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ひろしま市民パブリシスト 有田 武志

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自己

紹介

 私、生まれも育ちも広島です。5才で被爆、広島復興・発展の目撃者と自認する井の中の古蛙です。ボチャン!

作品

【平成27年(2015年)】

けん玉大会で思ったあれこれ。

店のより美味しい「バウムクーヘン」が出来た!!郷土資料館で得た小学生の自信。

威風堂々クラッシック in Hiroshima 大植英次氏の郷土愛に魅了された2日間

 

【平成26年(2014年)】

広島のお盆。あの風景に変化が 後編

広島のお盆。あの風景に変化が 前編

漫画家あすなひろしを知っていますか?(広島国際アニメーションフェスティバル100日前イベント~アニメーション・まんがアート展にて

広島市街地を貫く「幹線が完成」~広島南道路完工記念事業にて

写真に留めておきたい風景~市内電車軌道移設の巻~

写真に留めておきたい風景~JR広島駅近辺の巻~

 

【平成25年(2013年)】

またひとつ自慢の種が!(八丁座映画図書館オープン 後編

またひとつ自慢の種が!(八丁座映画図書館オープン 前編

自分で撮っておきたい風景(JR広島駅前の街並み)

自転車道で威力発揮の「発泡スチロール」 後編

自転車道で威力発揮の「発泡スチロール」 前編

美しく新しい橋が架かる 後編

美しく新しい橋が架かる 前編

「果報は寝てては掴めません!!」ビジネスフェア中四国2012

 

【平成24年(2012年)】

サクラどころ継承に「被爆ザクラ」も一役

ちょっと気になるお店探検~新天地商店街の「メーカーズシャツ鎌倉 広島店」

ちょっと気になるお店探検~中の棚商店街~「ますだ刺しゅう店」

 

【平成23年(2011年)】
 ちょっと気になるお店探検~本通商店街~「マルタカ子供百貨店」

ちょっと気になるお店探検~並木通り商店街~「デンスケ」

ちょっと気になるお店探検~新天地商店街~「中村屋」  

撮っておきたい風景(テレビ塔の巻き)

がんばろう東日本!支援・ボランティア情報~東日本大震災 東保健センター 岡村主任技師

がんばろう東日本!支援・ボランティア情報~東日本大震災 もちもちの木 竹中さん

自分で撮っておきたい風景

こいこい ひろしま奨励賞~表彰式スケッチ


【平成22年(2010年)】

  初代市民球場の見えた場所

  認識させられたヒロシマ ピースボランティアの活躍

  数増す広島の高層ビルに思うこと

 

【平成21年(2009年)】

  太田川放水路を道場として~広島の漕艇界

 生まれ変わる南区段原地区

 今年の広島の桜も見事でした

  広島の新しい誇り誕生

 

【平成20年(2008年)】

 多彩な表情、進化する広島市街地の護岸

  平和大通りの石燈籠

 汁なし坦々麺

 専用コートで技磨く、広島のフットサル

 新球場起工式

 守り続けられる「とんど焼き」

 

【平成19年(2007年)】

 「県営球場」「市民球場」そして「新球場」へ

 観音ねぎの今

 広島にもマリーナ」がある!

 広島の風物詩 お盆の紙灯籠

 路面電車まつり

 ホクレア号がやってきた

 尺八は一日にして鳴らず?尺八に挑戦する子どもたちを見つめて?

 

【平成18年(2006年)】

 笑顔で支えた! 第11回広島国際アニメーションフェスティバルの舞台裏

 世界遺産航路で初夏のひろしま満喫
 

 こうさてん

 第11回春こい祭
 

けん玉大会で思ったあれこれ。

「残り火が再び燃え盛ってきたのだろう」。との感慨だった。
三月二十八日、広島市のド真ん中、福屋百貨店の屋上で「けん玉」の集いがあると知った私の心は弾んだ。取材したい旨を申し出て勇躍出かけた。
 やっと春めいてきた陽気にも味方されて、屋上広場には、両親に手をひかれた小さな子から、セーラー服姿の高校生グループなど老若男女、実に幅広い世代の人達の参加は意外な光景だった。

巨大「けん玉」が見守る会場で。  

資料館スタッフの指導で始まった作業は、まず卵を割って、卵黄と卵白を別々に取り出す事だ。結果的にこの作業が子どもにとって、全作業中一番集中力を要する難関だったようだ。卵の殻に最初の割れ目を入れるのは、初体験の子にとってはままならぬ作業らしく、勢い余って中身を床に落としたり、割ったはずみに卵黄をつぶしたり、その度に手早く始末をするスタッフ。「しまった!」との思いが子どもの顔に浮かぶ。でも、ミスした指先に残る感触から、次に活かせるコツを、この子達は今、会得しているのだと思うと、愛おしさが胸をよぎる。微妙な手加減の重要さは、ボウルで生地をこねる時にも、作業のハイライト、隣の公園内に準備された、木炭がカッカと燃えるコンロで、竹筒に塗った生地を焼く時にも必要な事を子ども達は知った。そして、塗っては焼く作業を十数回根気よく繰り返してほぼ一時間、こんがりと焼きあがった「バームクーヘン」を、竹筒からスポッと抜き取ると、「竹輪だ!」の声。釣られて周りに笑い声と拍手が広がった。館内に戻っての嬉しい試食。「店のより美味い!!」子の投げかける弾んだ声に微笑み返しのお母さん。「こんどは他の料理も作ってみたい」。アンケートに記されていたひと言には、小さな胸に芽生えた自信が少し誇らしげに覗いていた。 


良い具合に焼けてるね!

年輪もこのとおり、バッチリ!


見てよ、この食べっぷり!


                               (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

※(財)広島市文化財団の文化情報マガジン「to you」平成27年4月号へも同様の記事を掲載しています。

(ひろしまファンクラブ平成27年4月23日号掲載)

店のより美味しい「バウムクーヘン」が出来た!!郷土資料館で得た小学生の自信。

ドイツの銘菓「バームクーヘン」の日本での初登場は、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵、カール ユーハイムさんが、抑留中の宇品沖の「似島」で焼いたものだった。それからざっと百年後の今、戦争の無い歳月を生きてきた幸運な世代の親と子が、それも似島と同じ南区の郷土資料館で、「年輪」を意味する「バームクーヘン」を作る催しに集った。「奇縁」を思わないではいられなかった。平成っ子の小学生達は、お母さんなどの手を借りて、三角巾、マスクやエプロンを身に付けた。俄かパテシオ達のやる気はスイッチON!。

卵黄の取り出しに成功!

資料館スタッフの指導で始まった作業は、まず卵を割って、卵黄と卵白を別々に取り出す事だ。結果的にこの作業が子どもにとって、全作業中一番集中力を要する難関だったようだ。卵の殻に最初の割れ目を入れるのは、初体験の子にとってはままならぬ作業らしく、勢い余って中身を床に落としたり、割ったはずみに卵黄をつぶしたり、その度に手早く始末をするスタッフ。「しまった!」との思いが子どもの顔に浮かぶ。でも、ミスした指先に残る感触から、次に活かせるコツを、この子達は今、会得しているのだと思うと、愛おしさが胸をよぎる。微妙な手加減の重要さは、ボウルで生地をこねる時にも、作業のハイライト、隣の公園内に準備された、木炭がカッカと燃えるコンロで、竹筒に塗った生地を焼く時にも必要な事を子ども達は知った。そして、塗っては焼く作業を十数回根気よく繰り返してほぼ一時間、こんがりと焼きあがった「バームクーヘン」を、竹筒からスポッと抜き取ると、「竹輪だ!」の声。釣られて周りに笑い声と拍手が広がった。館内に戻っての嬉しい試食。「店のより美味い!!」子の投げかける弾んだ声に微笑み返しのお母さん。「こんどは他の料理も作ってみたい」。アンケートに記されていたひと言には、小さな胸に芽生えた自信が少し誇らしげに覗いていた。 


良い具合に焼けてるね!

年輪もこのとおり、バッチリ!


見てよ、この食べっぷり!


                               (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

※(財)広島市文化財団の文化情報マガジン「to you」平成27年4月号へも同様の記事を掲載しています。

(ひろしまファンクラブ平成27年4月23日号掲載)


威風堂々クラッシック in Hiroshima 2014 大植英次氏の郷土愛に魅了された2日間

 広島市佐伯区出身の世界的指揮者、大植英次氏プロデュースの「威風堂々クラシック in Hiroshima」が、こんなに大人気とは。初取材する私は、11 月29日、30 日の全11 会場を「追っかけ」して、見逃した去年のコンサートで、人々がなにに魅了されたのか知りたいと思った。それは、広島市民こそが主人公の催しでありたいと念願する大植氏の熱意が、人々の心に響いた結果なのだと納得できた。そしてさらにさすがと感じたのは、大植氏のショーマン振りだった.。

着衣の乱れもなんのその…

こんな近さで楽しめました。

小さな子もつい引き込まれて。

有料ステージでさえこの大入り。

松井市長、歌う!

しの笛に正座して聞き入る大植氏
 気温差のある外国を経由しているうちに痛めたノドを気にしつつ、演奏者の紹介から曲の解説など、軽妙な語りはどこか、かつての噺はなし家、林家三平をほうふつさせて随所で笑いを誘う。自身もピアノを熱演し、こども文化科学館での音楽劇「ピーターと狼」では、喜劇役者ばりのおどけ役を披露、場内を駆け巡り子どもの目を引き付け、この人は本当に指揮者なの? と思わせもした。観客にこそいい場所をと、関係者用の席を脇に移したり、ぐずる子がいても気にしないでと呼びかけたり、その気取らない様子には、つい市長までが思わず「英ちゃん」と呼んだり、若い演奏者が「大植君」と呼んだりして観客を沸かせもした。
 8 月の土砂災害犠牲者の鎮魂にと、サプライズ出演の、しの笛奏者福原友裕氏が板張りの舞台に正座して奏でる、日本古来の澄みきった笛の音が流れ出すと、大植氏も思わず正座して聞き入る姿には、同じ音楽家としての敬意がにじみ出て清々しい光景だった。
 そんな大植氏が、正真正銘の指揮者らしさに戻ったのは、フィナーレとなる国際会議場フェニックスホールの舞台だった。各地から公募に応じた若手演奏者100 名余りの大編成オーケストラを見事にまとめあげ、文字どおり「威風堂々」の演奏に結実させたのは、万全でなかったはずのコンディションなどを感じさせぬ、郷土愛あふれる指揮者、大植英次氏だった。来年のさらなる人気を予感させる2日間に酔った。

                               (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

※(財)広島市未来都市創造財団の文化情報マガジン「to you」 No.370へも同様の記事を掲載しています。

(ひろしまファンクラブ平成27年1月22日号掲載)

広島のお盆。あの風景に変化が 後編

 「名号札」が重用され始め、目立つようになって来ると、お寺からは見過ごせない、困惑の声が出始めてきている。

「名号札」使用中止を呼びかける要請文
無残に散らかる「名号札」

 薄っぺらな「名号札」を、墓石に立てかけておくだけでは、風の吹きようでいとも簡単に倒れ、あるいは地面に落ちてしまう。お寺として見過ごせない理由は、「名号札」に記された「南無阿弥陀仏」の文言が浄土真宗の本尊、一番大事な「仏さま」そのものであるということを知れば、墓地での「札」の現状を黙視できない事くらい、理解できよう。
 ところが意外にも、同じ浄土真宗のお寺であっても、境内でその「名号札」を扱っているところがあったり、他の文言入りの「札」を供えるように用意してあるお寺があって戸惑うのだ。

 寺院の関係の方に話を聞かせてもらった。

 粗末になってはならない名号入りの「札」でなく、無難な文言の「札」を製造販売してもらうよう業者の協力を説得出来れば、一挙解決するのではと、したり顔で急き込んだ私だったが、「名号札」そのものに問題があるのではなく、墓参りの皆さんに「大事に供えていただく事」こそが肝要と、切り返された。

「名号札」保持を配慮した例

 つまり「札」が無残に散らからぬよう固定できる紐とか柵を墓石にセットする等の配慮など各家庭で用意していただくとか、もっと望ましくは、お参りが済めば「札」とか「灯籠」「花」などを各自で持ち帰るすべもある、とも諭された。目からうろこだった。

他宗派寺院境内の「塔婆」の様子


 自分はちゃんとお参りしましたよ、との証しを残しておかなくてはと、名刺代わりの感覚で供える人が多いのではないのか。私などはまさにその部類で、持ち帰ることなど考えた事もなかった。自分の家は当たり前のこととして自分達で掃除もするが、墓参りの後始末はお寺に任せっ放しというのでは、いい加減さもほどほどに、だろう。
 塔婆の使用が古くから徹底している他宗派のお寺を拝見したが、さすがに「札」が粗末にならない工夫が行き届いていた。安芸門徒もぜひ参考にして取り入れたらいい境内風景だった。

 自信ありげに自説をぶっつけに行ったつもりが、しっかり説教を受けてきていた事に気付いた。宗教に限った事ではないが、大らかと言えば聞こえはいいが、大ざっぱな気持ちでいては、さざ波が、何かの弾みで大波に変わるかも知れない世の中を、フッと思った。凡夫の域を出ない自分を再認識した今年のお盆でした。

                             (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成26年9月4日号掲載)

広島のお盆。あの風景に変化が 前編

人が生きていく上でのよりどころであるはずの宗教が、紛争の火種になっている現実が、世界で絶えないのは何としたことだろう。
 宗教とは一体なんの為に有るのか?などと、そんな大層な事を今、考えてみようと、そういう訳ではないが、日本人の多くが宗教をどんなふうに人生の縁としているのか、思えばちょっと懐疑的になるのだ。

 新年を迎えると、当たり前のように神社に行き、その足でお寺へ墓参りもする。子どもが誕生すると、神社でおはらいを受け、一生を終えると、お寺のお世話になる。仏教徒の家の子が結婚式はチャペルでと決めても、親は特に反対もしない。と、いった話はよく聞く。日本人の国民性なのか、宗教的にはなんだか大ざっぱで、良く言えば大らかと言っていいのか。

 八月。この月のある期間。本来、仏教行事である「お盆」が、国を挙げての「夏休暇」のごとく定着している感じがする。その様子は真夏のニュースに欠かせぬ素材にもなっている。その「お盆」と言えば、我が郷土「広島」では独特の光景が出現する時期でもある。

壮観!境内を埋める灯籠

 日頃は、ひっそりと静かなお寺の境内が、原色も鮮やかな色紙をあしらった「盆灯籠」に埋まって、その華やかさは壮観の一言だ。お盆には、その灯籠を供える事が墓参りの常識のように思っている人が多いようだが、実は昔、広島の一商人が、亡き我が子の供養にと自作の灯籠を墓前に供えたものが、次第に門徒衆の心を捉え、広まった、と言うのが伝えられる話で、決して浄土真宗の必需仏具とは言い切れない。広島地方独特の風習として、とかく話題になるゆえんだ。その広島のお盆風景も、ここにきて、変化の兆しが見えてきている。竹と色紙製の灯籠に代わって、「塔婆」に似た「南無阿弥陀仏」の文字入りの「名号札」が、ジワリ目立つようになってきているのだ。

灯籠に代わる「名号札」が目立つように。
スーパーの売り場に並ぶ
「名号札」

近所のスーパーで買い物中の主婦に聞けば、「安いもん、それに持ち運びに便利でしょ。」と、戸惑い気味ながら答えてもらえた。その通りだ。「灯籠」なら、安価なサイズでも700円前後なのに対して、「名号札」は200円前後で販売されている。利便性、経済性に目が向くのは至極自然な人の知恵だろう。ご先祖様にお供えする物とはいえ、庶民感覚として素直に聞く事が出来た。
(次週に続く)


                 (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成26年8月21日号掲載)

漫画家あすなひろしを知っていますか?(広島国際アニメーションフェスティバル100日前イベント~アニメーション・まんがアート展にて



興味尽きない、5人5通りの話

トーク会場は立ち見も出る盛況ぶり

貴重な、あしなひろし氏独特の原画に見入る

緻密なペン跡をルーペで見られる配慮も
 被爆40 周年を期に、隔年開催され続けてこの夏、15 回目、30周年記念大会となる広島国際アニメーションフェスティバル。ここまでの実績と評価が、私達の街広島で重みを増していくことが嬉しい。

 関連事業の一つである広島メディア芸術振興プロジェクト「アニメーション・まんがアート展」が、中区袋町の旧日本銀行広島支店で4 月26 日~5月5日にわたって開かれた。今回注目の催しは、トークライブで、その内の一つ、「まんが家トークライブ」に出かけた。広島で学生生活を送った後東京に出て、漫画家として見事名声を博した「あすなひろし」氏を語る席に、今、活躍中の漫画家、みなもと太郎氏、南一平氏、村上たかし氏、の3 氏と、あすなひろし氏のアシスタントだった、本会場に展示の原画の選別に大きく関わった植松和史氏、そして元まんが図書館主任吉田宏氏の5氏が、2 時間近くにわたって「あすなひろし」氏の並外れた作画や人となりをリレー式に語り合った。

 恥ずかしながら、「あすなひろし」という名も知らなければ、その漫画を見たこともない私も、披露される話に急き立てられる思いで、貴重な原画を見た。「当時の印刷技術と紙では再現不能」とまで言われた、圧倒的な繊細描写は、花鳥風月を緻密に描き上げる高名な日本画家にも相通ずる人業とも思えぬ筆致で、氏の才能と本気さを痛感させられた。

 「気が遠くなりそう」と、横で呟く専門学校で作画を勉強中という女性に、つい、あなたも頑張って! と声をかけた。 別の年配の男性からは「あすなひろし」氏との思いがけない話が聞けた。広島の某映画支社で一緒に仕事した縁で東京に出た氏と文通が続き、絶頂期も早世するに至る不遇な時期も知るその方の、「人間、早よう死んじゃあだめよ」の一言に、人生を全うする大変さが滲んでいた。

 「漫画ばかり見よったらバカになるよ!」とは、しつけに手を焼くの母親の決まり文句だったが、今頃になり漫画を凝視、取材する役回りが巡ってきた事が可笑しかった。

                  (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
※(財)広島市未来都市創造財団の文化情報マガジン「to you」 No.364へも同様の記事を掲載しています。

(ひろしまファンクラブ平成26年8月7日号掲載)

広島市街地を貫く「幹線が完成」~j広島南道路完工記念事業にて



巨大なアーチ越しにヘリポートが気になる子

3月16日の日曜日は、それまでの厳しい寒さから一転、のどかな春霞たなびく優しい日差しの行楽日和に恵まれた。23日に開通を控え、ほぼ完工した広島南道路の見学イベント、「ハイウェーウォーキング会」が、西区観音新町の観音出入口を起点に行われた。
スタッフの方の話では、あらかじめ配布された入場証は、観音地区住民用8,000枚、一般公募者用2,000枚のはずが、入場証を持たない人や、入場証を持つ人の家族などが多く来場し、入場証なしでも認める配慮の結果、予定をオーバーする入場者数となったようだ。

上り下り四車線を埋め尽くす人、人・・・


かつての広島西飛行場跡をひとまたぎ

予定を早め9時前に開門されると、高架道に向かうスロープを埋め尽くす人の波が続いた。
どこかで見る光景だと思ったら、そうだ、まさにそれは、好カードの日のマツダスタジアムの、メインゲートに向かうプロムナード風景そのものだった。
工事たけなわの頃(平成25年5月18日撮影)
自動車専用道路を人が歩けるのはこの日、この時だけ。さらに、人々の期待のひとつは、昨年、ゴールデンウイークの最中、太田川放水路上に架ける巨大な広島製のアーチ二本の架設工事が話題を呼んだその橋「太田川大橋」を歩いて渡る事が出来るチャンスが今回なのだ。
そして、この道路で忘れてならぬ特徴がもうひとつ。開通する道路の地上部の基礎となる盛土部分を、土砂に代えて特別な発泡スチロールを埋設する、規模の大きさでは本邦初の工法が用いられたことだ。

「太田川大橋」へ向かう人、戻る人

ピカピカのガードレールや、黒いアスファルトに白さ際立つ表示文字が目を射る出来たての路上を興味津々歩くのは、 ハイキング風の出で立ちの人、ベビーカーを押す子ども連れの若夫婦、しっかりと手をつなぐ幸せそうなカップル、車いすに乗った人、ビデオや携帯での撮影に余念のない人、まるで週末の本通りなど、人気の商店街と変わりない人々の姿に、華やかさなど、どこにもない機能本位の自動車専用道路でさえ楽しみの対象にしてしまう人達のパワフルさを思った。

中央分離帯のガードレールもピッカピカ!

路面の表示文字の白さがまぶしい

 市内を貫く大きな道路はどこも車でいっぱいだ。街中を通過するだけの車がこの新しい道路に分散することにより、既存の道が走りやすくなれば幸いだ。
同じ23日には、この自動車専用道路と並行する「観音大橋」が、天満川最南端の橋として、観音と江波を繋ぐ役割を担ってデビューする。
川の街、広島にもう一本「新しい便利」が架かった。                              (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成26年4月3日号掲載)

 

写真に留めておきたい風景~市内電車軌道移設の巻~

アジア大会開催(1994年)を機に、市内に新時代の軌道系乗り物として登場した「アストラムライン」は、今ではすっかり広島の街に溶け込み、さらに、利便性を高める策として目下、広域公園止まりの軌道を市内中心近くまで延伸させる計画が具体化に向かっている。

稲荷町付近
猿猴橋町付近

軌道系乗り物といえば、広島市内には創業百年を超す歴史を誇る広島電鉄(略称:広電)が健在だ。他の多くの都市が、モータリゼーションの高まりに押されて軌道を撤去した中、広電は逆に活かす方向を選び、成果を挙げ注目を集めた。多彩な車両が現役で走っている街としても人気を呼んでいるのは心楽しい。

比治山下付近

今の路線配置は、ほぼ被爆後の都市計画に沿ったもので、市民生活の中に定着しているが、市勢の変化に伴った路線の見直しも進められ、最近、JR広島駅前から的場町近辺にかけての軌道のルート変更が検討されているとの報道がある。

段原一丁目付近
それによると、通称「比治山線」のうち、松川町、的場町間と、「本線」の内、広島駅前と稲荷町間を走る猿猴橋、的場町経由部分を「駅前大橋」経由にして、JR広島駅ビル内に直接乗り入れるという案がそれだ。身近にあった軌道が他所に移る不便さを訴える住民にとっては切実な問題として、関係者間による話し合いが続けられるようだ。

幼い日の記憶につながる光景
私にとっても、旧段原大畑町の生家の前を走っていたチンチン電車の思い出は、自分の記憶の中で最も古い部類のもので、今も比治山の麓を大きくカーブし姿を現す電車は昔の情景と重なり、愛惜の念は深まるばかりだ。年寄りの郷愁など知らぬげに、街がクールに変貌をとげていくのなら、その前にせめて、愛着ある街角の様子は写真に留め置いて、後々の楽しみにするくらいの事はやっておかねば。後悔先に立たずだ!さあ、撮ってくるぞ!

(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成26年2月27日号掲載)

 

写真に留めておきたい風景~JR広島駅近辺の巻~


マツダスタジアムへの近道
間もなく、またカープで明け暮れの日々が始まる。
常々、観戦に行けない日はテレビ中継を頼みにする。更に言うと、ラジオの実況しかない日は憂鬱だ。やたら早口と絶叫ばかりでくたびれる。ゲームの様子を言葉だけで伝えようとすると、そうなるのだろうが、「画像」の威力を、まさに「百聞は一見にしかず」と思い知る所以だ。

さて、広島市の大事業のひとつだった段原地区の再開発が、四十年の歳月を経て、いよいよ今年度中に完了と報道された。かつての景観とは一変した、真新しい街がみるみる整っていく。被爆後もずっと、多くの人達の生活が営まれてきた昔懐かしい町並みは、その姿をもうそこに見ることは出来ない。

Cブロック地域俯瞰(ふかん)
そして、段原に続けとばかりに今、JR広島駅周辺では、懸案だった再開発計画、B・C両ブロックの工事が始まった。再来年には、中、四国、九州地域で、最高層となるノッポビルを中心とした新しい街が誕生する。当然ここでも、永年慣れ親しんできた日々の舞台は姿を消して、記憶の中だけの世界になる。そして、長い歳月を経たいつの日にか、思い出が語られる時、手元に往時を留める写真の一枚でもあったら、それは千の言葉にも勝る「語り部」役になってくれるはずだ。

タクシー乗場越しの眺め
庶民的な商店街だった愛友市場
姿ある内に撮っておこう、残しておかなくては、という思いに駆り立てられ、カメラを手に出かけた。
県都のセンター駅界隈ともなると、人、物の集散の基点だ。その在りようで、その都市を推し量る目安にされがちだ。JR広島駅周辺も、被爆による焼け野原からのまちづくりだったのに、本格的整備には程遠い目まぐるしい変遷を繰り返し、いつまで経ってもその景観に対する評判は芳しくなかった。でも、妙なもので私には、不評だったあの界隈が自分の加齢と共にあった風景として愛おしい。
計画はこの「通り」に軌道を通すことに
この度のB・C両ブロックの再開発が完了したら、今度こそは、百万都市の表玄関らしい風格を備えた景観に、誰もが目を見張るに違いない。気取らぬ庶民の日々を支えてきたあの辺りの姿が懐かしくなったら、アルバムを開くとしよう。


(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成26年2月20日号掲載)

 

またひとつ自慢の種が!(八丁座映画図書館オープン)後編



開館一番のりは、山口県から 
図書館でありながら、あれ!?と思わせたのが、入館料(大人200円、八丁座など序破急系列映画館のチケット半券提示で半額割引あり)が必要なこと。本などの貸し出しをしないこと等ありますが、館の特殊性を思えば納得できる事でしょう。

オープンの日。
一番のりは開館一時間前に並んだという山口県からの男性で、広島には映画目当てによく来られるそうで興味津々の様子でした。
廿日市市から来館の男性は、自分でも収蔵している多くの資料などをここで活用してもらえれば、と思われたようです。
度々来ることになりそうなので、ポイントカードのような特典を考慮してほしいと話される人もある等、これから多くの映画ファンの関心、興味を惹きつけていくことでしょうが、一方では心配な予感もあります。

ファン垂涎の資料がズラリ 

ゆったりと時が流れます
一般の図書館などで深刻な問題になっている不心得な利用者のことです。マニアにとって垂涎の的である資料の保全について、蔵本社長にお聞きしましたが、「映画を愛する人達の良心に懸けます。映画ファン皆さんに楽しんでいただくものです、大事にして下さるでしょう」と、返ってきた答えは大らかそのものでした。
映画で広島を元気で魅力ある街に!蔵本社長の心意気がしっかり根付く事を願わないではいられませんでした。
映画は人の心に「夢」紡ぐもの。
そんな事を思いおこさせてもらいました。

                             (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成25年10月24日号掲載)

 

またひとつ自慢の種が!(八丁座映画図書館オープン)前編



蔵本社長。笑顔に秘めた挑戦魂。
広島に、この人あり。
蔵本順子さん。広島市内に映画館4館6スクリーン(9月末現在)を擁する(株)「序破急」の社長さんです。蔵本社長は郊外型シネコンに観客が流れ、広島市内中心部の映画館が次々と姿を消していく現実を座視できなかったのです。多くの関係者の懸念を発奮の糧とし、閉館した「東洋座」を「八丁座」としてものの見事に再生オープンさせ大変な評判となりました。胸のすく、この上ない痛快事として記憶は今も鮮烈です。

図書館は10階でございま~す。
大好きな広島を元気にしたい思いの社長の新たな挑戦。それは、誰もが考えてもみなかった「映画図書館」造りだったのです。先代の社長時代から上映してきた大変な数の映画ポスターやパンフレットなどは、これまで陽の目を見ることなく収蔵されたままでしたが、二年前亡くなった広島で馴染みだった映画評論家、花本マサミさん所蔵の映画絡みの資料が、ご遺族から寄贈されたのを機に、双方の資料を一堂に展示閲覧できる、まさに、映画に特化した全国にも稀な映画図書館を実現されました。

福屋本店10階にオープンした図書館内は、真っ暗くなる映画館内とは逆に、明るい白を基調とした設えが印象的で、社長とも親交の深い、広島出身の映画美術監督の部谷京子さんが手掛けられたものです。

ポスターは随時取り換えられます。

壁面を飾る懐かしいポスターが遠い日の感動を呼び戻してくれます。書架にはジャンル別に分類された本などが整然と並び、お目当ての本など、じっくりと読み耽りたい人には机も設置されています。さりげなく流されているBGMは、もちろん映画音楽に決まっています。

次号につづく
                             (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

(ひろしまファンクラブ平成25年10月17日号掲載)

 

自分で撮っておきたい風景(JR広島駅前の街並み)




純喫茶パール
(撮影日2012.9.28)

駅前大橋から猿猴橋をはさんで広島駅方向
(撮影日2012.9.29)

探し物をしている最中、ふと目にとまった古いアルバム。
ページをめくると、何十年か前に通った小学校の写真があった。その小さな写真が、あの頃に一気に呼び戻してくれて、胸の内で走馬灯が回っているような気分になる。歳を重ねるとともに、薄れがちな記憶を補って余りある写真の威力を思い知る一瞬だ。


1989年だからもう24年も前の事、広島市が、その年の広島の姿を写真で残そうと市民から写真を募った。私もカメラを手に市内を走りまわり、たくさん応募したものだ。 また、広島市公文書館とか、広島市郷土資料館とか、広島城などが、遠い日の写真の提供を呼びかけるたびに、古いネガを探し出しては応募した。

 

 


 


広島駅南のビル解体中の様子
(撮影日2013.2.7)
そうした経験で、後の時代に役立つ写真の意義に目覚めさせられて、馬力の衰えの目立つ体力にあらがうごとく、今でも、重いカメラを振り回して撮り歩く得意顔の自分をおもしろがっている。
そんな折、県都のセンター駅前としては、いかにも貧弱だと評判の悪かったJR広島駅周辺の再開発計画が、ようやく大きく動きだした。






猿猴橋町電停(下り)付近のビル解体中の様子
(純喫茶パールのあった付近 撮影日2013.2.7)
広島駅南口タクシー乗場から広電乗場
(撮影日2012.9.28)

列車を降りて、出札口を出て、駅前の広場に立つと目に映る「貧弱」だと評された街並み。そう言われても仕方なかったような姿だが、私にとってはいつも、「わが街に帰ってきたぞ!」と安堵できた眺めだ。急きたてられるように撮っておいた。重機のうなりとともに、子どもの頃から見慣れ親しんできた街並みが、白い囲いの中で次々と取り壊され、もうほとんどその姿は無い。これからは、記憶と、写真の中に、懐かしい風景として在り続けていく。そして時代がまたひとコマ、確実に進む。
猿猴橋から対岸の広島駅方向
(撮影日2012.9.28)

                                (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
※(財)広島市未来都市創造財団のまちづくり・生涯学習情報誌「らしっく」Vol.36へも同様の記事を掲載しています。                       

(ひろしまファンクラブ平成25年8月22日号掲載)

 

自動車道で威力発揮の「発泡スチロール」 後編


事前の打診もしないまま現場事務所に出かけ、取材の旨を伝えると、監理技術者の辻氏が快く応じてくださった。「発泡スチロール」で自動車道を造るということが素人には信じ難い、と率直に話すと、さもありなん、といった表情で「これ程大規模に使うのは広島高速3号線が本邦初です」と解説し始めてくださった。
着工前の様子
着工直前の元滑走路北端部(H24年3月撮)
現場は以前の広島西飛行場滑走路の北端にあたり、埋立地としての生い立ちは比較的若く、
軟弱地盤対策が課題だった。設計思想として、地盤沈下を避けうる資材として、「軽い、丈夫、
沈まない」モノが検討された。その結果、採用されたのは、1960年にアメリカで軟弱地盤対策
として開発され、すでに50年余りの実績で確立された「発泡スチロール」を埋め込む技術だった。

埋設が完了した部分埋設完了部分

今度の工事で使用するスチロール材は、岡山県笠岡市の外資系工場製で、19,000個にのぼる。 
とにかく、その実物を見せてもらうことにした。施工現場に立って、目を見張った。
埋設作業現場
埋設作業現場

どう見てもそれが、道路工事の現場とは思えぬ光景だった。まるで淡いブルーのカーペットを敷き詰めた特大なステージに見えた。その上に立ち入らせてもらったが、スチロール上を歩いている感覚ではなかった。2m×1m×0.5mサイズのスチロールは二人で楽々と運べる軽さで作業のスピードアップにもつながった。
敷き詰められた発泡スチロール
さながら発泡スチロール製ステージのようです
発泡スチロールと身長比較
発泡スチロールと背くらべ
唯一弱点とされる紫外線に弱い性質も、路面の仕上げはアスファルト舗装されるので寿命への影響は出ないのだ。緩衝材、断熱材としてのイメージしかなかった「発泡スチロール」が、自動車道路という過酷な条件に対しても有効な素材に成りえた新技術の開発を、思いもよらぬことから知る取材になった。完成後は、自動車だけが走る道を、つかの間だが歩いてみる機会を得て、思い浮かんだのは、まさに「必要は発明の母」、なのだなあと言うことだった。

(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)             

(ひろしまファンクラブ平成25年7月4日号掲載)

 

自動車道で威力発揮の「発泡スチロール」 前編


事前に説明を聞く見学者
事前に説明を聞く見学者

被爆後68年になる広島市。今では県都としての風格は、戦前の比ではない。
そんな中、いつまでも時代に取り残された感のあったJR広島駅周辺の景観も、超高層ビル二棟を中心とした再開発事業の本格化でイメージチェンジを果たしそうだ。太田川のデルタ上に栄えた街ゆえ、高層ビル建設は無理とされていた時代のあったことを思えば、隔世の感がする。


工事用階段を上がる見学者
工事用階段を上がる見学者

宇品を中心とした革新的な自動車道などを見ると道路についてもそれは言えそうに思う。実際今また、外国の技術ながら、意表を突く工法での道路づくりが、市街地最南部の広島高速3号線の中で進んでいるのだ。
5月18日に、西区観音新町内を東西に走るその自動車道の工事現場見学会があった。参加者は、用意されたヘルメットに軍手のいでたちで、工事現場の窮屈な仮設階段を慎重に登り、地上15mの高さに架かる現場に案内された。


コンクリート打設が完了した道路
やけに広々と見えました
ヘルメットをかぶった子どもたち
ヘルメットに得意顔の子どもたち
打設の終わったばかりのコンクリートの白さが目に眩しい。まだ料金所や分離帯など、なんの付帯設備もない裸同然の道路は、やけに広々と見える。高い目線で見下ろす見慣れているはずの我が町が新鮮に見えたりして子ども達もはしゃいでいる。
とは云うものの、今回見学した高架道路の工事自体は別に変わってはいないが、西に目を転じると、つい先頃架かったばかりの太田川橋りょうの二連のアーチがすぐそこに見える。

工事現場 
向こう側が新工法ゾーンです
工区の境界を示すバリケードの向こう側は別の会社の担当なのだが、案内役の担当者によると、「向こう側の道路の造り方は、こちらとは全く違う工法です。」と話されたその理由に、私はびっくりしてしまった。
道路の基礎部分は、盛土でも鋼鉄製でもコンクリートでもない、「発泡スチロール」だという信じ難い話に、それが一体どういうことなのか、興味津々その工区の担当者に詳しく話を聞かせてもらわねばと心が逸った。

        次号につづく
           

(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)             

(ひろしまファンクラブ平成25年6月27日号掲載)

 

美しく新しい橋が架かる 後編


橋脚の接続部へと接近する台船
橋脚の接続部へと接近する台船
5月3日正午過ぎ、目途とした潮位となり、重量475トン、全長97mという鋼鉄製の大アーチを載せた台船がいよいよ移動を始めた。橋脚との接合部にピタリ据え付けなければならない最大の難関に差しかかってきた。台船は橋脚と、その上流と下流側の四か所に沈めた、ひとつ10トンもの重しにワイヤーで繋がれ、その長さを巧みにコントロールしながら目指す位置へと進む。その動きは川岸の観覧席からは、よほど目を凝らさないと、それとは分からない程の速度で、初めは興味津々見ていた子どもには、なんとも退屈なシーンとなり、心そこに在らず状態なのがありあり。

ドッキング直前
ドッキング直前
やがてアーチは、橋脚に固定するボルト穴の位置に合わせる微調整に入り、載っているジャッキがやはり遠目では、分かりにくいが徐々に高さが変わっている。ほぼ3時間くらいの作業により無事狙いどおりの位置にきたアーチの取付部分を、左右で2,610本ものボルトで固定するのだが、この日の作業はひと先ず、60本程度の仮止めをして終了するとのことだった。翌朝、庚午橋から見ると、アーチは無事取り付けられており、担当者の技量の確かさを思い知った。

  
ヘリポートが気になる子ら
橋より隣のヘリポートが気になる子達です

いつの間に、多かった見学者や、TV局など報道関係の人達の姿も少なくなり、今日一日、そうした人達の応対役に徹した清水建設の人達も、一人二人と本来の持ち場へと戻っていかれる。人々のざわめきに代わって、空高く舞い上がる「雲雀」のさえずりが、ひと際大きく聞こえるようになっているのに気づいた。5月17日。予定されていた二本目のアーチ架設工事も無事進捗した。


取付けられた二連のアーチ
予定どおり取付けられた二連のアーチ(5月18日撮)
宮島を借景にして、美しい三連アーチと見立てたこの橋特有の輪郭が姿を現した。そして、この橋に接続される高架道路工事の見学会も18日に開催され、ゴールデンウイークもどこ吹く風で工事は進められ、広島南道路はいよいよ、今年度末、西区商工センター内までの到達がみえてきた。




(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)             

(ひろしまファンクラブ平成25年5月30日号掲載)

 

 美しく新しい橋が架かる 前編

いわゆる旧広島市街地は、その昔、太田川の下流に出来たデルタ上に営々と築きあげられてきた。当時7本あった川は今、太田川放水路を含む6本になって市内を南北に貫いている。
「広島の橋」第一号が、どの川の何処に架けられたものか知りたくもあるが、それはともかく、以来、広島市の発展と共に「橋」は次々と数を増し、今では70本ちかい橋が架かる。
公民館前で事前説明を聞く参加者
公民館前で事前説明を聞く参加者

 そして今、一番「新しい橋」が今年末の完成目指して工事が進んでいる。工事名は、チョット長めの、「広島南道路太田川工区橋りょう新設工事」。広島市の発注で清水建設(株)が単独で請け負う。 広島西飛行場絡みで、トンネル方式か、橋にするかで議論をよんだ記憶はまだ新しい。





潮待ちの作業台船に載るアーチ部
設計コンペで採用されたこの橋は、二連のアーチで道路部分を支える構造で、その背後に見える宮島を借景にすると、三連のアーチにも見えるよう意図されたデザインが美しいと評価され、コンペで一位を獲得した。5月3日、憲法記念日に、一本目のアーチ部分が橋脚に取り付けられる運びとなり、西区南観音公民館主催の工事見学会が催され、私も参加してきた。





テントの配慮がうれしい観覧席
参加者は60名余り。子どもに是非見せておいてやりたいとの親子連れが目立ったのは折からの大型連休効果だろう。初めに、清水建設(株)の担当者から、見学する工事の概略説明をうけ、工事現場に移動する。見学場所には、テント張りの観覧席が用意されていて、関係者の意気込みと心遣いを感じた。






観覧席から台船を望む
放水路上では、ガッチリとしたコンクリートの橋脚を支点に、ヤジロベエ方式で左右バランスよく延びる道路部分が工事のスケールを実感させるが、まだ「橋」という印象ではない。その下流に、3000トン級という作業台船に、今日の主役である銀色に輝く大アーチ部分が乗せられて、潮の満ちるのを待っている。その姿は、鋭い反りをした日本刀が飾り台に載っているようにも見え異彩を放つ。


まさにヤジロベエ。左右均等に延びる道路部(5月18日撮)
ちなみにこの橋の二本のアーチは、中区江波の三菱重工製というのが嬉しい。タグボートがその周りを走り、台船や橋脚上には、約100名もの作業員が各々の持ち場に陣取り緊張感が高まってくる。(次号につづく)




  (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

 

(ひろしまファンクラブ平成25年5月23日号掲載)

 

「果報は寝てては掴めません!!」ビジネスフェア中四国2012

今、時代は情報社会なのだ。
会場風景1
会場風景2
会場風景

私たちはいろいろな情報を、易々と手に入れることが出来る。家に居ながらキーボードを操れば、目の前の画面に欲しい情報がたちまち映し出されるパソコンのインターネットなど、その最たるものだ。
ところが、そんな超便利な世の中になっても、大きな会場に、多くの人が集まって情報をやりとりする形の催しは、寂れるどころか、今も重用され続けている。

広島市西区商工センター内、広島市中小企業会館総合展示館で開催された「第10回ビジネスフェア中四国2012」も、人と物とが出会う典型的な「見本市」としての実績を、またひとつ積み上げた。広い会場内には、中、四国全県に加えて、広島市の姉妹都市、韓国の大邱広域市からも6社が加わって180社余りのブースが集う、大規模な消費財見本市だった。エコ関連、健康や快適関連、地域名産品関連などと、うまく区分けされ迷うことなく目的のブースに辿りつける配慮も行き届いていた。

商談の状況1商談の状況2
商談の状況
初日は事業者との商談に当て、二日目は一般の人を対象に商談、即売を行う日程も、効率よく運営する上で効果的だったと思う。とにかく、180ブースには、まさに各社の「エース商品」、「旬」の出展品が並べられて、このビジネスチャンスを逃してなるものかと、腕をさする担当者が対応する申し分ない情報交換の場である。

「ザ、広島ブランド」では、今や、世界で評判の熊野の「化粧筆」が目をひく。たかが化粧用具にどうしてこんな高値が、と思うが、その肌触りの見事さは触れてみなくては納得できるものではない。大邱広域市から出展の「黄土かまど」は、日本の温水便座とは似て非なる医療機器で、実際に試したネールサロンの担当者は導入に意欲的だった。省エネ効果が売りの「ガラス窓への特殊コーティング」は、施工、非施工の比較をその場で体験出来ればこその説得力だ。クッションやバッグの中に組み込める新発想の「高音質スピーカー」の驚き。名産、特産といった「食品」に至っては、試食できてこその情報伝達だ。思わず絶句しそうだったのは、CG映像を駆使した葬儀用の「バーチャル祭壇」を披露していたブースだ。この装置を使用すれば、CG映像により、どんなスタイルの祭壇での葬儀も可能になる。実物を目にして初めて納得出来るシステムなのだ。
化粧筆 黄土かまど ムラヨウ醤油
 化粧筆(熊野町)       黄土かまど(大邱広域市)    ムラヨウ醤油(松山市)
と、いった具合で、人に接し、物に接して得られる情報の確かさ、安心感。「果報」は寝て待っていては得られないことを実感させる「ビジネスフェア中四国2012」でした。

(ひろしま市民パブリシスト 有田武志)

(ひろしまファンクラブ平成25年1月17日号掲載)

 

桜どころ継承に「被爆ザクラ」も一役

「うわー! 見てごらん、これ!!」
「うわー、なんか痛々しいネ。染井吉野は早ようダメになる言うようねー。」
桜の古木
大きな傷跡が痛々しい古木
桜の苗木
柵に守られて育つ桜
被爆桜
市役所構内の被爆桜
桜並木
見事な桜並木(元安川沿い)

花見客でいっぱいの平和記念公園内、元安川沿いの桜並木。
私の前を行く二人連れの女性の交わす話に釣られて見た先に、太い幹がザックリとえぐられたような一本の桜の木が、それでも、溢れんばかりの花をつけて立っている。

そうだ、ここの見事な染井吉野の桜並木も、平均60年と言われる寿命が迫ってきているはずなのだ。
被爆後の広島の復興を進める中、平和記念公園整備時に植樹された桜がいつの間にか、寿命間近の樹齢に来ていることを思い知らされた。
そういえば、大きな切り株が近くにもある。伐採された桜の名残なのか。
今を盛りと咲き誇る目の前の桜たちの先々を気にしながら歩いていると、最近植樹されたばかりと見える桜の幼木が目にとまった。
ロープで囲われた柵の中の、まだ頼りなげな苗木には、プレートが掛けられている。
プレート
苗木につけられたプレート

「被爆ザクラ」の文字に目がいった。続く説明文を読むと、市役所敷地内の「被爆ザクラ」の枝を採取、接ぎ木したものを植樹した、とある。
さらに歩いてみると、ある、ある。公園内のあちら、こちらの何か所にも植樹されていて、「やま桜」というプレートの付いた苗木も何本も目にした。
ちゃんと、次の世代への手が抜かりなく打たれているのだ。安心した。

被爆の記憶の伝承は、広島が担う大事な課題だ。

厳しい寒さの冬を耐えた後、あらゆるものに生気がみなぎる春の訪れを知らせてくれる「桜」が、その一端を受け持つ。
なんだか、旅人のマントを脱がす「太陽」のイメージを思わせてくれる。

目の前の苗木が立派に成育し、また、見事な桜並木として市民の目を奪うようになった頃には、原爆死没者慰霊碑の背後で燃え続けている「炎」が消えていたらいいのに。

(ひろしま市民パブリシスト  有田武志) ※写真は、4月10日、12日に撮影しました。
咲き誇る桜
咲き誇る桜(元安川沿い)

(ひろしまファンクラブ平成24年4月26日号掲載)

 

ちょっと気になるお店探検~新天地商店街の「メーカーズシャツ鎌倉 広島店」

■いい店 ひろしま 「メーカーズシャツ鎌倉 広島店」■
「安物買いの銭失い」「安かろう悪かろう」とは、昔よく耳にした言葉です。
節約意識も程々にと、戒めを込めた言葉だったようですが、今の世の中ちょっと違ってきているようです。
中央通りに面したお店    店先の看板
中央通りに面したお店
 店内の様子 シャツとネクタイのディスプレイ
 店内の様子
さて、今回紹介します「メーカーズシャツ鎌倉 広島店」は、取材の数日前に応募500店余りの難関を突破して、今年度の「いい店 ひろしま」に認定されたばかりでした。
取材の冒頭に感想を求めると、貞末店長は、「念願が叶った」と、満面の笑みです。
貞末店長 子供用設備も整っている イクちゃんサービス参加店
「いい店 ひろしま」認定額を手の貞末店長 小さな子ども連れでも安心のイクちゃんサービス参加店

商品のほとんどが4,900円認定に至った大きな要因としては「高品質なシャツを、求め易い価格で」を実現した「商品力」を挙げられました。
商品のほとんどを4,900円(税抜き)に設定というのがセールスポイントなのです。

街中を歩けば、三着まとめていくらといった類の「セール」が目立つ業界にあって、一着4,900円が安いと言えるのかどうかですが、

 細かな縫製
          細かな縫製

・厳選された細い綿糸100%の生地。(着心地のよさ)
・細かなミシン目での縫製。(着くずれしにくい)
・ボタンは、天然の貝製を使用。(美しく丈夫)

と、MEDE IN JAPANでありながら他社の追随を許さぬ縫製に並でない誇りと自信を込めた製品なのです。

天然の貝製ボタン
         天然の貝製ボタン



週間サイクルで新しい製品を供給し、売れ残ることがないから「セール」で売り急ぐ必要はなく、お客様を裏切るような売り方には一切手を染めぬ方針を堅持しているとのことです。




品定めに余念のないお客さん
品定めに余念のないお客さん
レディースも充実
 
取材中に買って行かれたお客さんを追って、店の外で話しを聞くと、「十数年来通っています。同程度の物を百貨店で買うと、ここの数倍の出費になる」と。
淡々とした口調に説得力を感じました。

成功した起業例として、メディアに紹介されることの多い「メーカーズシャツ鎌倉」ですが、関西以西の店舗は、広島店と福岡店だけということもあり、大阪から来店の例もあるとか、人気ぶりが察せられます。


一階は、レディース中心、二階は紳士物、三階はクラシック調の雰囲気が活かされた売り場と、コンパクトにレイアウトされた店内には、11時の開店間もなくから、切れ目なく来客があり、店員さんの明るい声が飛び交っていました。

豊富な品揃え





店を辞す折に、あらためて見直したシャツの小さなボタンは、「商い」で大事なことを思い知らせてくれるように、柔らかな虹色に輝いていました。 

 (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

メーカーズシャツ鎌倉 広島店
〒730-0034
広島市中区新天地1-17
TEL 082-241-7534 FAX 082-249-6951
E-mail:mskhiroshima@adagio.ocn.ne.jp
ホームページ:http://mskhiroshima.co.jp/ 営業時間 11:00~20:00(年中無休)
メーカーズシャツ鎌倉 地図








 

(ひろしまファンクラブ平成24年3月15日号掲載)

 

ちょっと気になるお店探検~広島市中央部 商店街~

中の棚商店街 「ますだ刺しゅう店」

■ささやかでも「嬉しさ」が生みだされる店■
ますだ刺しゅう店1
ますだ刺しゅう店の看板
ますだ刺しゅう店4
ネーム入れについて打ち合わせ
ますだ刺しゅう店5
色とりどりの刺しゅう糸
 

祖母から母へ、そして娘へと、女性三代がみごとバトンを繋いできた素敵なお店の紹介です。

本通商店街とか、金座街商店街とか、有名な商店がひしめく広島を代表する繁華街にあって、連なる華やかな店などに伍して、つつましくさえ思える店。

それが、中の棚商店街にあって50有余年の歴史と言うから、老舗と呼ぶにふさわしい「ますだ刺しゅう店」です。
 

 

ますだ刺しゅう店2 
 お店入口
 ますだ刺しゅう店3
 店内の様子


祖母の引退後、母娘で営む店内は、小ざっぱりとした雰囲気が心地よく、ネーム入れなどで活躍する、名の知れたドイツ製工業用ミシン二台が、カウンター内で異彩を放っています。
仕事の中心は、「一枚もの」と呼ばれる、生地などへのネーム入れということで、学校の入学時期には、学生服中心の毎日になるのは当然として、皮革以外の、布地への刺しゅうであればほとんど対応できると自負されて、取材中の短い時間内にも、プレゼント用のハンカチ、子どもの誕生祝いのぬいぐるみに付けるワッペン、スポーツ用品店依頼のジャージなどヘのネームをミシンで、たちまち仕上げられました。
形のいい毛筆体の文字であれ、アルファベットであれ、手本もなしにミシンにかける早業は、呆気にとられるほどで、それでいて、完成時のクレームなどはまず無い、とは脱帽ものです。



 

 ますだ刺しゅう店6

ますだ刺しゅう店位置図まるで、姉妹かと見紛いそうな母娘二人に共通する、笑み

を絶やさぬ優しい接客がその秘訣のように思えました。
来客の半数は男性と言うことには意外な思いでしたが、カッターシャツや作業服などに自分のネームをいれる拘りは、分かるような気がしました。

「ダダダーッ」と小気味いいミシンの音は男性的で力強く、家庭用とは違ってどこか無骨な、いかにも年期を感じさせるミシンを相手に、微妙な動きで布地を送るしなやかな女性の指先から、なんだか嬉しくなってくる「自分だけのモノ」が生み出されていく、「嬉しい店」なのです。

 

 

 

ますだ刺しゅう店7
 左:増田倫子(ますだみちこ)さん
 右:増田仁美(ますだひとみ)さん

 (ひろしま市民パブリシスト 有田武志)

(有)刺しゅうの店 ますだ
〒730-0035
広島県広島市中区本通1-19
TEL・FAX082-247-6559
ホームページhttp://www.masuda-sishu.jp/
Eメールsishu-masuda@isis.ocn.ne.jp










 

 

(ひろしまファンクラブ平成24年1月19日号掲載)

ちょっと気になるお店探検~広島市中央部 商店街~

本通商店街 おもちゃのお店「マルタカ子供百貨店」

■老舗ならばこそ 本通り「マルタカ子供百貨店」■
マルタカ入口
マルタカ入口 昭和6年創業以来、本通りの人気店
広島限定チョロQ
広島限定チョロQ おみやげにオススメです!
バービー人形ショーケース
自信の品揃え!バービー人形ショーケース
「買うによし、歩くに楽しい本通り」
とは、いっとき、民放ラジオで耳に馴染みだった「広島本通商店街」CMのキャッチフレーズです。
実際、どこからこれだけの人が集まって来るのだろうと思わせるアーケード下の光景は、中、四国地方の代表的繁華街と言われるのも頷ける気がします。
反面、本通りに店を構え続ける大変さは並大抵の事ではなさそうで、老舗と言われた店が近年、姿を消していったことでも伺い知れます。 このような時世にあって、昭和6年の創業以来、本通りのド真ん中で玩具の専門店として、それも、売り場はビルの二階、三階というハンディーもなんのその、人気を保ち続けているのが「マルタカ子供百貨店」です。

その魅力とは?
10.000点以上というアイテムの豊富さと共に、いつの時代にあっても、商いの原点と言える信用と豊富な経験に裏打ちされた質の高い接客態度にあるようです。
本通りから売り場である二階、三階へと向かうビル正面の階段は、そこが階段だと思わせない商品の配置が工夫されていて、登りながら、すでに「おもちゃ」に囲まれているワクワク感で胸は躍るのです。
各フロアでは「マルタカ」自信の品揃えが迫ります。特に、チョロQ、レゴ、パズル等は売れ筋以外にも、レア物、限定品といった「マルタカ」ならではの拘りがみえ、「バービー人形」にいたっては全国トップクラスという品揃えが目を奪います。清原選手や新庄選手、GIジョーといった入手困難とされる人形などもあります。
店の心意気なのです。

店内の様子
人気アイテムに囲まれた店内の様子
マルタカ子供百貨店 高常務
ご来店をお待ちしております
マルタカ子供百貨店 高常務












 

 

 

 

廿日市から来店のご夫婦は、昔からの「マルタカ」フアンだと言われ、店員のアドバイスを得ながら、孫へのクリスマスプレゼント選びが楽しそうでした。そこまでやってきているクリスマス、そしてお正月。
たくさんの子ども達の夢が「マルタカ」で嬉しい正夢になるのも、もうすぐですよ。


 

マルタカ位置図


 

株式会社 マルタカ子供百貨店
〒730-0035
広島県広島市中区本通4番8号
TEL082-247-1440 FAX082-247-0964
ホームページhttp://www.marutaka.gr.jp/
E-mail:info@marutaka.gr.jp










 

(ひろしまファンクラブ 平成23年12月15日号掲載)
 

ちょっと気になるお店探検~広島市中央部 商店街~

並木通り商店街 肉料理のお店「デンスケ」

◆絶品!「デンスケ」のテール◆

デンスケはこのビルに
デンスケは3階です
テールスープの釜
のれんの誇りを秘める釜の中
器に盛られたテール
「テール」1人前はこんな雰囲気
こんな事、思ったことはありませんか?
昔々、何かを一番最初に食べた人、その人は一体どんなきっかけでそんな事を始めたのだろう、と。
たとえば、タコやウニ、ナマコ等、誰が、何故、食べてみようなどと思ったのか。
今度「テール」なる肉料理を初体験して、つい、そんな事を考えてしまった。


中区三川町、通称「並木通り」のビル内に「デンスケ」という肉料理店がある。戦後すぐに先代が始めた「屋台」が出発と言うから、創業65年になる老舗だ。「デンスケ」の主人によれば、今ではどこでも定番の「肉刺し」や「筋ポン」は、この「デンスケ」が発祥店だそうで、仙台名物と思われている「タン焼き」も「デンスケ」を取材した業界誌の記事がきっかけで広まったと言うからびっくり。


自分の店で開発したメニューだから、「デンスケ」の味が一番だ、などと了見の小さいことは言わない主人だが、「テール」についての自負は、格別らしい。一般的には「テールスープ」として出回るメニューだが、「デンスケ」では「テール」と拘る理由があって、しっかりと煮込まれた尻尾のひと節分がスープの中に入って出てくる。当然このご時世だから、この手法もすぐに他県にも広まるのだが、デンスケの「テール」の凄いのは、他店で食べた人が、揃って、「デンスケ」の絶品さを吹聴してくれることだと、ご主人は意気軒昂なのだ。


その理由について強調されるのが、テール部分を、デンスケでは10時間も煮ることにあるという。
味の秘訣は他にもありそうだが、その美味さから、広島勤務経験者の中に、後日来広の折には「テール」目当てにやってくる人があるというから逸品に違いない。
メニューが書かれた棒状の木材
メニュー棒
ご主人の下井さんと奥様
下井ご夫婦の笑顔も味のうち




 




「まあ、食べてみんさい。」
主人の勧めに私は、なんで牛の尻尾なんかを、と困惑の気持ちを押し殺して恐る恐る箸をつけたのだが、アッという間に骨の部分だけが残った器に向かって素直に合掌し、脳裏では勇気ある先人への思いを巡らせていた。
 

デンスケの地図









 

 


 

 


 

デンスケ
〒730-0029
広島県広島市中区三川町10-18
TEL082-247-3566







 

(ひろしまファンクラブ 平成23年12月1日号掲載)
 

ちょっと気になるお店探検~広島市中央部 商店街~

新天地商店街 厨房用品専門店「中村屋」

◆厨房用品専門店「中村屋」◆
中村屋店舗正面
 気どらぬ表情の店舗正面
「広島を代表する商店街は?」と聞いたら、昔も今も、八丁堀と紙屋町を結ぶ金座街から本通りを挙げる人が多いと思う。
ただ、時代の移り変わりを映しての栄枯盛衰は有名商店街の表情を絶えず変化させていくようで、老舗といわれた名代の店がいつの間にか姿を消して、目新しい店が出現するのも時流の勢いを思わせる。
ところが、どっこい!新天地商店街に戦後間もなく開店して、今尚、太い根っこを張って人を引き付ける老舗もある。そのひとつ、「パルコ」向かいの厨房用品専門店「中村屋」を訪ねてみた。

野菜抜き型
 小物でもこの品揃え(野菜抜き型)
華麗さの際立つ周辺の店舗の中にあっては、いたって質素な店構えだが、一歩足を踏み入れると、所狭しと陳列された厨房用品の多様さに驚かされる。小さなものは「オードブル ピン」から、大は昔懐かしい「釜」、そしてなんと、「お好み焼きの台」まで500~600品目は有るだろうと店主の中村さん。売れ筋は当然時代と共に変わって、かっては、中華料理店のブーム、それに次ぐお好み焼き店ブームの開店に伴う什器が主力の時代から、昨今は不景気もあって様変わり。意外にも「包丁」が売れているという。

ズラリと並ぶ包丁の陳列
壮観!売れ筋No.1 「包丁」
 中村さんご夫妻
老舗を支える中村さんご夫妻

見れば、広い壁面いっぱいにズラリと 並べられた和食用、洋食用の包丁の品揃えは壮観だった。調理に従事しているらしい若者や、口こみで広がるのか観光客の外国人までもがかなりいい物を買っていくという。付随して、いい切れ味の復活を目的に確かな砥ぎ直しを期待して来る人も多いそうだ。本物を知る人は、その在り処を見逃さないし、頼りとする。


このお店の最大の魅力である、中村さんご夫婦の豊富な商品知識に裏打ちされた接客は、心強い「口こみ」にもつながり、店の先々も盤石かと思いきや、中村さんがサバサバとした表情で明かされたのは、「後継ぎ不在」だった。

(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

 

中村屋地図





(株)中村屋
〒730-0033
広島県広島市中区堀川町7-5
TEL082-248-4353 FAX082-248-4354







 

(ひろしまファンクラブ 平成23年11月17日号掲載)
 


 

撮っておきたい風景(テレビ塔の巻き)

 
 市役所から望む三山
市役所から望む三山

 比治山(NHK)
比治山(NHK)
 
黄金山(RCC、HTV)
黄金山(RCC、HTV)
絵下山(HOME、TSS)
絵下山(HOME、TSS)
右端が地デジ用の塔

 
早朝、NHKラジオの番組の中で、「今日はなんの日」というミニコーナーがある。
過去のその日、どんな出来事があったのか紹介されて、これがちょっと楽しい。

来年の7月24日から多分、「2011年7月24日、テレビのアナログ放送が終わりました。」、と、紹介されていくのではないだろうか。
「デジタル」が幅を効かせる今の時代、1953年(昭和28年)NHKがテレビ放送を始めて以来、日本全国に送り続けてきたテレビ電波も例外ではなく、「アナログ」から「デジタル」に変わる時が来た。

テレビ電波塔は、東京タワーのように街中に建てられているものは少数派で、街周辺の山頂に建てられたものが多い。
広島市内でも同様で、NHKは比治山から1956年以来55年間、黄金山ではRCCが1959年から52年間、HTVが1962年から49年間、絵下山からはHOMEが1970年から41年間、TSSが1975年から36年間、各社専用のテレビ塔からアナログ電波を送り続けてきたが、数年前、絵下山に新しく建てられた地上デジタル放送用のテレビ塔からは、すでに並行してデジタルの電波が送り出されてきて、今年7月24日正午からのアナログからデジタルへの切り替えに向けての対策が精力的に進められてきた。

広島に初めてテレビが映った1956年2月。
試験放送用の幾何学模様のテストパターンだけが延々と映るだけのテレビを見たくて、学校帰りに寄り道した電気屋さんの前は人だかりが常だった。

あれから六十年近くが過ぎて今、テレビはデジタル化へ、ハイビジョン化へと進み、ちょっと奮発すれば、3Dテレビが家庭で楽しめる時代になった。
テレビ同様に、広島の街の表情も時代と共に変わっていく。


市内のどこからでも見えていた、山頂にそびえ立つ馴染みのテレビ塔のある風景も、やがて、様子が変わるのだろうなあ・・・。今のうちに写真に撮って残しておこうっと!


 


(ひろしまファンクラブ 平成23年7月7日号掲載)
 


 

がんばろう東日本!支援・ボランティア情報~東日本大震災

◆◆広島市東区厚生部保健福祉課(東保健センター)岡村主任技師◆
岡村主任技師使命感と優しさと。
広島からの支援者に聞く(その2)

広島市から被災者救援に派遣された方の取材を依頼された時、男性相手の取材であろうと思っていた。
幾つもの悪条件が輻輳(ふくそう)している大変な地域に出かけて、その真っ只中で活動するとなると、それは、男の出番だろうと漠然と思っていただけのことだけれど。
それが、広島市東区役所でお会いしたのは、保健師の岡村さん。

その優しい顔を見て、私は用意していたインタビューの段取りを無視して開口一番、「被災地へ行くことが恐ろしくなかったですか?」と切り出した。
穏やかな表情の岡村さんの返事は大震災を知って、「派遣されると予測出来ていたので、自ら手を挙げました。」専門家としての使命感と自覚だった。
しかし、家で仙台行きのことを話した時、母の身を心配した我が子の泣き顔を見た時には、さすがに自分も泣けたと目頭を押さえられた。

移動時間などを除くと正味4日間の活動だったが、その最中にも度々の余震に遭い、それは広島で経験する余震に比べて揺れが長くて、避難されているお年寄りが思わず岡村さんにつかまって離れない程の不気味さで怖かったそうだ。
避難所は高齢者の多い団地近くだったこともあり、大変な事態に血圧の高い人が目立ち、他県からの応援の保健師さんと共に健康相談や保健指導が岡村さんの主な役割となった。
精神的なダメージに悩む人などは、心のケアを受け持つチームに橋渡しするなど、仙台市保健師との連携にも気を配られたという。

聴診器や血圧計を持つ岡村さんの「広島市」の文字入り腕章を見て、「遠くから来てもらってありがとう。」の掛け声とともに、「血圧をみてほしい。」と話しかけてくる人が日に日に増えて、気持ちが通い始めた実感が自身の励みになってきたという。
団地内には食事の世話や、自宅に帰った高齢者の支援などは町内会の役員が受け持ち活動している町内会もあり、町内会役員の相談にも応じ支援を行った。
滞在中に特に印象に残った事として、平穏な生活から突然に圧倒的な不自由さと寒さの中に閉じ込められても、尚節度ある態度を保ち続けていられる人達を目のあたりにして、日本人の素晴らしさを誇らしく思ったそうだ。

学校に早く行きたいなどと話す元気な子供たちに安堵をおぼえる一方で、卒業式や入学式がきちんと行われる広島のことを思い出して、当たり前の日常がどんなに幸せなことかを被災地に行かせてもらったことで再認識できたと、感慨深そうな岡村さん。
常に使命感と共にあった厳しい日々をまるで感じさせないばかりか、子供たちの幸せを思わずにいられない、優しいお母さん保健師さんの表情にちゃんと戻っておられた。

(ひろしまファンクラブ 平成23年4月21日号掲載)


 

がんばろう東日本!支援・ボランティア情報~東日本大震災

◆NPO法人「もちもちの木」代表者の竹中さん◆
3月11日に起きた東日本大震災。未曾有の災害に対して、私たち“ひろしま”ができることは何か、それを考える参考として各方面で災害支援に携わっている方々にお話しをうかがいました。

NPO法人「もちもちの木」代表者の竹中さん東日本大震災被災地での意外な話
広島からの支援者に聞く(その1)

先祖代々から守ってきた田や畑を、頑張り抜いて築き上げた会社を、家族みんなの願いが実ったマイホームを、そして、なにものにも変え難い尊い多くの命を、突然襲い掛かってきた途方もない大地震、その後のまさか!!人の想像を絶する大津波が有無を言わさず奪い去ってしまった東日本大震災でした。
                                 
被害者の誰もが茫然自失されたが「人」が凄いのは、やがて再起にむけた行動を始めることです。そして、苦難に立ち向かう人に力を貸そうとする「人」が必ずいることです。
今度の大災害においても、そうした動きが私達の住む広島でも目にみえて大きな力になり始めています。震災後いち早く支援に向かわれた二人の方に現地での様子などを聞かせていただいたので、二週間に亘って紹介させていただきます。

NPO法人「もちもちの木」代表者の竹中さん
「もちもちの木」は、入、通所者のお世話に限らなく、地域の方々をも交流の輪に呼び込んで、赤ちゃんからお年寄りまでが自由に集える場作りを目指しておられます。
この度、志を同じくする仲間のいる仙台も一大事と知って急行された先は、共同支援ネットワークの「福祉避難所」でした。普段施設に入所している人達の他に、被災で居場所の無くなった要介護者も避難されています。

そこで活動を始めた竹中さんを戸惑わせたのは、そんな人達にすんなりと援助の品々を受け取ってもらえなかったことでした。「私達は大丈夫、心配いらない。」、「もっと困っている人に廻して。」と言う、思いもよらぬ言葉です。明らかに諸々の品物が不足しているはずなのに、です。

竹中さんはやがて、それが、この地方の人達の気質、文化によるものと気付かされます。
その辛抱強さに圧倒されながらも、どうすればこの人達の必要とする援助が出来るか、その術を考えます。助けてあげるとの押し付けがましさが出ぬように、何気ない話など交わすうちに打ち解けてもらえる頃、ポツンと不自由していることなどが口を衝いて出るようになったそうです。

援助品を一つでも多く手に入れようとする過去の例に接した目には、東北の人達の忍耐強い県民性はボランティアに携わる者が心しておくべき事柄として、今後の研修などで伝えたい大切な経験だったようです。

竹中さんの話で、なるほどと思わされたのは、物品を贈る支援と共に被災地の産品を買ってあげる支援の有用性でした。妙な自粛ムードの一掃にも役立ちそうな提案だと思いました。

ボランティアする側が主体の援助でなく、避難した人達の気持ちに合わせ、寄り添ったボランティアでなくては実効は上がらない。自分を押し出すのでなく、自分を捨てる心掛けが必要だとも。とかく自己満足に流されがちなボランティアを戒め、これからが正念場の長い再起への道のりを念頭に、息の長い支援が最も望まれることです等々。竹中さんの口から示唆に富んだ話が、澱みなく続きました。

おしまいにとんでもない人達の話をされました。被災地を物見に来る心ない行為が増えてき始めているそうで、どんな心根の持ち主なのだろうと悲憤慷慨(ひふんこうがい)せずにはいられない気分になりました。



(ひろしまファンクラブ 平成23年4月14日号掲載)
 


 



第11回春こい祭  写真撮影:ひろしま市民パブリシスト  有田武志 
 

第11回春こい祭(ひろしま市民パブリシスト だて) 第11回春こい祭
 

第11回春こい祭開花が遅れ気味の梅も一気に咲こうかという好天に恵まれた3月5日日曜日、可部線梅林駅からほど近い古川沿いの八木梅林公園で第11回「春こい祭」があり、大変な賑わいでした。

地元の人による地元産品の売店などの盛況もさることながら、なんと言ってもユニークな催しは梅の種とばし、園の周辺に植樹した梅による梅酒のふるまい、「蛍飛ばし隊」や小学校の児童たちが育てた1500匹ものゲンジ蛍の幼虫の放流などです。

これには公園の少し北側に33,000平方メートル、2000本もの大きな梅園があったことや、うっそうと竹が繁り蛍の乱舞していた古川の清流をとりもどそうとする願いがこめられています。

400年前の1607年、大洪水で太田川の本流は今の姿に変わったといわれています。そんなことから元の本流のこのあたりは、大きな岩がごろごろ転がる荒地で耕作に適さず、代わりに広大な梅園が開かれました。

そうして、梅の一大産地となり、お茶屋もあって行楽地としても知られるようになり、「想いでの佐東町」という写真集には昭和30年代の遠足の写真も見られます。

旧佐東町が広島市と合併してから30年余り、この地域の人口は2倍以上となり、区画整理もされて佐東バイパスの沿線には大型店が立ち並ぶなど、かつての風景は想像しようもありません。私は時の移り変わりを思いながら、会場でおやじの料理教室の人達がついたお餅を手に、鴨の群れる川沿いをぶらぶらと下って行ったのでした。
  (文章:ひろしま市民パブリシスト だて)

(ひろしまファンクラブ 平成18年3月9日号掲載)

 


こうさてん  写真撮影:ひろしま市民パブリシスト  有田 武志
 

こうさてん (ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
 
 

 

もしかしたら広島は日本で一番『こうさてん』の多い街かもしれません。

と言っても人や車が交差する辻ではなくて、人と鳥や魚など動物たちが交差する場所。つまり、ここでの『こうさてん』は、橋です。

出勤途中、橋を渡ると頭上すれすれをサギがわき目も振らず通り過ぎます。
街灯の上では、いつものようにカモメが眠そうな顔で大きな口を開けています。
帰宅時には、ウの群れが琴柱を組んで帰路を急いでいます。
足下では、カモたちが川底を突きながらガーガ-とくだを巻いています。

春は出会いと別れの季節。
もうすぐ北へ引越しする鳥たちもいます。

もし『こうさてん』で彼らと出会ったら、たまに「おはよ!」と声をかけてみてはいかがでしょう。

もちろん、「忙しいんだよ!」と無視されるかもしれませんが…。
  (文章:ひろしま市民パブリシスト ほくほく)

(ひろしまファンクラブ 平成18年4月20日号掲載)

 


世界遺産航路で初夏のひろしま満喫 
 
写真撮影:ひろしま市民パブリシスト  有田 武志
 

世界遺産航路で初夏のひろしま満喫(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
 

 

今の形のまま被爆100年を迎えることが決まった世界遺産の原爆ドーム。その無言の見送りを背に、定期船『るんるん2号』は相生橋手前を静かに左折。

往く春を惜しむかのように舞う桜の花びらに見とれているうちに、平和記念公園ともお別れ。西平和大橋をくぐったあたりで、やおら缶ビールを抜くと、気分はすでに観光客モードとなるから不思議だ。ゆったりとした船のスピードがなんとも心地よい。

吉島橋を過ぎて、はるか前方につつましく小さな島影、似島である。潮の香りがつんと鼻を突き、はや初夏の装いといったところか。瀬戸内海の島々や大型の船を右に左に、すっかりクルージング気分だ。二本目のビールも空になるころ、のっそりと宮島が行手を阻む。

世界遺産、厳島神社の赤い鳥居がちらり視野を横切ると、舞台は一変、800年余前のきらびやかな平安の世界へ。使者の顔をして、鹿たちが無言の出迎え。観光客で賑わう表参道を避け、静かで古めかしい町屋通りを往く。
  (文章:ひろしま市民パブリシスト 日高 邦夫)

(ひろしまファンクラブ 平成18年4月27日号掲載)

 


笑顔で支えた! 第11回広島国際アニメーションフェスティバルの舞台裏  写真撮影: ひろしま市民パブリシスト  有田 武志
 

 笑顔で支えた!第11回広島国際アニメーションフェティバルの舞台裏(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)

笑顔で支えた!第11回広島国際アニメーションフェスティバルの舞台裏(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
映画祭の窓口となるインフォメーション(総合案内)。
外国語での対応もスムーズに。

笑顔で支えた!第11回広島国際アニメーションフェスティバルの舞台裏(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
上映班は舞台袖で上映の管理や
スクリーンサイズの調整などを行う。
 

笑顔で支えた!第11回広島国際アニメーションフェスティバルの舞台裏(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
速報班「ラッピーニュース」の編集室。
連日連夜の体力勝負!

英語、日本語、韓国語などさまざまな言語が飛び交い、国際イベントの華やかさが肌で感じられた「第11回広島国際アニメーションフェスティバル」。その表舞台の陰には、フェスティバルを裏側から支えるたくさんの力がありました。市民ボランティアを含めた多くのスタッフが得意分野を活かし、笑顔をもって奮闘していたのです。 

世界各国からの訪問客のために、どの部署にも必ず英会話の堪能な人がスタンバイ。スムーズではつらつとしたコミュニケーションが見受けられました。 

子どもに大人気のアニメーションを上映中の大ホール舞台袖。大スクリーンで繰り広げられる映像世界とは裏腹の暗く静かな空間で、上映班の3人が数種類のモニターをみつめています。映写室では、「作家によっていろいろな表現方法があり、本数が多い分、対応に苦心する」と真剣な表情。 

フェスティバル期間中、毎日発行される日報が「ラッピーニュース」です。ラッピーニュースは、会場を訪れるすべての人に無料で配布されるフェスティバル公式情報紙。開幕前日発行の0号から最終日の6号まで、速報班が取材・編集・発行を担当。当日の情報を翌朝までにA4・8ページの紙面に仕上げるため、連日徹夜に近い作業が続きます。しかも、内容はすべて日本語と英語の2か国語表記。「ゲストが英訳を手伝ってくれたり、いろいろな人が援助してくれる。みんなで作っているラッピーニュースです」と張り切るスタッフのおかげで、私たちは、ホットでタイムリーな情報を毎日受け取ることができました。 

最終日、表彰式・閉会式後の19時。大歓声と拍手喝采の余韻が漂うホール出口で人々を待っていたのは、いち早く受賞作品を伝えるラッピーニュース号外と速報班スタッフの笑顔でした。 多くの力が集結し、感動を共有することができたフェスティバル。握手を交わしたり抱き合ったり。そして再会の言葉が響き渡ります。「See You Again in Hiroshima in two Years!」「また2年後も広島で会いましょう!」。
(文章:ひろしま市民パブリシスト 沢見 礼子)

広島市文化財団 文化情報マガジン「to you」平成18年10月号掲載)


尺八は一日にして鳴らず?尺八に挑戦する子どもたちを見つめて
写真撮影: ひろしま市民パブリシスト  有田 武志
 

 尺八は一日にして鳴らず-尺八に挑戦する子どもたちを見つめて-(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
一本のパイプがみごとな音色の尺八に変身

尺八は一日にして鳴らず-尺八に挑戦する子どもたちを見つめて-(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
息つぎと指使いを指導される月野先生

尺八は一日にして鳴らず-尺八に挑戦する子どもたちを見つめて-(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
かわいい口元からやさしい音色が

尺八は一日にして鳴らず-尺八に挑戦する子どもたちを見つめて-(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
お琴と尺八のコラボレーションに会場はうっとり

尺八は一日にして鳴らず-尺八に挑戦する子どもたちを見つめて-(ひろしま市民パブリシスト 有田 武志)
 


 

子どもワークショップ「尺八を吹いてみよう」が安佐南区民文化センターで、11月25日から5回シリーズで開催された。受講生は中1の雨坪紀子さん、小5の高田祐希くん、小4の多田朝子さんの3人。皆尺八は初めてで、不安と好奇心が入り混じった表情である。講師は月野憧山氏と山本観山氏で、広島を中心に多方面で演奏活動をされている。

初日は「マイ尺八」を製作した。塩化ビニールのパイプがみごとな音色の尺八に変身することになる。吹き口のカットを先生がされ、指導を受けながら慎重にドリルで穴を開け、サンドペーパーで吹き口と五つの穴を磨いてマイ尺八が完成すると、3人の顔がほころんできた。いよいよ練習開始。勇んで尺八を口に当てたものの音が出ない。顔を真っ赤にしてがんばるけれど鳴らない。「苦しい」「死にそう」の悲鳴。尺八の構え方、姿勢、口の当て方をマンツーマンで指導される。「プォー」とまず一人。次いで「ピー」、「プー」と音が出るようになった。「鳴ってよかった」、思わずにっこりの3人。

一週間後の2回目、女の子は全く音が出ない。祐希くん一人、お母さんとの競演の成果か、要領をつかんだようだ。音が出なくて苦闘する少女に先生がつきっきりで姿勢、息の出し方を正すと、息が自然に出始め尺八が鳴った。音階練習で指の動きを覚えた。三週目、練習曲「かごめかごめ」「一番星」を吹く。懸命に指を動かし、切な気にメロディをくり返す。四週目、「雨降りお月さん」「夕焼け小焼け」の猛特訓。かすれたりとぎれたりしながら、何とかメロディになってきた。

五週目、いよいよ本番である。浴衣姿の子どもたちは大勢の聴衆を前に精一杯の演奏と琴との合奏を披露して満場の拍手を浴びた。「一か月で合奏ができるとは」と先生が感慨深そうに言われた。やさしく根気強いご指導と3人のがんばりがあってのことだ。満足そうな彼らに無限の可能性を感じ、もっと多くの子どもたちにも伝統楽器に触れる楽しさを体験できる機会があればいいのにと思った。

(文章:ひろしま市民パブリシスト ガー子)

広島市文化財団 文化情報マガジン「to you」平成19年2月号掲載)


「ホクレア号がやってきた」
帆を広げたホクレア号(縦)
 


「ホクレア号」が広島にやってきた。
地球儀で太平洋上のハワイを探す。
日本の遥か遥か彼方に、ごま粒を貼りつけたようにある。
ジャンボ機で飛んだとしても7~8時間はかかる遠さだ。
 

帆を広げたホクレア号(横)
 


そこを、自然の風だけで航行するという復元古代伝統帆式カヌー「ホクレア号」が広島までやってきたというのでびっくり仰天!
係留の「観音マリーナ」に行ってみた。
 

ホクレア号の乗組員
 


 

観音マリーナに集まった人々


 

 普段目にする「カヌー」とはケタ違いだったとしても、太平洋の大海原を思うと、「よくぞ、この船で」と人間の知恵と勇気に最敬礼するしかなかった。
宮島と原爆ドームを見てきたという一行を乗せた「ホクレア号」は波静かな瀬戸内海へと又、出て行った。
 


(ひろしまファンクラブ 平成19年6月21日号掲載)


「路面電車まつり」
 

電車の運転席で

路面電車のしくみ
第12回電車祭り正面


♪♪運転手は君だ。車掌は僕だ・・・。懐かしい童謡の一節だ。
チンチン電車の愛称で親しまれる路面電車は子供が抱く、人生最初の憧れだろう。

 

ミニ電車乗車
 

ひと頃前までは、日本国内でもちょっとした街には路面電車が幅をきかせて走っていたものだが、経済成長は自動車社会を生み出し、路面電車は次々と姿を消していった。

そんな中で、ひろしまでは官民が知恵と工夫をこらして、路面電車を盛りたて、今や車輌数、利用者数共にダントツの日本一を誇り、我らがカープも真っ青・・・ に違いない。

ひろしまの「チンチン電車」は「お好み焼」共々全国でもすっかりお馴染みとなってきた。
広島電鉄株式会社では、そうした電車愛用者への感謝と、一層の理解を得ようと「路面電車まつり」を毎年開催、12回目となる今年も、平成19年6月10日(日)千田車庫を一般公開、親子連れやマニアを中心に16000人もの人出で、終日大変な賑わいとなった。

 

電車の模型の運転
 

被爆3日後、廃墟同然となった街中を、路線の一部とはいえ電車が走りだし、原爆で打ちのめされた市民の再起の力となったと言われる。 路面電車は、これからもひろしまの元気を乗せて、縦横に走り続けていくのだ。
 

(ひろしまファンクラブ 平成19年6月21日号掲載)


広島の風物詩 お盆の紙灯籠

「夏休み」は、なにも子供達だけの特権ではない。
暑さがピークを迎える頃、お盆が訪れる。大人の「夏休み」だ。日頃、仕事に明け暮れする商人、勤め人にとって、つかの間、我をとり戻せる貴重な数日間だ。

お盆には、人々はご先祖や故人を偲んで、仏壇に墓前にと手を合わす「美しい日本」の風習が全国的に繰り広げられるものだが、なかでも広島地方では独特の景観が目を引く。
墓前を飾る「紙とうろう」の華々しさだ。他所から来た人はその様子に目を丸くする。

この広島地方にだけ見られる光景が、どんな理由でいつ頃から盛んになったのか興味津々。
そこで、浄土真宗、本願寺広島別院で話を聞かせてもらったが、その結果はちょっと意外だった。

江戸時代も後期、広島城下の商家で愛娘の死を悼んだ親御さんが供養だと自作の紙とうろうを墓前に飾った。それが評判となり次第に広まった・・・というのが通説という。
浄土真宗として、なんの関わりもないところで始まり定着した習慣なのだそうだ。

今、紙とうろうのそのほとんどは近郊の農家などで集中生産されているそうだが、中区寺町通りの花屋さんが店内で作っておられることを知り、その様子を見せてもらった。
見事な手際で、次々と出来上がるが、すべて手作業であった。
わずか数日で終わるその手間がもったいなく思える「紙とうろう」が、私にはちょっとした工芸品のように思えた。

ずっとずっと前のこと。
お盆がいって(過ぎて)お寺が静けさを取り戻したら、「もう川で泳いじゃいけんヨ」と親からきついお達しが出た。
夏休みも残り少なくなってきたことに気付いて、もの寂しさが胸をよぎるのだった。

(ひろしまファンクラブ 平成19年8月23日号掲載)

本願寺 広島別院



色とりどりの紙とうろう

寺町にある花屋さん

紙とうろうの作成


 



広島にもマリーナ」がある! 

生まれも育ちも「ひろしま」の私は、60歳代も後半に突入。

これまでよその街に住んだことがない。

その分、「ひろしま」については、通(つう)と威張れるほどのものではないが、ちょっとくらいは詳しいつもりでいた。

ところが、その自信が最近はグラつき気味。この前、はるばるハワイから「ホクレア号」が広島にやってきた、というので見物に出かけてびっくりした。

係留地は西区の「観音マリーナ」。その名を聞くのも初めてなら、行ってみたのも初めて。

知らんかった!知らんかった!

いつの間に広島にもこんな光景が、と目を疑う思いだった。

防波堤に囲まれた波静かなマリーナには、まっ白い大型ヨットのマストが青空に向け林立、クルーザーというのだろうか、立派なモーターボートも整然と停泊し、出入りしているのだ。

ずっと前、映画の中で見た高級リゾート地、ハワイとか、フロリダとか、地中海だった羨望のシーンが、今、目の前に、「ひろしま」にあるのだ。

そういえば、なにかで聞いた話だが、レジャーボートの数は広島県は日本一だという。

これで、広島は「活力に欠ける」と言われてもなんだか…。

(ひろしまファンクラブ 平成19年8月30日号掲載)

係留されたクルーザー
係留されたクルーザー
デッキからの眺めもすばらしい
デッキからの眺めもすばらしい
係留中のヨット
係留中のヨット
湾内を進むヨット
湾内を進むヨット

 


観音ねぎの今

「広島市」。いまや100万都市。

全国でも指折りの街に成長し、旧市域に限ればコンクリートジャングル化への変貌が進む。そんな市内の南西部に位置して、まだ、農地の目立つ町「南観音」がある。

数十年前、まだ工事中だった太田川放水路の土手から見る南観音は「一望千里」はオーバーだとしても、青々とした「ねぎ畑」が広々として、大きな建物といえば学校か、お寺か、遠くに三菱造船所の工場やクレーンが目につくくらいの農村風情が色濃いところだった。

しかし、今、あらためて町内を見直してみて、いつの間にか都市化が進み「ねぎ畑」がみるみる姿を消していっていることに驚く。
しばらく、ねぎが植えられていないなと思っていたら、ある日、建築告知板が立ち、やがて重機が入り、工事が始まる。
会社が進出し、マンションが建ち、駐車場がそこかしこに出現、こんな場面に次々と出会う。

「観音ねぎ」といえば抜群の味、香りが人気のねぎのブランド品だと、古老は誇らしげに行った。

そのねぎ畑が・・・。

「観音ねぎ」のピンチなのではないか?そう思った。
ねぎはこの先どうなるのだろう?
ねぎ農家はこの先どうなるのだろう?

探訪してみた。
「南観音」と「ねぎ」との出会いは、なんと1850年代から。このあたりは、後の埋め立て地域。
その砂地に適した農作物として先人は京都からねぎの種を持ち帰った。以来、農家の人々の営々とした努力が実って「観音のねぎ」は次第に確たる地歩を築いた。


 

ねぎ畑を見守る重厚な農家
ねぎ畑を見守る重厚な農家

ねぎ畑が急ピッチに消えていく
ねぎ畑が急ピッチに消えていく

観音ねぎの源は京都の種
観音ねぎの源は京都の種

丹精こめた農作物が黙々と進む
丹精こめた農作物が黙々と進む


 

最盛期80戸余りあった農家だが、今、ねぎを市場に出荷している農家は十数戸に減少している。
現役ねぎ農家の竹内氏に案内してもらった早朝の西区にある広島市中央卸売市場。
その時、「観音ねぎ」の集荷位置には、竹内氏出荷分のみが積まれていた。

こうした変化の始まりは、あの日本経済の高度成長期の頃からだったようだ。採算悪化、厳しい農作業からくる後継者難、広島の都会化それらが絡みあって「ねぎ農家」を見限る人が続出する。

では、今、ねぎは品薄なのか?

いや、スーパーなどの売り場に、ねぎは豊富に並ぶ。
物流の発達により他の産地から入荷があるのだ。
だが、それより、なにより驚いたのは「水耕栽培ねぎ」というハウス栽培のねぎの出現で、広島県では安芸高田市を中心とする生産は県下ねぎ生産の6割にも達し、その栽培量は全国トップクラスだというのだ。

この「水耕ねぎ」、県農業技術センター(東広島市)が中心となっての研究は休みなく進んでいるという。

大地と自然を相手の伝統露地栽培の「観音ねぎ」か新進の「水耕ねぎ」か、消費者の嗜好はどっちに傾いていくのか、いずれ結果は出ることだろうが、それが観音ねぎ消長の鍵となるだろう。

そんなことに思いを馳せながら、緑鮮やかなねぎ入りの惣菜を召し上がってみて下さい。

(ひろしまファンクラブ 平成19年10月18日号掲載)

観音ねぎ集荷位置
観音ねぎ用のスペースは広いのに

「土」を使わぬねぎ作りの研究が進む
「土」を使わぬねぎ作りの研究が進む

みごとの育った「観音ねぎ」
みごとに育った「観音ねぎ」
 



「県営球場」「市民球場」そして「新球場」へ(1)

「県営球場」

多くのカープファンは2009年春にはオープンする新しい球場への期待に胸ときめかせている。いっぽう、50年余りの数知れない思い出が詰った市民球場がその役割を終える。老兵は消え去る運命にあるということか。

ところがドッコイ、市民球場を老兵などとよばせないぞ、とばかりに老いて益々元気な野球場が広島にはある。「県営野球場」人によっては「総合グランド」とも呼ぶ老野球場だ。昭和16年の完成だというから市民球場よりも16才年上だ。さすがに今ではプロ野球公式戦は開催されないが、こここそ、カープの故郷ともいうべき野球場なのだ。ナイター設備のある市民球場が出現するまでの7年間、カープ球団史上、最も苦難にみちた時代、その本拠地として支え続けてきたのだ。

今、市民球場で無邪気に、快活にカープ戦を楽しむ若いファンのどれだけの人がそのことを知っているだろう。古い時代を知る古いカープファンなら、忘れられない「県営球場」を訪ねてみた。

伝説的な樽募金展開された入口付近の佇まいをはじめとして、総体的に当時と変っていないが懐かしくて嬉しい。外野フィールドに張られた芝が目新しく思えた。両翼92m センター113mは市民球場と大差ないが低いスタンド越しに遠くが見渡せて狭いと感じない。定員13,000人の球場に2万人を越すファンが押し寄せて、急遽ファウルグランドにロープを張り、即席スタンドとしてしのいだ、のどかだった時代が思い出される。

昨今、年間200回前後のアマチュアの試合があるとか。野球好きが集い、白球を追い続ける「県営球場」。地味ながら、当時の雰囲気を色濃く残して、これからも現役であり続けて欲しい。

 

樽募金はここではじまった。
  樽募金はここではじまった。
 

見晴らしがよく狭いとは思えぬグランド風景
  見晴らしがよく狭いとは思えぬグランド風景

外野席は今も芝生席だ
外野席は今も芝生席だ

アマチュアの試合は今も開催している
アマチュアの試合は今も開催している

 

「市民球場」

カープの本拠地であればこそ、広島ではカープ絡みの催しはあれこれと多彩である。残暑の厳しかった9月、カープと市民球場の「昔話」を聞く会があった。

会場が広くなかったせいもあり、溢れんばかりのカープファンで大盛会。カープの昔話、とくればそれはもう紛れもない貧乏球団の泣き笑い物語に決まっている。悲しいのに楽しいエピソードが講師の巧みな話術によって紹介されると、当時を実体験している参加者の多い会場は大いに湧いた。

その話の中で、市民球場の建設秘話が披露された折に、参加者から思いがけない反応があった。

新しい球場の完成後、現市民球場が姿を消す運命にあることに講師が異を唱えると、期せずして会場内に拍手がまきおこったのだ。人の気持ちはまことに複雑ということだろう。市民球場完成の時、そのナイター設備は日本一の明るさだとのふれこみに市民は胸を張ったものだ。

それから50年、ファンはもとより、選手の中からも老朽化した市民球場に向けての不評があからさまになり、それが新球場建設への弾みとなった。そして、目下、市民球場跡地の再開発議論進み、市民球場が無くなることは現実の話のはずなのだ。

そんなことを思いながら市民球場をひとまわりしてみた。オフシーズンの球場はひっそりとしてやたら巨大に見えた。

「これがあと一年後には役目を終え、やがて姿を消すのだ」と思った時、これからも現役であり続ける「県営球場」のシンプルな姿がチラ、と脳裏をかすめた。

(ひろしまファンクラブ 平成19年12月6日号掲載)

 

市民球場正面の姿
  市民球場正面の姿
 

広島市街地のまっ只中にある市民球場
広島市街地のまっ只中にある市民球場

「勝鯉の森」カープを物語るモニュメントが立つ
「勝鯉の森」カープを物語るモニュメントが立つ

熱血、津田投手を記憶するプレートが カープ選手を見守る
熱血、津田投手を記憶するプレートが

カープ選手を見守る

 


守り続けられるとんど焼き

「火」にまつわる行事は今の時代でも各地で種々盛んに行われている。なかでも「とんど焼」(呼び方はさまざまだ)は、もっともポピュラーであり、広島県は全国的にも盛んな土地柄だという。

「成人の日」の前日、西区の南観音小学校校庭で、今年も「とんど焼」が行われた。朝、お正月飾りなどを手にした町内の人達が続々と集まり、いつの間にか3~400人もの人垣ができた。

定刻、同小学校合唱隊の清らかな歌声で幕開けする。数名の児童が火種の笹で点火すると孟宗竹などで巧みに組まれた「火櫓」はみるみる巨大な火の柱となった。書初めなどが熱風で空に舞いあがる。竹の強烈な破裂音が子どもらの歓声を誘う。

やがて鎮まった火で焼いた餅入りの「ぜんざい」は、お母さん方の心づくしで、笑顔の行列が続いた。

二時間余りの火祭りを表舞台と言うなら、前日の準備は舞台裏だ。大方の人は知ることのない、目にして初めて分かる大変な作業が繰りひろげられる。

でも、毎年行われる行事故にか、ベテラン揃いでの作業は淀みなく運ばれて、先程まではなにもなかった校庭に、壮大な「とんど焼」の舞台が出現するのだから頼もしい。

こうした裏方を平然とこなしてしまう人達によって伝統が守られ、町の活気が支えられている。ありがたいと思った。

 

(ひろしまファンクラブ 平成20年1月17日号掲載)

 

火櫓の骨格づくりにかかる
  火櫓の骨格づくりにかかる

火櫓に点火
火櫓に点火

火勢を増す。とんど祭りのクライマックス
火勢を増す。とんど祭りのクライマックス

鎮まった火で焼く餅
鎮まった火で焼く餅

 


新球場起工式

2007年(平成19年)11月26日。広島の街を語り、カープを語るうえで、大きな意味をもつ日となった。仮称・広島市新球場の建設起工式が行われた。

球場立地としては全国一、といわれながら、築後50年の狭い広島市民球場は老朽化が進んだことも手伝って、近年はファンや選手間で常に不満の声にさらされ続けた。また2004年には、球界の再編論議がもちあがったりして、新球場建設の必要性が一気に広島の緊急課題として表面化してきた。その時、カープファン魂が健在ぶりを発揮する。再現された樽募金は、単に広島だけでなく全国のカープファンをも巻き込み、1年で1億2500万円が集まった。官民あげての議論は、旧JR貨物ヤードに新球場建設を決定。設計コンペ、建設業者の選定段階では、思いもよらぬ曲折が続いたが、総ての思いが実を結び、いよいよ起工式の日を迎えたのだ。

工事が始まりを意味する起工式での「鍬入れ」では、力強いかけ声で鍬がふりおろされる一瞬の緊張の後、秋葉市長をはじめ、鍬を持った人の表情に笑が浮かんだ、いくつもの難関を乗り越えて、ようやくここに至った、という安堵の表情だったに違いない。

総工費90億円は、各地に誕生した豪壮なドーム球場建設費のことを思うとえらくつつましい印象だが、今の市民球場が当時の広島財界有志の寄付1億6000万円で造られたことを思いおこせば、隔世の威だ。次々と明らかにされる新球場のイメージは“夢の器”とも表現される楽しさいっぱいのアイデアが魅力の天然芝のオープン球場となる。あと一年と少し、2009年の春、この新しい球場でカープと野球を愛してやまぬ人達の新しい歩みが始まる。

(ひろしまファンクラブ 平成20年1月17日号掲載)

 

「いよいよ工事の開始だ」 安堵と期待に笑みがこぼれる
「いよいよ工事の開始だ」
安堵と期待に笑みがこぼれる

「起工式」後のインタビューを受ける カープ・ブラウン監督
「起工式」後のインタビューを受ける
カープ・ブラウン監督

新球場はJR広島南側に立地、新幹線や 在来線がレフト側越しに走る
新球場はJR広島南側に立地、新幹線や
在来線がレフト側越しに走る


専用コートで技磨く、広島のフットサル

今や「○○王国」などという金看板は色あせてきた感の広島スポーツ界だが、地力を持った土地柄は代わらないと思う。

昨今、カープを筆頭にパッとしないのがシャクの種だが、スポーツ好きはきっと県民性なのだろう。

昨年、日本でもプロチームを含む「Fリーグ」が結成された「フットサル」が広島でも勢いを増してきているという。

今をときめくサッカー界のスーパースター、ロナウジーニョもスタートはフットサルだったとか。
南米ブラジル中心に弾まないボールで行う「サロンフットボール」が一つの起源と言われるこのスポーツ、一言で言えば「ミニサッカー」だ。

コートも、ボールも試合時間も選手の数もミニ。
ビッグなのは得点だ。ある人に言わせるとよく入るのが魅力らしい。

広島県下にも、専用コートがすでに数ヶ所あり、その一つ、広島市内観音の「サンフレッチェ・ミズノ・フットサル広島」を訪ねた。

フットサルは基本的には室内競技だが、ここは屋外コート。ネットにすっぽりと覆われたコートは超大型の鳥カゴ風だが、西飛行場に接し、周囲に高い建物はなく、視界良好、窮屈さを感じない。
三面あるコートは、人工芝の緑に白線が浮かび、ゲームに興じる人達の歓声が爽快に通り抜ける。照明も完備され、ナイターも可能だ。

今に、広島にも「Fリーグ」で頂天を目指せるチームが育ってくるに違いない。これら専用コートがその役割の一翼を担っていく・・・そう感じるのだった。
 


 

(ひろしまファンクラブ 平成20年5月22日号掲載)

情報満載 クラブハウス内
情報満載 クラブハウス内

コートの隣は西飛行場
コートの隣は西飛行場
 

巨大な鳥カゴを思わせるコート
巨大な鳥カゴを思わせるコート

闘志満々 ボールを奪い合う
闘志満々 ボールを奪い合う 



汁なし坦坦麺
坦坦麺 掻き混ぜ前
ちょっと見には質素そうだが。

坦坦麺 注意書き
カウンターには坦坦麺の極意書が。

坦坦麺 掻き混ぜ後
こんなになる程混ぜます。

 


「尾道ラーメン」「広島ラーメン」「広島激辛つけ麺」ときて、今、また新種「汁なし坦坦麺」が人気という。遅れてはならじとばかりに出かけてみた。

「よく掻き混ぜてから食べて下さい」とのアドバイスと共に、大き目の丼に入った「坦坦麺」のお出まし。たっぷりと盛られた青ねぎの下に、白っぽい麺と、黒っぽい具がのぞいている。

カウンターに立ててある解説書(?)にも「10回以上混ぜて」とあり、とにかく掻き混ぜにかかる。 他の客も掻き混ぜたり、食べたりとやたら忙しそう。不慣れで、せっかく大きな丼なのに、勢い余って具が飛び出すことも再々。混ざると、一見、焼きそば風で、どうみても上品でないのがけっさくだ。

山椒とか唐辛子や、きっとにんにくも入っていそうな秘伝のタレが、得も言えぬ香りを放ち、食欲をそそる。しっかり混ぜて、さて、ひと口。

辛さは覚悟してた程ではなさそうに思えたが、混ぜては食べ、混ぜては食べている内に、水がほしくなり、氷水を飲む。水が舌にピリリとくる。炭酸水かと錯覚する程に。

丼の底に具が少し残った。
もったいない世代の私だが、いささかもう箸は出にくかった。
「クセになりそう」と顔を見合わせながら席を立ったカップル。
なるほど、すでにクセになったらしい客が次々と扉を開けて入ってくる。

繁華街を外れた普通の町の小さな店に旨い物目指して客足が途切れない。食文化爛熟の日本を垣間見た気がした。
 

(ひろしまファンクラブ 平成20年6月12日号掲載)


「平和大通りの石燈籠」


 

広島市内。比治山から己斐にかけての堂々たるグリーンベルトが素晴らしい。

別名「100メートル道路」と呼ばれる「平和大通り」(全長約4km)は自動車が激しく行き交う幹線道路だが、車道を挟んだ広い緑地帯が両脇に伸びて、大通り全体が公園といった趣を持っている。

冬の間、枯木だった樹木が、桜が散り、一斉に若葉を広げる新緑の頃ともなると、その緑地帯の瑞々しさは格別なものである。

広島が原爆によって廃墟と化した時、「75年間草木も生えぬ」と言われた。
しかし、実際には市民が復興に向けて、素早く立ち上がるのと歩調を合わせるかのように、地面には雑草の芽が顔をのぞかせた。
その時の人々の感激ぶりは、映画「ひろしま」の中でも印象的なシーンとして描かれている。

ただ広いだけだった平和大通りには国内のみならず、外国からも樹木の寄贈が相次いだ。広島の地に根付き、立派に成長した樹木は、市民には憩いの大通りとして、観光客からは緑の豊かな美しい街としての評判を得るに至る。

その「平和大通り」は憩いの場としてだけでなく、広島の復興のシンボル空間の一つとして、市民から親しまれている。

また、この平和大通りの緑地帯の樹木の間には平和を記念する彫刻・記念碑などが数多く点在している。

その中でも数多い石燈籠があることを知らない人が案外多いのではないだろうか。
姿、形も様々で精巧な彫りの石燈籠がなんと30数基も立っている。
傍らにはその説明版も立派なものが取り付けられていて、さながら石燈籠ミュージアムの観なのだ。

じっくりと見て歩いていると時間がすぐ経ってしまいそうな充実さである。


 

春日形石燈籠
春日形石燈籠(菊形)

道標形石燈籠
道標形石燈籠

玄化寺形石燈籠
玄化寺形石燈籠


 
勧修寺形石燈籠
勧修寺形石燈籠
 
善導寺形石燈籠
善導寺形石燈籠
 

(ひろしまファンクラブ 平成20年7月3日号掲載)


「多彩な表情、進化する広島市街地の護岸」
 

原爆ドーム対岸親水テラス(元安川)
原爆ドーム対岸親水テラス(元安川)

万代橋東詰(元安川)
万代橋東詰(元安川)

厚生年金会館横(本川)
厚生年金会館横(本川)

基町ポップラ通り(本川)
基町ポップラ通り(本川)
 

もう、何十年も前、フランスはパリが舞台の映画で、まるで公園と見まがうようなセーヌの河畔風景を見せつけられて目を丸くしたものだった。

また今、NHK-TV朝のドラマでは東京の素敵な河畔が度々登場する。映画にしろ、テレビでも、スタッフが腕によりをかけて撮影した映像とはいえ、ほんとにいい眺めなのだ。

では、護岸整備が進む広島はどうだろう。
護岸といえば、もとはといえば水の制御がそもそもの役目だと思うが、市街地のそれとなると、それ以上の様々な機能が求められてくるのだろう。

太田川のデルタ上に築かれ発展してきた広島市は、市街地を大きな川が六本も流れていて、古くから「川の街」、「水の都」と呼ばれてきた。 広島市街地の護岸を改めて見てみると、被爆後の復興期を経て、その後の成長発展の歳月が流れていくうちに、随分、立派で多彩な護岸に変わってきていることに気付かされる。

好みは人によっていろいろだろうが、私の一番気に入っている護岸は、平和大橋から万代橋にかけての東岸だ。
樹木の種類や大きさが一見、不揃いに思えて、しかし、それが対岸から眺めても、また、木立ちを縫うように続く遊歩道を散策しても、何とも言えぬ趣があるのだ。

また、原爆ドーム付近の両岸は、場所が場所だけに市内でも最も意図された整備の様子が目を引く。一年を通じていろんな催しなどで人が集う河畔であり、観光客にも誇れる景観だと思う。

それから、基町の通称「ポップラ通り」。
広々と見渡せる草地は緑の大ステージそのものだ。
その背面にあるよく育った桜並木は自然の大屏風に思え、四季の彩りが鮮やかだ。

今も、広島市街地の護岸整備は、着々と進められている。
新しい護岸では、親水の機能が盛り込まれていて、そのイメージも進歩、変化している事がよく分かる。広島は川が生んでくれた街だ。

「川の街」、「水の都」、広島はいつまでも人と川が仲良くやっていける街であってほしいと思う。
 

(ひろしまファンクラブ 平成20年9月4日号掲載)

 


  「広島の新しい誇り誕生」

 

できた!できた!
何が?だって!?
新球場にきまっとるわい。

3月28日。
広島市の歴史にまた新しいページが追加された。
待望久しかった新広島市民球場ができあがり、その竣工式が行われた記念すべき日、として。

それにしても、広島におけるカープの存在の大きさを改めて思い知った気がする。

新しい球場がどうしても必要となった時、広島は次々と持ち上がる難題を打開し乗り越えてきた。
人々の熱意と粘り強さは、カープ大事、であればこそと言っても異論は出ないと思う。
目下の大不況風から間一髪逃れ得て、このたびの完成式を迎えられた幸運も、そんなひたむきさに対する天からの褒美、といったら感傷的すぎるだろうか。

 

球場正面。オープンを待つばかり。
球場正面。オープンを待つばかり。

竣工式で喜びの言葉をのべる秋葉市長
竣工式で喜びの言葉をのべる秋葉市長

数々のアイデアが形となった新球場は、選手と観客双方を満足させる舞台装置として、まず申し分ない野球場にできあがったようで、早くも大好評だ。その真価は、いよいよ4月10日の対中日戦から繰り広げられる熱戦で証明されていくはずだが、器の目新しさは、そのうち新鮮さを失っていく。その先々、新球場が末永く広島の活力源としての役割を果たすには、やはりカープの戦績にかかってくる。カープはとにかく好ゲームを見せてほしい。そして、ファンはスタンドを埋めて熱い声援を送ろう。
 

旧市民球場の土が新球場へ。伝統の継承。
旧市民球場の土が新球場へ。伝統の継承。

新球場の特徴のひとつ、大胆に高さをカットされたレフトスタンド越しに、新幹線の乗客は球場内の様子を目にすることになる。これはきっと、話題になるに違いない。広島人としての気がかりは、その話題の中身だろう。昨シーズン終盤のような、真っ赤に埋まったスタンドの目撃談だったら最高だ。
 

プレーボールを待つばかりの新球場
プレーボールを待つばかりの新球場


 

ともあれ、カープを、そして野球を愛してやまぬ人々の思いがこめられている、この新生・広島市民球場の生い立ちを、これから私たちは新たな誇りにしていくのだ。

(ひろしまファンクラブ 平成21年4月9日号掲載)

 

新幹線の車窓から見る、新球場。
新幹線の車窓から見る、新球場。

今年の広島の桜も見事でした

 

この春、広島の桜も見事に咲いてくれました。
日本で「桜」といえば染井吉野が代表種のようだが、この木の寿命は五十年あまりといわれている。
とすると、被爆で街そのものが灰じんと化した広島市街地で咲き誇る桜の多くは、樹齢としては今がピークにあるということか。

 

広島城西
広島城西から

そう思って眺めてみると、なるほど、痛々しげな桜の老木が目につく。街の復興と歩を同じく成長し、花を咲かせ、市民をいやし楽しませ続けてくれたのだと思うと、その姿が愛おしく思えてくる。
だが、感傷にふけってばかりもいられない。木に樹齢があるのなら、今素晴らしい花を咲かせているこの木々も、やがて朽ちてしまう時が必ず来るということだ。先々を見越して若い木の植樹はされているのだろうか?ちょっと心配に思ってみることがある。

黄金山

黄金山

広島は川の街だ。護岸としての堤防の長さは、他の都市の比ではなく、その整備は今も営々として続けられている。
その堤防への植樹に、もっと桜を多用するのはどうだろう。旧市内を流れる六本の川。その川岸はぐるりと桜並木になる。春になると淡いピンクの帯が、各中州を囲みこむように延々と続く。川面にはクルーズ船がのんびりと行き交っている。夢物語といわれそうだけど、そんな風景を空想するのも広島人ならではの楽しみのように思っているのですが。

(ひろしまファンクラブ 平成21年4月23日号掲載)
 

平和記念公園元安川河畔
平和記念公園 元安川河畔
 

生まれ変わる南区段原地区

山というより小高い丘といった風情の比治山。そのふもとには女子商があり、段原中学校があって、SLが家の軒をかすめるように走る国鉄宇品線が町のまん中を貫いていた。高い煙突の風呂屋さんも二つ三つ、どこか宇宙基地を思わせるような変電所もあったり、また骨董品店も多々あった。
子どもが二、三人入るといっぱいになるような駄菓子屋などは数知れず、タクシーさえ難儀する細い道の両側には、人情に厚く温もりある人々の生活が繰り広げられていた。
被爆後の目覚しい復興で様変わりする広島市内にあって、比治山の東側にある段原地区のほとんどは、被爆による致命的な破壊や焼失から免れることができ、古い時代の面影を色濃く残していた。

しかし、そうした時がゆっくりと流れていったような段原の町を生まれ変わらせる一大事業が始められた。段原再開発事業は、昭和46年の都市計画決定によって、旧国鉄宇品線の西側から進められた。4,019戸にも及ぶ住宅等の移転と取り壊し、整地後の下水道等の敷設、そしてそこに次々と完成していく新築家屋やビル群。以前の段原の印象を払拭する真新しい町が出現した。

そして、再開発は1,765戸の家屋のある旧宇品線の東側でも進められ、家は次々と姿を消して、整地された土地が日に日に広さを増している。 計画では、平成25年度までに事業完了を目指しているという。 やがて西側に続く、新しい段原が姿を現してくるのだ。
都市計画決定から事業完了まで、40年余りをかけて古い町並みをすっかり新しい町に造りかえるという、壮大な事業の進行を今、私達は目のあたりにしているのだ。

道が変わる、家並みが変わる、そして段原東浦、段原末広、段原新町、南段原など、馴染んできた町名も新しいものに変わる。「ふるさと」をなくしたようで寂しいと思う一方、段原の新しい世代による 新しい「ふるさと」を創っていく日々が始まることでもあるのだ。

そんな変遷の途上にある段原の今をほんの少し写真でご紹介します。

(ひろしまファンクラブ 平成21年7月23日号掲載)
 

取り壊し準備が進む家
取り壊し準備が進む家(左は宇品線跡)


整地が進む地域
家屋の撤去が終わり整地が進む

事業計画の一部
事業地域の一部(比治山を望む)

  生まれ変わった段原の街並み
ひと足先に生まれ変わった段原の姿

家屋撤去後の段原山崎町通り
段原山崎町通り(家屋撤去後)

家屋撤去前の段原山崎通り
段原山崎町通り(家屋撤去前)
 


太田川放水路を道場として~広島の漕艇界

太陽が大きく西に傾く頃、茜色の空を映した太田川放水路の波静かな川面に、音もなく滑るボートのシルエットが浮かぶ。 そうたびたび目にできる光景ではないので、運良く出くわすとポエムだなあとつい見とれてしまう。

 

陽も昇って、さあ始動だ

                     陽も昇って、さあ始動だ

 

潮もよし、力強く漕ぎ出す
潮もよし!力強く漕ぎ出す


ただ一人黙々と操る
ただ一人、黙々とオールを操る

スポーツ王国といわれる広島にあって、黙々とトレーニングが続けられていることを知り、現場を訪ねてみようと思い立った。 広島の旧市街地を流れる一番西側の川、太田川放水路。そのまた1番南にかかる庚午橋を渡ってすぐ左折、商工センターに向かう川沿いの道路はやがて右に大きくカーブし、商工センターに入るあたりでボートを保管する艇庫が4棟、目に入ってくる。
 

朝の冷気が身を引き締める
                         朝の冷気が身を引き締める

「広大」「広島工大」 「皆実高校」「修道高校」と大きく表示してある。 学校から距離のある広大の艇庫では、部員の合宿ができる別棟も併設してある。 しかし、広島市内の学校数と比べて漕艇部を擁する学校が少ない気がして聞いてみると、実際に数が少ないのだそうだ。 この4校にしても、部員集めの苦労話には事欠かぬのが実情らしい。野球やサッカー部などに比べて様子がすいぶん違うようだ。

1000m、 2000mクラスのレースが可能な直線と川幅を持ち、絶好の環境のような気がするのに、ここの放水路では公式のレースは行われていないという。 潮の流れがその理由なのだ。そういえば、広島の川は干満の差が大きく、潮の流れは速く強いため、タイムレースには不向きなのだ。今、広島県の漕艇競技のレベルは、全国の中程あたりらしい。

呼吸をあわせ、オールに力を込める
呼吸を合わせ、オールに力を込める

早い流れに抗してトレーニングに励む精鋭に馬力が宿り、広島に栄冠をもたらす日が来るのは、そんなに時を要することもないと思うのだが、現実となる日が1日でも早いことを期待してしまう。

東の山に朝日が顔をのぞかせる頃、トレーニングが始まった。1艇、また1艇と、冷気を含んだ風を突っ切って太田川放水路に漕ぎ出していく。 その風景を見ていると、訓練の大変さを忘れさせる優雅さがあり、やっぱりポエムだなあと思ったことでした。

(ひろしまファンクラブ 平成21年11月5日号掲載)
 

放水路こそ、我らが道場
放水路こそ我らが道場

  数増す広島の高層ビルに思うこと
 

「一番でなくてはいけないのか、二番ではダメなのか?!」
去年暮れ、話題になった政治の舞台でのセリフだ。一番が一番いいから一番なのだと思うけど。まだ、本格的に議論はされていなかったが、以前は道州制を目指す方向だった。もし、道州制が採用されたなら、我が「広島」は、州都にすんなりと収まることができるのだろうか?中四国地方で一番の都市としての地位を不動のものにしているのだろうか?
ぼんやりとした不安がどこかにある。
 

広島大学跡地のマンション
広大跡地にお目見えのマンション
(中区東千田町)
高層ビルの幕開けを告げたビル
広島に高層ビル時代の幕開けを
告げたビル (中区袋町)
市街地中心にそびえたつビル
市街地中心にそびえたつホテル
(中区基町)
広島一?ののっぽビル
目下、広島一のノッポビルです
(中区上八丁堀)

州都選定の条件の中に、「都市の表情」といったものがあるのかどうか知らないけれど、見た目の印象を疎かにはできない気がする。
NHKテレビのニュースのタイトルバックには、東京の巨大ビル群がよく大写しされる。ニューヨークの摩天楼には及ばぬにしても、あの画面を見てるだけで東京の実力を強烈に思い知らされる。新幹線の車窓から見る他の大都市の眺望も、超高層ビルがずいぶんと目立ち、その街の実力をうかがわせる。

そんな思いで広島を見てみると…
長い間、JR広島駅前の景観の寂しさが話題にされたものだが、やっと、新幹線口周辺にも再開発による高層ビルが建設され、県都の駅前としての表情が整い始めたように思う。市内中心部では、あちらこちらにノッポビルが増えてきた。ずっと以前、広島はデルタ上にできた街ゆえに、地盤が軟弱で高層ビル建設は無理とされた時代があった。県庁本館など、そんな時代の象徴的ビルで、地盤に浮いているように建てられた今では珍しい例として記憶している。
 

広島駅新幹線口周辺
再開発が進むJR広島駅新幹線口周辺
(東区若草町周辺)

広島駅付近
眺望一新、JR広島駅付近


 

やがて技術の進歩で、広島にも高層ビル建設が可能な時代となり、初の高層ビルが袋町電車通りに登場し、話題になったものだ。平和大通り沿いに高層ホテルが建ち、紙屋町にもそれを上回る高さのホテルが出現し、広電白島線沿いに、映画監督の故・黒沢明氏がプロデュースという高層マンションが建った時は、広島も大都市らしい景観になってきたような気がして胸が高鳴った。まさか、高層ビルの数で州都選別がなされるわけでもあるまいが、広島の活力を推測する有力な判断材料にはなりそうにも思える。

中四国地方で一番の「都市の表情」であればいいなあと願いながら、広島の街中、上を向いて歩きました。

(ひろしまファンクラブ 平成22年03月11日号掲載)


  認識させられた「ヒロシマ ピースボランティア」の活躍

広島市の観光と言えば、原爆ドームを含めて平和記念公園で、大部分の時間を割くスケジュールが一般的のようだ。

観光・修学旅行シーズンともなると、公園内の駐車場は午前中から混み始め、午後2時前後のピーク時には大型バスなどで到着する人の波で、広い公園内が埋め尽くされる感がある。
平和記念資料館は、東京のターミナル駅構内を思い起こさせるほどの大変な人混みになることがある。

そうした人達の案内役である「ガイドさん」は、添乗のバスガイドだけではなく、多様化しているようだ。

なかでも揃いの蛍光色のユニフォームに認識票をつけたガイドの方々が目をひく。平和記念資料館が委嘱した「ヒロシマ ピース ボランティア」の皆さんだ。老若男女、幅広い年代の200名以上が、曜日ごとにグループ化されて、依頼のあった団体や、資料館内での観覧者のガイドにあたる。あらかじめ資料館での講習を経て、ガイドを担当する公式なガイドだ。認知も高まり、去年は依頼件数が2,000件にもなったと、新聞で報じられていた。

6月のある日、ご自身が被爆者でもあり、修学旅行中の小学生15名を担当するピースボランティアに同行させてもらった。

元気盛りの子どもにも勝る健脚ぶりで、広い平和記念公園内の数々の慰霊碑めぐりや、混雑する資料館内の案内を、予定された時間内で手際よくガイドしていく姿は、さすが、と思った。

ガイドの途中でピースボランティアの方が、自作の折鶴をあしらった紙ヒコーキを、子ども達にプレゼントした。
平和学習を念頭においた修学旅行の意義を、形にして示すところは、ボランティアと修学旅行生達という関係を超える「ヒロシマ」の熱さのようなものを感じた。
その成果は、熱心にメモをとる学生達の修学旅行のシオリを通して、胸の奥深くに「ヒロシマ」の記憶として残っていくのだろう。

世界では、「核」の威力を国の後ろ盾と考える指導者が絶えないのが現実だが、「広島」は「長崎」共々、そうした思考の愚かさを実感する「地」であり、ガイドの役割がいよいよ重みを増していくように思えた。


(ひろしまファンクラブ 平成22年07月15日号掲載)
 

一日のスタートのミーティングにて
一日のスタートはミーティングから

平和記念公園を歩く学生達
次々と到着する学童たち

会場の展示物を説明するボランティアガイド
質問にやさしく説明するピースボランティア

平和記念公園で学生に説明するボランティアガイド
平和記念公園でガイド中のピースボランティア

原爆資料館で説明するボランティアガイド
平和記念資料館内にて説明

  初代市民球場の見えた場所

「都会」という所は、絶えず脱皮を繰り返し表情を変えていく。
2008年(平成20年)9月28日。広島カープ対ヤクルトスワローズとの一戦は、広島市民球場での公式戦最後のゲームということで、いつもと違って終始、異様な熱気に満ち満ちていた。試合終了後のセレモニーでは、「ありがとう」と白抜きの文字が浮かびあがる真っ赤なポスターを、満員の観衆が頭上に掲げ、球場が赤く輝いた。
 

旧市民球場正面
旧市民球場正面
 
広島バスセンター脇から見た旧市民球場の一部
広島バスセンター脇から見た
旧市民球場の一部(中央から右部分)

60年にも及ぶ「市民の球場」としての、感謝と惜別の思いが凝縮された感動に満ちたひと時だった。
その翌年から、広島には新しい球場での新しい歴史が書き加えられていくことになった。
大きな役割を終えた初代市民球場は、紆余曲折はあったものの、今年中には解体工事が始まり、やがてその跡には緑豊かな公園が誕生する。

 

相生橋からみた旧市民球場
相生橋からみた旧市民球場(左側)
グリーンアリーナ、ファミリープールの間から見える旧市民球場
グリーンアリーナ、ファミリープールの間から
見える旧市民球場

県都の、そのまたど真ん中という好立地に君臨し続けてきた球場だけに、その姿がなくなった風景など、ちっとやそっとでは想像もつかないことだが、間違いなくその時が来る。街中を歩けば、そこにあることが当たり前のように、人々の目に馴染んできた、初代市民球場の見える風景をスナップしておいた。

 

元安川をはさんで平和記念公園から見る旧市民球場
元安川をはさんで平和記念公園から見る
旧市民球場(中央)
旧太田川(本川)から見える旧市民球場
旧太田川(本川)から見る
旧市民球場(中央)

(ひろしまファンクラブ 平成22年10月7日号掲載)

こいこい ひろしま奨励賞~表彰式スケッチ

「只今から平成22年度、こいこい ひろしま奨励賞の表彰式を行います。」
冷たい雨の降る12月21日、中区袋町の広島市まちづくり市民交流プラザ内のスタジオに、司会者の声が響いて会場内の雰囲気がピンと張りつめた。
初めに、主催者である秋葉市長をはじめとする市の関係者と、賞の審査にあたった委員の紹介があって、その後早速、表彰状の授与に移った。受賞対象である各々の活動の様子などが映し出される大スクリーンの前で、受賞した十五の団体、企業に対して、秋葉市長から表彰状が手渡されていった。

受賞者の面々は、多彩。
大人の一大歓楽街の流川・薬研堀地区を安全、安心な街にする活動を、根気強く展開したプロジェクト。昔は子どもの三時のおやつ程度だった「お好み焼き」を、独特なソースを開発し挑戦を続け、今では広島風お好み焼きとして、全国区の食文化にまで高めた会社。ゴミなどで汚れた市街地のイベント広場の清掃活動などを続け、快適な広場に生まれ変わらせたNPO法人。カープやサンフレッチェの応援ラッピングを施した電車を走らせ続ける電鉄会社等々。
受賞者にとって、今回の表彰式は、その活動が晴れて認められた一瞬である。

続いて、市長あいさつ。千客万来の広島を目指す市にとって、このような市民、企業が主役の観光交流の促進を具現化した事例に、大変な頼もしさを感じ、今後も知恵を拝借したい、と賛辞と期待が込められていた。

この後は、参加者全員で記念写真の撮影。受賞者は、表彰状を広げて、整然と並びカメラに向き合った。今日も、広島のどこかで、様々な活動が繰り広げられている。来年のこの会場では、どんな活動がスポットライトを浴びるのだろう。楽しみだ。

 

開会式
開式前に式次第の説明を聞く

表彰状の授与
市長から表彰状の授与

市長のあいさつを聴く
市長のあいさつを聴く

受賞企業と活動内容の展示
受賞企業と活動内容は、パネルで展示
 
記念撮影
達成感を胸に記念撮影


(ひろしまファンクラブ 平成23年1月6日号掲載)


  自分で撮っておきたい風景

♪うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川~忘れがたき ふるさと。♪
口ずさむと、胸の奥がキュンとなる。
遠い日のことを思い出す時の楽しさときたら格別だ。
自分の記憶に残る時代の写真集の発売を知ろうものなら、躊躇なく手に入れて、深い感慨にはまりこんでしまう。
さて、わが「ひろしま」は、灰燼の中から再生した街だ。壮大な都市計画によって近代的な街づくりりが、営々と続けられてきたのだが、以来、60数年たっての昨今は、市街地のあちらこちらでスクラップ アンド ビルド的な工事が目立つようになってきた。
目に馴染んだ風景にジワリ、変化がおきている。
ここは、他人様が撮った写真にばかり感激している場合ではない。幸い今では誰でもが、いとも簡単に写真を撮れる時代だ、残しておきたい場面は他人頼みにすることはない。
折も折、広島市内を走るチンチン電車の路線の「スクラップ アンド ビルド」ニュースを知った。現在、広島駅前を発着する電車は、猿猴橋町を走り、「猿猴橋」を渡るルートになっているのだが、何といっても、「猿猴橋」は戦前に架けられた橋ということもあり、今の時代の電車や自動車が並走するにはいかにも狭い。そこで、電車の軌道はJR広島駅正面に位置する「駅前大橋」に移設するという構想が表面化したのだ。実現の目途は6~7年先ということだが、広島の都市機能を向上さすには不可欠なアイデアということのようだ。
終戦後のしばらくの広島の賑わいは、広島駅前から始まったように記憶する。少年雑誌を買いに目指した本屋さんも、学校から引率されて観に行った映画館も、子ども心を引き付けてやまない「電車」が、威風堂々走る姿を見ながら「猿猴橋」を渡って行ったものだった。ちょっと気が早すぎるかも、と思はないでもないが、あの頃の思い出がどことなく残る風景など、今のうち愛機で撮らいでおらりょうか、の心意気で出かけたのでした。


 
駅前通
駅前通

的場町電停から
的場町電停から

猿猴橋東側
猿猴橋東側

猿猴橋西側
猿猴橋西側
 
猿猴橋交差点
猿猴橋交差点
 
駅前大橋
駅前大橋



(ひろしまファンクラブ 平成23年3月17日号掲載)


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