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祇園・長束ルートの概要

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1.ルートの特徴

 JR下祇園駅、安芸長束駅を起終点とし、雲石街道沿いに栄えた祇園の街並みの面影や、新安川沿いの景観を楽しめるルートです。

 

2.ルート上の主な資源

 

安神社 冬木神社と尾喰神社 蓮光寺と蓮華松
●安神社
   元の名を「祇園社」といい町名の由来にもなっています。当初、松尾山(祇園中学校付近)にありましたが、正安(1299~1301年)の頃、兵火に遭い焼失しました。幸い御神体は祭礼のために御旅所(現在の場所)にあって難を逃れたので、その後、武田氏がこの場所に社殿を建立したと伝えられています。明治43年(1910年)にも火災に遭いましたが、御神体は再び難を免れています。現在の社殿は、大正2年(1913年)に再建されたものです。柿の一品種「祇園坊」の発祥地とされ、平成17年(2005年)に記念樹が社殿の一角に植えられました。昔、社僧が境内に植えていた柿を、坊主頭になぞらえて、こう呼んだものと伝えられています。なお、県道(旧国道)の向かい側の恵美須神社(商業の祭神)は、元々安神社の境内にあったものです。
 
●冬木神社・楊柳観音
冬木神社:昔、西原に神社はなく、人々は太田川を渡って戸坂(東区)の狐爪木神社に参拝していました。しかし、洪水で渡れないこともしばしばあったため、氏子らの嘆願によって正保元年(1644年)に建立されました。ここで奉納される神楽は、天明の大飢饉(1782~1788年)や疫病に苦しんだ村人が厄払いと五穀豊穣を祈って始めたものといわれています。伝統的な神楽の形式を今に残す「西原上十二神祇神楽」として広島市の重要無形文化財に指定されています。
楊柳観音:冬木神社の隣に立つ尾喰寺の本尊です。弘安6年(1283年)、武田信隆が安芸国に赴任する時、甲斐国(山梨県)に残したはずの観音像が、馬の尾に喰いついているのを見つけ、武田山麓に堂を造ってこれを安置したことに始まります。その後、戦火を逃れるため家臣の家などにかくまわれ、応永16年(1409年)、武田信栄の手で西原の地へ移されました。嘉永3年(1850年)の大洪水で本堂が崩壊したため、冬木神社境内に仮安置されましたが、大正4年(1915年)、その場所に京都の六角堂(頂法寺)を摸した凝った造りの本堂が再建されました。
●蓮光寺と蓮華松
   弘安6年(1283年)、武田信隆の次男で僧侶だった清順により「松陰坊」として始められました。当初は下安の仏護寺(祇園北高校付近)にあり、その後、「蓮光寺」と改称して、大塚(安佐南区)、寺町(中区)への移転を経て、寛永7年(1630年)、長束へ移ってきました。その時に植えられたクロマツが、境内を覆うように枝を伸ばした蓮華松(樹高9m,枝張・東西26m・南北25m)で、広島県の天然記念物に指定されています。

3 ルート上の見所
 

 

祇園の旧家 安川緑道 新安川
祇園の旧家 安川緑道 新安川

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このページに関するお問い合わせ先

安佐南区役所 市民部 地域起こし推進課
電話:082-831-4926 /  FAX:082-877-2299
メールアドレス:am-chiiki@city.hiroshima.lg.jp