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まちのかたち

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広島は昔、海だった

広島は水の都(みやこ)

とおい昔、広島のまちはほとんどが海。比治山(ひじやま)や黄金山(おうごんざん)は島だったんだ。当時の人々は海の近くの小高い丘(おか)の上などに住んでいたんだ。
今から1800年以上も前の家の跡(あと)や道具が、新しく団地をつくるときなどに見つかっています。

約400年前の陸地の地図
茶色の所が約400年前の陸地
(広島市文化財団資料より引用)
出土した鏡の写真
中小田古墳(なかおだこふん)出土の鏡
(広島大学考古学研究室所蔵)
遺跡の写真
毘沙門台東遺跡(いせき)
家の跡(写真は広島市文化財団所蔵)
土器の写真1土器の写真2
比治山から見つかった縄文(じょうもん)時代の土器
(広島大学考古学研究室所蔵)
出土した土器の写真
毘沙門台東遺跡(いせき)から出土
した土器(広島市文化財団所蔵)

山の土砂(どしゃ)などが太田川をで運ばれて下流へ流されました。長い年月をかけて、川や海の中にどんどん積み重なっていき、新しく土地ができていったんだ。

今から400年くらい前から、海に向かって人工的なうめ立てがくり返されるようになり、さらに新しく土地がつくられていきました。そうして今の広島市の地形の基礎(きそ)ができあがったんだよ。その形から、三角州(さんかくす)と呼ばれて(よばれて)います。

新開(しんがい)と名の付いているところはうめ立てられたりしてできた土地だよ。

開発図
新開地(しんがいち)発展略図(広島市公文書館「図説広島市史」から)

護岸の写真 今、広島市には、まちの中心に6つの川が流れていることから「水の都」とも呼ばれています。川沿い(ぞい)の散歩道や、川の水に近づける広場も新しくつくられています。まちをにぎやかにし、活気をだすため、川の近くでコンサートや食事が楽しめる計画も立てられています。

しってるかな?市章(ししょう)のデザインも水の形から

市章学校の校章(マーク)と同じように、広島市にもマーク(市章)があります。
江戸時代(えどじだい)に広島を治めていた芸州藩(げいしゅうはん)の旗の印だった三つの線の形(三つ引)をヒントにしています。この線を川の流れのように曲げて、水のまちをイメージしてつくられました。

しってるかな?猿猴川(えんこうがわ)に“かっぱ”がいた!?

南区の猿猴川(えんこうがわ)の「えんこう」とは、猿(さる)ではなく、「河童(かっぱ)」のこと。この地域には、かっぱの伝説が残っています。今は、地域(ちいき)の人たちによる「かっぱまつり」が行われています。

えんこう川土手のかっぱの像 まつりの写真
かっぱまつりの様子

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