電話:082-242-7831 /  FAX:082-242-7452
メールアドレス:peace@city.hiroshima.lg.jp